第49話 俺の部屋で妹と Ⅰ
疲れた~。
今日、この言葉をつぶやくのはいったい何度目だろうか。
(静海もそうだが、舞子さんもまだ落ち着いていないようだな。)
(当たり前だろう、親父。俺だってこんな状況でなきゃ、柊先輩に対して落ち着いてはいられないさ。親父が彼女や、浅見蓮君に対して一切憎しみがないってわかってなきゃさ。)
(まあ、そうなんだろうがな。)
(とはいえ、なんで柊先輩はあの現場にいたことを隠してんだろう?)
(…それは、何とも言えんな。変に巻き込まれるのを嫌がったとも思えるが。ただ従弟の子を置いて逃げることができるかどうか、ってとこだな。)
結局、柊先輩については今は何もわからない。そして柊先輩は「俺たちが彼女が事故現場にいたことを知っている」ということは知らない。
彼女に対して、俺は今後どう対応すればいいのか。
(今は気にしなくていいと思う。まずは高校生活に慣れて、しっかりと楽しめ。それが一番だ。)
(そうさせてもらうよ。ホント、今日だけでこんな慌ただしいのは十分だ。)
(そう、しっかりあやねるとイチャイチャすること考えてれば、十分。あ、でも西村さんにも優しくな‼)
(何を言ってんだ、おめえ。軽々しく「あやねる」とか言ったり、そこの村さん絡ませてきたり。)
(えっ、西村さんだって、お前にとって大事な人だろうが!忘れちゃだめだよ。)
(なぜそこで村さんを強調する!?)
(まあ、悩むことは青春の特権ってやつだ。悩んで悩んで悩み抜け!とはいえ、今日はしっかり休もう。それがいい。)
(ちっ、わかってるさ。)
俺は湯船から立ち上がり、タオルで体の水分をふき取り、脱衣室に出た。用意されている下着をつけ、スエットを履く。
(光人、私は一足先に眠る。本当にゆっくり休めよ、身体も、脳も)
(親父も寝ることがあるのか。)
(今の光人の身体と脳は、簡単に言えば、二つの人格がフル稼働させてるようなもんだ。どちらも同時に眠りに入らないと、脳がえらいことになるぞ。)
(そういうもんか、って言うか、倒れるまでこの体を酷使したのは親父じゃねえか!)
(だからさ、早めに寝させてもらうよ、おやすみ光人。)
それっきり、親父の思考は途切れた。
俺が脱衣所から上がり、ダイニングに向かい「出たよ。」と伝えると、静海が入れ違いに脱衣所に入った。
「お兄ちゃん、あとで話あるから、お風呂あがったら部屋行くね。疲れてると思うけど、寝ないで待っててよ。」
うわー、可愛いなあ、わが妹ながら。やっぱり、態度が変わるとこうも好感度が変わるんだ。
変なことを考えたが、親父の思考が乱入することはなかった。
本当に寝ちまったらしい。
少し、ほっとする。
24時間の監視体制ではないということか。
静海の話は、たぶん親父の件か。親父がいないのは好都合。先程のことは確認しておいたほうがいいな。
2階に上がる。自分の部屋に入り、机に放りだしていたスマホをチェックした。
LIGNEのメッセージが普段の自分では考えられないことに、4件も入っていた。うち2件は慎吾と西村さんである。まあ、この二人は十分考えられた。慎吾は入学式について、村さんは倒れた俺を心配してのことだろう。
だが、あとの二人は今日交換した二人、宍倉彩音さんと鈴木伊乃莉さんだった。まさかすぐにメッセージを送ってくるとは思えなかった。
俺は驚きながらも、嬉しさを堪えながら、アプリを開いた。
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しっかりと髪の毛を乾かし、少し上気した顔で静海が俺のベッドに座ってる。
上半身はモコモコの長袖、ショートパンツからピンク色に染まったスベスベの細い脚がまぶしい。
長い足の指にきれいに切り添えた爪が俺のベッドの上で輝いている。
最近少しは関係が改善したといっても、こうもまじまじと静海を見るのは何年ぶりだろうか。
陽キャの妹は極力俺を避けていた。
俺も、自分の視界に静海が入らないように生きていた。
目が合ってしまえば「キモッ」と心臓に刺さる言葉が跳ね返ってくる。
ついこの間の話だ。
親父が死んで、その後、この体を使った親父が俺たちが生きていくための最低限の地ならしをしてくれた。それは俺の手柄になっているらしい。
妹はその俺に対して、徐々に接し方を変えてきた。
そして今日、静海自身はそうと知らずに、親父に再会した。
この事を直接俺に聞きたい。
