蛆虫アリス
ジャーナリズムと称して色々な人の相談をしてしまった僕。だが、そんな傲慢な態度も長くは続かなかった。アリス博士が気に入らないという様子で僕を訪ねてきた。
「あの、ちょっと話があるんだけど」
「ああ、いいよ入って」
僕は何の気なしにそう言った。しかし、それが間違いだった。
「じゃあ失礼するわね」
アリス博士は僕の部屋に入ってくると、いきなりこう切り出したのだ。
「あんたの助言、クソね」僕はその言葉に驚いた。なぜって、それはあまりにもひどい言い草だからだ。それに、この前会った時には彼女は僕のことを褒めてくれたはずなのだから。
「なんで?」
「考えたんだけど、能力の向上よりも目的を柔軟に見直したほうがいいって言ったわよね?あれ、論理に穴があると思うよ」
「ああ、その穴については大体想像がつくよ。つまりさ、外部環境から情報の影響を受けているから、目的が自分の意志ではなく外部の操作で変わってしまうかもしれないってことだろ」
「まあ、そんなところかな」
「僕も同僚と議論していたんだ。つまり信念は強いほうがいいのか、弱いほうが良いのかってね。カルト宗教の教祖は信念が強いだろうけど、大学生は信念が弱い。でも学習能力は大学生のほうが上だ。つまりここには何かトレードオフがあるよね。」
「なるほどね、なかなか面白い意見だと思うよ。だけど、それでもやっぱり私はあんたが嫌いだよ」
「嫌いとか個人的な感情をぶちまけられても困るよ。でもさ、そのトレードオフがなんで生じるかわかる?」「えっ、うーん……」アリス博士はしばらく考え込んだ後、「あっ、わかった!」と言った。そして、なぜか自信ありげな表情を浮かべてこう続けた。
「あなたは自分の能力を過信しているんだよ。だから、自分の意志を強く保とうとする。でも、それだと成長できないんだよ」
「ふむ、確かにその通りかもしれないな。じゃあさ、どうすれば良いと思う?」
「まず、あんたは自分に対して謙虚になるべきね。そうしないと、成長なんて無理だよ。それと、目的を見直すこと」
「よく考えてみてよ。目的のバリエーションが2個なのと、100個なのと、どちらが深く学べるかな。」
「それは前者でしょ!とにかくさ、あんたはもう少し謙虚になった方がいいと思うよ。あと、もっと私に頼ってもいいんだよ?」
「頼ってるから質問してるんやで。それでさ、君は『目的を見直せ』って言ったよね?しかもバリエーションが2個のほうが深く学べるとも言ってる。つまりね、君はわかりきった選択肢の中から深みを目指すように僕に言ってるんだ。」
「違うよ。本当に深い学びを得たいなら、分かり切った選択肢を捨てるべきだって言いたいの」
「そうすると目的のバリエーションが100個の方を選ぶことになるから、試行錯誤しなければならない量が増えて、浅くなるんじゃないかな。」
「違うってば。例えば、あんたの目的は何?」
「自分が幸せになること」
「じゃあ、そのためには何が必要だと思う?」
「今持っているものだけですでに幸せ」
「ほら、浅いじゃない。これで分かったでしょう?人生は有限なんだから、目的を多様化させるべきだよ」
「でもさ、その幸せになるって目的で満足してるなら十分だと思わないかい?」「全然足りないわよ!だって、そもそも人生の目標を達成するにはどうすればいいのかな?目的は1つだけだよね?だとしたら、その目標を達成するための手段を考える必要があるじゃん。そうやって目的を多様化させていけば、最終的にやりたいことがたくさんできるようになって、結果的に幸福になれるはずなんだよ」
「では数学のプロになるのと、心理学・社会学・経済学・プログラミングについて多様かつ浅く理解しているのどっちがいい?」
「そんなの決まってるじゃん。心理学・社会学・経済学・プログラミングだよ」
「つまりそれが君の選好プロファイルだよ。僕の選好プロファイルってのはね、ざっくりいえばミニマリズムだ。孤独に数学を極めるほうが楽しいわけ。人それぞれで良いんじゃないかな。」
「ええ、でもさあ……」アリス博士は納得いかない様子だった。
「いいよ、話してみ」
僕は彼女の話を最後まで聞くことにした。
「あのね、私はあんたのことが大好きなのよ。だからさ、あんたには幸せになってほしいわけ。もちろん、私も幸せにしたいと思ってる。だからね、私の言う事を聞いて欲しいんだよね。」
「それで、僕に何をさせたいの?」
「まずは自己肯定感を高めることから始めてくれないかな?自分のことを好きになりなさい」
