ⅤとRと生き残りのアタシ
被虐待者の思考、行動原理の物語です。こんな風に思うし、行動してしまうんだよね的な。
R15で性的表現、残酷表現は含まれませんが、何を残酷と感じるかは個人によるかと思われます。一般的な感性での不道徳な内容は多々含みます。様々なトラウマを抱えていらっしゃる方にはお勧めしません。
「ざまぁ」「スカッと」ありません。この短編内では救いはないかも。
VRゲームはやったことがある。優人が持ってたから。優人とは付き合ってたっていうんじゃないな、多分。でも別に優人が若い子好きでお金貰ってたとかじゃない。アタシ、処女じゃないけどお金で売った事はまだない。
アタシはゲームって言うとケータイのアプリだけ。それもガチな奴ではない。潰さなきゃいけない暇は沢山あるからやるだけで、イベントで盛り上がったり課金はしない。優人は趣味がゲームって言うくらいだから、ゲーム機はいっぱい持っていて専用のパソコンもあった。棚に入りきらないソフトが床に積み上げられていたけれど、それでもランキングに入ったりはしないのだそうだ。たかがゲームって言っても中々奥が深い。
VRはゴーグルのタイプ。全身タイプの奴はものすごく高いから個人で持ってる人はそこまで多くないらしい。
「操作性もだけど、臨場感が違うんだよね」
優人はサラリーマンだけどお給料安いからまだ買えないって言ってた。ゴーグルタイプでも結構するんだって。アタシがやってみたいって言ったら優人が幾つかのゲームの中から一つを選んでくれた。
「最初はねレベル1、14歳から始まるの」
14歳ならあたしと一緒だと思った。そのゲームが
オリジン。
R
冬は嫌い。「ヒグシッ」くしゃみを一つ。その日は二〇時を過ぎてもツレの樹里がいつもの場所に現れなかったから、仕方なくウチに戻ろうとしていた。樹里とは別に約束とかしてる訳じゃないからそういう事はある。
ママと二人の筈のアパートは居心地が悪い。ママのトモダチのオジさんが良く来るからだ。オジさんはしょっちゅう入れ替わるけど、どのオジさんもウチに来ると自分チみたいに過ごす。オジさんはママに用事があって、ママはオジさんと一緒に居たいのだからアタシは明らかに邪魔だ。ママはスゲぇ頑張ってアタシを育ててくれてるから、仕事じゃない時くらいは好きにさせてあげたいじゃん?でもさ、その間アタシはどこに居ればいいのかって話。寒いからちょっとくらい気まずい思いしても、でなければパンツ脱いでも布団にもぐり込みたくなる。根性ないな、アタシ。
駅に向かうゆったりとした人の流れに乗る。この街の良い所は誰も人の事を構わないところ。アタシが歩いていようが座っていようが放って置いてくれる。ウチは都心には出やすいけど、買い物や外食するときは車や電車を使うような小さな町にある。しょぼい商店街や公園に居るとすごく目立ってしまうのだ。自由になるお金を持っている訳でもないし、歩き続けるにも限界はある。それでアタシはこの街に来た。未成年が一斉補導とかでニュースラインに上がってる場所。その集まってるんだか集まってないんだか分からない動画見て、あそこならアタシが居てもいいんじゃない?思ったから。
ここではアタシも他人の事は見ない。だからちゃんと人を避けて歩いてるのに思い切り肩にぶつかられた時、そうやって自分のストレスを自分より弱い奴に押し付けようとしている輩だと思った。ストレスなんか人の分まで要らない。「ぁあ?」アタシは声をあげて振り返った。
ところがそこには格好こそコートにスーツなだけの若造が両手をついて這いつくばっていたのだ。ツレはない。「スイマセン、スイマセン」とか道路に謝っちゃってるし。酔っ払いかよ、クソって踵を返そうとしたら、今度は私の足に縋りつきそうになりながら「スイマセン、スイマセン」とか始める。すぐ脇の建物のエレベーターから降りてきた人達がそれを見てびっくり。流石に焦った。
「ちょ、アタシ関係ないし、やめてよ!」
その瞬間、若造はその場でもどした。
「ぅえ?」
コートも手もゲロまみれ。「あっ!」険のある声をあげたのは多分店の関係者だろう。面倒事は本当にごめんだ。関係なくても補導はされる。若造の腕をとった。
「ほら、行くよ、早く!」
よたつくのを引きずるようにして角を折れて別の通りへ出る。さらにもう一本。オフィスが増えてきた辺りで腕を放り出すと、男はその勢いで尻もちをついてしまう。もうこのコートは駄目だろう。
「あんた、大人のくせに何やってんの?」
「スイマセ…ぅぐっ」
またもリバース。今度は植え込みで文句言う奴いないからいいけど、ホントいい迷惑。駅とは反対方向に来てしまったから「ちゃんと帰りなよ」と言ったけど、自分が言われたらかなり気分が悪い言葉だったと気付いて滅入った。
「ッヘブシッ」
またくしゃみ。あーあ、馬鹿みたい。寒いし。と、男はニヘラと笑って鞄からマフラーを取り出した。
「どうぞー。寒いでしょう?」
返せないからと言ったけど押し付けられた。
「暖かくしてあげたいって思ったんですよ~」
アタシを。
このアタシを。
マフラーは何処かに忘れたら問い合わせしたくなるような奴で、ゴミを押し付けると言うのではなさそうだった。だから、それは酔っ払いの言葉なのに何も言えなくて、アタシはゲロ臭いそれを黙って受け取ってしまった。代わりに通りかかったタクシーを止めてあげる。
「あんた何処住んでるの?」
「…アパート?下井草…」
こいつをタクシーに乗せて終わり、と思っていたのに。
「お連れさん寝ちゃってるじゃない?困りますよ」
と言われて考えた。これだけ迷惑かけられたんだから一晩位泊めてもらってもいいんじゃない?って。それが優人との出会い。
V
ローディング中の表示が消えると、漆黒の闇の中で一滴の水音。柔らかな光が灯った瞬間、光は爆散して
「!」
巻き起こった風がアタシを突き抜けてゆく。VRだってわかっているのに思わず目を細めてしまう。と、唐突に日差しの中に放り込まれた。空の青とどこまでも続く大地の間。アタシは鳥の視線で眼下に広がる広大な世界を見ていた。期待を盛り上げてゆくBGM。
「飛んでるみたい!」
