24.薔薇の棘
平和の象徴である鳩が、蒼穹へと飛び立っていった。
純白のドレスを身に纏ったわたしと、純白のタキシードを身に纏ったクォーツ。
ふたりは顔を見合わせ、くすぐったそうに笑い合う。
幸せを絵に描いたような光景だった。
ふたりを祝福するように薔薇の花びらが舞い、チャペルの鐘が鳴った。
これが夢だ、と気付くのにしばしの時間を要した。
――《薔薇水晶の妖精眼》を通して見る予知夢。
わたしとクォーツの結婚式という未来の光景を、わたしは覗き見ていた。
式は滞りなく、和やかな雰囲気で進んでいく。
ふ、と会場が鎮まる瞬間があった。
王太子殿下の婚約者であるアメジストが、花嫁であるわたしの前にやってきたのだ。
「お詫びに……」
薔薇の花束をわたしに差し出した。
お詫び、とは何に対してだろうか。
王太子殿下を奪ったこと? 舞踏会での振る舞い?
それとも、そのすべてだろうか。
しばしの沈黙。そして。
花束を持つアメジストの手が微かに震えていることに、わたしは気付いた。
ふっとわたしは相好を崩す。
「ありがとう」
わたしは微笑み、薔薇の花束を受け取り――……
「……――っ」
薔薇の枝の棘が、手に刺さった。
瞬間、わたしは薔薇の花束を取り落とした。
瞼を閉じ、ばたんと地に倒れ込む。
純白のドレスのスカートが、まあるく床に広がった。
それきり、わたしは動かない。
「「「「きゃ~~~~~~~!!!!」」」」
結婚式の会場に、招待客たちの悲鳴が響き渡った。
「違う……私は、違う……」
いやいやをする子供のように、アメジストが後ずさる。
落ちていた薔薇の花がアメジストに踏まれ、無残にも花弁が散った。
「大罪人アメジスト! 薔薇の棘に毒を塗り、公爵令嬢の殺害を企てるとは何事だ!」
ばん、とテーブルを叩き、芝居がかった仕草で宰相ジャスパーが立ち上がった。
その瞬間、さあっとアメジストの顔が絶望に染まる。
「ジャスパー様! これはどういうことです!?」
「大罪人め! 気安く口をきくな! 衛兵、アメジストを捕らえよ!」
「いやあっ!!」
衛兵に羽交い締めにされ、助けを求めるようにアメジストは王太子を見た。
王太子はさっと目を逸らす。
「モンド殿下! 私を信じてください!! 私は何も――……」
喋ろうとしたアメジストの口は、衛兵たちに塞がれる。
「~~~~~~~ッ!!!」
紫がかった艶やかな黒髪を振り乱し、アメジストは大粒の涙を流す。
声にならない彼女の悲鳴を、確かにわたしは聞いた気がした。
◇◇◇
「……ひどい未来」
ぐっしょりと、寝具が汗で濡れていた。
ひどい目覚めだった。
薄紅色の髪を掻き上げて、わたしは大きなため息を吐いた。
窓からは涼やかな月明かりが差し込んでいる。
時刻はまだ夜半。
だというのに、とても寝なおす気分にはなれなかった。
「幸せの絶頂での死。笑えないですね」
恐らくわたしはあのあと死ぬのだろう。そんな予感があった。
汗ばんだ指先でシーツを掴んだ。
何度も、何度も。薔薇の棘の毒に犯され、倒れ込む自分の映像が脳内でリピートされた。
わたしは大きく首を振って、脳内の映像を掻き消す。
「情報を整理しなくては」
宰相であるジャスパーは、わたしの暗殺を企んでいる。
薔薇の棘に毒が塗られていて、わたしの死因はそれによる毒殺。
恐らくは、アメジストは利用された挙句、捨てられた。
落ち着いて、わたし。
見えたのは“わたしが倒れ込む”光景だ。
わたしが確実に“死んだ”訳じゃない。
あの光景は《薔薇水晶の妖精眼》を通して見たものだから回避できなくとも、なんとか助かる方策はあるはずだ。
「…………っ」
心臓がばくばくと嫌な音をたてて跳ねていた。
息が荒い。背筋が冷える、気持ち悪い感覚。
必死に大丈夫と自分に言い聞かせているというのに、死への恐怖に身体が凍り付いたようだった。
わたしは耐えられず、ベッドから抜け出した。
月明かりだけに照らされた廊下を、裸足のままにひたひたと小走りに進む。
冷えた廊下の空気に、ぶるりと肩を震わせた。
向かうのは、クォーツの部屋だ。
ノックもせずに扉を開けて、寝息を立てるクォーツのあたたかなベッドに滑り込んだ。
「……? ローズ?」
クォーツが驚いたように目を瞬かせた。
どうやら起こしてしまったらしい。
「ごめんなさい、クォーツ。今は何も聞かないで」
か細い声で絞り出し、クォーツの分厚い胸板に顔をうずめた。
「朝までいっしょにいてくださる? 明日すべてを話しますから」
「……分かった」
あとは何も言わず、クォーツは子供をあやすように、わたしの頭を撫でてくれた。
クォーツの手のぬくもりに、安心したらしい。
あれだけ痛いほどに跳ねていた心臓が、いつの間にか大人しくなっていた。
大丈夫。
きっとなんとかなる。
自然とそう思うことができた。
彼と一緒なら《薔薇水晶の妖精眼》を通して見た未来を、きっと乗り越えられる。
あたたかなぬくもりに包まれて、眠気がしのび寄ってくる。
それから数刻もしないうちに、わたしは寝てしまった。
その日、もう怖い夢は見なかった。




