第48話 静海の変化
ダイニングからおいしそうなにおいが漂ってくる。
食卓には豚の生姜焼きとオニオンスープ、茶碗に盛られた温かそうな湯気が出ているご飯。食欲をくすぐられる。
お袋はお茶を入れているが、俺と静海は冷蔵庫から作り置きの麦茶を取り出し、コップに注ぎ、自分の場所にそれぞれ置いた。
すでに静海はピンクの可愛らしい部屋着に着替えていた。俺もTシャツとスエットに着替えた。少し気持ちに余裕ができる。
お袋は自分の湯飲みにお茶を入れ、自分の席に置き着席した。
「光人、身体は本当に大丈夫?」
「本当にお袋は心配症だな。宮野先生もただの過労と睡眠不足だろうって言ってたじゃないか。しっかり食べて、しっかり寝ろって言ってたの、横で聞いてただろう。」
「そうなんだけど。パパが亡くなってから、本当は私がしなきゃいけないこと、光人に任せっきりで…。ごめんね、光人、無理させちゃって。」
「もういいから、食べよう。」
俺はそう言うと箸をそろえて、両手で持ち上げた。
「「「いただきます。」」」
生姜焼きにかぶりつき、ご飯をかきこむ。しょうがの風味が鼻を抜け、ご飯の甘さを引き立てる。久方ぶりにご飯をおいしいと思った。まだいろいろとしなければならないことがあるとはいえ、一山を越えたような気がする。
「入学式で倒れたのはしょうがないとして、学校はやっていけそう、光人。」
やっぱり、お袋は中学時代のこともあるし、親父の亡き後のことを不安に思っているようだ。
お袋にしたって、職場に復帰したのが最近だから、これからの生活に対しての不安も正直あるのだろう。子供二人が私立に通う経済負担も小さくない。
「うん、まあ、何とか、大丈夫そう。西村さんも同じクラスだし、ちょっと友達もできたからさ。」
「そうなんだよ、お兄ちゃん、今日可愛い女の子二人も家に連れてきちゃうくらいなんだから。」
素で明るくしているのか、演技で明るく演じているのかはわからない。
それでも、親父の言葉に正面から受け入れようとしているように見える。
静海はまだ親父の死を乗り越え切ってはいなさそうでも、懸命に頑張っていることが、素直に俺には嬉しかった。
「静海、今、光人の子とお兄ちゃんって、言ったよね。」
お袋は静海の言葉使いの変化に機敏に反応した。
「あんなにブラコンみたいでいやだって言って、強引に呼び方を兄貴って変えたんじゃなかったの。」
「だって、お兄ちゃんが中学受験に失敗して、パパもママも私に凄い期待しているような気がして、それに、あの頃のお兄ちゃんはひがみ根性丸出しで、とても、お兄ちゃんと呼べる対象に見えなかったんだもん。」
「誠に申し訳ない。本当にあの時の俺はどうしようもないクズに成り下がっていました。」
「そんなにしょげないでよ。その時はそうだけど、パパが亡くなってからのお兄ちゃんはすごーく頑張ってた。今日の入学式のことも、あれだけ私達のために頑張って、無理をした結果だと思ったら、やっぱり胸を張って、「私の兄」って思えたもん。ブラコンって言われてもいいかなあ、って思ったし。頼りがいのあるお兄ちゃんって感じ。」
なぜか育ち始めた胸を誇張するように、背を反っている妹。
お袋はそんな妹を温かい目で見ている。
「それにね、連れてきた女の子も綺麗なんだけど、「日照大千歳高校のグレースケリー」と呼ばれる、高3の先輩の柊先輩とも仲良くなったんだって。」
えっ、そんなにさらっと言えちゃうの?
