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楽園遊記  作者: 紅創花優雷
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かつての大悪党

 ここは何処か? さぁ、一体何処なのでしょうかねぇ。少なからず、君が知る世界ではないだろうさ。

 ところで君はこの本を知っている? あぁ、僕には読めないんだ。なんてったって、異世界の文字だからね。君の世界の文字だろう、調べはついているんだ、嘘をついても無駄だよ!

 え、少し違う? 何が違うのさ。

 自分はニホンジンで、チュウゴクジンじゃない……? あはは、全くもって何を言っているのか分からないよ! それは、種類の違いかい? まぁまぁいいじゃない。チキューにいるもの皆兄弟。君の所の言葉だろ?

 まぁいいさ。チュウゴクジンじゃなくとも、君はこの本のタイトルは読めるだろ。教えてよ!

 サイユウキ? へー、そりゃ面白い名前だ。ありがとね!

 ……え、僕が誰かって?

 そうだなぁ。うん、君には特別に教えてあげるよ。

 僕の名前は   。超越者っていうんだけどね、君の所で言う神や仏、その類いのモノだよ。

 なーに不思議そうな顔をしているのさ。

 ん、なぁに。僕の名前? 聞き取れなかったの? んー、まぁいいよ。もう一回教えてあげる。

 僕はね、   だよ。

 ふっふー、もう教えてあげないっ! 教えてほしいのなら等価交換だよ。

 そうだな、今あって等価なのは……君の、魂。

 冗談かって? あはは、さぁ、どうでしょーかっ!

 ははっ、君面白いね。……うん、気に入った。ねぇ君、一緒に遊ぼうか。



【楽園遊記】



 夜の事。堅壁(けんへき)の弟子の一人である彼、白刃(しらは)は静かさに響く時計の音を聞き、窓から見える満月を見ていた。

 皆が寝静まったこの時間、聞こえるモノと言えばあとは風に揺らぐ草木の声だろうか。青年はただ時が過ぎるのを待っている、そんな時だった。

「やぁ、今晩は」

 背後に突如気配が現れ、男の声が聞こえた。

 屋敷の者ではないのは確か。しかし、単純な不審者ではない事も確かであった。何故なら、突如現れたその男からは、「超越なる力」を感じたのだ。

「今晩は。夜分遅くにどうか致しましたか、超越者よ」

 白刃がそう尋ねると、後ろで彼がははっと笑う。

「お、流石堅壁師匠の愛弟子だね! 僕の力と君達の力を見分けられる人って、案外少ないんだよねぇ。実物なんて見た事ないだろうから、仕方ないんだけどね」

 超越者は白刃の顔をまじまじと見詰める。そんな遠慮のない視線を感じながら、白刃はニコニコと笑みを浮かべ、考えていた。

 昔、無の空間から世界を創り出し、地に降り立ったとされる存在がこの超越者だ。それは全てを超越し、司る存在とされ、人々の間で広く信仰されている。白刃は格段彼を信仰している訳でも何でもないが、彼の逸話は知っている。