視点の主は広大な森や川、豊かな自然を抜けると人の暮らしへ飛び込んでゆく。馬車が行く街道、金色に輝く小麦畑、海原を帆船が行く。肌の色も髪の色も雑多な人々が行き来する街の喧噪。西欧風の城の尖塔に旭日が昇る。黄昏に祈る少女の横顔
「…凄い」
圧倒的な存在感。世界がそこにあった。その全てに濃い影がある。テレビの映像はいつもペッカリとした明るさで偽物めいて見えるのに、それは違った。毎日が曇りのようなくすんだアタシの世界でもない。
「オリジン」
リアルがそこにあった。
「オープニングだけでも見る価値あるって話題になったんだよ」
VRゲームをやってみたいと言ったアタシに優人が選んでくれた奴だ。アタシにゴーグルを貸してくれてる優人はコントローラーを握ってモニターの方の映像を見ている。
鳥の視点からの光景がさらさらと消えると、青に白い線だけで奥行きを表現したSFじみた電脳空間に居た。マネキンみたいな人型が台の上に乗っている。
「最初に自分が使うキャラクターを作るの。男か女とか、容姿や初期装備も選べる。種族でスタート地点が違うしパラメータも変わってくる」
優人はゲームの時だけおどおどしないで喋る。
「パラメーターって?」
「体力値とか魔力値、知力とかその値でキャラの能力が違うの。魔物を倒したりクエストやったりしてレベルを上げると強くなる」
人型の周りに表示されてる数字がそれか。
「優人のキャラはどんな奴?」
「種族は人間で職業は剣士。俊敏さと器用さにガチ振りして、体力、魔力、幸運値は並。知力、防御力はやや弱いね。今、レベル36」
優人のキャラを見せて貰ったら、細身だけど筋肉ついてるし、鎧とか着てる。
「かなりイケてね?」
アタシが笑うと優人も笑った。
「ゲームだからね」
違う自分になれるのか。いいな、それ。強くって可愛くって魔法なんかも使えて。そんなだったらきっともの凄く楽しいに違いない。ああ、ゲームってそういうものか。でも、
でもさ、それってアタシじゃないよね?
考え込んでいると優人が言った。
「この世界観を楽しむだけって人もそれなりにいるよ」
適当にキャラを作ってゲームの世界を見て回るんだって。アタシもそれでいいかな。じゃあ、と優人はアタシに似せてキャラを作り始める。
「人間で、女の子で、目と髪は黒」
体形や身長もアタシ位。顔のパーツも選んでいくと、のっぺらぼうだったマネキンがその通りに変わりだす。
「アタシってこんな?」
うんうんと優人が笑う。種族って奴で人間を選ぶと人型は服を着た。腰丈の袖なしの着物を帯で締め、下は膝丈の巻きスカート。どちらも糸の色のままで柄や刺繍は入っていない。足首をひもで縛るサンダル。
「センス無いなー」
「南か西の格好みたい。もっと装備は増やせるよ。お金稼げばドレスとかも買える」
スタート地点がランダムで選ばれたらしい。思いついて言う。
「あ、じゃあ、マフラー付けてよ」
優人がくれた奴。
「マフラー?あるかな…お、あるある。北部地域の装備みたいだね。「ふつうのマフラー」だって」
マフラーをつけても防御力は上がったりしない。二人で笑う。
「パラメーターはどうする?」
現実でも恵まれた人と恵まれていない人がいるように、ゲームでも最初から、生まれた時から与えられている値がある。さらにこの初期値をある程度好きに割り振りなおすことが出来る。
「これもそこまで悪い値じゃないからそのままでもいいけど」
優人が言うには良い値でない場合はキャラを作り直したりするそうだ。そりゃあ、皆強くて格好いいキャラになりたいだろう。リアルもそういうの出来たらいいのにって思う。いや、アタシみたいなのはそうやってやり直さなきゃ駄目なのかもしれない。最初から。
そこでちらっと考えた。もしも、もしもだよ?ゲームの世界で、アタシがこのままのアタシでやっていけるのなら、
今アタシが上手くやっていけていないのはアタシの所為じゃなくない?って。
じゃ、そのままのアタシってどんなだろう?体力ふつう。知力なし。魔力知らない。俊敏さ、逃げ足だけは速いね。器用さと防御力、あるならこんな事になってない。幸運値皆無。そんな風にキャラも作ってもらう。
「これじゃ、魔物倒したりは出来ないけど、いいの?」
うん。倒せなかった、何も。
「余っちゃうな」
優人は最初に与えられた値を全部割り振ることが出来ないと言う。
「とって置く事出来ないの?」
「え?初期値余らす奴とか居ないからな…あ、できた」
優人は「これってバグじゃね?」とか言っていたけどそれでいい。アタシ。このままのアタシがそのままゲームの世界に入る。電脳空間が光に溶けて蔦や葉を模した装飾が施された文字が浮かび上がる。それに優人の声が被さった。
「ようこそオリジンの世界へ」
R
ケータイのアラーム。
「…ぁあああああああああ!」
男の叫びで意識が呼び戻される。まだ寒いし眠い。座椅子の上で昨夜ベットに倒れ込んだ男から取り上げた毛布に包まりなおす。
「あッ、あのっ、ちょっと…あ、服着てる。あっ、あの、え?君誰?幾つ?」
「…14」
「ひぃいいいいっ!犯罪!犯罪者なの?俺?」
騒々しい男だ。
「君何処の子?学校は?」
「…冬休み」
「あ、そう。良かった…いや、良くない!」
煩いよ。ぼんやり目を開ける。
「…アラーム止めないの?」
「は?あ!時間!」
わあーとかギャーとか言いながら「ゲロ臭っ!」身支度を整えて行く。仕事らしい。アタシは仕方なく座椅子から体を起こしてパーカーのフードを被る。もう少し寝ていたかったけれど、しょうがない。きっと「鍵閉めなきゃいけないから出て行って」そう言うだろうから。が、優人は
「あ!ちょっと君、居てよ!俺が帰ってくるまで居てよ?家の中の物好きにしていいから。お願いだから、ねっ!ねっ!」
ヤラせてくれっていう時にそういうお願いされた事あるけど、拝むなよ。終わった途端に電車の時間も関係なく「帰っていいよ」早く居なくなって欲しいって言われるよりは余程ましだけど。放って置くとまた土下座しかねない勢いなので、アタシは座椅子に戻って毛布に包まった。昨日何があったのか聞きたいのだろうし、覚えてないなら一回くらいヤッておこうとか思ってるのかもね。だけど、この男、ちょっとユルい。部屋の中の物を持ち出されて換金されるとか考えた方がいいんじゃない?
