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7.ワルツを

「さぁ、クォーツさんの最後の仕上げですよ」


 屋敷の大広間に呼ばれて来てみれば、マナー講師がホクホクとわたしに満面の笑みを向けてくる。相変わらずクォーツはげっそりとした顔だ。


「いったい、この大広間でなにをなさるんです?」


 当然の疑問がわたしの口を突いて出る。

 にんまりとマナー講師は笑うと、こう宣言したのだった。


「もちろん、ダンスレッスンです」




  ◇◇◇




「ええと。確かにダンスは舞踏会で必須の技能ですし、相手がいないと踊れないものですが。どうして、わたしが」

「はは、ローズ。やっと俺の気持ちが分かったか」

「うるさいです、クォーツ。あと、今のステップずれてましたよ」


 大広間に流れる旋律は、優雅でゆったりとしたワルツ調のもの。

 わたしの動作に合わせて、クォーツが見様見真似でステップを踏んでいる。

 正直言ってあまりにもヘタクソだ。素人も素人。

 足を踏まれないかと冷や冷やしながら踊るこっちの身にもなって欲しい。


 いっしょに踊っていると、こちらまでぎこちない動きになってくる。

 手と手を重ね、呼吸を合わせ――られない。

 なぜだろう。舞踏会で殿方と踊るのは慣れているというのに、クォーツとこんなに身体を密着させると心臓がどきどきする。顔が熱くなる。


「ローズ様、テンポと呼吸が乱れておりますわ」


 ついにマナー講師からわたしに檄が飛んだ。

 不覚だ。ワルツを踊ることなんて、貴族として基本中の基本の嗜みだというのに。


「ローズも叱られることがあるんだな」

「うるさいです」

「あ、怒った? 顔が赤い」

「別に怒ってないです」

「ほら口調がもう怒ってる」


 ここ数日、散々マナー講師にしごかれてきた鬱憤からだろうか。今日のクォーツはやたらとわたしをからかってくる。そのたびに顔を覗き込まれるものだから、たまったものではない。


「クォーツ、ダンスに集中してください」

「集中してないのはどっちだ」

「あなたのせいで集中できないんです」


 しまいには、ぷいっとわたしは顔を背けてしまう。

 かわいくない。今のわたしは、本当にかわいくない。

 思わず頭を抱えたくなってしまう。


 この瞬間も、心臓は今にも飛び出してしまいそうなほどにドキドキと暴れている。身体も心も、まったくわたしの思う通りには動いてくれない。


「――――っ!」


 右足の爪先に鋭い痛みが走った。

 わたしの足の上に、ステップを踏み外したクォーツの革靴がある。


「あ、ごめん」

「いた……い!! よくもわたしの足を踏んでくれましたね!?」

「だから、ごめんって」

「もう、さっきからあなたは……!」


 パン、パンッ。

 手を叩く大きな音がわたしたちの会話を遮った。

 振り返れば、マナー講師が呆れた表情でわたしたちを見つめている。


「はい、音楽を止めてください。どうしてなのか、おふたりは分かりますよね?」

「「すみません……」」


 しゅん、とふたりして肩を落とした。


「いいですか。ダンスに必要なのは『恋』です。情熱的な『恋』の感情。あなたたちに足りないのは、それです」


 マナー講師は、熱弁を振るい始めた。


「一緒に踊る相手に、ダンスを踊る瞬間だけでいいから『恋』をするのです。愛しい人なのだから、もちろん目と目をしっかりと合わせて。ハイ!」


 言われるがままに、クォーツと目と目を合わせた。

 気まずいが、講師の言う通りに視線を外さない。


「うっとりと相手を見つめるのですよ。『恋』する瞳で。おふたりとも、できていますか。そうしたら、愛しい人にベッドで身を委ねるように、身体を預けるのです。さあ、手と手を合わせて。呼吸を合わせて」


 手と手を合わせる。じっと見つめ合う。

 今生を誓った相手と踊るように、うっとりと瞳を蕩かせ、身体を預ける。

 再び、ゆったりとしたワルツ調の音楽が、大広間に流れ出した。


「いいですよ。そう。そんな感じです。いま目の前にいる相手が、将来を誓い合った運命の『恋』のお相手だと思い込むのです。さあ、情熱的に踊って!」


 マナー講師の鋭い声が飛ぶ。

 いち、に、さん。いち、に、さん。

 わたしと彼は、優雅に基本のステップを踏んでいく。


 分かってきた。わたしに足りなかったのは、思いやりの心だ。はじめてワルツを踊るクォーツを気遣い、彼のステップをフォローしなくてはならなかったのだ。

 自分は完璧に踊れると己惚れ、下手なステップを踏む彼を下に見ていた。


 『恋』する相手を、下に見ることなんてあってはいけないのだ。

 マナー講師の言うことが、ようやく理解できた。 


 踊る。手を重ね、呼吸を合わせる。

 ステップに段々と慣れてきたのだろうか。

 時折クォーツがわたしをリードしようと動くことが増えてきた。

 それがなんとも、心地よくてくすぐったい。


 回る、回る、回る。世界が回る。

 反時計回りに大きく円を描きながら大広間を踊り、クォーツと見つめ合った。

 今この瞬間、世界の中心は間違いなくわたしたちふたりだったし、全てがスローモーションで見えた。


 きらきらと光るシャンデリアの照明。

 揺れる彼の黒髪。深い色を湛えた彼の瞳。

 わたしはこの身をクォーツに預けて、ただ軽やかにステップを踏む。


「……楽しいな」


 ぽつり、とクォーツが呟いた。


「奇遇ですね。わたしもです」

「それは光栄だ」


 にっこりと、微笑み合う。

 きっと傍から見れば、今この瞬間のわたしたちはお似合いの恋人同士に見えるはずだ。


 いつまで、そうして踊っていただろう。

 マナー講師の拍手の音で、わたしは我に返った。


「ブラボー! 合格です。もうわたしがクォーツさんに教えることはありません」


 なにやら感動した様子で、マナー講師がわたしたちに盛大な拍手を送っている。

 途端にわたしは照れくさくなって、クォーツと身体を離した。


「ようやく今日で、このキツい修練の日々とはおさらばか」


 感慨深げに呟くクォーツの脇腹を、わたしはつんつんと小突いた。


「何を言っているのです。明日からが本番ですよ」


 じっと、クォーツの瞳を見上げる。


「明日、わたしの父上と会っていただきます」


 準備は整った。

 偽りの婚約者との恋人生活が、いよいよ幕を開けようとしていた。

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