 しかし、彼を見るとどうも「そう」には感じない。だが、「力」は嘘をつかないのだ。

 翡翠の瞳が重なり合う。そうすると、やけに熟考をしていた超越者が声を漏らす。

「こうして見ると、やっぱ君って美人さんだねぇ……」

 ごく自然にそんな事を呟き、結ばれた白髪に触れる。その後に、彼は何かに納得したように「うん」と一つ頷いた。

「改めまして、僕は『超越者』。この世の全てを超越し司る者とはこの僕の事さ!」

 自信満々にドンッと言い放つ。なんとも、愉快な超越者だ。依然と笑顔で対応している白刃にニコッと笑う。

「突然だけど白刃、君には『天ノ(てんのか)』に……君達で言う所の、『楽園』に来て欲しいんだ」

 そんなお告げに、白刃は細めていた目を開いた。

 天ノ下と言うのは、超越者の逸話に出てくる架空の場所であり、空高くに存在するとされているその場所だ。今自分は、その架空の場所に来いと言われたのだ。

「楽園に、ですか?」

 念のため聞き返すと、超越者は平然と答える。

「うん。超越者がいるなら、その超越者が住んでいる天ノ下だってあるだろ?」

 当たり前と言えば当たり前の事だ。白刃がそれに対し返答する前に、超越者は更に話を続ける。

「そして、ついでと言っては何だけど、一緒に連れてきて欲しい子が四人いるんだ」

 そう言うと、何処からか一枚の紙を手渡して来る。見れば、これは書き込みがされた地図だった。

 超越者は地図の印を指し示しながら説明を始める。

「まず、堅壁の敷地と封壁(ふうへき)の境にある森の中に岩山があるだろ? そこに尖岩(せんがん)がいる。君も知っているだろ、五百年前に世間を騒がした『大悪党』さ。丁度最近刑期が終わった所だかたらさ、釈放ついでに一緒に連れて来てね」

「それで、岩山を越えた先に不自然な荒野があるんだけどね。そこって、覇白(はびゃく)っていう白龍がちょっと色々あって暴れた時に出来た場所なんだ。頭冷やす時間が必要だったからさ、今はそこから出られないようにしてるんだけど、もう大丈夫だろうし解放してあげて」

「その荒野を抜けた少し先に封壁があるだろ? だけどそこは一旦無視して、陽壁(ようへき)の方面に進んだらそこに山脈がある。そこの中に四つの山が野原を囲んでいる場所があるんだけど、そこに山砕(さんさい)がいるんだ。説得して、一緒に連れてきて」

「それで最後、山脈地帯から陰壁(いんへき)の方に向かって進んだ場所にそこを囲う川があるんだけど、そこに鏡月(きょうげつ)って子がいるんだ。この子に関しても色々お願いね。あ、川に近づく時は気を付けてね。君は力があるって言っても、生身の人間には危ないから」

 つらつらと一通りの要望を伝えると、彼は顔を上げ尋ねてくる。

「分かったかい?」

「えぇ。とにかく、そちらの四人を連れて、天ノ下に向かえばよろしいのですね」

 色々と話されたが、重要な点はそこだけだ。

 確認をすると、彼は笑顔で頷く。

「そそっ。じゃあ、待っているからね」

「お待ちください。来いと言われても、場所が分からない所には行くことが出来ません」

 帰り際、尋ねてくる白刃に超越者は悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

「西さ」

 その一言の後、それは夢幻のように姿を消した。しかし、これは夢でも幻でもない。白刃は膝の上に残った地図に目をやる。そこには先程までなかった「がんばってね!」の文字が浮かんでいた。

 何か面倒事を押し付けられた感は否めない。しかし、

「なるほどな……」

 口角を上げた白刃は、なんとも愉快そうだった。

 時間で言うのであれば同じ日の朝、白刃は師である大将(たいすけ)に先程の事を話した。

 超越者が現れ、楽園に来るよう告げた。そんな内容を突如弟子から言われた大将は、驚いた顔をしつつもそれに疑問は持たなかった。何故なら、彼も昨夜同じお告げをされたのだと言う。

「夢だとは思っていたが。お前も同じ事を言われたとなれば、そうではないのだろう」

 彼が顔を顰めている訳は、何となく察せる。

「超越者があんなのだったと言うのは少々ざんね……いや、意外だったが。超越者が直に人を呼び出すなど、史上初だろう」

「行ってこい、白刃。きっと、お前にとって経験になるだろう」

 屋敷の中しかろくに知らない彼にとって、旅に出る事は大きな経験だろう。異世界に「可愛い子には旅をさせよ」という言葉がある通り、ここは師匠としてしっかりと見送るべきだ。

 大将に言われ、白刃は笑みを浮かべ「分かりました」と答える。

 そうして次の日、支度を済ませた彼は一匹の馬と共に出発した。

 屋敷の門には多くの弟子や女中も集まって口々に見送りの挨拶を告げ、白刃はそれに愛想よく対応していた。

 頑張ってください、ちょっと寂しくなりますねと、話して来る内容はそれぞれで。彼等と会話するのは楽しく、やはり少し名残惜しい所だが、そろそろ出なければならない。

 この旅がどれ程長くなるか、それは分からない。

「では師匠、行ってきます」

「あぁ。気を付けていくのだぞ」

 白刃は最後に師に挨拶をすると、馬に跨る。まずは、かの大悪党がいる岩山からだ。

 そこに向かう為、まずは町を進む。賑わっている、どうやらここは商店街のようだ。近所ではあるから見た事はあるが、こうして一人で歩くのは初めての白刃だ。きょろきょろしながら歩いていると、とある店の女店員に声をかけられた。

