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26.幕間~とある婚約者の述懐~

 クォーツ、という名前もすっかり馴染んできた。


 ローズクォーツ。

 観光地の土産物屋のパワーストーンコーナーに必ず置いてある石。

 安易なネーミングだと思ったが、案外気に入っている。

 あの吸い込まれるような薔薇水晶の瞳に、魅入られた瞬間に浮かんだ名前だ。

 ローズの婚約者には相応しい名前じゃないか。


 この世界で、俺の本当の名前を知る者は誰もいない。


 未曾有の大災害の中で、きっと元の世界の俺は死んだのだろう。

 救急隊員――ただの地方公務員だった俺が、まさかこんな異世界で第2の人生を過ごすことになるとは、思っていなかった。

 今でも時々、本当の俺は病院で寝かされていて、これは昏睡している俺の見ている夢なんじゃないかと考えるときがある。

 真実は分からない。けれど夢にしては醒める気配のないこの世界の生活を、俺なりに楽しもうとしている。


 けれどこの異世界に放り込まれた当初は、死ぬほどつらかった。

 無一文の俺は、行商人に騙され奴隷となり、それから檻の中で飯もまともに食べられない生活を送っていた。時々檻から出されれば、強制労働。

 あの奴隷市場でローズに買われていなければ、俺はきっとどこぞの檻の中で衰弱死していただろう。

 運がよかった。本当に。


 そう。運がよかったのだ。

 彼女に出会えたこと自体が。


 あの薄汚れた奴隷市場で、場違いに美しいローズを見つけた瞬間のことを、きっと俺は一生忘れない。


 ――おそらく一目惚れ、だった。


 元の世界では見たことのない、美しい薄紅色の髪。

 陶磁器のように白い肌。

 精巧なフランス人形のように整った顔。


 まるで、下界に降り立った天使のようだった。

 例え薄汚れた奴隷市場でなくとも、彼女の容姿は人目を引くものだった。

 そして檻の中から彼女を目で追っていると、自然と彼女が人攫いらしき男に付け狙われていることに気付いた。


 檻の中から声を掛けるか掛けないか、悩んだ。

 あまりにも彼女が美しすぎて、俺が触れてはいけない人に思えたから。

 汚れた自分が話しかけることで、無垢な彼女を汚してしまう気がした。


 けれどあのときの俺は、意を決して彼女に声を掛けることを選んだ。

 だから結果いま、ここに俺はいる。


 それからは、“彼女に本気にならない”ように必死だった。

 ローズには公爵家の令嬢としての輝かしい未来がある。

 その未来に奴隷の俺は邪魔になるだけだ。

 だから俺は、用が済んだら彼女の前から消えなくてはいけない。


 だというのに、だというのに。

 恋愛慣れしていないローズが段々と俺に惹かれていくのが、手を取るように、分かった。きっと王太子に婚約破棄をされて傷心のローズの心の隙間に、俺という人間がぴったりと嵌ったのだろう。

 でもそんなの、弱った人の気持ちを利用しているようなものだ。罪悪感が募った。


 きっと彼女は知らないだろう。

 紅茶をいっしょに飲んで微笑む君の顔に、俺が見惚れていることを。


 きっと彼女は知らないだろう。

 同じベッドで君の寝顔を見つめながら、俺が我慢で眠れぬ夜を過ごしたことを。


 きっと彼女は知らないだろう。 

 いつも紳士ぶった態度をとっている俺が、どれだけ君を抱きしめたいかを。


 年齢差もある。身分差もある。生まれた世界も違う。

 これ以上俺も彼女に惹かれてはいけない、と。何度も身を引こうとした。けれど、ダメだった。


 ――どうしようもなく、彼女を好きになってしまっていたから。


 そうこうしているうちに、もう身を引けないところまで来てしまった。

 口づけを交わし、思いを打ち明け、正式な伴侶となろうとしている。

 ただの奴隷だった男が、だ。


 今でも時々、これでよかったのだろうかと自問する。

 俺と結ばれることは、果たしてローズの幸せに繋がるのだろうかと。


 俺は、ローズのためになにができるのだろうか。

 名前も、身分も、なにもかも。嘘で塗り固められた俺に。

 ただ、彼女の心の隙間を埋めてあげるだけの存在で、本当にいいのだろうか。

 彼女の伴侶として、そんな男が相応しい訳がない。 


 伴侶となるからには、俺はローズを幸せにしなければいけない。

 そのための力を身に付けなければならない。

 だから俺は、公爵家当主の部屋の前に今、立っている。


「公爵閣下。少しよろしいでしょうか」


 意を決して、口を開いた。


「ひとつ、お願いがございまして――……」


 ローズの父は、俺の“お願い”を聞いてにっこりと笑った。

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