それで優人は一度鍵をかけたけれど、もう一回扉を開けて
「い、居るよね?」
確認してから飛び出していった。まるで目を離すとアタシが消えてなくなってしまうかのように。それってちょっと良い。
勿論、一眠りしてからテキトーに出ていくつもりでいた。だけど優人は二時間もしないで帰ってきたのだ。
「い、居た…」
駅から走ってきたらしく息を切らせている。別にお願いされたからじゃなくて、そんなに早く帰って来るとは思わなかっただけだ。これは後から聞いたけれど、あまりの挙動不審に会社の人がビビったらしい。で、「婆ちゃん危篤にした」ら、早く帰れって帰されたんだって。ブラックだって言ってたけれど、いい職場じゃん。
「えっと、俺たち話し合う必要があると思うんです」
毛布を被ったままのアタシの前にスーツで正座する。まあ、言いたいことは分かる。
「シてないよ」
「え?」
「シてない」
優人はそのまま横に倒れた。タクシーを呼んだ経緯とタクシーから部屋までが大変だった事を説明しておく。
「…あの、コートとズボン、ありがとう」
水洗いしていい物か分からなかったけれど、ゲロ落として風呂場にかけておいた。アタシが吐いたりしてそのままにしておくとママがメッチャ怒るからね。
「じゃ、行くわ」
帰りそびれたからにはどうなるかは予想できるけど、今そんな気ない。アタシがパーカーのフードを被って立ち上がると優人は
「あ!あのっ、あのっ、あのっ、あのっ、あのっ…」
何だよ。
「あのっ、あのっ、あのっ、あのっ、あのっ、あのっ、あのっ、あのっ、あのっ…お腹とかすきませんか?」
これだけ引っ張って、それ?みたいな。いや、そういう手か。だってさ、昨日ヤレなかったなら、ヤッておこうって思うものだろう。それで急いで帰ってきたんだろうから。なのに優人は服を抱えてトイレに飛び込んだ。
「すぐ準備するから待ってて、待っててよ?」
確かに食べる物なさそうな部屋だけど、アタシ、てっきり帰さないように出前とか頼むのかと思った。だってもう一度部屋に連れ込むのには手間がかかるじゃない?
「何でトイレで着替えてるの?あんたんチじゃん」
「い、いや女の子に見せるもんじゃないし。え?何で笑うの?」
優人はおかしな大人だった。
V
「よく私達の元へ来てくれた」
「私達、待ってた」
キャラの操作を練習する「転移の祠」の扉を開けると、冒険者を迎える一組の男女が発する台詞。中年位の男女。髪の色も肌の色もアタシのキャラの設定と一緒で、女は脛丈の巻きスカート、男は膝が隠れるズボンだった。その優しく差し出された手に歩み寄ると二人はアタシの肩と手に触れる。勿論触れる感覚はないけれどコントールの視点は使用キャラと同じにしてあるから、本当に二人が側にいるみたいだった。
「NPCだよ。ノンプレイヤーキャラクター。AIじゃないから決められたように喋って動くだけ」
優人の声にNPCの男の声が被る。
「さあ、村へ戻ろう。私達の家へ」
オリジンの世界を説明するナレーションが流れる中、アタシはキャラを操作して二人と共に歩いて行く。左右にアタシよりも少し大きい二人。
―― 世界は始まりの光の神と終末の闇の神の力の均衡の上に存在している。世界は広く、人の住まう場所は未だ限られていた ――
「中世位の時代設定だね。電気とか車はない。ここは田舎みたいだけど、都市もあって、貴族が居たりもするよ」
すぐ脇から優人の声だけがする方が不思議。山道を下る。「転移の祠」があったのは村外れの里山だったらしく、少し下ると茂みが途切れ唐突に視界が開けた。息を呑む。茜色の空とオレンジに輝く海が何処までも続く。紺色の雲が夕陽を追うように伸びて、海鳥が鳴きながら渡る。海沿いには数えきれないほどの田んぼのような区画。小さな影になった小屋が点々。人の住むものだろうか。陽が沈む。
「凄い…」
これがⅤRだなんて。モニターを見ているのだろう優人が言った。
「グラフィックの良さはオリジンの売りなんだ。塩造りの村ってあったからあれは塩田だね。」
アタシがキャラを動かすのを忘れていると両脇の二人が振り返る。先に行ってしまったりはしないのだ。アタシの様子に何を見たのか、優しく微笑んでアタシが眺めているものを振り返った。
―― 人は弱く、困難に祈る。神は祈りに応えんと世界に渡り人を遣わす ――
「この世界では光と闇の均衡が崩れると気候変動や天変地異、魔物の発生とかが起こって、冒険者がそれを救うクエストが出るんだ」
アタシは強いキャラを作らなかったことを少しだけ後悔した。
「…ね、この人達、村に来たのがアタシでがっかりしないかな?」
アタシじゃハズレだ。二人は神様に何とかして貰いたくって祈ったのだろうに。
「NPCだからね」
そう言うのはないと優人は言う。冒険者はスタート地点で低ランクのクエストを幾つかこなしてレベルアップするのだそうだ。その間、この二人の家に用意された部屋がゲームを中断するためのセーブポイントになると言う。経験を積んでランクが上のクエストもこなせるようになったら、冒険の旅に出る。勿論クエストは必ずこなす必要はない。黄昏の空は少しずつ色を濃くしてゆく。作り物の世界は何処までも続いていて、何処にだって行けそう。アタシ空の色の美しさに震えた事なんかなかった。
「…最初のアレ、どのユーザーにも言うんだ?」
「そうだね。俺を迎えに来た夫婦も同じ台詞だった」
ここは平等だ。ここには神様も居るんだ。
R
優人のアパートに顔出してゲームしながらちょっと喋って何か食べてテキトーに過ごす。勿論、優人は大人だから出会った最初に