「おっ、そこの美人なにーちゃん。面白いものあるよ! 見ていかない?」

 にかっと笑って声をかけてきた店員がいた店は、どうやら骨董屋のようだ。白刃は馬を邪魔にならない場所に停まらせ、店をのぞく。

 そこには見た事のないような物が立ち並び、それら全てに白刃にとっては興味深いモノだった。

「欲しいものはないのかい? 要望さえ言ってくれれば、それに見合うものをバシッとだしてやんよ!」

 腕には自信があると言いたげに、びしっと腕を構える店員。店を見ても分かるが、品揃えに自信があるようだ。これなら期待できると、白刃はニコリと好青年の笑みを浮かべて尋ねた。

「そうですね。何か、躾に使えるような物があればよいのですが」

 当たり前だが、人に使おうとしている事は気が付いていないようだ。恐らく犬かなんかに使うと思っているのであろう店員は思い当たる商品を考え、ハッとする。

 そして、彼女はニコッと笑みを浮かべた。

「だったらいいモノがあるよ! 運がよかったねにーちゃん。これはつい昨日どっかの誰かが売ってくれた一点ものさ」

 そう言うと、彼女は店の奥に向かい、一つの箱を持ち出してくる。若干古びた箱の中に入っていたのは、金色の輪っかだ。

 それを手に取り、客である白刃に見せる。

「首輪ならぬ頭輪かね。まぁ首でも大丈夫だろうけど、これは合図をしたらギュギューっと締まって懲らしめる道具だから、首はよした方が良いぜ」

「合図ってのは、念じながらこう手をぎゅーって握るんだ。試してみるかい?」

 白刃はその提案にこくりと頷くと、言われたとおりに手をギュッと握ってみる。そうすると輪は内円を縮め、握る手を更にきつくすれば輪もきつく締まった。そして、握った手を緩めると元の大きさに戻る。

「これは良い……」

 呟いたその声からはどこか加虐心を感じる。

 あぁ、しまった。思わず素を出してしまったと。白刃はスッと装いの笑みを浮かべたが、彼のその素は確実に見られていた。

 店員の彼女は、ははっと笑う。

「にーちゃん、見掛けによらずにサディストだねぇ。いいよ、それタダで譲ってやんよ」

「よろしいのですか?」

 一応、支援金は貰っている、多少値が張っても問題なかったのだが、確認するように尋ねると、彼女は依然と気さくに笑っていた。

「いいよいいよ。なんか知らんけど、それ持ってきた人、金にするつもりなかったみたいでさ。値打ち調べようとしたら『お金はいらないからさ!』とか言って去ってたんだよ」

 その客の事はなんだか怪しいが。きちんと動作するし商品に問題はないだろう。

「そうですか、ではありがたく」

 白刃はニコリと微笑み、金色のそれを受け取った。

 いいモノを手に入れられたと、満足気に店から出る。さて目的地に向かう事にしようかと、待っていた馬に乗り、先に進むよう指示をした。

 先を進んでくいくうちに時間が経ち、日が沈み始める。森の中に佇む岩山は段々と近づいてきて、そこまでくれば直ぐにふもとまで辿り着いた。

 一旦馬から降りると、ふと足元から猿の鳴き声が聞こえた。

 声をした方向を見ると、一匹の猿が「ウキッ」と声を上げ、人と似たような形の手で西の方向を示している。

「そっちに何かあるのか?」

「ッキー!」

 ついて来いといいたげに、その方角に体を向けて白刃にを見る。

 馬を引っ張りながら猿にについていくと、猿は岩間の中に入った。覗いてみると、そこに嵌められた牢屋の中に、いたのだ。そう、かの大悪党が。

 かの有名な大悪党だが、彼は多くの猿を従え、そして堕ちた人々の成れの果てである「魔の者」までも利用しありとあらゆる所で大暴れした奴だ。動機などは一切不明だが、彼が起こした事態とその結果は変わりない。

