2話
ここはこの世でもあの世でもない白一色の空間には冴えない風貌の男と、自由の女神くらいの大きさの女神がいる。
「私が異世界に行くのは難しいかもしれません」
鏑木 驢馬が上目遣いで言った。
「それは私の頼みも聞けないほど大切な事情ということ?」
女は少し微笑みながら聞く。
「私には仕事があります」
「ふんふん、なるほど」
「私は金属を加工する会社の、溶接の部門で働いているのですが今は納期が重なっていて皆が5時間くらいは残業をしないといけない状態なんです」
「そんなに?それはさぞや大変なんだろうね」
「もちろんです、みんな死ぬ思いをしながら働いています。そんな大変な時に私のような超巨大戦力が抜けてしまったら、仕事仲間に大変な迷惑が掛かってしまいます。会社だって倒産するかもしれません。そう考えると私が異世界に行くのは大変に難しいです」
こぶしを握り締め、涙ながらに男が語る。
「なるほどねぇ………」
「分かって頂けましたか?」
「ちょっと見てみようかしら」
「え!?」
女神が指を振った途端、真っ白な空間に巨大なモニターが出現した。
「なんですかこれは………」
「驢馬君が普段どんな感じで働いているのかを、今からこのモニターに写して見てみるよ」
「いや、それはちょっと!」
「えい!」
女神が指を振ると、モニターに映し出されたのは、つるっぱげのオジサンと民家の居間で仲良く寿司を食べている驢馬の姿だった。
「あれ?これはどうしたことだろう。確かに私は仕事中の様子を映すようにしたはずなのだけどね。おかしいね?」
「………」
「これはどういうことなの?」
微笑む女神の足の先には小さな小さな驢馬がいる。女神がほんの少し足を動かせば踏みつぶしてしまえるくらいの関係だ。
「自分の口で説明してごらん?そっちの方が良いと思うよ」
馬鹿でも分かるほどの巨大な圧力が女神にはあった。
「すいません。さっきは自分の事を超巨大戦力って言ったんですけど、それはちょっと間違いでして………」
「どういうこと?」
焦る驢馬のすぐ近くには、悠然と毛繕いをしている黒い猫がいる。
「あのーなんていえばいいのか………僕の仕事が溶接というのは本当なんですけど、最近は仕事時間の半分以上は社長と一緒にいるんです」
「どうしてなの?」
驢馬の額が汗でテカっている。
「えーと、なんというか、うちの社長が大の俳句好きでして、飲み会の時に自分も俳句をやっていると言ったら、すごく気に入られまして、最初は仕事終わりに少し話すくらいだったんですけど、だんだんエスカレートしてきて仕事中でもお構いなしに呼ばれるようになりまして」
「それで?」
「仕事なんか他のやつにやらせておけばいいから、君は一緒に私と俳句をやろう、って誘われて………」
「社長はそれでいいかもしれないけど、君の仕事仲間はさぞかし怒ってるんじゃないの?君が楽しく趣味の時間を過ごしている時に一生懸命仕事をしているわけでしょ?」
「そうなですよ、私としてもみんなと一緒にがんばりたいところなんですけど、いかんせん社長が強引なんですよ、行かないと不機嫌になりますし。僕としても悔しいですよ、みんなが頑張っている時に自分だけ………」
顔を歪めながら自分の太ももを叩く。
「本音は?」
女神が指を振る。
「もうめちゃくちゃラッキーですよ」
この空間に来て初めて驢馬は満面の笑みを浮かべた。
「だって社長と一緒にご飯食べて酒飲んで俳句を考えてるだけで毎月毎月お給料が振り込まれるんですから。もう仕事なんか馬鹿らしくてやってらんないですよ。しかも先月から皆には内緒で僕だけ給料が1万円上がったんですよ?もうウハウハですよ!」
「うーん、驢馬はなかなかのクズだね」
「ええ!?なんで、そんなこと言うつもり無かったのに口が勝手に………」
目を真ん丸にしながら自分の口を手で覆う男を見て女神が笑う。