「あんな時間に出歩いてて駄目だって言われない?」
いつもの腹立たしい質問があって、アタシはそれに噛みついた。
「じゃあ、何処なら居てもいい訳?」
アタシが居なければならないと決められている場所はアタシが居る事を許さない。ならばアタシが居てもいい場所って何処よ。誰にも文句を言われない、誰かの邪魔にならない場所って何処にあるの?アタシの方が教えてもらいたい。不機嫌さを顕にしたアタシに普通の大人は正論を垂れる。だけど優人は俯いた。大人のくせに。
「…俺も学校は嫌いだったから何も言えないなぁ…」
少しずれた反応にアタシの怒りはちょっとだけ削がれて、立ち去るタイミングを逃した。そっぽ向いてるアタシを見ないようにして優人はポツポツと自分の事を喋った。「分かるよ」で始まって「でも」と「べき」で終わる上っ面だけの言葉じゃなくて、ただ自分の話をした。
優人はずっとボッチで、同じクラスの奴らにスゲぇヤラれてたから学校には行きたくなかったのだそうだ。でも鍵のかかる個室があるような実家じゃなくて、引きこもりにもなれず、いたぶられると分かっている場所に通い続けた。
そんな話をして、優人はそれでアタシにこうする事になっているとか、ああした方がいいとかは言わなかった。だからアタシも何となく喋った。
「…家はさ、あれはママんチだからね」
ウチは和室が二間の狭いアパートだ。脱衣所なんか無いから台所の洗濯機の脇で服を脱がなければ風呂に入れない。親の彼氏とかにヤバい目に遭わされた話は良く聞くけど、まだそんな事なくても気分のいい物じゃない。ママも本当は綺麗なワンルームに住みたかったのにアタシのために我慢してる。文句は言えないよね。
「…君さ、お金どうしてるの?」
「ママ、仕事あるからご飯代貰ってる。一日五百円」
優人は絶句した。アタシ、小学生になってご飯代を貰うようになった時、こんなに貰っても良いのってすごく驚いたし嬉しかったの覚えてる。喜んでお菓子やジュースを買って、その頃は一緒に遊んでいた子に分けてあげたの覚えてる。その晩、ひもじくて惨めで一人で泣いた。五百円っていうのが大した金額ではない事にはすぐに気付いた。そのご飯代を節約して電車賃にしている。遊ぶお金なんかない。アタシが居てもいい場所に来るために交通費がかかるだけ。
「でも、ウリはやってないよ」
まだ。何もしなくてもお小遣いくれるオジサンはたまにいるけどね。
「…危なくないの?」
そりゃあ危ない目に遭ったことは何度かある。酔っ払いに絡まれたり、すぐ傍で喧嘩始まったり、ヤッてる時に首絞められたりとか、ね。でもさ、思うんだ。どっちが危険なんだろうって。補導は毎日じゃないけれど、アタシに居て欲しくない人たちはいつもいる。そういう人達の所に居るのとどちらが。そう言うと優人は言った。
「あのね…どこにも居られなかったら、俺んとこ来ていいよ」
ふうんって、その時はまだ優人も良くいる手合だとアタシは思ってたんだ。
V
目を開けるとそこはオリジンの世界。アタシのために用意された部屋から始まる。村の暮らしを見て回るのは優人のアパートに来たらいつも。優人もそれを分かっていて、アタシが観光してる間は別のゲームをやったりしてる。
「お父さんとお母さん働き者だよね」
アタシを迎えに来た二人は夫婦でイシェルとエルマだと名乗った。二人の家であるセーブポイントで目覚めると家の中は大抵無人で、たまに居ても何やら手仕事をしている。アタシがゲームの中のNPCをお父さんお母さんと呼ぶと優人は笑う。家に住ませてくれて、名前もあるくらいだから特別なNPCなのかなって思ったんだけど。
村の様子は細部までこだわっていて本物の世界のようだ。薪をとる里山の側に小屋が集まっているのが村の中心。ちゃんとした構えの家になっているのは村長の家だけで、あとは家畜小屋や塩田側の作業小屋と大差ない。家の中は無駄なものがない感じ。何か変だと思ったら布が少ないのだ。椅子は木でソファーやカーテンがない。ベットにキルトのような掛布団があるくらい。
「こんにちは」
村の中を歩いていると水を汲んだり菜園で働く村人と行き合う事もある。
「こんにちは。ここは塩の村ですよ」
人に行き会ったら挨拶する。ここでは。朝は兎も角、「こんにちは」や「こんばんは」って挨拶はこの世界にきてからするものなんだって知った。
「村では塩造り以外の仕事もあるんですか?」
「ここは塩の村ですよ」
会話にはならない。NPCだからと優人は言う。NPCはAIではない。クエストやスーリー進行に関係ないから、決まった台詞をだけを喋り、後は勝手にそれらしく動いているだけらしい。だけどグラフィックに力を入れているだけあって、喋りさえしなければ見た目も動きもよくできている。ちゃんとそれぞれ生活しているように見える。
村を出て海への坂を下ると碁盤目に溝が走る広大な塩田が広がる。そこではいつも同じように転々と散った村人がグラウンド整備の道具みたいな物を使って砂を引き回しているのだ。塩田を区切る畦道には桶を運ぶ人やその桶を積んだ荷車を馬が曳く姿もある。アタシ塩を作るところって初めて見た。満潮の時に溝に海水が満ちて塩田の砂に塩が付着する。その砂を集めて海水で洗い、濃い塩水を作ってから煮出すんだって。それもNPCが教えてくれた。
今日はもう少し近づいてみよう。と、塩田で作業する人の中にイシェルを見つけた。村人は皆同じ姿なのに分かる。アタシは大分上手くなった操作で溝を越えて塩田の中に入った。砂を引き回していたイシェルが手を止めた。怒られはしない。
