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第33話 事故についいて Ⅰ

 父はその日、多分いつも通りの時間に伊薙(イナギ)駅に帰ってきたんだと思います。


 父は習橋にある薬局の管理薬剤師をやっていて、いつもそれくらいの時間に帰ってくるんです。


 俺の日照大千歳高校の合格をとても喜んでくれていました。

 俺にしろ、妹にしろ私立ですからお金はまだまだかかるということは承知していたと思います。

 本当は公立に行った方が親孝行なのでしょうけど。


 この学区は、ちょうどこのくらいの偏差値の高校が抜けているような状態で、上の公立高校を狙おうとすると偏差値的に5ポイントくらい上げないとダメで。

 そこまで伸ばすことはできませんでした。

 かといって下げようとするとやっぱり5ポイントくらい落ちる。

 ダメということもないんですけど、俺、結構流される方なんで低いとこ行くとさらに学力が低くなるってことに両親が心配してまして。

 

 合格発表があって、すぐに入学金を振り込んだと聞いてます。

 父は「少し肩の荷が下りた感じ」と、笑ってました。


 話を戻しますね。


 伊薙駅の近くの高架下に横断歩道があるんです。

 ええ、事故現場なんですけども。


 父はいつも、その横断歩道は油断すると危ないってよく言ってました。


 この家から歩いて7~8分くらいのところになります。

 実際見てもらうとわかると思うんですが、幅が広いんですよ。

 高架下ってことで想像してもらえるといいかな。


 伊薙駅は各駅停車と快速が止まる駅です。

 複々線で、各駅停車と快速電車のホームが別になってます。

 その横断歩道がある高架線上にはホームがあるんですよ。

 つまり何が言いたいかって言うと、横断歩道の幅はその上を通る高架線の幅と一緒なんです。

 で、その幅は、複々線の線路幅にプラスして、ホームの幅が2つあります。

 かなりの幅ですよね。

 それだけ幅があると、横断歩道を通過する車両がその幅を通過するのに結構な時間を必要とします。

 黄色の信号の時に下手に侵入すると、横断歩道を通過する前に、赤信号になり、そして横断歩道側の信号が青に変わるってことです。

 単純に言えば車が横断歩道上で停止しなければならないってことです。


 考えてもみてください。

 家路を急ぐ通勤の人がその時間は結構いたと思うんですよ。

 横断歩道上で車を止めてしまうと、横断歩道を通る人々に冷たい視線の集中砲火を浴びるわけですよ。

 当然、それでも大丈夫な人はいるでしょう。ですが、普通の人にはなかなかに大変な思いをしてしまいます。


 ではどうするか?


 横断歩道側の歩行者用信号機が青になる前に駆け抜ける。

 信号が黄色や赤になってから、加速する奴もいますしね。


 実際私は何度もそういった車を見てきてますし、危ない思いをしてる方もいます。

 そんなことで、私は歩行者用信号が青になってから、少し時間を空けてから横断歩道を歩くのが常態化していました。

 

 父が事故のあった時の話を警察の方から聞いています。


 父は車両側の信号が赤になった時に、横にいた小学生くらいの男の子が横断歩道を駆け出したそうです。


 父はそこに走ってくるトラックを確認するかしないかくらいで、その子に向かって駆け出したようです。


 父はいつも使っている鞄を放り出して、一直線にその子に走り出しました。

 トラックもその子に気づいたのか、一瞬、間をおいて、クラクションの音が鳴り響いたそうです。

 男の子はびっくりして、その場を動けなくなっていたみたいで、続いて急ブレーキの音が聞こえたと、現場にいた人が話しています。


 走り出した父は、それらの音を一切気にせず、固まって動けない男の子に向かって飛び込むように突き飛ばしました。

 その子は父に突き飛ばされるままに、アスファルトを転がって向かいの歩道近くに逃れることに成功したようですが、突き飛ばした父は止まり切れなかったトラックの右前のバンパーと接触、弾き飛ばされ、運悪く頭から道路に落ちたそうです。

 即死でした。


 すぐに目撃していた人が救急車を呼んでくれたそうですが、父と男の子は別々の病院に運ばれたそうです。


 私達が警察から連絡を受けたのは1時間くらい後だったと思います。


 まず母が電話を取ったんですが、暫くして私に受話器を渡されました。

 「何言ってるかわからない」母はそう言って呆然としていました。



 持ち物からうちに連絡があったのですが、本人かどうかの確認をお願いしたいとの事でした。

 母は運転免許を持っているんですが、とても運転できる状況ではなく、かといって長時間歩けるとは思えず、何とかタクシーを呼びました。

 状況を理解していない妹と3人で病院に向かい、父を確認しました。

 綺麗な顔をしているなあと思いました。



 親父は一旦話を切って、もう冷めたお茶を口に含んだ。

 思ったより口が乾いている。


 岡崎先生たちは真剣なまなざしでこちらを向いて話を聞いている。

 宍倉さんは少し涙を浮かべてるような気がする。

 鈴木さんも緊張した面持ちでこちらを見てる。


 事故の状況は俺が知っているものであるが、親父その人が語っていることに、真実の重みが俺の心を締め付けてくる。


 この人は、凄いな。


 でも、やはり、柊先輩のことは隠したのか。


(今は隠すしかないだろう、光人)