 そのような所業からか、言い伝えられる「大悪党」は大層人相が悪い大男なのだが。

 岩山の麓、岩戸岩の間に四畳程の隙間。そこに嵌められた鉄格子の向こうにいる大悪党。格子の中で胡坐をかいているその彼は、身長百六十といった所だろうか。百八十以上の白刃からすれば、これはチビの部類だ。それに、顔立ちもどこか幼めで、控えてに言って十五歳程に見える。

 尖岩はそんな風に向けられる目に何か言いたげで、ついに口を開く。

「……んだよ、何か言いたいのなら言えよ」

「チビ」

「あぁそうかよ、初対面で失礼な奴だなオイ」

 容赦なく放ったその言葉は、間違いなく尖岩に突き刺さったようだ。かなり不服そうというか、イラっと来ていそうな彼だが、それ以上怒る事はせずに問いかけてくる。

「てか、もしかしてお前か? 超越者の『美人なお兄さんが助けてくれるからね~』の美人なお兄さんの部分。嫌味なほどに顔が良いな、ホント」

 これは、ちょっとした嫉妬も含んでいるのだろうか。彼がそんな風にふいっと顔を逸らすもんだから、白刃はニコリと笑う。

「おやおや、かの大悪党も世辞がお上手なのですね。初めまして、私は白刃です。超越者の申し付けにより貴方を助けに来ました」

 ついささっきチビ呼ばわりして来たあの表情とは打って変わって、なんとも人当たりのいい好青年の笑顔。逆にゾッときた尖岩は思わず逃げようと体を動かしたが、狭い牢の中ででそれは出来なかった。