「ちょっとだけ力を使わせてもらったよ。神ともなればこれくらいはたやすいことだよ」
「ちょっと女神様、勘弁してくださいよ。ものすごくびっくりするじゃないですか」
「けど、これでわかったよ。驢馬君がいなくても仕事は問題なさそうだよね」
「う、ううう………」
「どうなの?」
「はい、その通りです。実は最近は私よりもだいぶ後から入ってきた後輩に溶接工としての腕が完全に負けていまして。みんなの視線がかなり厳しいんです」
「可哀そうだけど自業自得だね。もしかして他にも何か異世界に行けない理由があるのかい?」
女神がじっと見つめる。
さすがの驢馬でも分かる。とてもじゃないが嘘の言い訳が通用しそうな相手では無かった。
「特にありません」
「彼女とかは心配するんじゃないの?」
「いえ、今は彼女がいませんので」
「今は?」
「………」
「嘘は駄目だよ?」
「彼女は今まで一度もいたことがありません」
驢馬の顔は萎びた茄子みたいになっている。
「よろしい!それでは何の憂いもないことだし、驢馬にはルッシー君と一緒に異世界にいてもらうよ、いいね?」
「はい………」
「まだ納得いってないようだけど、これは君にとってチャンスでもあるんだよ?」
「チャンスですか?」
「そう。もし君が異世界で3か月頑張ることが出来たら、君の銀行口座には1千万円が振り込まれるからね」
「ふえ!?」
梟くらい目を真ん丸にしている驢馬。
「どうだい、やる気が出てきただろう?驢馬はお金が大好きだもんね」
「あの、お言葉ですけど異世界にいる僕にとっては銀行のお金が増えても意味がなくないですか?」
「異世界で3か月たったら、一日だけ地球に戻ることができるんだよ」
あっさりと女神が言った。
「ふぇふぇ!?」
「それなら意味があるだろう?」
「た、たしかに………たったの3か月で1千万円か。俺の口座に1千万円が入って来る、なんでもできる、やってみたかったことが何でもできるぞ」
馬くらい鼻息が荒くなってきた驢馬。
「その3か月のあとでまた3か月たったらどうなるんですか?」
「また1千万円が振り込まれるね、地球に戻れる日も一日増えるし」
「ふぇふぇふぇ?!」
カンガルーくらい跳び上がった驢馬。
「金、金が入って来る、一千万円、そしてまた次も一千万円が………………」
「何を考えているんだい?」
「いいえ、特に別に何も考えていないっていうか………」
「1千万円をつかってものすごく、いやらしいことをしようとかんがえているの?」
「まさか、そんなことありませんよ」
「けど別にどんな使い方をしたっていいんだよ。それは君のお金なんだからね」
「そうですよね、ありがとうございます」
深々と頭を下げた驢馬の顔はスライムくらいぐにゃぐにゃしている。
「異世界に行きます、行かせてください!」
「よろしい」
あまりにも前向きになっている人間を見て女神は微笑んだ。
「よろしくなルッシー」
元気いっぱいで伸ばした手の先にいるのは異世界での一番の相棒となるはずの黒猫。
しかしルッシーの目が鋭い、まるで殺し屋みたいな目をしている。いきなり手を出されたことが気に入らないのか、張り切っている驢馬のことが気に入らないのか。
すぐさまその手に噛みついた。
「痛っ!痛いってばルッシー!」
手をブランブランさせても黒猫はまだ驢馬の手から離れない。
「それじゃあ驢馬、君に特別な魔法を授けようじゃないか」
どこまでの広さがあるのかも分からない真っ白な空間の中、驢馬の動きがピタリと止まった。
「魔法ですか?」
「そう。君だけに与えられる特別な力。そういうの好きでしょ?」
「はい!大好きです」
「素直でよろしい」
女神は笑い、驢馬の鼻息は荒くなった。
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