「アタシもやって良い?」
勿論NPCだから返事はない。だけどイシェルから道具を取り上げることは出来た。イシェルの代わりに砂を引き回して見せる。
「どう?こんなでいい?」
振り返るとイシェルは同じ顔で笑っている。手を差し出すので道具を返すとやって見せてくれた。アタシのは集める砂が多すぎて窪みが出来てしまうのだと分かる。再チャレンジだ。今度は力を加減して、また振り返る。イシェルが頷いた気がした。よし、もう一度。アタシもイシェルもそれらしく動いてるだけなのに一緒に仕事をしている気分。ゲームのクエストではないし、キャラの能力が上がる訳でもない。ただこの世界の風景の一部になる、それだけ。でも誰からも邪魔にはされない。
結構な時間、作業を続けていると、いつの間にかイシェルは別の道具を持ってきて砂を洗う作業を始めていた。それってアタシがこちらの作業をちゃんとやれてるって事だよね。そこへエルマが空の桶を下げて現れた。手を振る。アタシもここの人みたいでしょ。エルマはきっと窯場まで往復してきたのだろう。そのエルマがもう一往復して戻ってくるとイシェルがアタシの方に歩いてきて手を差し出した。気がつけば仮想の陽が傾きかけている。今日の仕事は終わり。アタシたちは三つの影になって家に帰った。
V で R
ゲームの、オリジンの世界は現実とは時間の進み方が違う。アタシがアクセスしていない時もゲーム内時間は進行しているようで、こちらの時刻とは関係なしに昼だったり夜だったりした。それは朝だった。
セーブポイントであるイシェルとエルマの家のベットで目を開けると、外は陽が昇ったばかりの白さだった。部屋を出るとイシェルがテーブルについている。仕事をしていないなんて珍しい。イシェルもエルマも働いていない姿を見る事の方が少ないのだ。
「おはよう」
「おはよう、イシェル」
ちょうどエルマがイシェルの前に浅い木の桶を置いたところだ。水が入ってる。何してるんだろう。アタシが見てるとイシェルは顔を洗った。更にその水を掬うと口に含むとぶくぶくやって、元の桶にぷっと吐き出した。濡れた手で髪を撫でつけ顔は脇に置いてあった布で拭く。顔を洗った水でうがいもするのは驚いたが、ここの習慣なのかな。エルマがその桶を竈の脇に持っていき、中の水を別の桶に入れた。いつも使った食器が浸けてある桶だ。この塩の村には捻って水が出る水道はない。水は里山から流れてくる小さな川から汲み上げ運んでくるのだ。その手間を考えると水は少しも無駄にしないのか。感心しているとエルマがまた浅い桶に水を入れて来た。テーブルにそれを置くとアタシを眺める。
「え?アタシの分?」
勿論、NPCだから返事はない。でも、朝起きたらこうするものだって言われたような気がする。操作は大分上手くなったけど、できるかな。イシェルを真似て顔を洗う動作をするとちゃんと水を掬えた。おお、できるできる。顔を洗う。それから口を漱ぐんだっけ。と、エルマが木をくり抜いたコップを差し出した。水だ。
「あれ?この水でうがいするんじゃないの?」
イシェルとエルマを交互に見る。イシェルもエルマも同じ顔のままだけど「そんなの面倒ぐさがりのイシェルだけよ」「真似するなよ」笑ってる気がする。
「なんだー」
アタシも笑う。エルマは桶を片付けると懐から出した櫛を持ってアタシの後ろに回った。濡れた手で撫でつけるだけじゃないんだ。女の子だしね。村の大人の女性はみな髪を結い上げている。女の子供は一つ結び。村の暮らしで長い髪は仕事の邪魔になる。エルマはアタシの髪を毛先から少しずつ梳いてゆく。長い髪は上から櫛を入れると引っ掛かってしまうからだ。アタシが痛い思いをしないように丁寧に、こうするんだよって教えてくれている。こうやって暮らしてゆくんだよって一つずつ。
エルマに髪を梳いて貰ううちに言葉になった。
「アタシあんまり常識とかないんだよね。お箸の使い方だっておかしい」
学校でクラスの子に「どうしていつも同じ服着てるの?」聞かれた事がある。服や下着は毎日着替えるものなのだとその時はじめて知った。アタシ「同じ服を持ってるの」嘘をついた。ウチではお風呂に入る時にうっかり下着を洗濯機に入れると大変だった。パンツって大抵三枚セットで売ってるんだよね。ママは仕事が忙しいから、洗濯機回すのや洗いあがったものを干すのを良く忘れた。ママは朝シャワーを浴びる人で、アタシはママに言われた時にお風呂に入るくらいだから替えの下着が無くなるのだ。パンツを穿かないのは可笑しいと思ったので、そういう時はもう一度それを穿く。何日も同じパンツを穿いているとおしっこの染みができる。「洗濯機で洗っても落ちないじゃない!汚い!」よくそれでママに怒られた。学校の子に「臭い」って囃したてられて風呂は入るようになったけど、手遅れだったっぽい。高学年になったらママが着なくなった服をくれるようになったけどね。
「うん?」
アタシの独り言に優人が驚いたような、良く分からないっていうような返事をする。アタシさ、塩の村の暮らしを見ていると思うんだ。
「みんなはアタシと違って最初からお父さんやお母さんの言ったようにできるイイ子だったんだろうなって思うよ」
アタシ、面倒くさがりだからさ、ママから「自分でやりな」って言われも、そういうのちゃんとやって来なかった。顔や髪を綺麗にして学校行くとか、ごはんの時に「いただきます」するとかね。決まった時間に起きたり食べたりするのも、皆揃ってから食べ始めるのも知らなかったな。だからいつも手遅れ。