 諦めてもう一度座り込み、助けに来たと言うその青年に話す。

「つっても、この檻超越者じゃねぇと開けられねぇだろ。鍵もねぇし、術使おうとしてもここじゃ力が使えな、」

「い……」

 ここで彼が言葉を詰まらせた理由はただ一つ。

 向こうにいる白刃が、平然と鉄格子をこじ開けたのだ。

 表情を一切動かさず、なんとも軽々しく手と手でこじ開けられた鉄格子は、人一人が難なく潜れる程になっていた。

「おま、お、お前……」

 もう一度確認しておこう、今こうしてたじろいでいるのはかの有名な大悪党であり、今難なくこじ開けられた格子は列記とした鉄製。そしてこれをやったのは、この美青年だ。

「ほら、開いたぞ」

 出て来ない尖岩に、なぜ出て来ないと言いたげに言い放つ。自分でした事をまるで理解していないのだろうか、尖岩は勢いよく立ち上がり無残な格子を指さす。

「ほら開いたぞ、じゃねーんだよっ!! おかしいだろ、それ、鉄格子だぞっ⁉」

「何が可笑しい?」

 当然のツッコみに当たり前だろと言わんばかりに首を傾げた。この格子を前にしてよく言えたものだ。

「全部が! 全部がおかしいの! てかさっきの好青年スマイルどこやったよ! なにそのほぼ無の表情フツーに怖いんですけどぉ!」

 言いたい事全て叫ぶ尖岩に、白刃はハッと笑う。

「何故大悪党にいい顔してやらなければならない」

「別に大して正論じゃねぇからな、ソレ」

 溜息をつきながらも、尖岩は開いた外の景色に目をやる。出してくれる奴が誰であれ、五百年ぶりの自由は確かに欲しい。だから、思い切って外に出てみた。

 この草地を踏む感じすら懐かしい。五百年ぶりの大空の下、尖岩は大きく背伸びをする。

「はぁー、やっと出れたぁ! えっと、白刃だっけ? マジでありがとな!」

 尖岩が笑って礼を言うと、その懐から小さな猿がひょこっと顔を出しウキャアと鳴いた。猿の言葉は分からないが、彼の意は尖岩が訳してくれた。

「こいつは猿吉、今のはありがとうって言ってたぜ。じゃ外に出れた事だし、俺はここらでー」

「待て」

 逃げようとする尖岩の襟首を掴む。粗方察していた彼は、掴まれたまま声を上げた。

「だと思ったよ俺はぁ! どうせあれだろ、超越者に他の何か頼まれてんだろ?」

 手を離すと、尖岩はもう一度地に足を付けて面倒くさそうに尋ねてくる。

 お察しの通り、白刃が彼にする事は釈放だけではない。

「あぁ。付いて来い、天ノ下に行く」

 尖岩はその一言で動きを止め、確認するようにゆっくりと視線を上げる。白刃は至って真剣、と言うより真顔で。少なくとも冗談を言っている奴の顔ではなかった。

 もう一度言われた事を脳内で処理をしてみる。

「……は?」

 総じて、漏れたのはこの一言だった。

 ぽかんとしているその顔を見て、白刃はフッと笑う。

「あぁそうだ。お前これ付けろ」

 そう言って見せたのは、先程手に入れた金色の輪。尖岩はそれがどういったモノか分からないはずだが何となく察しがついたようで、瞬時に逃げようとする。しかし逃亡は意味を成さず、押さえつけた彼に半場強制的に輪を頭に取り付けた。

「な、なんだよこれぇ……」

 少しの怯えを見せる尖岩の表情に、白刃の中で何とも言えないゾクゾクとしたモノが沸き上がった。そうして浮かんだ感情は一つ、愉しいだ。



 昔々、生命を腹に宿した一人の女人が、岩山の麓で息を切らしていた。

 もうすぐお産が始まる。しかし、種となった男は逃げ、それを見守るのは物を分からない猿達のみ。

 猿は縄張りに見慣れない女が居座っているというのに威嚇をする様子はなく、女の寄り添うようにそこにいた。キーっと高い声で鳴いた猿を見て、女人は苦しさを交えながらも微笑む。

「ねぇ、お猿さん。私、もうダメかもしれないの」

 その声は最後の力を振り絞るように弱々しく、掠れていた。

「けどね、この子はなんとしても、産んであげたいの。私の事はいい、この子を……この子だけは、助けてあげて」

 既に意識は朦朧とし始めている。猿に物を頼むなど、笑われてしまうかもしれない。もう、藁にでも縋るような気持だった。

 己が愛したあの人は、結局自分を愛してはくれなかった。分かっていた。分かっていたはずなのに。何故こうも滑稽な終わりを選んでしまったのか。最期の後悔に涙を浮かべ、弱々しい声でもう一度、「お願いだから」と近くの猿の頬を撫でる。その手は動力を失い、地面に落ちる。

 猿は知ってか知らずしてか、「ウキッ」と鳴き声を上げた。

 そんな様子を、彼は木の上に立って眺めている。

『猿が助けてくれるわけないじゃんか! もー、仕方ないなぁ』

 耳に届いた産声と一つの命が燃え尽きる気配を見届け、木から飛び降りる。

 既にハイハイをし始めている赤子は、ぐったりと倒れこむ「それ」が動かない事を不思議に思い、ペチペチと叩いたりしていた。

 そんな赤子を抱えあげると、赤子は何をするんだといいだけに手足をバタバタさせる。

「あぅっ。あー!」

『はいはい、ダメでちゅよー。それはもう「ママ」じゃないんだ。魂の抜けた、ただの抜け殻さ。君にはまだ分からないだろうけど』

 足元で群がる猿と、魂を亡くし物と変わったそれを横目に赤子をあやす。

 その時、この岩山の頂点に携わる鋭く尖った岩が思い浮かぶ。

『ふっふー、光栄に思いな! この僕が直に名前をあげよう。君の名前は――』



「……尖岩」

「んぁ?」

 心地よく眠っていた尖岩は、突然かけられた声が一瞬誰だか分からずにいた。しかし、その異様なまでに整った美しい顔と、白い髪を見れば直ぐに脳はそれを理解する。

「なんだ、白刃か」

「なんだとはなんだ。お前が起きないから俺が起こしてやったんだろうが」

 呆れたと言いたげな白刃だが、まだ日はどっぷりと沈んでいる。こんな時間に起こす奴がいるかと。そういう目で見るが白刃の視線は尖岩には向いておらず、森の中では有象無象と同じ木々に目をやっていた。