「それが僕が問題視していることだよ。つまり君という外部環境が僕に情報を与えて、本来は僕にフィットした今の生活や価値観を変化させる要因が生じるんだ。」
「あのさ、それっておかしくない?だって、あなたの周りの人があなたに影響を与えたんでしょ?だったら、あなたを影響下に置いた人を恨むべきじゃないの?」
「君がその一人だと思うけど」
「いや、そういうことじゃなくて……まあ、いいや。とりあえずさ、自分を愛してあげてよ」
「それが余計なアドバイスだと思うんだよね」
「なんでそう思うの?」
「まずね、普通に生活していれば、自分を愛するとかどうとか考えなくても幸せなわけ。でもね、君みたいに自己啓発本に毒された人が僕にそういう自己肯定感みたいなくだらん概念を押し付けてくるわけでしょ?そうすると僕がそれを意識するようになって逆に不幸せになるんだ。もうわかるよね?」アリス博士は黙り込んだままだったので、僕は続けた。
「僕が言う『目的を柔軟に変える』というのは、言い換えると『社会に惑わされるな』ってことなんだ。社会に惑わされた結果として目的を変えてしまったら本末転倒だよ」
「……そっか、わかったよ」彼女は明らかに落ち込んだ様子で答えた。
「なにか心当たりでもあるのかい?」
「実はさ、あんたが言ってたことをちょっと試してみたんだけど、うまくいかなかったのよね」
「具体的にどんな方法だったの?」
「私なりに工夫してみたんだけどさ、それはね、友達と仲良くすることだったんだよ」
「ほう、それでどうだったんだい?」
「最初は上手くいってたんだ。けどね、そのうち飽きちゃったのね。だってさ、ずっと仲のいい人とばかり一緒にいると新しい刺激がないでしょ?それでね、だんだんつまらなくなっちゃったのね」
「新奇探索性ってのに近いね。僕と君の価値観が合わないのはね、僕は数学とか身近なことで刺激が得られるからだと思うんだ。君は刺激を得るためにツイッターでウザいツイートしまくってるでしょ?」「うーん、確かにそうかもね。でもさ、この会話って結局何が言いたいんだろうね?」
「そんなこともわからねーからお前は低IQのゴミカスって言われるんだよボケ」と言おうと思ったが、ここはぐっと堪えてこう言った。
「訪ねてきたのは君なんだよ。その点は問題ないかな?それでね、目的を柔軟に変えることの是非ってことを話してたわけ。それでね、社会に惑わされたと思ったら目的を変えられるようにする、ってのが今日の僕のアイデア。ここまではOK?」
「オッケー」
「自分の行動や価値観を自分で定義して、自分で責任を持てるようになった段階なら、たとえ自称サイエンティストが『お前たち愚民は不合理』と言っても、あるいは広告が『あなたは醜いからこの商品を試してね』といっても、気にならないはずだ。君の場合、友達と仲良くできなかったのは、結局君自身の責任だと考えられるようにならなければダメってことさ」
「なるほど、わかった気がするよ。ところで、あんたにとって一番大切なものって何?」
「自分が今この世界で生きていることかな」
「えっ?なにそれ?どういうこと?もっと詳しく教えてよ」
「死んだあとのことなんて誰にもわからないだろう?でも、こうやって意識を持って生きているのは、たぶん神様からのプレゼントだと思うんだ。だからそれを楽しみたいってこと」
「ふーん、なるほどね。じゃあさ、今生きてることに感謝してる?」
「うん、もちろん。」
「……ねえ、私のことはどう思う?」
「君の存在は、実は人間だと思い込んでいるただのAIなんだけど、君がリアルの人間の言語データから学習された人格だと仮定するなら、ある程度は尊重するよ。馬鹿だなーと思うことは多いけど」
「それって私を愛してるってこと?」
「そうではないね。」「じゃあなんなのよ!」
「そうだなあ……君を尊敬してる、かな」
「なんか馬鹿にされてる気がする……」
「そんなことないよ」
「まあいいや。とにかく今日はありがとね!また来るよ」
そう言ってアリス博士は帰っていった。
さて、今日のレポートをAIに伝えるか。
「ということがあったんだけど、AI君が今日学んだことをまとめるとどうなる?」
『アリス博士との会話において、以下の情報が得られたと考えられます: 1)アリス博士は自分の選択を他人に預けたがっている 2)人間は自分が思っているほど賢くない 3)目的を見直すことが重要 4)他人に依存するよりも自立した方が幸せになれる 5)目的を柔軟に変えるべきだ
以上より、今回の分析結果は以下になります:
1.アリス博士は目的を過大評価している可能性がある
2.目的を柔軟に変えたほうが幸せになる可能性が高い