優人はゴーグル付けたまま半分だけオリジンの世界にいるアタシに何の気なしの返事をする。
「常識ってさ、その集団の多数派ってだけだし、気が付いた時に取り入れるのでもいいと思うよ?」
それでも十分優しいけどね。エルマは梳き終えたアタシの髪を纏めようとしたが、結ぶことは出来なかった。アタシのキャラの設定でそうなっているから。エルマもイシェルもただのNPCで、これはリアルじゃない。ただのゲームの仮想の世界。
Ⅴ
塩の村にはアタシ以外のオリジンユーザーも来る。常に二人とか三人とかいるけれど、オリジンの世界でもここは辺境で、王様が居る首都や栄えてる街にはもっとたくさんのユーザーが転移の祠から出てくるのだと言う。彼らはすぐにレベルを上げて旅に出てゆくから入れ替わりも早い。イシェルやエルマの後をついて回るアタシがユーザーだって事にも気付かない人もいた。
村の通りを妙な格好で歩いている奴らが居ると思ったら、他の冒険者だった。
「こんにちは…って、オリジンユーザー?」
相手は二人組。アタシと同じ村人スタイルに皮鎧で剣を持った奴と黒い金属性の鎧にマント、槍を持った男だ。そうか、と気づいた。ゲームの世界ではアタシがアタシだと分からない。
「装備ないから村人かと思ったよ」
「君もビギナー?クエストもうやった?」
普通にフレンドリーだ。オリジンの世界だけならアタシにもトモダチ出来るのかな。アタシがどんな子か知ったら、また消えてほしいとか言うのかな。優人が横から口を出す。
「ゲーム内で個人情報出したり、相手が言う事信じちゃだめだからね?」
知ってるよ。親切めいた素振りで、友達になった振りでセックスする相手を探す男は幾らでもいるんだって知ってる。その点、優人は変な男だ。いつ連絡しても優人はアタシをアパートに上げてくれるくせに、アタシとシようとはしないのだ。寧ろ触らないように気を付けている。学校の子達みたいに嫌だから触らないようにするんじゃないのは私にも判った。優人はものすごく恥ずかしがってしまうのだ。
「童貞だから?」
「…まぁ、そういう事ね」
女の子の絵がついたエロマンガとかエロゲーとか部屋にあるのにね。
その時優人に聞かれた。
「…カレシとか居たことないの?」
ない。アタシを好きだっていう人なんか居ない。
「付き合った人はいないよ。処女じゃないけど」
そう言うと優人は黙り込んだ。アタシの初めては犯罪とか想像したのかもしれない。
「初めてはね、ハンドクリームくれた人。引きニート」
初めての相手は覚えてる。その人はたまに変な時間にコンビニで会う人だった。ある時唐突にアタシにハンドクリームをくれて、挨拶はするようになった人。それまでアタシの手がしもやけで腫れあがってるのに気が付いた人なんか居なかった。
家に誘われたのは「今日は誰も居ないから」随分経ってからだ。アタシ「○○ちゃんチで遊ぼう」なんて誘われたのは小学校の一年生の頃くらい。放課後の約束からハブられるようになったのは何時からだったろう。その人の家に行ってゲームしたり漫画読んだりした。おやつもあったし、何よりその人がアタシと一緒に過ごしたいと思ってくれたのが嬉しかった。だから「触ってもいい?」聞かれた時、「いいよ」って言った。皆が嫌がるアタシで良ければって。
それも長くは続かなかった。
「その人のお父さんが急に帰って来ちゃってさ、服着てないアタシを見て「帰りなさい」って言ったんだ」
その人とはそれきりだ。お父さんが「もうここへ来てはいけないよ」って言ったから。でも、また何処にも行く所のないアタシに戻って終わりじゃなかった。その人の家ではアタシの所為で騒ぎがあって、近所の人が事情に気付いたらしい。その中にアタシと同じ学校に通う子供がいる家もあって、保護者の間で噂になった。ママも学校に呼ばれたりしてメッチャ怒るし大変だった。保護者が知ってるって事はその子供も知ってるって事で、アタシはクサイ、キタナイ、キモイからビッチになった。
「その人、その所為で入院させられちゃった」
普通じゃない病院に。アタシさ、学校の子達やセンセー、ママやオジさんも、この世界の誰がどうなろうと知ったこっちゃないけど
「どうしてるかなと思うよ」
その人だけは。
アタシがそう言うと優人は、アタシが占領してる一つしかない座椅子越しにメッチャ頭を撫でた。
「何ぃー?」
ゴーグルを外す。仮想から現実へ。撫でられ過ぎて髪ぼさぼさ。でも、その慣れない温かさと重みが心地よくて逃げたりはしない。
「いい子」
アタシは笑った。
「アタシがイイ子な訳ないじゃん」
「いい子だよ」
もう一度優人は言った。
「ええー?」
「いい子なんだよ」
また言った。裸見られるより恥ずかしくなって、多分顔真っ赤になってたと思う。本当にそうだったらいいのになあ。
R
ここの所、優人のところに顔出してもオリジンの世界に長居はしていない。イシェルとエルマがいつも通りに働いて暮らしてるのを確認してログアウトするだけ。いつも一人用ゲームばっかりじゃ失礼だもんね。だから二人で別のゲームやったり、気に入った動画見せあったりしてる。優人のアパートにはアタシの物が増えてきた。歯ブラシとかメイク道具、アタシが忘れていった物ばかりじゃない。優人はメッチャ恥ずかしがりながら「だって無いと困るでしょ?」ネット通販でアタシの下着や着替えを買ってくれた。アタシ以外の誰も困らないのに。そんな無造作な買い物の仕方小学校の入学以来したことない。あの時はママに気前のいいオジサンが居てランドセルや可愛い学用品をそろえてくれた。中学に上がる時は制服を作らなきゃならなくて「こんなに高いの!」ママ、ブチ切れてた。アタシは可愛くないので、ママの気分が良くなるようにごめんなさいとか言わない。制服がなければ学校行かなくていいじゃん位に思ってた。だから優人が大きなお金を使うのにかなり引いた。
