第32話 自宅にて
「白石君、大丈夫?」
うすい靄がかかった雰囲気の中、朧気に宍倉さんの声が聞こえる。
3人の会話に入らず、ぼーっとしてるように見えたのだろう。
宍倉さんが不安そうに見ている。
目を合わそうとして、かすかに違和感。
自分の動きに、意識が微妙にずれた感じ。
「ああ、大丈夫、ちょっと眠気が出たみたい。」
あれ、俺、しゃべろうとした言葉と違う。
眠気なんて言ったら心配するに決まってる。
「眠気って、まだ体調良くないんじゃない。しゃべらなくていいから」
「もう少しでつくぞ、白石。道間違えてたら行ってくれ」
「わかりました。」
俺が自分から切り離されたことをはっきりと自覚した。
自分ではないものが俺の体を操っている。
(うまくいった。)
(親父、どういうことだ。俺の体をどうする気だ。)
(安心しろ、すぐに返すさ。こうすれば、少しはお前の負担が減るよ。寝ててもらってもいいぞ。家で彼女たちに説明するよ。)
(俺だって、あの事故の詳細は知りたい、寝ないよ。)
「もうすぐです。3階建ての家です。」
俺の体を使い親父が話している。
変な感覚だ。もしかしたらこのまま…。
(心配するな、これはお前の体だ)
親父が俺を安心させるために、そんなことを言ってきた。
家が見えてきた。
親父が指示して家の前の路肩に止めた。
駐車場には親父が死んでから動かないうちの車が置いてある。
その前に岡崎先生の車を止めてもらう。
「ここです。」
親父が降りながら、感慨深げにみんなに言った。
「へえ~、3階建てなんだ」
鈴木さんが周りにそう多くはない3階建ての一戸建てに感心している。
ここら辺の家は敷地面積が小さいため、結果的に3階建ての家屋が増え始めている。
「この3階部分、全部白石くんちってこと?」
「うん、まあ。でも、ここら辺、土地狭いから仕方なくってとこ。前は祖父母も住んでたんで。」
俺の体を操る親父は、俺の口ぶりを真似るようにしてそんなプライベートをさりげなく言う。
まあ、隠すことではないが。
「何言ってんの、あやねるの家なんか8階建てでしょ。」
「ちょ、やめてよ。確かにあのマンションはお父さんの持ち物だけど、うちは8階部分だけだよ。それよりいのすけの家なんか、あんなに広いじゃない。」
「あのう、もしかすると、お二方ともお嬢様でいらっしゃるんですか。」
親父が俺の声で二人の少女に恐る恐る尋ねた。
「え、そんなことないよ、白石君。うちの父は会計事務所をしてるだけ。マンションは祖父ので、亡くなった後父のものになったって話。それよりもいのすけの方が凄いよ。スーパー大安の社長令嬢だもんね。」
「宍倉は知っていたけど、あの令嬢は君なのか。」
岡崎先生の口ぶりからスーパー大安の令嬢が入学するっていう情報は知っていたってことだね。
(スーパー大安は関東近郊に50店舗位を構える中堅スーパーだったな。)
親父が説明してくれた。
(つまり、二人とも確実に金持ちご令嬢ってことか。)
(すごいな、光人!逆玉決定おめでとう)
(なに喜んでんだよ!)
ポケットからカギキーカードを出し、玄関にかざして解錠する。
玄関をスライドして少し広めに設けられた玄関口に全員を誘う。
少し厚底のハイカットスニーカーがまだあるところを見ると、静海は家にいるのか。
さて、親父はどうする?