親父は先ほどから全く口を挟まない。
何も言うべきではないということか。
先ほどの静海の表情のない顔を思い出す。親父の言葉に励まされ、もう大丈夫なのか。
「あのね、ママ。柊先輩の従弟がパパの助けた男の子なんだって、ねえ、お兄ちゃん。」
こっちに振ってくるか。さて、この話、お袋は大丈夫なのか。
「浅見さんの蓮君って言ったかしら。その子の従姉さんにあたるの?」
口調は普段通りだが、少し表情が暗いのは気のせいだろうか。
「そう、従姉さんが日照大付属高校にいるのね。」
「お袋、大丈夫?この話しやめようか?」
「ええ、大丈夫よ。まだ完全とはいえないけど、浅見夫妻が来た時の光人の言葉、「謝らないでほしい。父は私たちの誇りだ」みたいなことを言ってくれたでしょう。あの言葉は本当にあの時の私の心に刺さったのよ。そうだ、影人さんは、立派なことをしたんだ。浅見蓮君を恨むのは筋違い。そう確かにそうよね。」
「うん、私もそう思うよ、ママ。」
静海はお袋にそう言うと、一拍おいて続けた。
「私ね、パパの夢を結構見るの。パパはいつも優しいんだ。その蓮君も、その従弟の柊先輩のことも憎むなって。パパは人助けをしたのであって、うちの家族に憎しみを与えるためにしたことじゃないって。確かにそうだよね、パパは素晴らしいことをしたんだよね、ママ。」
その言葉に、お袋は少し目に涙をためていた。
「そう、確かにそうね。パパは素晴らしいことをした。それは間違いないわね。」
親父がこの会話に一切何もしゃべらない。
自分が静海に託した言葉の意味を家族が共有してることにきっと満足しているに違いない。
(ああ、舞子さんはいつ見てもきれいだな。見惚れちゃう!)
違った。
勘違いだった。
ただ惚れた女に見惚れていただけだった。
「なんか、高校に入学したら、お兄ちゃんモテモテだよね。」
「そんな訳ないだろう。俺が陰キャ気質なのは静海も知ってるだろうが。陽キャやリア充のような立ち振る舞いは俺にはできないよ。」
一通り自虐なセリフを並べてみる。
にもかかわらず、妹もお袋も微妙に温かい目を向けてきていた。
これは手っ取り早く飯を平らげ、退散した方がいいかもしれない。
「あ、でも、もしかすると柊先輩が線香あげに来たいって言うかもしれないけど、二人とも大丈夫?」
「え、いつ?」
すぐに静海が反応。お袋もコクコクと首を縦に振る。
「いや、まだいつとかって話じゃないよ。二人が落ち着いてからかなって話。」
「なんだ、そうか。」
少し安堵のため息を静海がついた。つまりそれがすべてだろう。
まだ、早い。
「そういえばさ、お兄ちゃん。鈴木伊乃莉さん来てたでしょう。」
「ああ、友達というか、友達の保護者みたいな感じの子な。彼女がどうかしたか。」
「わたしね、友達と3人で遊びに行ったでしょう。そのうちの一人が、御須鳴美って言うんだけど、サッカー部の子と付き合い始めたんだって。」
「ああ、それはめでたいな。で、それがどうした。」
「うわあ、人の幸せをほぼスルー。さすが陰キャ生活が長いだけあるね。」
「うるせい!」
「まあ、その子は良いんだけど。鳴美がどうもそのサッカー部の、鵜澤陽誠君って言うんだけど、と待ち合わせしてたみたいで、他のサッカー部の男子と一緒にカラオケに行くことになったんだ。」
(なんだと、女の子だけで遊ぶんじゃなかったのか!どこの男だ、今から行って、説教してくれるわ。)
(過保護すぎだよ、親父。そんなもんだろう女子中学生なんて。大体、静海は可愛いんだからさ、それくらい心の器を大きく持て。)
(くそっ、可愛い静海を傷もんには絶対させん!)
(過保護、ここに極めり)
「で、その中に鈴木悠馬って男の子がいたんだけど。その子がなんと、……さっき名前が出た鈴木伊乃莉さんがお姉さんだと判明しました。」
静海の言葉に、思わず口の中に入ってるものすべてを、ぶちまけそうになってしまった。
懸命に口の中の食べ物を飲み込む。
「えっ、まじ?」
「まじ。スマホで連絡取ってもらって、実際に話したから。」
「ふえー、世間って狭いもんだなあ。」
ちょっとびっくりした。いろいろな人と繋がってんだな。
「でも、光人、友達ができたみたいで、母さん、少し安心。今度は私がいるときに呼んでちょうだい。二人っきりってのはまだ早いと思うわ。」
お袋の言葉に体が熱くなるのを感じる。
「そんなんじゃないよ。」
つい、言ってしまった。
俺は残ったスープを飲み込み、食器を流しに片すために立ち上がった。
仮にそういう関係になったとしても、俺には24時間監視付きなんだけどさ。
(人を邪魔もんみたいに言うな!)
(実際、邪魔ものだろう)
お袋も静海も食べ終わり、食器を流しに片した。
「光人、お風呂入っちゃって。」
お袋に促され、俺は風呂場に向かった。