第50話 俺の部屋で妹と Ⅱ
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親父は変わった。
栄科製薬の研究職を辞めてまで、家族との時間を大切にしようとしたんだから。
「でもな、そういう風になったのは、多分、製薬会社を辞めてからだ。」
「そうだったっけ、あんま、覚えてない…」
「やめる直前はかなり疲れたみたいで、お袋がよく親父を心配していたよ。夜中に親父がうなされていたのも聞いたことがある。」
黙って聞いている。覚えていないのも無理はない。9年前、静海が4歳だ。
その頃親父が製薬会社の研究部でどんな仕事をしたいたかは、知る筈もない。
たぶん、お袋もわからないだろう。
でも、かなり激務だったのは、幼い俺の記憶に親父の苦悶の表情がしっかりと焼き付いている。
おそらく静海は見たことのない表情だ。
今の薬剤師としての仕事が簡単だとは思えない。
転職してすぐのころは3階の親父の書斎で、懸命に勉強しているから行かないようにお袋から言われていた。
それでも、その表情は製薬会社で働いていた時より格段に優しくなり、俺や静海と一緒にいることも増えた。
静海の卒園式や、小学校の入学式には両親で行くぐらいだから。
ちなみに、俺の保育園入園式、卒園式、小学校入学式の写真に親父の姿はなかった。
「親父は製薬会社にいたときとは違って、薬剤師として調剤薬局で働いてるときは口では「疲れたー、接客はやだー。」と言ってたけど、表情の険しさは取れていったんだよ。」
「まあ、確かに私には優しいパパとしか感じなかったな。最近のパパは只うざいだけの、親父だったけど、さ。」
「俺はいじめにあった後、極力親父を見てきたつもりだ。どういうときにどう行動するか、どういった時にどういう言葉を口にするか。」
静海はハッとした感じで顔をあげ俺を見た。
俺が静海の一番最初に知りたかったことに、俺が答えようとしていることに気付いたようだ。
その答えと共に。
「確かに静海の頭をなでたのは俺だよ、静海。親父だったらこうしただろうと思ってね。」
真実を話しても到底理解できないだろう。
だからと言って、親父の魂が乗り移ったと言うのも(ほぼそれが事実だとしても)、違う気がする。
実際、俺の手が静海の頭を撫でたの事実だ。誰がそうさせたかは置いといて。
「やっぱりお兄ちゃんだったんだ。」
ほっとした気持ちと、がっかりした感情。半々といったところか。
「親父は死んでしまった。確かに浅見蓮君を助けるためではあり、それは称賛に値する行為だと思う。助けられた蓮君、その従兄弟の柊先輩は憎しみの対象じゃない。そう思うことは親父のやったことに対する侮辱に他ならない。」
静海の瞳を見つめる。
「そう思わないか、静海。」
少し考えるように目をつむり、ゆっくりと瞼を開いた。
顔をあげた静海の瞳は先ほどまでと違い、しっかりとした強い輝きを放っているように俺は感じた。
「確かに、そうだね、お兄ちゃん。頭を撫でてくれたのがパパみたいで、本当は帰ってきたんじゃないかと少し期待したけど。でも、うん、そうだね。パパは立派な行動をとって亡くなった。それを貶めるようなことを私たちがしちゃいけないよね。」
そう言いながら一生懸命自分を納得させるように何度も首を縦に振る。
シャンプーの香りだろうか、かすかに甘いにおいが鼻腔をかすめた。
「ありがとう、お兄ちゃん。で、ね、あの、さ…」
「ん、なんだ。」
「またね、私が変な事したりしたら、ね、頭、撫でてもらって、いい?さっきみたいに、パパみたいに。」
少し顔を赤くしながら、この可愛い少女が上目遣いで俺を見つめてきた。
やばい、可愛いが、過ぎるだろう!
「お、おう。その時は、言ってくれ。…頑張って、親父みたいにやってみる。」
「うん。」
パアッと顔の表情が明るくなった。そのままベッドから跳ぶように立ち上がり、ドアに向かい部屋を出ようとして、足を止めた。
少し考えるような顔をする。
「お兄ちゃん、一つお願い、いい?」
「ん、なんだ。」
「パパみたいに、ちょっと、撫でてくれる、頭?」
静海はそう言うと、答えも聞かずに俺に軽く頭を突き出してきた。
ほぼ乾いた頭頂部に、くっきりと髪の分け目から地肌が見える。
「……ああ、いいよ。」
少しの間を開け、俺はそう答えて、椅子から立ち上がって静海のサラサラヘアーに包まれている頭に右手を伸ばした。
(いや、待てよ、親父はどういう風に静海の頭を撫でていた?)
湧いた疑問に一瞬、伸ばしかけた手が止まる。
なかなか撫でようとしない俺に気付いたのか、上目遣いで俺を見る静海。
(まずい、思い出せん。ええい、ままよ)
俺は止めた手を静海の頭にそーっと触れ、ゆっくり後頭部になでつけるように動かした。
うわあああ~、女子の髪を触っちまったああああ~~~~!
俺の心の中で暴れる感情が、雄たけびを放った。
自分の妹の髪を触っただけで、俺の心がおかしくなっちまってる。
やばい、何としてもこの感情を静海に悟られるわけにはいかない。
俺の理性という脆いブレーキを懸命に働かせる。
右手で数回静海の頭を撫でた。
緊張してるのを隠しつつ、ゆっくり頭から手を離す。
頭を撫でているとこの静海の表情は解らない。
変な考えを抱かないことを切に祈った。
「ありがとう、お兄ちゃん、…おやすみ。」
「ああ、おやすみ。」
静海は満足そうに微笑んで、ドアを閉めて自室に帰っていった。
俺は大きく息を吐きだした。かなりの緊張があったようだ。
それ以上に、妹の静海がえらく可愛く思えてしまう。こんなことはなかった。
考えてみれば陰の者としての生活を長く過ごしていて、太陽のようにまぶしい美少女の妹を直視していなかった気がする。さらにほとんど会話せず、最低限の会話も「キモッ」という鋭い刃のような言葉でさんざん貫かれ続けていた。
親父が死んでからはかなり態度が軟化して、頼られている感じは自覚していた。
ただ先ほどのような絶対の信頼感はなかった。
これは明らかに親父の影響だ。
子供を見る父親の感覚のような気がしてきた。
もし、あの妹に恋人ができたとき、俺は平静でいられるだろうか?
つい先ほどまで静海が腰かけていたベッドの潜り込み、奇妙な思考に絡み憑かれたまま、瞳を閉じた。
何とか50話まで来ました。
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