10.治療開始
「お父様、失礼いたします」
控えめにノックをして、ドアノブに手をかける。
続いて扉を開く重苦しい音が響いた。
わたしとクォーツは、薄暗い父の部屋へと足を踏み入れる。
つん、と鼻を突く薬草の臭い。
カーテンの閉まった薄暗い部屋の中。
寝台の上の人影が、ゆっくりと体を起こした。
「ローズ、そしてクォーツ殿。すまない」
父はこちらに顔を向け、微笑んでみせる。
もう体は大丈夫だ、と示すように。
「昨日は見苦しいところを見せてしまったな」
穏やかに微笑む父の表情は、かなり無理をしているように思えた。
それが新しい婚約者を紹介したことによるショックなのか、病状によるものなのかは分からなかったけれど。
「いいえ。こちらこそいきなり驚かせてしまってすみません」
かつかつ、と靴音を立てて寝台に近づいて、膝を折って父に傅いた。
「それで、お父様」
わたしはおずおずと、しかし単刀直入に父へと切り出した。
「お父様はわたくしたちの仲を、どうお思いですか?」
クォーツに目配せをしてから、まっすぐに父の瞳を見据えた。
「もちろん、無理に話を進めようとは――」
「すぐにでも結婚式を挙げなさい」
「えっ」
父の言葉に、わたしは薔薇水晶の瞳を大きく見開いた。
「昨日は驚いてしまっただけだ。おまえが認めた男なら間違いないだろう」
父は笑って、枯れ木のような掌をわたしの頭に伸ばした。
ぽんぽんと頭を撫でられる。
「ローズ、おまえの花嫁姿を見ることが昔からの夢だ。私の夢を、叶えてくれるかい」
「……はい、お父様」
堪えきれずに、涙が零れ落ちた。
ひとつ。ふたつ。真っ白な父の寝台のシーツに、涙の染みが広がっていった。
これで、やっと親孝行ができるのだ。
奴隷市場を駆けずり回って、そこで出会ったクォーツを花婿に仕立て上げてきた甲斐があった。
婚約破棄をされてからの日々を思い出す。
静謐に包まれた室内に、わたしの啜り泣きの声が響いて。
「あー……、少しよろしいでしょうか」
それまで黙っていたクォーツが、一歩前へ進み出た。
「クォーツ様。この感動的な親子の場面になんですか」
きっ、とわたしはクォーツを睨みつける。
「用があるのは、公爵閣下にです」
「改まって私に用とは。娘との結婚は認めると言ったはずだが」
「閣下の足を見せてください」
「……は?」
「公爵閣下の足が見たいのです」
クォーツは無遠慮に寝台の上の布団をはがし、無理矢理に父の足を覗き込もうとする。
「ちょちょちょ……何をなさっているんですか、クォーツ」
思わず「様」が取れてしまった。
「確認したいことがある、と言っただろう」
「お父様に乱暴しないでください」
「するつもりはないよ」
言いながら、父上の膝を曲げてコンコンと叩き始めるクォーツに、目を見開いた。
「言ったそばから乱暴しているじゃないですか!」
「これは膝蓋腱反射を検査しているのであって」
「なに暗号みたいな訳の分からない単語をおっしゃっているんです!?」
「邪魔をしないでほしい。大切なことなんだ」
「お父様のお体より大切なものはありません!」
ワーキャーとわたしとクォーツが言い合いをするさまを、しばし呆れたように父は見つめていたが。
「その……言いにくいんだが、おまえたち本当に愛し合っているのかい」
父の瞳には、明らかな疑念が浮かんでいた。
「あ、愛し合っていますとも! そうですよね、クォーツ」
「もちろんです、公爵閣下。ほら、ローズとわたしはこんなにラブラブ」
ひしっ、と取り繕うようにわたしとクォーツは頬を寄せ合った。
「本当にラブラブ?」
「「ラブラブです」」
息ぴったりに答える。
はあ~、と大きく父は溜息を吐いた。
「まあ、よい。おまえたちの言葉を信じよう。それで、だ」
父は眼光鋭く、クォーツを見つめた。
「クォーツ殿。私の足を見て確認したいこととは、いったい」
「公爵閣下のご病気のことです」
まっすぐなクォーツの声音に、わたしは薔薇水晶の瞳を見開いた。
「わたくしの故郷で、大昔に流行った病がございます。その症状と、ローズから聞く公爵閣下の病状があまりにも一致しましたので」
「ほう。で、実際に私の足を見て、どうだ」
「ほぼ間違いなく、その流行り病かと」
そうして、クォーツは聞き慣れないその病名を告げた。
「公爵閣下の不治の病の正体は、『脚気』です」
◇◇◇
クォーツの故郷で昔、都に住む者だけに流行る病があったそうだ。
脚気と呼ばれるその病は、きれいに精米された白米を食べ続けることによる栄養不足が原因らしい。
庶民が食べるような玄米を食事にとりいれること。
豚肉や大豆を積極的に食すこと。
クォーツが示した治療法はそのふたつ。
「私は豚肉も大豆も嫌いなんだが……」
「お父様!」
そんなやり取りをしつつも、父の治療は無事に開始された。
「ねえ、クォーツ。あんな治療法で本当にお父様のご病気が治るの」
治療が開始された夜。
わたしはいつものようにクォーツの部屋を訪ねた。
詰め寄るわたしに、クォーツは紅茶を淹れながら「おそらくは」と曖昧に微笑むだけだった。
クォーツに淹れてもらった紅茶が、ゆらめく湯気とともに香ばしい匂いを立てている。
ひとくちティーカップを啜れば、不思議と不安が鎮まるのを感じた。
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