「高くない?」
イイ子だったら皆アタシに居ても良いって思うのかなって時々考える。貰ってるご飯代でママやオジさんの分まで美味しい食事を用意するとか、掃除や洗濯をするとか、オジさんに裸見られても気にしないとか、自分に掛かる費用ぐらい自分で稼いでくるとかね。
「もったいないよ」
アタシの一番悪い所はお金と時間を奪う事。お腹なんか空かない。身体は勝手に大きくなったりしないで服や靴を買う必要もない。髪は伸びたりしないから切りに行かなくてもいい。病気なんか掛からないから病院にはいかない。保護者のサインとか求めない。運動会や面談、卒業式、誰かに来てもらわなくてもいい。そんなだったら、そんなだったら。
だからアタシは優人に言った。
「シようか?」
アタシから言った。アタシ、セックスが好きだ。だって気持ちイイじゃん。男がイクその瞬間にアタシの身体が必要とされてるって、その体温と腕の力の強さで解る。楽しいとか嬉しいとか面白いとか、アタシの生活の中に良い事なんかほかに無い。そんなこと言ったらビッチだって言われるけど、皆から嫌がられているアタシでも触れたいって思う人もいるんだって確かめたい。そう思うのって、そんなに悪い事かな。だいたいさ、その辺歩いてるオジサンもオバサンも皆、結婚したら誰でもヤッてるんじゃん?ケータイで見るマンガとか広告もそんなのばっかり。なのに、アタシはそれでビッチだって嘲られる。アタシだけ。十八歳になるまでアタシには良い事は何も貰えないのだと法律で決まっている。
だから終わった後は嫌い。「帰っていいよ」終わった後にはもう要らなくなったアタシが残ってしまう。でもさ、アタシ頭悪いから何度も同じこと繰り返して、その度に全部嫌になるくせに、まだ期待しちゃうんだ。ひょっとしたら終わった後もまだアタシと居たいって人もいるかもしれないって。
優人はしばらく固まって、何度も唾を飲み込んで
「…しない」
って言った。アタシにはそんな価値もないのかと結構傷ついたけど、笑いめかして聞いてみた。
「アタシが未成年だから?それともビッチだから?」
だってこんなに遊びに来ても嫌がられないんだもの、アタシに色々してくれるんだもの、シたくない訳ないじゃんって。そう思ったから言ったのに。
「したいけど、しない」
「なんで?シたいならいいじゃん?」
全くアタシが予想していなかった答えが返ってきた。
「いい子だからしない」
そうして座椅子ごと後ろからアタシを抱きしめて大きな掌でいっぱいアタシの頭を撫でた。
「大事にしたい、いい子だからしない」
胃の辺りがすごく苦しくなって
「…ええー?訳分かんない」
アタシ変な顔してたと思う。困った形の眉になって、顎にぎゅって力が入ったへの字の口で。アタシは肩に回された優人の腕に触ってみた。消えてなくなったりしなかった。優人の袖に一つ染みができた。また一つ。暑かったり寒かったり雨降ったり、行くとこなくて困ったり怖かった時も出なかった涙。
「…座椅子邪魔だよ」
「いいの。変な気持ちになっちゃうから」
「いいのに」
「ダメ」
アタシ達は少し笑ってずっとそうしていた。
R
「最近見ないと思ってたらオトコか―」
久しぶりに会った樹里に優人の事を報告した。樹里はツレ。樹里はアタシと違ってビンボーじゃない。着てる物も可愛いし、スタイルもいい。街まで出てくるのに交通ⅠCの残額を気にしなくって良い。ケータイの料金ちゃんと引き落としされたかも気にしない。いつも錠剤持ってる。アタシも錠剤貰って飲んだことあるけど、気持ち悪くなって全部吐いちゃった。その金額聞いたらもう飲む気しないけど、樹里はそんなことない。お金に困ってないけど、たまにウリやってる。自分の値段を確かめるみたいに。
樹里は公立じゃないお嬢様学校に通ってる。家は都内でも高級な地域にあって、お小遣いも沢山あるから、もっと楽しい所で遊ぶこともできる子だ。
「何か浮いてるんだよね、私」
でも、ここに居る。この街に初めて来た日に会った。アタシに色々聞いたりしないで「座んなよー」ただ普通の友達みたいに話した子。樹里がそう言ってくれたから、アタシが行く所が一つだけできた。多分、友達。14年生きててたった一人の。
「で、どんな?」
「リーマン。給料安いって言ってた」
あの格好の悪い出会い方は「それでとか無いわー」樹里にもウケた。
「センス無くってさ、格好悪いんだ。ヲタクって感じ。背高いけど」
アタシより大きくて大人なんだ。
「メッチャ弱そう。すぐ因縁付けられそうな感じ。最初アタシにも敬語使ってた」
アタシなんかにだよ。
「買い物もネットで済ますタイプ。アタシの物とかも」
買ってアパートに置いておいて良いって言うんだ。アタシが使ってる物を。
「隠キャだから喋るの上手くない。すぐどもっちゃうの。でも「家帰れ」とかウザい事言わない」
理由は聞かないで、待っててくれる。アタシのために。
「いつもアパートでゲームとかしてる。まだシてないんだよ。アタシが大人になってからって」
アタシいっぱい喋った。いつの間にか樹里のケラケラ笑いが無くなってることに気付いて顔を上げた。
「…何それ自慢?」
樹里からウザがられているのが分かった。
「もっと現実見なよ」
樹里が立ち上がる。樹里は一度だけ振り返った。
「そいつだって私等みたいなとは生きてる世界が違うんだよ」
