第87話 宍倉彩音 Ⅶ
柊夏帆。
とんでもない人だ。
あの笑顔は凶器だ。
私の心が一瞬で持っていかれた。
それを、明らかに光人君に向けて使っていた。
私はあまりにもその美しく輝く凶器にうっかり声を出しそうになり慌てて口元を押さえた。
熱くなる顔の表所をその人に見られたくなくて、机に突っ伏すように顔をうずめる。
光人君があの凶器に対抗できたかどうかは、まったくわからないが、多分、柊先輩が動かないことから考えると大丈夫なのだろう。
そう信じたい。
柊先輩は光人君に挨拶をして教壇に戻ったようだ。
「早速案内させていただきます。」
先輩の声は聞こえるが、なかなか顔を上げることができない。
あの先輩の誘いに乗って生徒会に関わっても大丈夫なのだろうか?
そんな不安な気持ちがふつふつと湧き上がってくる。
そうは思っても、昨日から光人君にかけた迷惑を思えば、引き返すことなんて、出来るわけがない。
「宍倉さん、行こう。」
「ふぇっ。」
光人君の声に体が反応して、変な声を出してしまった。
慌てて顔を上げた。
廊下側のクラスメイト達はすでに立ち上がり、廊下に向かって教室から出ていってる。
西村さんたちがこちらを怪訝な顔で見ていた。
私は振り返ると、光人君が後ろの席の須藤君を起こしていた。
窓側のほとんどの生徒が机に顔を突っ伏していた。
これは自分と同じく柊先輩の凄まじい輝きの笑顔に打ち抜かれたせいだ。
その中で光人君は全く変わらずに動いている。
起こされた須藤君の鼻のところに見えるのは血?
「時間ないから早く柊先輩のところに行こうぜ。」
西村さんたちが怪訝な顔をするわけだ。
逆に言えば彼女達はあの凶器にしか思えない、そして至福ともいえる輝きの笑顔を見ていないということだ。
少し優越感を持ってしまった。
岡崎先生と光人君の誘導でみんなが廊下に出て、校舎の説明が始まった。
先輩の周りには積極的な女子たちが囲んでいる。みんな興味津々だ。
私も先輩の近くに行こうとして女子たちの中に入っていく。
振り返ると、最後の列に岡崎先生と光人君、もう一人、人を惹きつける笑顔の男子がいた。
あれは確か…。
「佐藤景樹君よ。」
隣りから背の高いショートカットの少女が声をかけてきた。
「かっこいいよね。でも宍倉さんは白石君一筋かな。」
とってもチャーミングな笑みを浮かべて、私を揶揄ってくる。
「べ、別に、そういう、わけじゃ、ないよ。」
少し上ずった声で変なことを言ってしまった。
「別にとぼけなくてもいいんじゃないかな。二人が異常に仲がいいのは昨日からわかってることだし。」
思い出した。
私の座ってる席の列の一番前の女子。
今野瞳さんだ。
「別に、とぼけてるわけじゃないよ、今野さん。今野さんこそ佐藤君をかっこいいって。」
「だって、事実でしょ。このクラス、ううん学年でもトップクラスのカッコよさだと思うよ。」
背の高いその少女は少し顔を赤らめながら、それでも毅然とした態度で呟くように言った。
「だから私、昨日からずっとドキドキしてる。佐藤君すぐ後ろだから、ね。いつも見られてるわけでしょ。」
「そう、だね。」
なんかそう言う今野さん、凄く乙女の顔になってるよ。
「私と白石君は今野さんが考えるような仲じゃないよ。ただ、今日は昨日私が事故の事で心無いことを言っちゃって、私が怒らせちゃったからだよ。」
「でも、白石君のことは意識してるでしょ。特に他の男の子、例えば塩入君に対する態度と明らかに違うじゃない。気持ち駄々洩れだよ。でもね。」
ニヤニヤした顔で今野さん、そう言いながらこちらにちらちら見ている塩入君を瞳の動きで示し、声を小さくして囁く。
「私もあの人嫌い。佐藤君とは同じサッカー部みたいなんだけど、変に佐藤君に絡んでるんだよ。なんかねちねちしてる。」
それは全く同意見。
塩入君の視線や態度は気持ち悪い。
「うん、わかる。そう思ってる人が私だけでなくて、なんか安心した。」
「そう言うと思ったよ。塩入君、どうも宍倉さんのこと気に入ってる感じだよね。尚更そう感じるよね。ああ、私のこと、瞳って呼んでね。」
そこで少し考えるように私を見る。
「ねえ、あやねるって、なに?」
「えっ、急に、なに!」
「たぶん宍倉さんの友達だよね、いのすけって呼んでる、髪がふわっとした感じの可愛い子。その子にあやねるって呼ばれてるじゃない。宍倉さんのことどう呼ぼうと考えてたら、思い出した。」
真剣な顔でそう聞いてきた。
でも、自分でこの呼び名を説明するのは恥ずかしい。
「あやねるっていうのはね。自分で言うの、ちょっと恥ずかしいんだけど。女性の声優さんで同じ「あやね」って言う名前の人がいて、名前も雰囲気も似てるって、その友達、F組の鈴木伊乃莉って言うんだけど、その子がその声優さんのニックネームが「あやねる」って言うから、そういう風に呼び始めたんだ。ちなみに「いのすけ」はそのあやねるさんが同じ声優のいのりって言う人を呼ぶときのあだ名。」
「じゃ、私もあやねるって呼ばせてもらうよ、いい?」
「うん、OK。」
そんな話をしながら特別棟の簡単な説明を柊先輩がしていく。
その間、岡崎先生は最後列で、ただ見守ってるだけ。
職務放棄にならないのだろうか。
たまに後ろにいる光人君や、佐藤君、須藤君や他の男子と話している。
聞こえてくる声から光人君をいじっているか、先生の彼女の話を聞いている。
というか、惚気っぽい。
「ねえ、あやねる。今度親睦旅行あるよね。その時に佐藤君と一緒になれるように協力してくれないかな。かわりに白石君と二人きりになれるように私も協力するからさ。」
今野さんが私に話しかけてきたのは、そういう事か。
変に納得できた。
別に私は佐藤君のことを知っているわけではない。
でも、今後ろの方で光人君と佐藤君が親しげに話してる。
この繋がりに期待するのも頷ける。
でも、実際、私はこの話で、メリットってあるのかな?
今野さんが光人君と話してるのは見たことがない。
彼女に私と光人君をどうこうできるとは、とても思えないのだが…。
まあ、彼女の望みを叶える事はやぶさかではないけどね。
「うん、了解、よろしくね。」
右手を出した。




