30.鮮血散る
「助けて……」
アメジストは喉元に短剣を突きつけられ、大粒の涙を流す。
「助けるさ」
覚悟を決めた目で、クォーツはジャスパーとアメジストを見据えた。
わたしは見てしまう。
大剣を持つクォーツの手が震えていることに。
「クォーツ……?」
わたしが覚えたのは、恐怖だ。
とても、とても嫌な予感がした。
「ごめんな!」
クォーツが叫ぶ。
瞬間、彼は弾かれたように駆け出した。
地を蹴り、大剣を構え、その矛先はまっすぐにジャスパーへと。
「俺にはこういう方法しか思いつかない!」
「やめろ! 来るな来るな来るな!」
クォーツとジャスパー、両者が動くのは、ほぼ同時だった。
周囲に鮮血が、迸った。
ジャスパーはアメジストの首を掻き切り、そのジャスパーの腹を、クォーツの大剣が薙ぎ払っている。噴き出すふたつの鮮血は、まるで咲き乱れる深紅の薔薇のよう。
どよめき、悲鳴。式場は大混乱の坩堝となった。
「急所は外した! 今すぐ手当をすれば宰相は助かる! 急げ!」
まだ動ける衛兵に、クォーツは冷静に指示を飛ばす。
それから、首から血を流してピクリとも動かないアメジストに近付いた。
「今、助けてやるからな」
《薔薇水晶の妖精眼》がなくたって、この先起こることは分かる。
いやな予感は、当たるんだ。
思わず、わたしは叫んだ。叫ばずにはいられなかった。
「やめて! クォーツ!」
「――《治癒代償の接吻》」
クォーツは優しく、アメジストの唇を奪った。
わたしの大好きな人が、わたしではない女の人とキスをしている。
目を背けたくなる光景に、胸が締め付けられる。
いいえ、今はそれよりも――……
「クォーツ! もうやめて! あなた死んでしまうわ!」
搾り出すように叫ぶのと、クォーツの身体が崩れ落ちるのは、ほぼ同時だった。
わたしは慌ててクォーツの元に駆け寄った。
すっかり冷たくなった彼の手を握る。
「馬鹿な人……どうして毎回自分の身を削る行為をするの……」
ぽろぽろとわたしは涙を零す。
クォーツの頬を、滴り落ちたわたしの涙が伝っていった。
「ごめんな」
一言、呟いて。クォーツは意識を手放した。
式場には、愛する人の名を呼ぶわたしの絶叫が木霊した。
◇◇◇
事件から1週間が経った。
未だにクォーツは目を覚まさない。
ベッドに横たわるクォーツの手を握り、わたしは日がな一日看病に明け暮れていた。
「ローズ様まで倒れてしまいます。すこしお休みになってはいかがでしょう」
心配した給仕のルチルがそう声を掛けてくれる。
わたしは首を横に振った。
「今はただ、近くにいて差し上げたいのです」
ルチルは一瞬、迷う素振りを見せてから。
「承知いたしました」
一礼をして、部屋を辞していった。
心配を掛けているのは分かっていた。
けれど、クォーツから離れることもできなかった。
「……1週間。早いですね」
式の後のドタバタに思いを馳せた。
あれからすぐに、式場でアメジストは目を覚ました。
王太子がニヤニヤ顔で「よかったアメジスト。無事だったんだね」などと近づいてくるのを見たアメジストは、気持ちの良いビンタを彼に食らわせていた。
いい気味だ、と思ったことは否定できない。
宰相ジャスパーは一命を取り留めた。あれだけの目撃者がいたのだ。失脚は間違いない。今は国王の沙汰を待っている段階である。おそらくは国外追放になるのではと、もっぱらの噂だ。
父は事件の後始末に翻弄されていた。
宰相の失脚はすなわち、公爵派の復権を意味している。
これからは、もっと忙しくなるだろう。
そしてわたしは、こうして花婿の目覚めを待ち続けているわけだ。
「クォーツ。早く目を覚ましてちょうだい」
搾り出すように囁き、クォーツの手を握った。
◇◇◇
こんこん、というドアのノックの音に我に返った。
どうやらクォーツの看病をしながら、少し眠ってしまっていたらしい。
「どうぞ」
声を掛ければ、扉がゆっくりと開く。
そこにはアメジストその人の姿があった。
菫色がかった黒髪がさらりと揺れる。
「お見舞いにやってきました」
手には、薔薇の花束を持っている。
「もう毒は仕込まれていないので安心してください」
そう言って、彼女は涼やかに微笑んだ。
「ありがとうございます」
わたしは頭を下げるのがやっとだった。
意外な来訪者に、どう反応すればいいのか分からないでいる。
「ローズ様。そう身構えないでください。すぐに帰りますので」
こちらの心を見透かしたように、アメジストは微笑んでいる。
菫色に似た瞳が、まっすぐにわたしを見据えた。
「ただ……改めてお詫びを言いたくって。王太子殿下を横取りしたこと。大切な式をめちゃくちゃにしてしまったこと」
「でもそれは、すべて宰相の差し金でしょう?」
アメジストは曖昧に微笑んだ。
「そうですね……。この世界に来てから、私は宰相様の言いなりでしたから。ローズ様にお詫びをしろと命令したのも、あの毒の塗られた薔薇の花束を用意したのも、すべては宰相様の指示です。わたしは何も知らず、彼に利用されていました。……でも」
少しだけ、アメジストは言い淀んで、それから。
「ローズ様になんとかお詫びをしたいという思いは、本当です。だから今日、ここに来ました」
「……アメジスト様。ありがとうございます」
やっとアメジストが今日ここにきた真意が分かり、わたしは薔薇の花束を受け取った。クォーツのベッド横の花瓶に生ける。
「それと……もうひとつ。ローズ様にお詫びをしなくてはなりません」
「なんでしょう」
「私、クォーツ様を好きになってしまいました」
思わず私は、花瓶を取り落としそうになってしまう。
「え、ええええ!?」
「今日からはライバルとしてお願いします。今からでも逆転して見せますよ」
「は、はあ……」
されるがままに、アメジストと握手をしてしまう。
「ローズ様、それでは失礼しますね」
確かにクォーツは格好いいし、アメジストの命を救ったのは確かだし、でも、でもでもでも……!
アメジストの辞した扉を見つめて、わたしは思わず叫んだ。
「もう、なんなのよぉぉおおおお!」
「さすがにうるさい」
振り返れば、クォーツがベッドの上で上体を起こしていた。
照れくさそうに頭を掻いている。
「ローズの叫び声で起こされたよ」
「クォーツ!」
わたしは愛する人を、思い切り抱きしめた。




