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第1話 悪役令嬢レイラ・ヴァレリーノ

「なによこの料理! ぜんっぜん美味しくないわ!」

 

 ヴァレリーノ公爵家の令嬢レイラ・ヴァレリーノは、テーブルに置かれた皿をひっくりかえした。

 皿に盛られていたパスタはケチャップをまき散らしながらテーブルの上に落ちて、皿はテーブルの上をくるくる回った後で沈黙した。

 

「あーーー! ちょっと! 服汚れちゃったじゃない!!」

 

 一方のレイラは、自分で撒き散らしたケチャップがお気に入りの白いドレスにかかったことに憤慨し、両手でバンバンとテーブルを叩いた。

 

「ウォッタ!」

 

「は、はい!」

 

「洗濯して! 少しでも赤いのが残ってたら首だから!」

 

 使用人であるウォッタは、レイラが脱いで差し出してきた小さなドレスを手に取り、汚れをまじまじと見る。

 ただでさえ、レイラの着ていたドレスは、汚れの落ちにくい繊細な素材だ。

 どうやっても落ちる訳がないと思ったウォッタは、涙目になってレイラに訴える。

 

「お、お嬢様。この汚れを落とすのは、その、難しいかと」

 

「はあ!?」

 

「すみませんすみません! ですが、かなりべったりと汚れてまして。どうやっても、跡が残」

 

「じゃあ首よ! あんた首! できないんなら、出てってちょうだい!」

 

「すみませんすみません! どうかそれだけは! 同じ服を探して買ってきますので、どうか!」

 

「私は! そのドレスが! いいの!」

 

 大粒の涙をこぼしながら床にへたり込むウォッタを一瞥し、レイラは椅子から飛び降りた。

 齢八歳とは言え、公爵令嬢としてはあるまじきワンピース型の下着のままという姿で、どすどすと足音を鳴らしながら、食堂の出口へ向かって歩いていく。

 そして、出口付近に立っているシェフを見つけると、顔が青ざめたシェフに止めを刺すように、指差して叫んだ。

 

「あんたも首! いや、死刑よ死刑! あんたがあんな不味い料理を作らなかったら、こんなことにならなかったのよ! お父様に言いつけてやるから!」

 

 そのままレイラは、食堂を出ていった。

 

 下着姿で廊下をずかずかと歩くレイラを見て、警備のために廊下を立っている兵士たちはギョッとした表情を浮かべる。

 が、指摘でもしようものなら、自分たちの首が飛んでしまうことを知っているので、置物と見間違うほどの沈黙をもってレイラを見送った。

 

 八歳にも関わらず、レイラは未だ、体を見られて恥じらう感情が育っていない。

 否、恥じらいを感じるにはとうてい足りない程、自分以外を見下していた。

 

「あー、もう! どいつもこいつも、役立たずばっかり! ほんとうにムカつくわね!」

 

 レイラは自室の扉を乱暴に開けた後、美術品の乗ったミニテーブルを蹴り倒し、ベッドへと飛び込んだ。

 使用人たちによって皴一つなく整えられたベッドを掻きむしり、ベッドをあっという間にぐちゃぐちゃにした。

 まるで、ベッドの上で動物が暴れ回った後のように。

 

「何よ、あの態度!」

 

 レイラは、食堂で自分に口答えしてきた使用人の顔を思い出し、イライラを募らせる。

 

「何よ、あの目!」

 

 レイラは、食堂でシェフと使用人を見ていた、他の使用人たちの同情する目を思い出し、イライラを募らせる。

 

「悪いのは、そっちでしょ!」

 

 レイラはイライラとした感情を発散するように、枕を掴んで投げた。

 枕は棚に置いていた花瓶にぶつかり、花瓶を棚から落とす。

 床に落ちた花瓶は割れ、花瓶の中に入っていた水と花を床へぶちまけた。

 

 レイラは、カーペットに染み込んでいく水を見ながら、悲鳴を上げる。

 

「ああ、もう! 汚れちゃったじゃない! 最悪! 最悪! 最悪!!」

 

 レイラの近くにウォッタがいれば、ウォッタはすぐにカーペットの掃除を始めただろう。

 だが、ウォッタは未だ食堂にいる。

 レイラの近くには誰もおらず、レイラの悲鳴に反応してレイラの世話をする使用人たちが集まってくることはなかった。

 

 その事実が、さらにレイラを怒らせる。

 

「首! 首! 首ぃ!! 何で誰も来ないのよ!! もう、あいつら全員、首よ首!!」

 

 我儘を周囲に撒き散らす。

 

 

 

 カチッ。

 

 

 

 突如、音が鳴った。

 荒い呼吸をするレイラの周りに、一瞬で静寂が訪れた。

 

「……? なに?」

 

 レイラが周囲を見渡すと、すぐに室内の違和感に気が付いた。

 カーペットに吸い込まれていたはずの水が、カーペットの上に留まり続けている。

 枕を投げた際に部屋を舞った羽毛が、空中でぴたりと止まっている。

 

「何? 何なの!? ねえ! 誰かいないの!?」

 

 奇妙な光景を前に、レイラは叫ぶ。

 しかし、使用人の足音も兵士の足音も部屋の外から聞こえることはなく、代わりにレイラしかいるはずのない部屋の中に、足音が一つ響いた。

 

「誰!?」

 

 レイラが振り向いた先には、レイラの見たことがない衣装に身を包んだ男性が立っていた。

 黒い無地のスーツに、白のカッターシャツ。

 紺色のネクタイには、幅広と幅狭の白い斜線が交互にひかれている。

 見る人が見れば勤勉な会社員だと感じる装いだ。

 

 だが、スーツの存在を知らないレイラにとっては、ただの異国の服を着た人間にしか見えなかった。

 

