4.変身作戦
「ここが、ローズ様のお屋敷ですか」
クォーツはあんぐりと口を開けて、宮殿めいた白亜の屋敷を見上げている。
庭園に咲き乱れる花々は手入れが行き届いており、爽やかな風が吹くたびに木漏れ日が揺れる。屋敷の入口に数十人並んだ使用人が「おかえりなさいませ、ローズ様」と一糸乱れぬ仕草で次々に頭を垂れるさまは、壮観ですらあった。
「……敬語」
わたしは眉根を寄せて、クォーツの脇を小突く。
「すみま……すまない、ローズ。あなたが俺と次元が違う家柄だということを改めて認識して驚いている」
「わたしの先祖は、建国の折に尽力した功労者です。……三騎士の伝承を、ご存知ないのですか?」
「俺はこの国の出身ではないからな」
「どおりで。あなたのような烏の濡羽色の髪はこの国では見かけませんし」
クォーツのぼさぼさの黒髪を見上げる。
黒髪から覗くやさしい瞳と、視線が噛み合った。
わたしが慌てて視線を逸らすと、ひょいとクォーツは肩をすくめる。
「異国の王族、という設定に真実味が加わるかな」
「それには、まず身なりを整えてもらいませんと」
屋敷の玄関の大階段を上り、2階へとクォーツを案内する。
壁に掛かった絵画に、廊下に飾られた壷に、天井のシャンデリアに。いちいちクォーツは驚き、目を輝かせてみせた。
「この廊下の突きあたりに浴場があります。そこで湯浴みをしてください」
「分かった。風呂なんて何年振りだろう」
わくわくと声を弾ませるクォーツに、わたしは耐え切れずにくすりと微笑んだ。
「ローズ、どうした?」
「先程から、見るもの聞くことすべてに驚いたり喜んだり……かわいらしい御方だな、と思いまして」
「…………異国の王族に見える落ち着きを身に纏えるよう、努力しよう」
急に真面目ぶってクォーツが低い声を出すものだから、わたしは声を上げて笑ってしまった。
まったくもって、はしたない仕草。
王太子の婚約者であった時には、浮かべられなかった笑顔。
でも、それが今は心地良い。
◇◇◇
パチン、と。
わたしが指を鳴らすと、風呂上がりのクォーツを幾人もの男が取り囲んだ。
「なんだなんだなんだ」
慌てふためくクォーツにはお構いなしに、わたしはテキパキと指示を下す。
「理髪師。彼の髪を整えて。無精髭も剃って差し上げて」
「はい」
チョキチョキと鋏を鳴らしながら、理髪師が一歩前へ進み出る。
「仕立て屋。彼の身体のサイズを測って。上等なもの用意してちょうだい」
「はい」
メジャーを手にした仕立て屋が、一歩前へ進み出る。
「商屋。彼に見合う装飾品を見繕って差し上げて。金額は問いません」
「はい」
くいっと眼鏡を動かしながら、商屋が一歩前へ進み出る。
「それでは皆さん、頼みましたよ」
「えっ。ちょっ。待ってく……うわああああああ」
クォーツの悲鳴は聞こえなかったことにして、わたしは彼が変身するさまを、特等席で見届けることにした。
◇◇◇
数時間後。
「まあ、まあまあまあまあまあまあ……」
わたしは堪え切れずに笑みを浮かべながら、クォーツの周りをくるくると見て回った。居心地が悪そうに、彼は直立不動の態勢をとっている。
「なあ、ローズ。まだ動いちゃ駄目か」
「駄目です。もうすこしわたしに観察させなさい」
「はあ……」
溜息を吐くクォーツに、わたしはふふっと微笑んだ。
今までぼさぼさの黒髪と無精髭に隠されていたクォーツの顔立ちが、露わになっている。身なりを整えるまでは想像もできなかったことだが、美丈夫と言って差し支えのない風貌だ。
鼻筋の通った端正な顔立ち。やさしい光を宿した右目が、どこか愛嬌のある雰囲気を醸し出している。あれほど痛々しかった左目も、黒革の眼帯に隠されればほとんど気にならない。
どこぞの異国の王族といった風情漂うクォーツの変身ぶりに、わたしは満足げに頷いた。
「ふふ。ダイヤの原石を掘り当てた気分です。磨けばこんなに輝くだなんて」
「お褒めに預かり光栄ではあるんだけれども」
「あっ。黒の上着の方が似合いそうですね。仕立て屋、持ってきてちょうだい」
「俺は着せ替え人形ではないんだが……」
「うんうん、やっぱりあなたは黒が似合います。断然、こっちです」
「聞いてないな」
クォーツの眉間に、さらに深い皺が刻まれた。
「……ローズ」
一歩、クォーツがわたしとの距離を詰めた。
穏やかな瞳が、まっすぐにこちらを見下ろしていた。
あれだけ自分から近付いて観察していたというのに、クォーツの方から距離を詰められると、急にわたしの心臓が暴れ出す。
「俺はあなたの――公爵令嬢の夫として、相応しい男になれただろうか」
首を傾げる仕草にさえ、なんだかドキドキしてしまう。
悔しい、と思った。すっかり向こうのペースだ。
「もちろん。……格好だけは、ですけど」
ついつい意地悪な物言いをして、ぷいっと顔を背けてしまう。
まったくもって可愛くない自分に嫌気が差す。
「格好だけ?」
「ええ。明日からはこの国の礼儀作法をしっかりと学んでいただきます」
「……なるほど」
苦笑ともつかない表情を、クォーツは浮かべた。
貴族が暮らしの中で自然に培ってゆく礼儀作法を、奴隷身分だった者が一朝一夕で身に着けることなど容易であるはずがない。それを彼も理解しているのだろう。
「今日はゆっくり休んでください。このあとお部屋へと案内します」
屋敷の窓から覗く陽は沈みかけている。
突然の婚約破棄から始まったわたしの1日が、ようやく終わろうとしていた。




