29.時は来た
ざわめきが大きくなり、そして。
式場に幾重もの悲鳴が響き渡った。
花嫁が突然倒れたのだ。無理もないだろう。
わたしは苦労して、死体のようにピクリとも動かず倒れ伏したままの体勢を維持している。
父がわたしの体を揺さぶり「ろぉぉぉぉずぅぅぅぅぅ」と号泣している。
思わず反応しそうになるからやめてほしい。
「違う……私は、違う……」
蚊の鳴くようなアメジストの声が聞こえた。
「大罪人アメジスト! 薔薇の棘に毒を塗り、公爵令嬢の殺害を企てるとは何事だ!」
ばん、とテーブルを叩く音。
芝居がかった口調でまくしたてるのは、宰相ジャスパーだ。
《薔薇水晶の妖精眼》で見たままの光景が、目の前で繰り広げられる。
「ジャスパー様! これはどういうことです!?」
「大罪人め! 気安く口をきくな! 衛兵、アメジストを捕らえよ!」
「いやあっ!!」
アメジストの悲鳴が響き渡った。
だが、まだ顔を上げるわけにはいかない。
夢の展開はそうではなかったのだから。
「モンド殿下! 私を信じてください!! 私は何も――……」
喋ろうとしたアメジストの口は、宰相の身辺警護の衛兵たちに塞がれる。
無能な王太子は彼女を助けようともしない。
「~~~~~~~ッ!!!」
声にならないアメジストの悲鳴を、確かにわたしは聞いた。
そう。顔を上げるのは、きっとこのタイミング。
「宰相。これはいったいどういうことです」
今まで倒れ伏していたのが嘘のように、わたしはすっくと立ちあがった。
純白のドレスについた埃を手で優雅に払う。
父も、招待客も、王太子も、――そして宰相ジャスパーも。
口をあんぐりと開けて、信じられないという顔でわたしを見つめている。
「ろ、ローズ様? ご無事なのですか?」
愛想笑いをして、宰相が近付いてくる。
「大罪人アメジストは捕らえました。安心して式の続きを――……」
「答えなさい。宰相。これはいったいどういうことです」
わたしはもう1度、繰り返した。
そうして、ドレスの胸元から割れたペンダントを取り出す。
「“毒除けの加護”を付与したペンダントです。粉々に砕け、わたしを守ってくれました」
近づいてくる宰相を手で制す。
「婚姻の式の途中、アメジスト様がわたしに手渡す薔薇の棘に毒が塗られていて、わたしが毒殺される未来を《薔薇水晶の妖精眼》で見通しました。だからこそ、事前にこのペンダントを用意できたのです」
そのまま、ギロリと宰相を睨み付けた。
「答えなさい。宰相ジャスパー。どうしてあなたは薔薇の棘に毒が塗られていたことを、瞬時に判断できたのですか。わたしが《薔薇水晶の妖精眼》で見通した未来は、クォーツ様を除く誰にも口外していません」
宰相の表情が、歪む。
「わたしが倒れ込んだ理由。式の晩餐に毒が仕込まれていたかもしれない。持病だったかもしれない。あるいは、他の理由も考えられるはずです。それなのになぜ、あなたは薔薇の棘の毒だと判断できたのですか? それはあなたが用意したものだからではないですか? 答えなさい、宰相」
瞬間、弾けたように哄笑が辺りに木霊した。
それを発しているのが宰相ジャスパーであることに気付くのに、しばしの時間を要した。
「ああ、もうやめだ。未来予知のスキルを持つ小娘を、暗殺しようとしたのがそもそもの間違いだったわ。はじめから回りくどいことなどしなければよかった」
くつくつと嗤いながら、巨悪はわたしを見つめる。
「おい、衛兵ども。この小娘を処せ」
衛兵たちの動きが、止まった。戸惑いが見える。
「宰相の言葉は、王の言葉と同じぞ! いいから殺れ!」
その言葉で、弾かれたように衛兵たちが動き出した。
殺られる。そう思った瞬間。
わたしの前にひとりの人影が躍り出た。
「クォーツ!」
振り上げられる衛兵の大剣。
それを近くのテーブルにあった燭台で、いとも容易く絡めとる。
「もらうぞ!」
そのまま衛兵から大剣を奪い、クォーツはその胴を薙ぎ払った。
「ローズを守るのは、俺だ!」
混乱する式場に響き渡る大音声で、そう宣言した。
まるで、おとぎ話の勇者様のようだ。
「……格好いい」
わたしは呆けたように呟いて、へなへなとその場に座り込んだ。
どうやら気が抜けてしまったらしい。
大剣を持つクォーツの背を見遣る。
彼は油断なく周囲を睨め回すと、大剣を両手で構えた。
「彼女を手に掛けようとする者は、正々堂々俺を倒してからにしろ!」
瞬間、複数の衛兵たちがクォーツに殺到した。
クォーツの剣戟は流れるようだ。
薙ぎ払い、躱し、距離を取り、翻弄する。
チームワークなどない衛兵たちの斬撃など、烏合の衆の攻撃と同じ。
次々にクォーツの剣の前に倒れ、数を減らしていった。
「……すごい」
わたしのために、こんなに強くなってくれたんだ。
胸が、じんわりと熱くなってくる。
きっとおとぎ話のお姫様は、こんな気持ちで王子様を見つめていたのだろう。
最後の衛兵を倒したとき、クォーツが見つめていたのは宰相ジャスパーだった。
「やめろ! 来るな来るな!」
ジャスパーは喚き散らし、護身用の短剣を取り出した。
そうして近くにへたり込んでいたアメジストの喉元に短剣を突き付けた。
「これ以上近付けば、この女の首を掻き切ってやる」
「ひ、」
泣きそうな瞳で、アメジストがこちらを見つめてくる。
「“同郷”の娘だ。助けたいだろう?」
宰相は卑劣に笑った。