「あ、あんた誰よ! なんで私の部屋に勝手に入ってんのよ!? 誰か来て! 侵入者よ! 誰か!!」

 

 レイラは咄嗟に自室の出口へと走り、ドアノブを回す。

 が、ドアノブは僅かも動くことはなく、レイラは代わりにどんどんと扉を叩いた。

 

「ねえ! 誰か! いるんでしょ!? 侵入者よ! 早く助けに来なさいよ! さっさと来ないと全員死刑よ!!」

 

 公爵令嬢という安全圏から侵入者を見下していたレイラの表情は、徐々に恐怖で青ざめていく。

 レイラの安全圏とは、レイラを守るために動く兵士があってのものだ。

 叫ぼうが脅そうが誰も駆けつけない現状を見て、レイラは未だかつてない恐怖を抱き始めた。

 

 カツン。

 と、足音が響く。

 

「ひっ!?」

 

 レイラは思わず振り返り、扉に背を付けて不審者を凝視する。

 

「あ、あんた誰? 私に手を出したら、お父様が黙ってないわよ!?」

 

 カツン。

 と、足音が響く。

 男性は、躊躇うことなくレイラに近づいてくる。

 その表情には、くたびれた笑顔が張り付いていた。

 

「何が目的!? お金? 地位? いいわ! 特別に、私からお父様に頼んであげる!!」

 

 近づいてくる男性を前に、レイラは強気に言う。

 人生をずっと、金と権力で渡り歩き、思い通りに動かしてきたレイラだ。

 絶体絶命の場面においても、現状を動かそうと必死に言葉を発し続けた。

 

 カツン。

 と、足音が響く。

 男性は、ついにレイラの前に立った。

 レイラの足はガクガクと震え、ついに立ち続けることができなくなり、扉に背を預けたままへたり込んだ。

 

「な、何する気? 私に手を出す気!? お、お金ならあげるから……。だから……! 嫌! 来ないで! 助けて!!」

 

 涙と小水を垂れ流しながら、ついにレイラは命乞いを始めた。

 公爵令嬢としての自分も、レイラとしての自分も全て捨て、自身の命を守るためにぐちゃぐちゃの顔で泣き叫んだ。

 

 そんなレイラの前に、男性は上着の内ポケットから取り出した名刺を差し出す。

 

「こんにちは。私、悪役令嬢転生株式会社の天馬てんま弥太郎やたろうと申します」

 

「……テン……マ?」

 

 差し出された名刺を、レイラは無意識に受け取る。

 レイラの知るどんな紙よりも質が良く、どんな文字よりも癖がない文字が書かれた名刺を、レイラは唖然とした表情で見つめる。

 

 弥太郎は一仕事終えたような溜息を零した後、内ポケットから親指と人差し指でつまめるサイズの剣を取り出して、目の前で軽く振った。

 すると、手のひらサイズだったはずの剣は、瞬く間に一メートルを超えるサイズへと巨大化した。

 

「おっとと」

 

 弥太郎は大きくなった剣の柄を何とか掴み、剣先を杖のように床へ突き、レイラをじっと見た。

 レイラは、依然涙をこぼしながら、弥太郎を恐怖の表情で見ていた。

 

 弥太郎はそんなレイラを慰めようとすることもなく、口を開いた。

 

「えーっと、レイラさんであってますよね? この度、貴女の体が弊社の提供する悪役令嬢転生サービスの依り代に選ばれました。よって、大変申し訳ないんですが、その体を譲っていただきます」

 

 弥太郎の言うことが、レイラにはわからない。

 悪役令嬢転生という言葉も、依り代という言葉が指す意味も、レイラにはわからない。

 だが、剣を振り上げる弥太郎を見て、このままでは命が奪われることだけは理解した。

 

「た、助けてー! 誰かあー!!」

 

 レイラは扉から背を話し、四つん這いになって這いずりながら、弥太郎から逃げようとする。

 弥太郎は、面倒くさそうな表情でレイラの背を見ていた。

 

「追いかけるの面倒なんで、逃げるのやめてくれませんかね?」

 

「誰かあああ! ウォッタ! お父様!! 誰でもいいから!! 助けて!! 助けてえええ!!」

 

「じゃ、いきますよ。せーの」

 

「誰かああああああああああああああああああ!!!」

 

 レイラの叫びは、空虚に消えた。

 

 弥太郎の振り下ろした剣は、レイラの体をすり抜けた。

 

 レイラは口を開けたまま、瞳から光を失い、その場に倒れ伏せた。

 弥太郎が口元に手をかざすと、レイラの呼吸は既に止まっていて、完全に生物としての役目を終えていた。

 

「よし。今日は定時であがれそうだな」

 

 弥太郎は、剣にへばりついた白い炎に似た塊を見て、穏やかな笑みを浮かべる。

 それは、レイラの魂。

 

 弥太郎の――否、悪役令嬢転生株式会社の社員の仕事は、対象の悪役令嬢から魂を奪い取り、転生先の体を準備すること。

 

 弥太郎はスマートフォンを取り出して、自社へと電話をかけた。

 

「あ、もしもし? 調達部の天馬です。ええ、はい。無事に体の準備はできましたので、後処理お願いします。はい。はーい」

 

 弥太郎の仕事は、体の準備まで。

 残りの仕事――悪役令嬢の体に別の魂を入れたり、弥太郎の仕事によって異世界の因果関係に矛盾が生じていないかの調査と修正をしたりは、別の部署の仕事だ。

 

「さて。会社戻って報告書書かねえとな。だりー」

 

 弥太郎はスマートフォンに入っている帰宅用アプリを起動する。

 すると、弥太郎の体は光りに包まれ、異世界から消えた。

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