5話
真っ白な空間にある一人掛け用の椅子に腰かけた、くたびれた顔の男は「溶接」というタイトルの魔法書をテーブルの上に置いてから一呼吸置いた。
魔法書。
これを読んで理解することが出来れば魔法を習得することが出来る。嗚呼、なんという胸の高鳴りだろう。子供の頃から夢見た魔法、自分だけの特別な力が手に入るんだ。
ゆっくりと背表紙を開いた。
「おお!」
ただそれだけなのにこの本には吸引力というか、引き寄せられる感覚があった。魔法と人とは相性があると、女神が言っていたことを思い出す。
「やっぱり普通の本とは違いますね」
自由の女神くらいの大きさの女神の顔を見ながら聞く。
「ただ読めばいいというわけではないよ鏑木 驢馬。体の中に染みわたらないといけない。さっきも言った通りそうなるのには1回読んだだけでなるかもしれないし、100万回読んでもならないかもしれない。それが魔法と人の相性なんだ」
「なるほど………あれ、ルッシーはどこに行きましたか?」
姿が見えないのが気になった。どこかに逃げていくはずもないのだけど、近くにいてくれると何だか安心するのだ。
「どうやら魔法書を探しているようだね。本棚が四角になって見えていないだけで、ちゃんといるよ」
「そうなんですか」
「最初に君の魔法書を見つけてあげて、その後で自分のを探すなんて、ずいぶんと優しい猫ちゃんじゃないか」
「やっぱりあいつ、私のことが好きなんですよ。うん、やっぱりそうだ。いつも手を噛んだり脛を噛んだり猫パンチしたりしてくるのは照れ隠しなんだよな、うん、そういう愛情表現だ」
満足そうにひとりで頷く驢馬をみて女神は苦笑いをする。
「それじゃあ私はしばらく失礼するよ」
「え!?」
「さすがに驢馬が本を読んでいる所を、ずっと眺めているだけなのは退屈だからね」
「そうですよね………」
そう言われてみれば当たり前のことなのだけど、いなくなると知ったらなんだか少し寂しい気がする。
「こう見えても私は結構忙しいんだ。君がその魔法を習得したくらいの時になったらまた来るよ」
「わかりました」
そういうと、音もなく女神は消えていた。まるで最初からいなかったんじゃないかと思うほどで、あれだけ大きな存在がいなくなると周囲の景色は違ったものに見える。
一つ溜息のような息を吐いてから、溶接の魔法書をさらに開いてみる。
書いてある言葉としては難しいが、実際にそれを仕事としていたのだからニュアンスは大体わかる。かなりサボり気味だったけど。けど何もこれほど難しく書かなくてもいいのにという気がする。
自分が知っている溶接というのは、なんとなくでやっていけば分かっていくものなのだ。
特に気を付ける点としては、金属を溶かす時の超高温で火傷をしないようにすることとか、超強力な光が発生するのでそれを裸眼で見てはいけないという事だ。
さらさらと読んでいくと、ようは機械ではなく魔力を使って金属を溶かして接合するという事だ。それでもやはり熱と光が発生することは同じなようだ。
気になったのは、溶接をするときには必要なガスについては何も書かれていない事。それは魔法で何とかするのだろうか、まあちゃんとくっついてくれるのなら何でもいいけど。
しかし異世界にいってもまた溶接をやらないといけないのだろうか。正直言って飽きたし面倒だし疲れるから、できればやりたくないのだけど。
しかし残念なことに自分はルッシーのついで。あまりいい魔法を貰えないのは仕方ないのかもしれない。
サッカーや野球、バスケット。色々なスポーツを見ていていつも思うのは審判に逆らったり、反抗的な態度を取って良いことは1つも無いという事。
だったら女神様に文句を言うのなんか最悪だ。出来るだけ穏便に怒らせないようになんとか異世界生活が楽になるように交渉をしたいところだな。
さらさらと読み進めていく驢馬の手が止まった。
「え!」
思わず声が出てしまったのは、レベルが上がれば木や土や水を接合することも出来ると書いてあったから。
その時から急に魔法書に熱中していく驢馬。
自分の体が薄い光を放ち始めていることには気が付いていなかった。
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