あの静海を説き伏せた時の状況を当然夢なんて思ってはいないはずだ。俺が発した親父の言葉。
この状況を静海が納得するような形で、俺に説明することができるだろうか。
静海の真剣なまなざしが俺を見つめている。
「で、話って、なんだ、静海。」
俺は椅子に座り、穏やかに聞こえるように話しかけた。
ただし、心の中は、風呂上がりで火照った静海の魅力的な佇まいと、これから聞かれる内容に対しての答えを考えることでごちゃごちゃになっていた。
「さっきの私の夢の話、覚えてる?」
「親父のこと?」
「お兄ちゃん、さっき、柊先輩で私がパニックになった時、私の頭、撫でてくれたよね。」
ついに来たか。
この質問に本当のことを伝えれば、あの行為をしたことを認めれば、俺の意識があったことを認めてしまうことになる。
親父の霊が乗り移ったことにしてしまうことが手っ取り早いが、本当に信じてはいない。
この質問はそういう内容を物語っている。
静海の瞳は真実を語らせようと、切実さを込めて俺に向けられている。
先ほどの家族団欒での静海の夢の話は、いまだ悲しみを乗り越え切れない母への労り、そして俺に向けての探りだったのだろう。
今の静海は、先ほど煩悩まみれの俺が見ていた美少女ではなく、俺を「お兄ちゃん」と呼んでいたあの頃の守るべき小さな妹の姿だった。
妹の質問に答えず、しばしの沈黙が続く。
ひとつため息をつき、俺は口を開いた。
「静海は、親父のことをどう思ってた?」
「……、どういうこと?」
俺がしばらく考え込んだあとで、そんなことを聞かれ、少し呆けたように言う。
真剣な瞳の圧が幾分か和らいだ。
「死んだ後ではなくてさ、生きているときの親父を、静海はどう感じていたのかと思ってさ。」
「どうって、どうだったけ。パパが死んでから、そのことが信じられなくて、でも、子供を助けて事故にあったって聞いたら、なんとなくパパらしいかなって思ったりしたけど。」
「そうだよな。困ってる人すべてに手を貸すほど、聖人君子ってことはなかったけど。もともと善良な小市民って感じはあったよな。いつだったかイベントに4人で行って、確か7、8年位前。電車で帰ってくる途中で、赤ん坊が泣いていてさ、それに対してどこぞのじじぃが、「うるせい、だまらせろ!」って喚いたとき。」
俺も静海もその声にビクッとして、そっちに目を向けた。
「親父が怖い顔でそっちの方に行こうとしたんだよな。それをお袋が必死に「やめて、関わらないで!」って親父の肩を止めてたの、覚えてる?」
「うん、怖かったから何となく覚えてる。でも、すぐ駅に止まってその赤ちゃん連れた女の人は降りちゃったんだよね。」
「そう、そう。お袋がすぐに「あなたになにかあったらどうすんの!子供たちもいるのよ!」って怒ってた。まあ、悪いのはその大声を出すジジィだと、子供心に思ったけどね。」
「最近は変に注意すると逆切れする人多いから、ママの言いたいこともわかるけど…。」
「あと、妙に子供に優しいんだよね、親父。お袋の話だと俺たちが生まれてから一段とその傾向が強くなったって話だけどさ。抱っこされてる子供がいると、その抱いてる人に見えないと所から変顔したりして、あやしてたりするよな。」
「そういえばママが言ってたけど、二人でかなり混んでいる電車に座っていた時、妊娠中のバッチを付けてることに気付いたパパが慌てて席譲ったことがあるって言ってたっけ。」
「そう、人が良いのは間違いないよな。でも、そんな親父を事故の前に静海はどう思ってた。?」
最初の問いかけに静海の意識を戻した。
静海が少しバツの悪そうな顔で、押し黙る。
何を考えているかはその沈黙が物語っていた。
俺もいじめ問題の時までは同じようなもんだ。
挨拶にうるさい。スマホの使い方や金銭関係に文句を言う。
ゲームばかりやるからと言って、壊された。
一々口うるさく自分たちの行動を制限してくる。
親とはそういうもんだ。たぶん…。
感謝はしてる。が、鬱陶しい。
「あんまり、よくは、思ってなかった、かな、ちょっと…。」
「俺も一緒だよ。いじめがあるまでは。」
静海がコクンと頷いた。
「でも、あの時から親父は俺にとって大きな存在になったよ。お袋や、静海、俺をしっかりと見てくれている。」
またコクンと頷く静海。
そう多分、親父自身も変わったはずだ。
親父が大学院まで博士号を取ってまでやりたかったはずの研究を捨てたのだから。