(静海は家にいるのか、光人)
(おそらく、ボロ出さないようにできるか、親父)
(やってみる。結構遅くなってるから、もう出たかと思ってたんだが。)
13時半。微妙な時間だな。
「ただいま。」
親父が家の中に声を掛けた。
すると階段を駆け下りてくる音。
「結構遅かったね、兄貴。入学式だけだから、もっとはや、く、…。」
顔を出した静海が言葉を詰まらせた。
俺一人と思ったらしい。見事に固まった。
「お邪魔します」
「えっ、かわいい~。妹さんかな、こんにちは」
先に宍倉さんが挨拶し、続いて鈴木さんが妹を誉めた。
「失礼します。日照大千歳高校の岡崎です。大勢で押しかけて申し訳ありません。お母さん居らっしゃいますか?」
「先生、うちの母は今勤務中でうちにはいません。妹の静海です。うちの中学の2年になります。」
「ああ、そういえば妹さん日照大千歳中学だったな。光人君の担任です、よろしく。」
少し砕けた言い方で静海に自己紹介した。
「こちらの二人は、同じく今日入学した光人君の友人、でいいのか」
最後の方は後ろにいる二人の女子生徒に確認した。
宍倉さんは頷いて、鈴木さんはちょっと考えるような顔つきになった。
いや、まあ、そうなんだけどさ。
じゃあ、どういう関係かって言うと、よくわからん。
「白石君と同じクラスで、今日友だちになった宍倉彩音です。よろしくね、えっと、るなちゃん?」
「私は、この彩音の親友で、付き添ってきた鈴木伊乃莉です。白石君だっけ、とは友人ってほどの関係性はないです。でもるなちゃんは可愛いので、知り合いってことで。ニッチ中だったら、学校で会うかもね。よろしく。」
うわー、女子高生のコミュ強、半端ないっす!
(あの鈴木って子、すごいなあ。こんな自己紹介、普通、初対面の人間にできんぞ)
親父が感心している。
これから友だちと出かけるはずの静海は、肩にかかるくらいのゆるふわの髪の毛で、薄く化粧をしている。
艶めく唇が印象的だ。
スエットの上に緑のストライプシャツを羽織っている。
ボトムはスキニージーンズで、脚が長く見え、華やいだ感じだ。
十分に可愛い。
(友達って男じゃないよな)
親父が心配するのは、すご~くわかる。
(俺が知るはずない)
冷たく突き放してみる。
まあ、でも、モテるだろうな、この妹は。
「は、初めまして、この人の妹の白石静海って言います、よろしくです。」
急な来客で、しかも学校関係者なものだから、緊張感出しまくり。
「えっ、でも、何で先生が?兄貴なんかやらかしたの?」
「や、なんかやらかしたって、訳では、あるかな。」
「何やったの、ねえ、何やったの。私のことも考えてよね、私、明日から新学期なんだよ!」
あー、そりゃあ、慌てるわな。
やらかしたの事実だし。
さーて、どうする、親父。
「いや、いや、何か問題になるようなことをして家庭訪問に来たわけだはないんですよ、静海さん。お兄さんが入学式で倒れてしまったので、念のため、送ってきただけですから。」
「えっ、兄貴、入学式で倒れたの!何してんの。もしかして、明日、私、さらしもん?入学式に倒れた奴の妹って、いじめられちゃうの」
あっ、そっち心配した、あ、そっか。
「まあ、まあ、妹ちゃん。それは心配しなくてもいいと思うけど。お兄さん、今の言葉でしゅんとなっちゃてるよ」
鈴木さんがフォローしてくれた。実は、優しい?
「そ、そうだよ、るなちゃん!大丈夫だよ、るなちゃん可愛いんだし」
宍倉さん、可愛いと何が大丈夫なんでしょう?
「ていうか、兄貴、なんでこんな綺麗な人たちと友達に、しかも家に連れてくるほどの仲に!中学まで陰キャ丸出し、非モテ童貞野郎だったのに!」
(うちの可愛い娘が、私の可愛い娘が、童貞って、童貞って!)
(落ち着こう、親父)
(誰だ、私の娘にそんな言葉覚えさせたのは!)
(んー、しいて言えば世間一般?)