 数秒の間が空いてから、白刃はやっとこちらを見た。

「お前は寝ているし、ここは森。退屈だ」

 無に近い表情でそんな事を言うから、尖岩は眠気交じりに冷静なツッコみをする。

「ねりゃいいだろんなもん」

 これは正論以外の何物でもなかったはずだ。しかし、白刃は何を言っているんだお前はと言いたげな顔を浮かべる。

「俺は寝れない」

「なんだ、いつもの枕じゃないとダメとかそういうの? だったら持ってくれば良かっただろぉめんどくせぇ」

 野宿には慣れている尖岩は構わず草の上に寝転がり、もう一度寝ようとする。その態度が気に障ったのか、白刃が彼の頭の輪を締め始めた。

「いっ……おい、睡眠妨害は質が悪いぞ」

 飛び起きて、締められた頭をさする。

 軽く睨んでみたりもしたが、白刃は動じずに一言だけ告げる。

「起きろ」

「あーもう! はいはい起きてりゃいいんでしょ起きてりゃー」

 もう自棄になって勢いだけで起き上がると、白刃はそれで満足そうだった。

 起こされずに満足に眠っている馬を恨めし気に見ながらも、馬は悪くないかと思い直し、立てた片脚に頬杖を突く。

「ほんと、何がしてぇんだよ、お前は」

「したいことをしているだけだが?」

「したいことが可愛くねぇのな」

 尖岩は苦笑う。もしかして、あれがしたい事か。人に首輪ならぬ頭輪を付けて、玩具のように遊ぶ事か。だとしたら大分趣味が悪い。

 これは、年上として正してやるべきだろうか。そう頭に過ったが、自分が人の道を指導できるような者ではない事を思い出す。

 何故あんな湿った所に閉じ込められていたのか。それは過去の己のヤンチャの代償だろう。

 無言の間が流れて退屈なのか、白刃は意味もなく輪を締めてくる。その締め付けで痛がる尖岩を見て、また愉快そうな悪い顔をした。

「愉しい」

「あぁそうかよ、それは何よりだな」

 頭がじんじんと痛む。この癖だけは早急に直してもらいたい、そんな事を思うが無理だと断言出来た。何故なら、自分もある意味同類であったから。

 溜息をついてもう一度寝ようと横になるが、また起こされる。そしてまたしばらく話して、また寝ようとして起こされて……そんなことを繰り返していると、やがて時間は丑三つ時に差し掛かる。

