22.接吻の後
「ええと……どうしよう。困ったな」
ふにゃふにゃと、クォーツは相好を崩した。
照れたように隻眼の視線が泳ぎだす。
珍しく、顔が真っ赤だ。
「あなたと俺は身分差があるし」
そんなの承知している。
「年齢差もあるし」
それも承知している。
「名前も経歴も何もかも、嘘っぱちだ」
そもそも全て、わたしが押し付けた設定だ。
それから、ふっとクォーツは顔を引き締めて。
「そんな俺で良かったら、あなたに好意を向けることを許してくれるかい」
まっすぐに隻眼がわたしを見つめた。
「……やりなおし」
「ええ」
「もっとストレートに言ってください」
わたしもまっすぐにクォーツを見つめ返す。
そうしてクォーツは、意を決したように口を開いた。
「俺も、ローズを愛している」
やっと聞きたかった言葉を聞けて、わたしは薔薇水晶の瞳を輝かせた。
動けないクォーツの頭を撫でで、髪を指で梳く。
自然と口角が上がる。きっと今のわたしは、花開いた薔薇のような満面の笑みを浮かべていたことだろう。
「……ふふ。満足です」
「こんな格好つかない状況で言いたくなかった」
「格好いいですよ」
「そうかなあ」
「命がけでわたしを助けてくれました」
それを言ったら、わたしだって格好がつかない状況だ。
髪は水に濡れてぼさぼさだったし、化粧だってぐちゃぐちゃだ。
せっかくのドレスは破れ、濡れそぼって、見る影もない。
それでもなんだかこの状況が、わたしたちらしい気がした。
だって、出会った時からわたしたちは、奴隷市場で逃げ惑っていたじゃないか。
そうして、身動きの取れないクォーツの頭をくしゃくしゃと撫でで。
「今度こそ、助けを呼びにいってきます」
わたしは立ち上がる。
山間の隙間から、朝日が昇ってくるのが見えた。
◇◇◇
「全治3ヶ月です」
医師は無情にもクォーツにそう告げた。
「おそらくその《治癒代償の接吻》のスキルの影響でしょう。疲労骨折してる箇所がいくつか……」
「そんなあ」
意気消沈するクォーツをわたしはのほほんと見つめて。
「わたしが精いっぱい看病しますから」
「面目ない」
「お食事はわたしがあーんしてあげますね」
「それは遠慮する」
そんなやりとりをしていると、こんこんとノックの音。
扉が開くと、そこにはすっかり血色がよくなった父の姿があった。
「クォーツ殿、此度はなんとお礼を言ったらいいか!」
父はつかつかとクォーツに歩み寄り、その手を握って頭を垂れた。
「公爵閣下。顔をお上げください」
「そういう訳には参りませぬぞ。私の命を救ってくれたばかりでなく、今度は娘の命まで……! なんとお礼を言ったらよいか」
「愛する人を守るのは婚約者の務めです」
“愛する人”というワードが、ぐわんぐわんとわたしの頭の中で木霊した。
耳朶まで赤くなって、頬を押さえてしまう。
こんな歯の浮くような台詞も、思いを通じ合った今なら演技ではない。そう思えた。
「……此度のことであるが」
父がその声を低くした。
「森の中で御者の死体が発見された。脳天を弓矢で一突き。明らかな他殺だった」
「それは」
「まず間違いなく、此度の馬車の暴走は宰相派の仕業であろう」
父の目線がわたしへと向けられる。
「ローズ、おまえは命を狙われている」
◇◇◇
「も~~~~、クォーツ聞いてください!」
「はいはい」
「お父様ってば過保護すぎます。窓へ近づけば、外から弓矢で狙われるかもしれないから離れなさい。食事を摂れば、毒が入っているかもしれないから毒見役を設けよう」
父の声真似をしながら、切々とクォーツに訴える。
「わたし、自由がありません。まるで牢屋の中のよう!」
「一人娘を守ろうと、御父上も必死なのだろうさ。気持ちは分かるよ」
「クォーツはわたしとお父様、どちらの味方なのですか?」
詰め寄ると、クォーツは苦笑を浮かべた。
「俺も、ローズが危ない目に遭うのはごめんだ。大切な人を失いたくない」
そっと頭をクォーツに撫でられる。
“大切な人”などと言われてしまっては、わたしは顔を真っ赤にして俯くより他ない。くやしい。されるがままだ。
「それが答えじゃ、だめかい?」
「うう……その返事はずるいです」
「大人はずるいものなんだよ」
クォーツは悪戯っぽく笑った。
「それに、だ。今までが自由すぎたんだよ。奴隷市場に出入りして婚約者を見繕う公爵令嬢がいるかい?」
「もう。それは言わないでください」
自分でも、あのときの自分の行動力にはびっくりしてしまう。
王太子に婚約破棄をされて、自暴自棄になっていたところもあるのだろう。
その蛮勇がなければクォーツとの出会いもなかった訳だけれど――……
あんな無謀を許してくれる環境に自分がいたことは、確かだ。
「奴隷市場で人攫いらしき奴に追いかけられたりもしただろう。今思えば、あれも宰相派の仕業だったんだろうさ。御父上の心配もごもっともだ」
「ああ……。そういうこともありましたね」
クォーツと出会った日を思い出す。
「幸いなことに、俺も動けなくて不自由な生活真っ最中だ」
クォーツはベットに横たわる自らの身体に目を向けた。
「ローズ。いっしょに引きこもりライフを楽しもう」
「物は良いようですね。まったく」
わたしは観念して、立ち上がった。
「紅茶を淹れてきます。あなたほど美味しいお茶は淹れられませんが。楽しむんでしょう、引きこもりライフ」
「ああ」
嬉しそうに、クォーツは頷いた。




