第86話 宍倉真理 Ⅰ
夜中から微妙な気配があったことは覚えている。
ただ、ろくに寝られないくらい後悔してるとは、話を聞くまで想像すらできなかった。
朝、彩音が起きて部屋を出てきたので、様子を見に行ったら、ひどい泣き顔になっていた。
下手したら一晩中泣いていたのではないかと思えるほどだった。
確かに、聞けば彩音がその男の子に軽率な、特に亡くなったお父さんのことを利用するような態度は、正直褒められた態度ではない。
とはいえ、彩音の行動は常軌を逸してる。
基本的には、相手が怒ってるとは言え、そこまで焦燥するようなものではないような気がする。
返信を返さないのは、時間的に言っても寝てしまったからというのが一番しっくりくる。
それでも彩音はその男の子との繋がりが切れることを極端に恐れている感じだ。
以前に同じことが起こったかのように…。
とりあえず、彩音の泣き明かした顔を少しでもまともにした後、早々に朝食を食べさせ、送り出した。
まだうちの旦那、彩音の父親である敏史さんが起きて彩音と会う前に送り出す必要があったからだ。
敏史さんのことだ。
あんな彩音を見たら何をしでかすか分かったもんじゃない。
とりあえずは、伊乃莉ちゃんが面倒を見てくれるだろう。
で、実際にあの男の子、光人君って言ってたかしら、に会えばすぐにさっきの悩みなんて雲散霧消することだろう。
その子があの人の息子さんだとすれば…。
彩音は小さい頃から大事なものを失うと、その辛さから逃げる傾向があった。
今にして思えば、という話だ。
普段は私たちを気遣うとても良い子だけど、私たち大人のせいで、結構振り回されているところがあった。
その結果、引きこもりという訳ではないが、大切な人を作ろうとはしなくなってしまったような気がしていたのだ。
彩音が極端に「しらいし」にこだわるのもその代償行為によるもの。
彩音にとっての「しらいし」さんが、突然目の前から消えた後、その「しらいし」さんを忘れたかのように振舞いながら、「生協の白石さん」なんて、昔の単行本を食い入るように読んだり、某アイドルグループの人の雑誌の特集をあさったり。
中学1年の時の彩音を思い出すと背筋が寒くなるのを覚える。
それを、かなり強引に変えてくれたのがスーパー大安のお嬢さん、鈴木伊乃莉ちゃんだった。
彼女の強引な距離の詰め方は、結果的には彩音にとっていい方に転がった。
痴漢事件に関しては全く別の問題だったが、それも伊乃莉ちゃんを中心とした友人の力でかなり改善している。
もっとも、彩音は転校前に伊乃莉ちゃんと仲良かったことも記憶を封印しているようだけど…。
たぶん、これからのいろいろな出会いはきっと彩音の人生を豊かにしてくれるはず。
白石光人君、白石影人さんは彩音にとって忘れていた記憶をきっと呼び起こし、より魅力的な女性に変わっていくと、今は信じたい気分だ。
「でもきっと、お父さんは嫌がるよね。」
父親なんて、手塩にかけて可愛がった娘を見送ることしかできないと、古今東西決まっているのだから。
私は夫である敏史さんのために、もう一度朝食の用意をして、起こしに行こうと準備に取り掛かった。