 尖岩は何をしてやればこいつは眠るのかなんて考えながら頬杖を突いて眺めていると、ふと白刃がどさりと倒れるように横になる。

 いきなりの事で驚き、誰かから攻撃されたかなんて思って駆け寄る。しかし、当の本人は目を瞑って、すやすやと眠っているだけだ。

「ったく、心臓に悪い就寝だな……」

 頭をかいて元居た場所に戻る。起こしてくる相手が眠ったのだから、自分も眠ろう。

 少しだけ、世の母親の気持ちが分かった気がした、そんな夜の話だった。




「ほんと、貴方って純粋なのね」

 彼女は焦りと呆れを少々含んだ笑みを浮かべる。

 騙された。いや、これに関しては己が愚かであったのだろう。

 龍王たる父は、静かに己を見つめ、話し出す。その言葉は脳内に音として響くが、真っ暗になった頭では言葉として受けとる事が出来なかった。

 あぁ、なんと愚かな事だろうか。愚かさもここまでくれば笑えて来る。

 己の足元に風が舞い上がると、その体を包み込み龍の姿に変わる。そして何も言うことなく、生まれ育ったその場所から逃げた。

『ちょっと待ってよー! もー、君はさぁ。お父さんだって、事情を話して素直に謝れば許してくれるはずだよー? 僕からも言ってあげるからさ、ね? 今ならまだ、』

「えぇい黙れ黙れっ! 何をしようが私の勝手だろう⁉」

「もうどうとでもなれ! 私は知らんっ!」

 感情任せに真っ直ぐと飛んでいく。通り道に巻き起こった風は一瞬の嵐のようにその場に過り、木々が倒れ崩壊していく。

『あちゃー……どうすりゃいいのこれ……』

 無残な跡地を見て苦い顔をする。自分とて大変な事は大変なのだ。

 溜息を漏らした時には、龍の姿は既に見えなくなっていた。



 朝になった頃合いだろう。尖岩が目を覚ますと、木々の間から見える空は晴れていて、白刃は既に起きていた。

「お前、早起きだなぁ」

 昨日、いや時間としては今日だが。あれだけ遅く寝たというのに、こんな朝っぱらに起きているとは。

 あくびを一つしてから起き上がり、どこからか採ってきた木の実を食している白刃に声をかける。

「んで、今日はどこに行くんだ? あれだろ、天ノ下に向かうのに、あと三人連れてくんだろ?」

「あぁ。今日は、龍を捕まえる。向こうの荒野にいるみたいだから、馬を走らせてそこに行くぞ」

「いや捕まえるって言い方よ……。分かった」

 返事をしてから、尖岩はとあることに気が付く。今から、「馬を走らせる」と言ったか。なんだか、嫌な予感がする。

「きちんとついて来いよ、尖岩」

 その笑いで、尖岩の予感は見事に正解である事を思い知らされた。

 そりゃ脚には自信がある。かの大悪党が中々捕まらなかった理由には、そのすばしっこさもあるのだから。しかし考えてもみろ。五百年間自分が行動できた範囲はたった四畳の岩間。そんな所でぽけーっと過ごしていて、衰えていないわけがないだろう。大体そうでなければ出た瞬間に逃げられている。そして、馬の全速力は速い。

「ほら、遅いぞ」

「くっそ、さっきよりスピード上げやがって……」

 競走馬の如く目的地に向かって走る馬。その上で悠々と笑っている白刃のその様は、質の悪い金持ちみたいだ。

「おい馬ぁ! お前なんでそんな主人の言う事素直にきけんだよ!」

 尖岩の文句を理解しているのかしていないのか、馬は真っ直ぐな瞳をして走り続ける。そして、大声を出したせいで馬の上にいる奴の方に、余力があると思われたそうだ。

「無駄口叩けるならまだ行けるよな。おい馬、スピード上げろ」

「ちょ、」

 制止の声も文句も聞かずに、白刃は馬に指示を出してさらに早く走らせる。まさかあれで全力疾走では無かったのか。

「白刃ぁ!! お前なぁ!」

 無意味に叫びながら、脚の回転を速める。文句を心の中で呟きながらも、その場合ではないとその意識を体に向かわせる。この感覚には、覚えがあった。

 自分よりも少し速い速度で先にいる、遅いぞ遅いぞと笑うその姿。それを必死に追いかけているのは、幼い頃の自分だ。

 状況が重なる。しかし、懐かしんでいる余裕などなかった。

 必死に走れば、再び馬と並ぶ。流石の馬もこれ以上は速度を上げられなさそうで、平行の位置からずれなかった。

「意外と速いのな」

 つまんないとでも言いたげの白刃に、尖岩は一本取れた気になって笑った。

「ははっ、脚の速さには自信があるんだぜ?」

 勝ちの笑みを浮かべる彼を目に、白刃は馬に停まるよう指示を出す。馬は徐々にスピードを落とし、やがて脚を止めた。

 その行動に首を傾げると、白刃は後ろ側にずれて座り直した。

「乗れ」

「いいのか?」

「あぁ。乗れ」

 二度目の乗れという言葉が聞こえる。なんだかよく分からないが、彼なりの優しさなのだろうか。急に走ったせいで脚に負担も掛かったし、ありがたく乗らせてもらった。

 そうして白刃の前に座った瞬間、ハッと気が付いた。

「お前は本当に、チビだな」

 背後で白刃が一笑する。これは、どう考えても確信犯だ。

「だから、お前がデカいんだって」

 尖岩の反論だったが、白刃にとってはチビの言い訳に感じただろう。

 百八十五センチの白刃と、百六十三の尖岩。どちらの言い分も間違っていないのだが、それにツッコむものはいない。馬はただ懸命に主の命に従うのみだ。

読んでいただきありがとうございます! 物語創作者の紅創花優雷と申します。

こちらの作品は既に別サイトにてあがっていますが、ここに乗せたのは改変版で、色々な個所が別サイトとは違くなっています。

全部総合して三十万文字程ですが、よろしければお付き合いください!

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