10話
真っ白い空間には魔法書を読み続けている黒猫と、冴えない風貌の男と緑色の優美なドレスを着た人間サイズの女神。
「制限時間の3分は私の方で計るよ。君が手を叩くと同時にスタートという事にしよう」
「お願いします」
鏑木 驢馬が頷くと同時に大きなストップウォッチが白い床から浮き上がってきた。
「真上からスタートして、1周が1分でその度に鐘が鳴るから時間を間違えたりしないでよ。そんなので勝負が終わってしまっては醒めるから」
「わかりました、気を付けます」
「その3分の間に私が体を動かさなければ私の勝ちだね?」
「その通りです。表情も動かしてはいけませんよ?眉が少しでも動いたら私の勝ちですから」
「もちろん!」
自信ありげに頷く女神。
その顔面は彫刻のように完璧に整っている類稀なる美女だ。女神が自由の女神くらいの大きさだった時には大きすぎてわからなかったのだけど、驢馬の顔はやや赤い。
「それではゲームを開始しますよ?」
「ああ………」
真っ白い空間に驢馬が手を叩く音が響いた。
その瞬間、驢馬は女神の足元に勢いよく膝まづいた。足を頭に擦り付け、完全なる土下座の体勢。
私に負けてくれと頼んでいるのか?
女神は最初そう考えたがおかしい。それならばなぜ驢馬は何も言わないのだろう。ルール上、言葉を話すことが出来ないのは自分だけで、驢馬は自由に話すことが出来るはずだ。
頼むつもりならば懇願の声をあげるはずだ。もしかしてルールを把握していないのか?いや、これは驢馬が考えたルールだ、それはないだろう。
女神に触れてはいけないというルールの通りに、驢馬の髪の毛は女神の足先には触れていないが、あと数センチで触れそうなほど近い。
勝算があるからこの勝負を挑んだのであろうが、驢馬が何を考えているのかがさっぱり読めない。魔法を使えば心を読むことくらいはできるのだが、ルールではこの勝負の間は自分も驢馬も魔法を使ってはならない。
1分の鐘が鳴った。
相も変わらず驢馬は動かない。いったい何をやっているのだろうか、しかし疑問を表情に出したらその瞬間に負けとなる。勝負というのは真剣勝負でないといけない。もしこれが懇願の土下座だとしてもわざと負けるつもりは無かった。
2分の鐘が鳴った。さっきのと違うのは鐘が回なったことだ。これによって時間を勘違いしなくて済むだろうという気遣いだ。
わからない、驢馬は一体何を考えているんだ。
残り30秒となったその時、驢馬が動いた。
なんだ?
いったいこの人間の男は何をするつもりなんだ。土下座状態から顔をあげて真っ直ぐに自分の顔を見ている驢馬のことを、表情を変えないままで見返す。
足元にいる驢馬の口がゆっくりと開かれた。
「くんかくんか………香ばしいなあ」
何を言っているのか分からなかったが背中に寒気が走った。
「ああ、女神ちゃんの足はとってもいい臭いがするなあ、僕はこれだけでご飯何倍でも食べられそうだよ、くんかくんかくんか………」
世にも悍ましい歪んだ笑顔だった。
「ああ香ばしい、香ばしくてスパイシーで湿った汗の臭いがするなあ、女神ちゃんでも汗をかくんだね、知らなかったよ、もしよければ僕が足の指の間を舐めてあげても良いよ、なんてね、冗談だよ冗談、くんかくんかくんか………」
「気色悪りぃ!!」
嫌悪と恐怖と怒りと困惑と………。先ほどまで無表情だった女神の表情は一気に歪み、大太鼓のような声量で罵声を浴びせた。
それだけではない。
堀口恭二よりも力強い下段蹴りが、閃光の速さでもって振るわれた。そこにあるのは2分半もの間、跪いていた男の顔。
女神からすればこの男はずっと足の匂いを嗅いでいたという事になる。
怒り。
嫌悪。
凄まじく無駄のないフォームは筋力をだ最大限に発揮して、変質者の顎の先を打ち抜いていた。
さらにそこには火山噴火のような莫大な魔力が加算されて目に見えぬほどの速度とマンモスをも一撃で倒す威力。当然の結果として変質者(足嗅ぎ)はゆっくりと倒れていく。
ゆっくりと倒れるその顔は白目になっている。
「しまった………」
女神の負け。
ただの負けではない。暴力禁止、魔力の使用禁止というルール違反を盛大に犯したうえでの負けである。
「気持ち悪すぎて突い力を入れ過ぎてしまった………」
驢馬は勝った。
しかしその白い空間に喜びの声は無かった。なぜならば声というものは基本的には生きているものが発するものだから。
首があまりにも不自然な角度になっている。
「どうしよう、これが大神に見つかったら怒られてしまう」
青ざめた表情をしている女神。しかしながら男が死んでいるかどうかを確認する気配はない。
なぜならば蹴った張本人が一番分かっているから。当たった瞬間に首の骨が折れる音がしていたから。
「困ったことになったなぁ、大丈夫、こういう時こそ冷静にならないといけない」
深呼吸を3度した。
「今ならだれも見てないから、鏑木 驢馬なんて人間は最初からどこにもいなかったという事に書き換えれば誤魔化せるかな………」
「ちょっと何を言っているんですか女神様?」
その音の発生源には握りこぶしくらいの大きさの、少し黄ばんだ魂が浮いていた。
「なんか僕の存在を丸ごと消そうとしていましたよね?」
その声の調子からして、マリオネットのような不自然な体制で床に倒れている驢馬の声だ。正確に言えば声ではない、そこに声帯はないのだから。
「何言ってるのよ驢馬、あんなのほんの冗談だってば。面白かったでしょ?」
小首をかしげる女神。
「全然面白くないですよ。かなり本気な感じがして怖かったです、というか約束が全然違うじゃないですか。私言いましたよね、暴力禁止って」
「ううう………」
「そんな可哀そうな感じを出しても僕は騙されないですよ。僕のことを殺しましたよね?」
驢馬は興奮しすぎていて、目の前にいる美女が女神だという事が分からなくなっていた。後で振り返ってみれば神様に対して文句を言うなんて、自分はなんて恐ろしいことをしてしまったんだと冷や汗をかくことになる。
「そんなことないもん」
「なんですかその少女みたいな言い方は。女神様なのに嘘ついたら駄目じゃないですか」
「だって………」
「だって、じゃないですよ。ゲームのルール以前になんの罪もない人間を殺しちゃ駄目じゃないですか」
「罪はあるよ、驢馬がすっごい気持ち悪かった」
「そんなの罪じゃないですよ。ただゲームに勝つための嘘なんですから」
女神は首を横に振る。
「本当の顔してた、すごく気持ち悪くて背中がぞわわってなったの。だから私は悪くないの」
「めっちゃくちゃ悪いですよ。見てくださいよほら、私の首ものすごい角度になっちゃってますよ。ああなんて可哀そうな驢馬。貴方は蹴りで僕の首をへし折りましたね?」
「こんなのすぐに直せるもん」
口をとがらせる。
「そういう問題じゃないでしょ!?」
白い空間の中、驢馬と女神は喋りつづける。
黒猫のルッシーが読んでいる本はまだ半分もいっていないので、魔法を習得するのは時間がかかりそうだった。
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