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2.奴隷市場

「ここが、奴隷市場……」


 見たことのない光景に、わたしは圧倒されていた。

 まるで動物を売り買いするように、檻の中に人間が入れられている。鎖で繋がれた女が、台の上に立たされ見せ物にされていた。「80万ベル」「100万ベル」と観客から次々に声が飛ぶ。奴隷の女は大粒の涙を零しながら、自分を競り落とした新しい主人に鎖を引かれて歩き出す。

 わたしはお付きの使用人の前で、顔を顰めてみせた。


「この国にこんな場所があっただなんて」

「ローズ様が来るような場所ではありません。今すぐに帰りましょう」

「そうはいきません。花婿を見つけて買わなくては」

「花婿は商品じゃありません」


 使用人は「婚約破棄されて気でも狂われたのかしら」とでも言いたげな目で、わたしを見つめている。しかし当のわたしは、大真面目にここで花婿を探そうとしているのだ。


「あなたは馬車の中で待っていなさい」

「ローズ様……」

「大丈夫よ。心配しないで。1時間程で戻ります」


 不安げな使用人の視線に見送られながら、わたしは薄暗い奴隷市場を闊歩し始めた。舗装されていない地面を歩くことなど、何年ぶりだろう。薄紅色のヒールを泥で汚しながら、人混みの中を進む。

 パステルピンクのドレスは人目を引くらしい。すれ違う幾人もの人々が、わたしを振り返って凝視する。この場では、間違いなくわたしは異分子なのだ。


「お嬢さん」


 檻の中から、声を掛けられた。

 見ると無精髭を生やし、ぼさぼさの頭をした男が、鎖に繋がれた手を檻から出して手招きしている。男の顔をよくよく観察すると、左目は何も見えていないらしく、白く濁りきっていた。これでは、いくら働き盛りの年齢の奴隷とはいえ、買い手がつかないだろう。


「…………」


 薔薇水晶の瞳で、奴隷の男をじっと凝視する。敵意は感じなかった。

 恐る恐る檻に顔を寄せる。

 奴隷の男はわずかに口元を緩めると、わたしの耳元で囁いた。


「後ろから付けられていますよ。人攫いの男が2人」

「えっ」

「振り返ってはいけません。気付かれます。お嬢さんのピンクのドレスは、この場所では目立ちますから」


 ゆっくりと、目線だけを背後へと向けた。

 物陰からこちらの様子を不自然に窺う男がふたり、確かにいた。

 ひ、と小さく喉が鳴る。


「いつから……」

「おそらく、この市場に足を踏み入れた瞬間から」

「ありがとう。なぜわたしに教えてくれたんです?」

「お嬢さんのような美人が、俺のようにこんな檻の中に入れられるのを見たくはありませんから」

「世辞がお上手ですね」

「本心ですよ」


 檻の中の男と、しばし見つめ合った。

 ぼさぼさの黒髪から覗く右目は、やさしく穏やかな光を宿していた。


「店主。この人、おいくらかしら?」

「5000ベルになります」

「買わせてください」


 金貨の入った革袋を、店主の前に置く。奴隷が軽く10人ほど買える量の金貨だ。店主は目を丸くした。


「こんなにいただいて、よろしいのですか」

「いいから、すぐにこの人を檻から出して」

「分かりました」


 檻から出た男は、目を白黒させていた。


「……びっくりした。ずいぶんと思い切りの良いお嬢さんですね」

「お嬢さん、じゃないわ。ローズと呼んで」

「では、ローズ様。俺になにをお望みですか」

「馬車まで護衛してちょうだい」

「仰せのままに」


 それから、男の手首に繋がれた鎖にわたしは眉根を寄せた。


「その鎖、邪魔でしょう。外していいかしら」


 奴隷の男は、さらに目を見開いた。


「ローズ様、俺が自分で言うのもなんですが。鎖で繋いでいないと、奴隷なんてどこへ逃げるか分かりませんよ。もしかしたら、あなたに危害を加えるかも」

「でも、あなたは逃げないし、わたしを傷つけたりはしないでしょう」

「どうしてそれが分かるんです」

「目を見れば分かります」

「参ったな……」


 男の鎖が奴隷商の店主に外される。

 困った顔をして、男は黒髪を掻き上げた。


「俺から、離れないでくださいね」

「言われるまでもありません」


 奴隷市場の人混みの中を、ふたりして足早に歩き出す。後ろは振り返らない。

 人攫いに狙われている。恐怖心に心臓がどうにかなりそうだった。

 早く。馬車に帰らなくては。一刻も、早く。


 ……小さく、首を振る。

 平常心を取り戻そうと、わたしは男に水を向けた。

 今は日常会話がしたい。


「そう言えば、あなたの名前を聞いていませんでした」

「俺の名前ですか? 奴隷に名前なんていらないでしょう」

「いいから、教えなさい」


 男はしばし悩んだ末に、じっと私の薔薇水晶の瞳を見つめた。


「……クォーツ、とお呼びください」

「偽名でしょう。しかも今考えたやつ」

「バレましたか」

「当たり前でしょう」

「でも、ローズ様のしもべには相応しい名前でしょう」


 軽口を叩き合ったところで、クォーツが立ち止まった。


「ローズ様、待ち伏せされています」

「その声音を聞くに、何か考えがあるんでしょう」

「もちろん。強行突破といきましょうか」


 瞬間、クォーツは前方のテントの陰に隠れてこちらの様子を窺っていた男に駆け寄ると、その顔面に拳を振り下ろした。人攫いらしき男は不意打ちの攻撃に対応できず、地面に転がった。


「先制攻撃してやりました」

「クォーツ、あなた馬鹿でしょう」

「馬鹿でなければ奴隷になっていません。馬車まで走りましょう」

「もう~~~~!」


 ヒールでドレス。

 こんな格好のわたしに走らせるなど、本当にどうかしている。


 走って、走って、走って。

 いつの間にかヒールは折れていたし、ドレスの裾は泥に汚れていた。

 遠い後ろから「待て」「あの女を逃がすな」と、男の怒声が聞こえる。いきなり殴りつけたクォーツではなく、わたしのことを逃がすなと言うのだから、間違いなく彼のターゲットはわたしなのだろう。


 それでも、なんだか今の状況が楽しくって、面白くって。

 自然とわたしの頬には笑みが浮かぶ。


「ローズ様、なにが楽しいんです」

「さあね。ただ、たまにはこうやって走るのも悪くありません」

「それは重畳です」


 こんなに笑うのは、いつぶりだろう。

 父が倒れてから、嘘っぱちの笑顔しか浮かべられなくなっていたから。


 馬車に辿り着くと、わたしは使用人に告げた。


「早く出して」

「ローズ様。その奴隷も乗せるんですか」

「いいから」


 馬のいななきと共に、馬車が勢いよく走りだした。


「……ふふ、あはは。クォーツ。あなた本当に面白い人ね。大冒険をした気分です」

「その言葉をそのままそっくりお返しします」

「あら、言ってくれますね」

「そのドレスに、あの大金。ローズ様のご身分は言われずとも想像がつきます。あのようなところに何しにいらしたんです? あなたのような方が訪れる場所ではないはずです」


 クォーツの声音は、ごく真面目なものだった。

 わたしはにっこりと微笑むと、薔薇水晶の瞳をまっすぐにクォーツへ向けた。


「花婿を、探していたのです」

 

 郊外の奴隷市場から街中へと、馬車は颯爽と掛けてゆく。

 ローズと花婿候補を乗せて。

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