第36話 光人の違和感
「まあ、大丈夫だと思うが、病院行ってみてもらって来い。で、明日俺と、柴波田先生にも報告、よろしくな。」
岡崎慎哉は白石光人に手を振り、運転席に滑り込んだ。
宍倉彩音も光人に一声かけ、鈴木伊乃莉は手を振りながら、二人ともプリウスの後部座席に身を落ちつけた。
しれっと後部座席に座る伊乃莉に少しきつい眼で睨んでみたが、慎哉の視線なぞ、どこ吹く風といった態度で伊乃莉は彩音に視線を向けた。
そんな二人に彩音はため息を一つついて、慎哉に向かい話しかけた。
「先生、白石君、何がとは言えないんですけど、変な感じではありませんか。」
「宍倉も感じたか。」
信哉は、彩音の言葉に同調した。
そう、何か、違和感を覚えた。
「確かに、車に乗る前と、降りて家に着いた後は、雰囲気がまるで別人みたい。しゃべり方もなんか落ち着いた感じになってたし。」
伊乃莉が正直な感想を漏らした。
信哉は車を発進しながら、自分の中の違和感の正体を確かめるためには、自分以外の他人の意見を聞く必要があると考え始めていた。
当然その相手はこの女子高生しかいないわけだが、さてどうしたものか。
できれば石井教諭クラスの人間の意見が欲しいところだが、あの微妙な変化はそこにいた者しか共有できそうもない。
正直、教え子を誘ってどこかで話すのには抵抗があるが、幸いなことに1対1ではない。
しかももう一人は担任の生徒ではないから、利害関係なく話ができそうだ。
だが人のことをこともあろうに破廉恥教師と言ったこと、忘れてないからな。
信哉は、心でそうぼやきながら、二人に声を掛けた。
「時間も時間だから、どこかで昼飯くって行かないか。少し話がしたいんだが。」
「え、誘ってる。やっぱり、教え子に手を出そうとしてる~」
伊乃莉がすぐさま反応した。
もっとも、横から見ている彩音には、明らかに先生という大人をからかって楽しんでいるようにしか見えない。
「わたしは、岡崎先生と、さっきのこと、話したいと思ってます。是非、行きましょう。」
「あやねる~。裏切らないでよ~」
「いのすけは嫌なら一人で帰っていいよ。私は先生に送ってもらうから。ねえ、岡崎先生。」
「まあ、うん、送るよ。」
「ウ~。わかったよ、私も行く。あやねる一人にして、破廉恥教師の毒牙にかかってもまずいし。」
信哉は渋い顔をする。
「まあ、でも、私も気になってたしね、先生、奢りで、よろしく。」
「ああ、了解、つっても、どっかのファミレスだがな。」
信哉は目についたチェーン店にプリウスを滑り込ませた。
案内されたテーブルで彩音と伊乃莉は一緒に座り、慎哉が二人の体面になる形で座った。
二人は懸命にメニューを覗き込んでいる。
信哉は日替わりランチを時間ギリギリで注文し、彩音はパスタ、伊乃莉はドリアを注文し、全員がドリンクバーを合わせて注文する。
各自ドリンクを持ってきて、一息つく。
「先生、白石君のお父さんの事故、どのくらい知ってたんですか。」
「白石が言っていたこと以上のことは流石に知らないよ。こっちは、父親が事故にあったという連絡と、その時の報道だけだからね。まだ入学もしていない生徒を呼び出すなんてことはできないさ。」
出身の伊薙中学に連絡して、担任を務めていた大塚恵子教諭に話を聞くぐらいのものだ。
「ただ、父親の事故について、少し詳しすぎる気はした。」
そう、それが一番の違和感である。
「はい、聞いていて、自分がなんだかその事故の目撃者にでもなった感じでした。」
彩音が慎哉に同意する。
「うちはそんなことより、白石君だっけ、彼の変わりようが気になったよ。」
伊乃莉が口をはさむ。
それは他の二人も気にしていたことである。
端的に、車に乗る前と降りた後では別人になっていたと言われても納得するレベルである。
では、どこで変わったのか。
家に着いたときには、雰囲気が落ち着いているのと、自分の家を見上げるしぐさが、懐かしいものを見る目であったことだろうか。
信哉は車の中での慎哉の言動を思い起こしてみる。
「そういえば、車に乗ってすぐに、俺がこの生意気なやつと身に覚えのない暴言にさらされてるとき、宍倉は白石に声を掛けていたよな。」