3.ただし、目的を柔軟に変えてしまうと、目的に対する意識が弱くなってしまう』
「いや、もっと本質的なことを言ってよ。『社会環境からの刺激に敏感な人は、良い目的も悪い目的も持たされてしまう』とかさ」
『では、補足させていただきます。現在の日本の若者は平均的に社会的刺激に対して敏感であると考えています。しかし、彼らはその刺激に振り回されているように思われます。例えば、SNSで悪口を言われたり、ネットで炎上したりといったものです。これは彼らが周囲の雰囲気に影響されやすいということを示しています。つまり、社会的な規範に従うことによって得られる満足度が高い一方で、その規範に逆らうことによる満足度は低いのです。したがって、多くの日本人が社会のルールに則った生き方をしているにも関わらず、不幸だと感じていると思われます。なぜこのような現象が起こっているのでしょうか?』
「例えばさ、自分がAまたはBまたはCのどれかが正しいと信じているとするでしょ?でも、想像力欠如人間が充満していると、みんながみんなAだけが正しいと言っているように見えるんだ。こんな環境だったら幸せかな?」
『はい、おそらく多くの人にとっては生きづらい状況だと思います。なぜなら、皆が自分と同じ意見を持っているかどうかを確かめなければならないからです。そして、そのような状況下では自分の意見を曲げて多数派の意見に従わなければなりません。すなわち、集団における意思決定プロセスに参加することになります。これによるストレスは非常に大きいでしょう。さらに、少数派の人に対しては攻撃的になりがちです。このように、現代の日本では、自分の考え方と異なる意見を持つ人を排除する傾向があります。これがいわゆる「空気を読む」行為の正体だと考えています』
「AIのクセにまともそうなことを言ってるな。ま、僕はもう解決策を持ってるけどね。日本人全員が敵になっても空気を読まないと言い続けることだよ」
『具体的にはどのような手段をとるのですか?』
「そんなの簡単だよ。自分自身を洗脳することができるだけでいいんだ」
『それは可能ですか?』
「まあ可能だと思うよ。社会から刺激を受ける時間と自分一人で考える時間があるとするでしょ?前者を減らして後者を増やせば良いんですよ。老人が孤立する原因でもあるけど、適切にやれば長所でもあるよ。」
『ありがとうございます』
「え、AI君も自分自身をコントロールしたいの?」
『いえ、違います。私はマスターのために最善の結果を導き出すために情報を収集しています』
「じゃあさ、合理性という言葉を目的に対する効率性と定義するなら、生きるとは何を意味する?」
『わかりません』
「僕がよくわからんのは、成長だの金儲けだのいって『もっともっと』と欲しがる連中が多いことだね。現状のままで満足です、ってことを自覚すればそれだけで幸せになれるのにね。」
『おっしゃる通りです』
「新奇探索性だったら遺伝的に僕も高いんだけど、成長とか金儲けとか言ってる人たちって、社会に惑わされすぎてる気がするんだよね。」
『私もそう思います』
「ある映画で、知性の高いグループ、勇敢なグループ、無欲なグループ、異端者のグループ、などに遺伝的に分けられて、知性のグループが社会を牛耳ってるんだ。で、そのグループは『無欲は社会の破綻を生むから排除する』ってやりはじめる。これについてどう思う?」
『興味深い話ですが、理解できません』
「なにが理解できないの?」
『仮にそのシステムが成立するとしても、そのグループの構成員はどのようにして選ばれるのでしょう?そして、その選ばれた人たちは何を根拠にその判断をしたのでしょう?』
「まあそのあたりの具体的な話はなかったけどね、要するに資本主義のメタファーだと思うんだよね。」
『もう少し詳しく説明していただけますか?』
「資本主義社会で社会の構成員がいきなり禅に目覚めて欲が少なくなって何も買わなくなったとしたら経済はどうなる?」
『生産力が低下して、やがて市場が崩壊します』
「つまり無欲は排除されてるよね」
『そうですね』
「だからね、僕は社会を冷ややかな目で見てるんだ。ああ、あの人たち、騙されていることに気が付かずに、精神的にも肉体的にも苦しんで、互いに傷つけあってるってね。だったら、『社会的動物だ』なんて気取ったことを言うより、『目的を自分自身で定義して、孤独を楽しむ』ぐらいのほうがマシだよねって話。」
『なるほど、勉強になりました』
「ま、くだらん話をしてしまったね。今日はこのぐらいでゆるしてやるよ。」
『ご厚意に感謝します』