(今は、な。でも、)


(わかってる。そのことは、あとで考えよう)


 親父がそう言った。もう一口お茶を飲む


 そして、親父が、今度は俺の中にいて、見ていたこと、そして俺の体を動かした事を語り始めた。



 私たち家族はその後、正直に言えば、よく覚えていないほど様々なことがありました。


 父の遺体が返されたあと、私は以前いじめにあった時に父が相談していた鶴木さんという弁護士の方に連絡を取りました。

 母は父を亡くした悲しみから起きていれば泣き、疲れて寝るという状態で、とても何かできる状態ではなく、妹の静海もそんな母に寄り添うようにしているのが精一杯でした。


 私は父の友人である佐隈(サクマ)さんと、佐隈さんに紹介してもらった鶴来(ツルギ)弁護士と相談して事務処理、死亡届や、資産の凍結、遺産の相続手続きなどを進めました。


 葬儀は家族葬にしました。


 祖父母の葬儀も家族葬だったというのもあるんですが、全国ニュースで事故のことを報道されてしまったため、少なくない報道関係者が家に来ていたんですね。


 それで鶴木さんに前面に出てもらって、葬儀を行いました。


 ただ、結果的に私が救った男の子のご両親、浅見夫妻が式に参列したいと申し出があったんですが、それはお断りするしかなかったんですけど。

 

 それと同時に鶴来弁護士は保険会社に連絡して、父の死亡を連絡、速やかに保険金を受け取れるように請求しました。


 母は看護師として働いているとはいえ、今後、私達兄妹の学費などがあるため、最低限の経済的安定を得られるように尽力してくれました。


 トラックを運転していた大園友也さんはその場で現行犯逮捕されました。

 刑事裁判とは別に遺族として賠償請求をして経済基盤を固めるか鶴来弁護士から意見を求められました。

 ですが、私としては、まず、何故事故が起きたか調べてもらいました。


 父の中学時代の友人に、この地元で運送業をしている富士川勇(フジカワイサム)さんという方がいて、この運送業界について教えてもらったんです。


 大園さんは業界大手の大佐通(ダイサツウ)運輸のドライバーだったんですが、かなりノルマがきつくて有名だったようです。

 ですので、本来は違う運輸ルートだったんですが、それをショートカットする目的であの事故現場を通過するルートを取ったようです。

 最近お子さんもできて給与を減らすわけにはいかず、ギリギリで運転業務をしていたようです。


 実際、大佐通運輸の業務状態が非常に悪いことを週刊誌に掲載され、逆に佐通運輸がその週刊誌を告訴する騒ぎになっています。


 大園さんは逮捕されているので、私はまだあったことはないのですが、鶴木弁護士は大園さんの弁護を引き受ける代わりに、大佐通運輸の業務環境の証言を聞き出しました。

 それとは別に調査をしたようで、それらの多くの交渉材料を携え、大佐通運輸と交渉したようです。

 さすがにその交渉の内容までは関知してませんが、結果的には、かなりの賠償金を大佐通運輸から引き出したそうです。

 鶴来弁護士には感謝しかありません。


 刑事裁判はまだかかるとは思いますが、こちら側との和解という事案をもって、大園さんの裁判を有利に持っていけるとの事でした。


 裁判のめどが立ったからか、大園さんの奥さん、大園亜弥(オオゾノアヤ)さんというそうですけど、(オサム)君という赤ちゃんと鶴来弁護士とともにうちを訪ねてきました。


 私たちに懸命に謝って、さらに和解の件について涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、感謝の言葉を口にいていました。

 それを見て、母は泣き続けていた涙を止めて、疲れ切っていましたが、笑ってる理君の頭を優しく撫でながら、ゆっくりとほほ笑んで、亜弥さんに謝罪を受け入れる旨の言葉を告げていました。

 その言葉を聞きながら私も泣いていました。


 何も出来なくなっていた母が、やっと自分を取り戻しはじめたからです。


 浅見夫妻からどうしても会いたいとの連絡が来たのもそんな時でした。



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