「ええ、なんだか白石君がぼーっとしてる時があって。入学式であんなことがあったから、また体調を悪くしたのかと思って。「白石君、大丈夫?」って声を掛けたんです。」
そう言えばそんなことがあった気がする。
「大丈夫だとは言っていたんですが、その時から、微妙に雰囲気が変わった気がします。」
ちょうど店員が注文お品物を運んできた。
しばし口を閉ざし、店員が置いていくのを待つ。
「じゃあ、まずは食べよう。腹減っただろう。」
「「はい、いただきます。」」
とりあえず、目の前の食事を済ませる。
さすがに昼食と呼ぶには遅い時間のため、早いペースで食べていく。
「食べながらでいいんだが、明らかに高1の学生の言動とは思えない発言があったのはわかるか?」
信哉は、一番わかりやすいと思える白石光人の言動の異様さを確認した。
伊乃莉がやっと冷めたドリアを食べていたスプーンを置いて、口を開いた。
「それはわかりやすいよ~。あの妹ちゃんの暴走を止めたときだよね。あの雰囲気は高校1年生の出せるものじゃないよ。うちのパパが本気で怒った時と似てたもん。」
「全くだ。兄が妹を叱る感じじゃなかった。父親にしか見えない態度だったよ。それに、1人称が。」
「俺から私に変わってた。」
彩音が後を引き継いだ。
「白石のみに何か起こっているとしか思えないが、今の状態では何とも言えない。2か月前に親父さんが亡くなって、平静状態ではないのは理解しやすいんだが。何とも言えないんだよな。もし、白石光人の身の上に何かが起きてるとして、俺は何ができるんだろう。」
信哉は今自分が考えていることを、つい今日入学したばかりの女子生徒に漏らしてしまった。
今日初めて会った生徒の身を案じるなど、一体いつの時代の教師ドラマなんだか。
「岡崎先生は、いわゆる熱血教師ってやつなんですか?」
伊乃莉が茶化すように言った。そうとらえられても仕方ないようなことを言ってしまったことに、慎哉は気づかされた。
「いや、そんな教育に熱心なタイプとは違うな。本人が言うのもなんだが、事なかれ主義を絵にかいたような人間だよ、俺は。」
「それも違う気がするんだよな~、ねえ、あやねる。」
「私もいのすけに同感。今日の行動見てるだけでも、いわゆるいい先生っぽい。本人目の前にして言うことじゃないと思うけど。」
「そうだよ、でなきゃ、教え子も惚れてこないでしょう、セ・ン・セ・イ」
伊乃莉がふざけた口調でからかっている。
「そう言われると、マジで、照れちまうが…。そういうもんでもないんだ。まだ、確証は得られていないんだが、どうも白石光人の父親にあたる白石影人さんに、俺、幼いころに会ってるんだよな。」
「「えっ」」
二人が同時に驚く。
「知り合いってことですか?でも、白石君、全くそんな素振りありませんでしたけど。」
彩音の驚きに、慎哉は軽く笑った。
「それは当然だよ。俺と、白石光人は全く面識がないからね。」
信哉は、残っていたアイスコーヒーを一気に飲み込んだ。
「俺の父親は国立の石川大学の薬学部の教授をやっているんだ。その教え子が最近事故で亡くなったって言ってたんだけど、家族葬なんで直接お焼香に行くことができなかったらしい。白石って名字は珍しいって訳じゃないけど、多い苗字でもない。マスコミなんかの影響もあるから白石影人さんの葬儀は家族葬で行ったと聞いてるんだよ。」
「先生のお父さんと白石君のお父さんが知り合いってことですね。不思議な縁ですね。」
彩音がつぶやく。
「まあ、白石のことは、今後対応するとして、それよりも少し驚いてることがあるんだよなあ。」
そう言うと、慎哉は彩音の瞳を覗き込むように見つめた。それを見て、伊乃莉が口を開いた。
「あれ、先生、今度は彩音に目を付けたんですか?」
「えっ、うそ!」
彩音が思わず、見つめられた慎哉の目線を外した。
「んなわきゃ、ないだろうが!」
「冗談ですよ、先生、あやねる。彩音のこと、中学から連絡来てるってことでしょう。」
薄笑いを浮かべながら、伊乃莉が核心を突く質問を慎哉にぶつけた。
「ああ、宍倉の痴漢事件のことな。」
それを聞いて彩音の体が硬くなる。彩音はこめかみにズキズキする痛みを感じていた。
あの、忌まわしい痴漢と、その後の周りの…。