第80話 柊夏帆 Ⅸ
ノックの音がする。
「お姉さん、ちょっといい?」
妹の秋葉の声に私はPCをシャットダウンして、椅子から立ち上がり、扉を開いた。
扉の外には私と同じダークブラウンの髪を肩口で切り揃え、私とは違う本当のダークブランの瞳で私を見ていた。
顔立ちは流石に姉妹なのでよく似ているが、秋葉の方が柔らかい印象を与える。
二人並んだ時には美人姉妹の一言で片づけられることが多いが、個別の時の誉め言葉は明らかに印象の違いを物語っていた。
その最大の違いは目元に現れている。
私の目元は父に似ており、少しだけ吊り上がった印象があるのに対して、秋葉は母の血がより強く出ており目元が少し垂れている。
これは印象を柔らかくして、さらに愛嬌のある、数多くの人に愛される顔立ちになっている。
秋葉は風呂上がりのようで、少し上気した肌に愛用の水色のパジャマを着ていた。
「少しお話してもいい?」
本当になんて可愛いのかしら。
いつもこうなら、ずーっと抱きしめて、学校まで連れて行っちゃうのに。
最近の秋葉は少し生意気になってきていて、私が構おうとするとすぐに手を振り払って怒ってくる。
もしかしたら良くない友達がいるのかしら。
それとも悪い男に…。
「お姉ちゃん、今変なこと考えているよね?顔が少し邪悪な面が出てるよ。」
私が少しでも心配そうな顔をすると、この愛すべき妹は「邪悪な顔」などと言うようになった。
やっぱり変な言葉を教える奴の存在が…。
「私のことを心配してくれるのは嬉しいけど、そのたんびに白雪姫に出てくる悪い魔女のような顔になってるっていつも言ってるよね。一応、「ニッチ高のグレースケリー」という古めかしい名誉の称号を与えられてんだから、考えようね。JAでもベスト10に入る好感度のいい読モなんだから。」
「うん、わかった、気を付ける。」
私は妹の言葉に頷く。
秋葉はチョコチョコッと歩いてきて私のベッドに飛び跳ねるようにして、座った。
「で、どうしたの?入学式で何かあった。」
「入学式は男子生徒が倒れる以上のことはなかったでしょう。」
「いや、まあ、そうなんだけどさ。こんな時間に話に来るなんて、何か悩みでもあるのかと思うじゃない?」
「特進クラスは、まあ、頭のいい子が普通だと思うんだけど、外部の子たちが微妙でね。悪い子って訳じゃないけど、私たち内部進学組をなんか下に見てる感じがあったりして、空気が悪いんだよ。お姉ちゃんの時もそうだった?」
あー、そういう事ね。
別に上下って問題じゃなくて、今まで中学の時に比べると、内部進学組は悪い言い方をすれば、温室育ちで、外でいろいろな環境の子たちとのギャップの問題かな。
まあ、親睦旅行辺りから打ち解けては来ると思うけど。
そこは生徒会でもフォローした方がいいかもしれないかな。
「私の時もそんな感じはあったかな。だんだんお互いに慣れてくるから、あんまり気にしないほうがいいと思うよ。」
「たぶんそうなんだろうね。でもさ、うちのクラスに笹木さんいるんだよね。」
そこで秋葉は大きくため息をついた。
笹木梨奈、新入生代表を務めた首席の少女。
頭は抜群にいいんだが、なかなか自己主張が強いので、よく中学時代はトラブルを起こしていた。
といっても、大抵彼女が正論を吐いて、相手が屈服するパターンだったが。
「外部生と正面からぶつかるんじゃないかと思うと、ちょっと憂鬱。」
「確かにね。秋葉は巻き込まれないようにしとくのがいいんじゃない?何人か友達もいるんでしょ?」
「かろうじて、みゆきと勇が同じクラスだけどね。王子とあみと光葉がB組。」
秋月みゆきと羽生田勇、王子谷啓介、向田愛海、逆井光葉、そしてうちの妹、柊秋葉はその順位は入れ替わることはあってもこの代では30位から落ちたことのないメンバーだ。
この6人は比較的仲が良く、家でもよく秋葉の口から名前を聞く。
ただ、笹木梨奈は別格で入学以来1度も首席から落ちた事がない。
だが、愛想もないため、結構、敵を作りやすいと聞いている。
「友達がいるんだから、なんかあったら頼りなさいよ。」
「でもね、私、それでなくても柊夏帆の妹ってことで男子からも女子からも目を付けられやすいんだから。お姉ちゃんも学校で変に悪目立ちしないようにしてよね。」
「はい、はい、わかってるわよ。」
やばい!
明日、下手するとそれこそ悪目立ちすることになるかもしれない。
ううん、大丈夫。
ただ、白石君との関係をよくしたいだけだから。
(あんなことにならなければ、事故は起こらなかった。)
唐突に浮かんでくる負の感情。
心の奥に押し込み鍵をかけてるつもりでも、ふとした時に湧き上がるつらい記憶。
「ん、お姉ちゃんどうかした?」
急に沈み込むように胸を押さえた姉に、秋葉は不安な顔を見せる。
「え、ああ、大丈夫。ちょっと今日は疲れたかなって。ちょっといろいろあってね。それこそ倒れた新入生のこともあったし。」
「ああ、ごめんねお姉ちゃん。ちょっと話聞いて欲しかっただけだから。本当は相談することもあったんだけど、まだいいかな。今度暇が出来たら、一緒に外にでも行って、おいしいものでも食べに行こうよ。」
「ええ、そうね。約束するわ。」
秋葉はそう言って少し心配そうな顔を残して、自分の部屋に戻っていった。




