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6.まどろみ

 その晩、わたしは夢を見た。


 耳障りな警報が聞こえる。見たことのない白い乗り物から、クォーツが降り立つ。

 異国の乗り物。異国の風景。

 眩しい赤色の光が、クォーツの横顔を照らしている。その横顔は、今よりも幾分若く見えた。前髪から覗く左目は光を失っておらず、油断なく辺りを見渡している。


 これはきっと、過去の光景だ。

 わたしは確信する。


 時折、わたしはこういったお告げめいた夢を見る。公爵家の血筋は、元を辿ると古い神官の家系に行きつくという。今回もそういった神の思し召しだろうと見当はついた。


 ――《薔薇水晶の妖精眼》。

 夢を通して過去も未来も見通すというこのスキルを、疎ましく思ったことも少なくない。


 夢の中の光景に、息を飲む。

 きっと、なにか大きな災害があったのだろう。 

 クォーツは厳しい表情を浮かべ、目の前の瓦礫の山を、その下敷きになった少女を見つめている。

 周囲の崩れた建物からは、火の手も上がっていた。


「足が……」


 消え入りそうな声で、少女は囁く。

 ぽろぽろと菫色の瞳から涙が零れ落ち、灰色の地面を濡らした。

 足を挟まれ、身動きを取れずにいる少女。


「大丈夫。必ず、助けるから」


 それまで厳しい表情を浮かべていたクォーツは、彼女を安心させるように微笑み、瓦礫に手を伸ばす。人ひとり分の大きさもあろうかという、少女の足を塞ぐ瓦礫をどかそうと、その手に力を込めた。

 しかし、彼は気付かない。ふたりの頭上にある建物の残骸が、今にも崩れ落ちようとしていることに。


「危ないっ!」


 わたしは思わず声を上げた。

 しかし、これは夢なのだ。わたしの声はクォーツには届かない。


 前兆は唐突にやってくる。

 地面が小さく揺れ、親指の爪ほどの大きさの建物の破片が、頭上から落ちてくる。

 それは地面を跳ね、クォーツの左目を直撃した。


「……ぐ」


 呻き声を上げながらも、クォーツは瓦礫から手を離さない。

 その左目の負傷が、後の失明に繋がったのだろう。今のわたしには、分かる。

 瓦礫が、わずかに持ち上がる。少女の足と瓦礫の間に、微かに隙間が生まれる。


「今のうちに、早く!」


 クォーツが叫ぶのと、頭上の建物の残骸が崩れるのは、ほぼ同時だった。


 咄嗟に少女を庇おうとクォーツが動く。

 重い衝撃。視界が赤く染まる。


 ――暗転。




  ◇◇◇




 汗だくになって、わたしは目を覚ました。

 ここはどこだろう。何だかあたたかい。

 頭上に見える天井は、わたしの部屋のものではなくって。

 ぱちぱち、と大きく瞬きをする。自分がクォーツに抱きつきながら寝ていたことに、ようやく気付いた。


「きゃああああああああ」


 思い切り、叫んだ。クォーツを引き剥がし、力の限りにドンッと押した。

 彼は勢いよくごろごろとシーツの上を転がって、寝台から転げ落ちる。


「い、いたた……」


 背中を床に叩き付けられたクォーツは、寝ぼけまなこで立ち上がった。


「ローズ、痛いじゃないか」

「ごめんなさい」


 恐る恐る、わたしはクォーツを見つめる。

 どうしてこんなことになっているんだろう。昨夜の記憶を必死に手繰り寄せる。


「朝起きたら目の前に殿方がいるという状況にびっくりしてしまって。つい咄嗟に」

「咄嗟というにはすごい馬鹿力だったな」

「淑女に対して馬鹿力とか言わないでください」


 痛そうに背中をさすりながら、クォーツは椅子に腰掛けた。

 朝日がカーテンの隙間から差し込んでいる。テーブルの上に置かれた冷めた紅茶が、昨夜わたしがこの部屋で寝ることになった経緯をようやく思い出させてくれた。


「……えー、こほん」


 わたしはわざとらしく咳払いをする。

 本当に、昨夜わたしとクォーツはいっしょに寝た『だけ』だったのだろうか。わたしは寝ぼけて何か『変なこと』はしていないだろうか。頭の中をぐるぐると色々な思考が駆け巡ったが、それを億尾にも出すことはなく。 