お金があっても無くてもアタシと樹里は同じところにいる。アタシ本当は樹里が言う事解ってた。でもまだ解りたくなかった。そして樹里はもう振り返らなかった。
R
優人が先の話をするようになった。
「俺、車の運転練習しに行こうかな。そしたら遠出出来そうじゃない?」
とか
「ⅤRのゲーム機もう一台買っちゃおうかな。そしたら二人でやれるでしょ」
フルダイブのヤツ欲しくて貯金してたくせに、そんなこと言う。そしてアタシの事も。
「進学考えてないの?通信制とか大検もあるよ?」
中学は引きこもっていたって卒業できる。あれは卒業させられちゃうんだな。もう自分達とは関係ないよって。だからあたしも卒業はするんだろう。じゃ、その後は?よく分からない。ママは「公立じゃないとダメだからね」高校に行かせる気はあるらしい。でもまた制服とかお金がかかってメッチャ怒るんだろうな。アタシが奨学金とか貰えるはずない。私立は補助金とかあって実質無料って言ってるけど、あれはウソだ。公立だって修学旅行だなんだってあれだけお金集めたのに、入学金だってかかるし私立が集めないわけないじゃん。ってことは、アタシでも入学できる公立のバカ高校行くのかな。義務で嫌な思いしてきたけど、義務じゃなくなったら嫌な事が無くなる訳じゃない。義務じゃないのに我慢できるかな。
「これが好きとか楽しいとか目指してみるのもいいんじゃない?」
そこが一番アタシと皆の違う所。
大人になったら何になりたいって聞かれても、いつもアタシ答えられなかった。皆サッカー選手とかパティシエとか色々言ってた。アタシは…大人なんだから仕事とかしているのだろう。だけど自分がどんな姿で何をしているのか全く想像できなかった。いつも。
「じゃあ、したい事は?」
「…したい事…ママんチから出て暮らす事かな」
アパート借りるのお金かかりそうだし、寮がある仕事するとか?寮に入って人と上手くやっていけるかな。いけないだろうな。
ママは言う。
「働いて親にお金渡しなさいよね」
最初のお給料貰ったら親に何か買ったりするイイ話的なヤツとは違う。仕事は何でもいいって。お給料貰うようになってもきっと好きに使えるわけじゃないな。それって何時までそうするんだろう。生きて働いてる間ずっと?アタシはママにそれ程の借金してきたのかな。
優人が真っ赤になってどもりながら言った。
「じゅ、十八になったら…こっこっこっこっこっこっこっここで一緒に住む?」
アタシ十四だから十八まであと四年もあるんだよ。どれほどイイ子でいても四年もの刑期に恩赦はない。
「ど、どうするにしても親と話し合わなきゃいけないんじゃない?」
そう。まだ刑期が残ってるから、アタシはアタシのリアルと向き合わなければならない。
そして優人は、
「色々あると思うよ、どの家も。家族だから余計にさ」
優人からだけは聞きたくなかった言葉を言った。
「だけど本当は親が子供を大事に思わない訳がない。だって親だもの」
それってさ、当たり前の常識みたいに皆言うんだよね。そうじゃない事なんか有り得ない、みたいに。
「本当は」
ドラマとかで良くある話。行き違いがあって最後に分かり合える奴。
「本当は」
学校の子達もそう。親の事ムカつくって言っても、それはそれでやっぱり家族なの。
「本当は」
優人の家族はそうなんだろうな。優人がそういう家族に恵まれてて良かったなぁって思う。だからこんなアタシにも、セックスしなくても優しくしてくれる。
「本当は」
だからほかの皆と同じように、アタシがどれほど違うと言っても、アタシがこんなになってても、優人にはそれが解らない。
「本当は」
ならばアタシはウソの世界で生きている。ウソのために毎日こんな風に過ごしてる。樹里が言ってた「住んでる世界が違う」が解りすぎるほど解った。
アタシは立ち上がって優人の頭を撫でた。
「え?何?」
「良い子、良い子」
色々あったとしても、ちゃんとしたところで育ったのならちゃんとした明日が用意されている。ちゃんとした明日には一緒に歩いてくれるちゃんとした相手が居るのだろう。
それはアタシじゃない。
アタシはヘラヘラっと笑って、ハンガーにかけてあったあのマフラーをとりながら、
「このマフラー貰ってもいいかな?」
って聞いた。優人は絶対にダメだって、嫌だって言わないのわかってるから。
「いいよ?」
ほらね。優人に背を向ける。
「ありがと」
色々。本当にたくさん。背中を向けたまま
「じゃ」
肩越しに手を振る。振り返ったりしない。
「あ、帰るの?」
帰る所なんかない。靴を履く。ドアはいつも勝手に閉まる。それが閉まり切る前に階段を降りる。あー鼻まで垂れてきちゃったな。マフラーを頭から被って電車に乗る。マフラーは乾いたらガピガピになって使い物にならなくなるだろう。それでもアタシこのマフラー使ってそう。向かうのはあの街。きっと樹里は
「バカだね。だから言ったじゃん」
って言って一緒に居てくれる。
でもその日、樹里は居なくて、どうしようもなくて、アタシが居ても良い所なんかもうあの場所しかなかった。お金ないくせにネカフェに行って、個室タイプでゴーグルを借りる。優人がアタシのために作ってくれたアカウント。
オリジン。
どうせならステキなウソの世界をアタシに。
最後までお読みいただきありがとうございました。この少々長めの短編はVRゲーム「オリジン」の世界をめぐる長編の一章だったりします。宗教二世に関わる別章も構想中ですが、今作といい自分を振り返ることが多く苦しいところです。感想いただけると幸いです。