3話
自由の女神くらいの大きさの女神が指を振った途端、白一色の空間には本棚が次々に出現し、そこは本の森へと変貌した。
「えええ………」
鏑木 驢馬は驚きの声をあげた。
「この本は本であると同時に魔法だ」
「それはどういうことですか?」
「どれでもいいから一冊だけ本を手に取って開いてごらん」
「わかりました」
言われるがまま驢馬は一番近くにあった本を手にとる。そのまま振り返るとさっきまでなかったはずの、テーブルと椅子が出現していた。ずいぶんと座りごちの良さそうだ。
「それは「格闘」の魔法書だね。そこに座って試しにページを開いてごらん」
言われるがまま椅子に腰かけると思った通りに座り心地の良い椅子だった。最初は少し低いな、と思ったのだけど勝手に高さが変わっていってすぐに丁度いい高さに変わった。
緊張する。
本は好きで子供の頃から何冊も読んできているが、開くのだけで緊張したのはハンターハンターの最新刊を手に入れた時以来だ。
背表紙を開いた途端に前髪を持ち上げるくらいのふわっとした温かい風がやって来た。気になって女神の方を見てみれば女神は柔らかい笑顔を浮かべたままこちらを見ていた。
ルッシーがいない。さっきまではすぐ近くにいたはずなのに。考えてみればこの本の森があらわれてから見ていないような気もする。少し気になりつつもページを一枚づつめくっていくと本文が始まった。
ここに記す格闘とは己の肉体のみで戦い方法の事。その中でも読む者の体格や過去の経験から判断してその者に最も適している格闘法について記す、と書いてある。
さらにめくっていくと、ストレート、フック、アッパーなどという文字があるのでボクシングについて書かれているのだという事が分かる。
さっきのページに書かれていることから考えれば、自分に最も適している格闘法とはボクシングを使った戦いかたらしい。
「どうだい?」
遥か上から柔らかい声が聞こえた。
「思ったよりも普通というか読みやすいですね。魔法書というからどんなものかと思っていたんですが、文字の大きさもちょうどいいですし難しい言葉も使われていないのでスラスラ読めます」
「それは良かった」
「これをすべて読み切れば「格闘」の魔法が使えるようになるのですか?」
「読むだけでは駄目なんだ。そこに書かれていることが自分の体の中に染みわたって、それで初めて習得することが出来る。どれくらいの時間がかかるかは人によってまちまちだ。一度読んだだけで習得できるかもしれないし、100万回読んでも習得できないかもしれない」
「100万回でも、ですか!?」
「そうなんだ。だから相性というものが大事なんだ」
「なるほど………。けど100万回も読んだらその時点で私はかなりのお爺さんになってしまって杖を突きながら異世界に行くことになりますね」
「それは大丈夫、ここでは年を取らないよ」
「そうなんですか?」
笑っていた驢馬の顔が驚きに変わる。
「だけど今まで100万回も同じ本を読んだ人間はいないけどね」
「さすがにそうでしょうね」
話をしているうちに本棚の間から黒い猫がとことことやって来た。
「よかった、戻ってきてくれた」
ほっとした表情をしている驢馬の足元まで近づいてきた黒い猫はそのまま足に体を擦り付けた。
「おお!」
「どうしたんだい?」
「どうやらルッシーは相当に機嫌がいいみたいです。出会ってから3年位経ちますけど、こんな風にしてきたのは今までに2回しかないんです」
「年に一度のペースだね」
「やっぱりお前、俺のことが好きなんだな」
脇腹の辺りを触ろうとした手に猫パンチが来た。
「あら?」
いつもの流れで言えば噛みついてくるはずだったのに。不思議に思っていると頭の中に初めての感覚がやって来た。
(ついて来い)
目の前にいる金色の目をした黒い猫がそう言っている気がした。
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