「今日から忙しくなりますよ。クォーツ、覚悟をすることです」


 それらしい表情を浮かべて、ピシリと言い放った。

 今日は朝からマナー講師の来訪が決まっている。

 急ピッチでクォーツを『新しい公爵令嬢の婚約者』で『異国の王族』に仕立て上げなくてはならない。


「誠心誠意努力するよ」


 肩をすくめて返すクォーツに、先ほど見た夢の内容を聞くことは、ついぞ出来なかった。




  ◇◇◇




 それから、数日が経過した。


「クォーツさんは大変に飲み込みが早いですわ」


 マナー講師はにこにこと上機嫌に笑っている。

 一方のクォーツは、げっそりとした顔で苦笑を浮かべるのであった。

 熱血指導で有名なマナー講師だ。クォーツがこの数日どんな目に遭ってきたかは、想像に難くない。


「お疲れさまね、クォーツ」


 ぽんぽん、とわたしはクォーツの肩を叩いた。


「お疲れさまのひと言で、俺のこの数日は言い表せない……」

「これは重症ですこと。すみません、しばらく彼をお借りします」


 わたしはマナー講師に一礼をすると、冬薔薇咲く屋敷の庭園にクォーツを連れ出すのだった。

 穏やかで冷たい風がそよいでいる。木漏れ日が、きらきらとふたりを照らす。

 噴水の周辺には、日光の反射で形作られた小さな虹が煌めいていた。


「すこしわたしとお茶会に付き合ってくださるかしら」

「……喜んで」


 ようやく、クォーツの顔に微かに笑顔が浮かんだ。

 庭園の真ん中に置かれたガーデンテーブルに腰掛けて、ふたりきりの小さなお茶会が幕を開ける。


「たまには、こんな息抜きもいいでしょう」


 言いながら、ティーカップに琥珀色の液体を注ぐ。

 微かな湯気と共に、紅茶のやさしい芳香が鼻腔をくすぐった。

 ふたつのティーカップ。小鳥たちのさえずり。

 冬薔薇に囲まれた庭園は静謐な空気が漂っている。


「美味しいですね」


 クォーツに微笑みかけながら、わたしは紅茶を啜った。

 そうして、彼の所作をじっと見つめる。


 ティーカップを時計回りに回して、右手で取っ手を摘まむクォーツの仕草は、ぎこちないものの上品だ。

 しゃんと伸びた背筋。顎は動かさず、ゆっくりとティーカップだけを傾けている。

 優雅に、そして音を立てず、紅茶を啜る。

 ティースプーンの置き場所も、ごく自然なものだ。

 お茶会のマナーとしては、クォーツの動作はまず及第点。

 講師の指導が良いと見えた。


 ソーサーの上にティーカップを置いたところで、ようやくクォーツはこちらの意図に気付いたらしい。


「なにが息抜きだ。俺のテストをしたいだけじゃないか」

「あら。気付いてしまわれましたか」

「意地が悪いなあ」

「すみません。どれほど仕上がっているか気になってしまって」

「で、結果は」

「まず及第点です」

「手厳しいな」


 頭を掻き、クォーツは苦笑を浮かべている。


「奴隷身分だったあなたが、数日でここまで貴族らしい所作を身に着けることが出来たのです。胸を張ってください」

「もしかして褒められてる?」

「もちろんです」


 ざあっと風が庭園を吹き抜ける。

 薄紅色のわたしの髪が、揺れた。


「……そういえば、ひとつ聞きたいことがありまして」


 そう切り出すのに、すこし勇気が要った。


「なんだい」

「ここのところ、わたしは毎晩あなたの夢を見るのです。見たことのない異国の風景。瓦礫を必死にどかそうとするあなたの頭上に、建物の残骸が降り注ぐ。そこで、毎朝目が覚めます」

「…………」

「夢にみる異国の風景は、文明のレベルがあまりにもこの国とは違うものでした。これは、あなたが実際に体験した過去の出来事ですか?」


 しばらくの間、クォーツは黙りこくっていた。

 わたしの薄紅色の瞳をじっと見つめ、やがてこくりと頷いた。


「ああ、きっとそうだろうな」

「クォーツ。あなたはいったい、どこからやって来たのです」

「それは俺が聞きたいよ」


 クォーツの口調は冗談めかしていたが、その声音は真剣さと諦念を孕んでいた。


「瓦礫に押しつぶされて。気を失って。気付いたら俺はこの『世界』にいた。最初はここが死後の国かと思ったよ。あんな瓦礫に押しつぶされて、生きていられるわけがない。俺は死んだはずなんだ」

「でも、あなたは今ここで生きています」

「そうだな。不思議なことに」


 ひょい、とクォーツは肩をすくめた。


「この『世界』では俺は異邦人だ。なぜか言葉は通じるが、この国の文字は読めやしない。身寄りもない。左目も失明した。そんな人間、当然あっという間に奴隷階級に転落だ。それで俺はあなたに買われたわけだ」


 クォーツの話は、俄かに信じがたいものだった。

 しかし、毎夜繰り返し見る夢が、猛烈な説得力を持ってわたしに訴えかけてくる。

 彼はこことは違うどこか別の国――いや、違う世界からやって来たのだと。


「夢の中のあなたは、誰かを必死に助けようとしていました」

「……キューキュータイイン。この世界にはない職業だけれど。ええと、分かりやすく言うと、人を助けるのが俺の仕事だったんだ」

「まあ。それではクォーツは、勇者様みたいなお仕事をされていたということですか?」


 わたしは目を輝かせた。

 次の瞬間。ぷっとクォーツは吹き出し、腹を抱えて笑い出した。


「勇者様か。あはは」

「もう。なにがおかしいんです」

「まあそういうことにしといてくれ。俺が勇者様か。あはははは」


 わたしの指摘がよほど的外れだったのか、しばらくクォーツは笑い転げていた。

 ふたりの小さなお茶会を、ただ庭園の小鳥たちだけが見守っていた。

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