第8話 岡崎慎哉 Ⅰ
各人物の視点での入学式になります。
岡崎慎哉が自分の職場である日照大学付属千歳高校にはいつも通り7時半についた。健康のため北習橋駅までは向かわず、そのひとつ前の習橋駅で下車。そのまま20分ほど掛けて歩いて高校まで通っている。
職員用出入り口から入り、センサーに自分のIDカードを触れる。
自動的に出退勤が記録され、扉が開いた。
通常8時にはこのセンサー式開閉システムは解除されるが、午後7時から翌日8時まではこの防犯装置が作動し、部外者の侵入を阻むようになっている。
信哉はそのまま靴を室内履きに履き替え、職員室には向かわず、特別棟2階に設けられた英語準備室に向かう。
今日は通常の授業と異なり、10時から入学式が予定されており、新入生は9時半までに自分のクラスに登校することになっている。
この入学式の準備はほぼ昨日までに終わっており、8時半からの職員会議で最終打ち合わせとなっている。自分たち新入生の担任を受け持つ教員は8時から会議室で細かい打ち合わせを行う予定である。
準備室に入り、自分の席に背負ってきたリュックをひっかけて椅子に腰を下ろした。
引き出しの鍵を開けその中から、今年担当するG組の個人表を眺めた。
男子29人、女子18人、合計47人。
外部受験組のため内部進学者より個性的な気がすると信哉は思った。
この高校に就職してもう7年になる。
自分は国立大学を卒業しているため、この日照大学系列では外様気分だ。
この高校の母体となる日照大学での不祥事により、結構外部の大学出身者が増えたが、まだ日照大学関係者が幅を利かせている。
尤も、信哉自身、就職活動で外国語関連の商社や、広告代理店を軒並み失敗した結果、父親のコネで日照大学関係者の口利きで教師をやっている身なので偉そうなことは言えない。
父親が教授という教育関係の総本山みたいな職業を過剰に意識し、教師という就職先を選ばなかったのだが、人に教えることは嫌いではなかった。結構向いているような気もしている。
とはいえ、今年の生徒たちの顔触れは思わず顔をしかめてしまう。
問題児ばかりというわけではないが、ある意味特殊な環境や事情を抱えている子が少なからずいる。
この高校は学力的にはそこそこ高い。そういう面から言えば、比較的にいい子たちだ。
また、私学に通えるということは経済的に余裕のある保護者達の庇護下にいる。
世間一般では幸福な子供たちなわけだが…。
信哉はそのファイルの束から出席番号18番の生徒のファイルを取り出し、すでに頭に入っている情報を確認する。
白石光人。
2か月ほど前に父親を交通事故で亡くした生徒である。母親は看護師として働いているが、父親の死亡保険金とトラック運送会社からの賠償金などで、中学に通学している妹とともに高校に通うための経済的な問題はクリアしている。さらに、交通死亡遺児基金などへの申し込みもされているようだ。
だが、学校側からこの生徒が注目されている理由は、その事故の理由による。
不祥事続きの日照大学を母体とするこの高校は、イメージアップに懸命である。
父を亡くしたばかりの生徒を引きずり出すようなことはしないだろうが、今後、高校のPRに担ぎ出そうとしていることは明らかだった。
また、その生徒、白石光人が高校側の期待に応えられない、またはイメージを損なうようなときは外様の担任に責任を押し行ける気満々だ。
そんな高校経営者側の思惑はわかっていたが、このクラスの担任を引き受けたのは、拒否権が事実上ないという消極的な理由だけではない。
白石光人の父親で死亡した白石影人に興味があったためだ。
正確には、たぶん20年くらい前にあったことのある人物だと思われる。
これは1度白石光人に尋ねようと思っている。
1年担任の打ち合わせ、職員会議は、予定通り終わった。
もともと情報の共有、すり合わせは済んでいるので、不測の事態に陥らなければ、予定通り終わって当たり前なのだが。
さて、これからだ。地元の公立高校と違い、うちのような高校は広範囲に生徒が散らばっている。
この房総県、習橋、舟野市近辺の学生が多いといえ、東京都や、他県から通学する生徒もいる。
自分の住んでいるところに変なプライドを持っている者も多い。
顔を合わせて、何が起こるか、正直わからない。
中学からの申し送り事項の記載のある調査書を通読しただけでも、いじめたものと、いじめられたもの、親の地位を自分の実力だと勘違いしてるもの。特異な才能を持つものや、虚言癖のあるものなど、多種多様である。調査書に書かれていないことまで勘案すれば、思考を停止せざるを得ない。
出たとこ勝負か。
既に校長の挨拶に、日照大の不祥事について触れないことは既定路線だ。さらにそれは来賓にも徹底されている。
生徒会の主催する新入高校生に対する挨拶については手を入れていないが、たとえ入れてもあの生徒会長は平気で無視するに違いない。
保護者がいなければ無視を決め込むということだろう。大人らしいやり口だ。
自分の席を立ち、自分の副担任を務める石井佐智子のもとへ立ち寄った。
「石井先生、よろしくお願いします。」
「よろしくね、岡崎先生」
石井佐智子教諭は今年から3年間の育休休暇を終え、復帰した40歳の先輩にあたる。
夫となる石井純一郎は4歳年下で、日照大の国文科で准教授を務めている。
本来であればベテランで当然担任を受け持つはずだが、育休明けということで若手の補佐に回っている。
「まあ、G組はなかなか面白い子たちそうだから、楽しみなんじゃない?」
「そんなことないですよ。調査書見たときから胃が痛いんですから」
「そうかしら。岡崎君のその顔は生徒たちをどういじくるか考えてる顔に見えるけど。今の彼女、教え子だって噂、本当でしょ」
そんなことまで噂で出回っているのか。信哉は心の中でため息をついた。
間違っていない。
それどころか、妻になればすべてばれる。
既に彼女、向井純菜から結婚をほのめかす態度を取られている。
「ご想像にお任せします。」
「いい報告が聞けることを期待してるわね。」
苦笑せざるを得ないとはこのことだ。
顔面の引きつりをごまかすように口角を上げた。
向井純菜は確かに自分の受け持った担任の生徒だ。
7年前の高校2年生から2年間受け持ったことになるが、決して高校生に手を出したわけではない。
卒業式に好意を持っていたと告白されたが、正式な交際は彼女が大学を卒業してからである。
「では、とりあえず顔出しに行ってきます」
「頑張ってね」
軽く頭を下げて、職員室から1-Gに向かった。
気のせいか、胃が痛む気がする。