「まあ、落ち着こう、ね、落ち着こう、妹ちゃん。綺麗って言われてお姉さんたちすっごく嬉しいんだけど、まず落ち着こう。お兄さん倒れたのは事実だから、心配してあげて。」
「いえ、見れば大丈夫なのはわかりますから!全然大丈夫ですよね!それよりも、人に声を掛けることが絶対できないはずの兄貴が、入学初日で友達ができること自体信じられないのに、女子で、しかも二人、そして綺麗!ありえなーい!」
すごい言われようだ。
だが、否定できない、事実だ。
「やめないか、静海!」
強い言葉で静海の暴走を止めた。
え、誰。俺、いや、親父だった。
「いい加減にしなさい。静海が俺のことをどう思ってるかはいい。だが、今ここに来てくれたのは私を心配してきてくれた先生と友人だ。私にとって大切な客人だ。お前が迷惑に思ったとしても、ここでそれを言うことじゃない!静海、賢いお前ならわかるはずだ。」
あ、完全に親父の口調で、親父の言葉になってる。
皆、啞然としてるよ、おい、親父。
「先生、宍倉さん、鈴木さん。誠に申し訳ありません。妹が取り乱してしまって。いつもは聞き分けのいい子なんですが、わた、いえ、父が亡くなってから、やっぱり無理してたとこがあるものですから。」
親父は、3人に向け深々と頭を下げた。
そして、静海に向き直る。
「この皆さんは、父の事故を知って線香をあげに来てくれたんだ。礼を失してはいけないよ。」
「・・・お父さん。」
やばっ、バレれかねんぞ、親父!
「静海、悪いが皆に飲み物を出してくれないか。お茶くらいしかなかったと思うが。お前はいつ頃遊びに出るんだ?」
「2時くらい。」
「では、用意が終わったら支度した方がいいな。あんまり遅くならないようにな」
「・・・はい」
一気に静海を戻したな。
すげーな、親父。
でも、だいじょうぶなのだろうか?
「先生、宍倉さん、鈴木さん。こちらへどうぞ。」
客用のスリッパを出し、扉の向こうのリビングに招いた。
静海は先に来てお茶の用意をしている。
リビングにしつらえた仏壇に真新しい親父の写真がある。
その奥には主税じいちゃんと史ばあちゃんの写真。
「先生、天井が低くてすいません。以前祖父母が1階で店をやってて、改装時に床をあげたんで、結果的に低くなってしまいました。」
「ああ、大丈夫だよ。ちょっと、お線香あげさせてもらうよ。」
岡崎先生はそう言って、仏壇の前に向かった。
しばし、仏壇の遺影を見ている。
おもむろに線香に火をつけ、線香立てにさす。
手を合わせた。宍倉さんも、鈴木さんもそれに倣った。
(あれ、宍倉さん、親父の写真に見入ってる。そんないい写真ではないと思うけど。)
(いい写真だろう。お前が合格したの嬉しくて、いい笑顔だぞ。とはいえ、普通の女子高生が見入るようなもんじゃ、ないな。もしかして、私に惚れたか)
(んなわけねえよ!)
「兄貴、お茶入ったよ」
「サンキュー」
また、俺の口調に戻ってる。
線香をあげてくれた3人をリビングの椅子に誘導して座ってもらった。
俺の前に岡崎先生、その横に鈴木さん。俺の横に宍倉さんが座った。
静海がそれぞれにお茶を配る。
「じゃあ、私行くけど、兄貴、体調気を付けてよ」
「ああ、ありがとな、気を付けて楽しんで来い。」
静海は軽く手を振りリビングから出ていく。
と思ったら、くるりとこちらを向いた。
「先ほどは失礼しました。ゆっくりしていってくださいね。」
そう言葉を残して、玄関から出て行った。
「本当に妹が騒いで申し訳ありません。」
もう一度謝る。
「いや、まあ、突然に来たのは我々だしな。どってことないよ。」
その言葉を聞き、横の宍倉さんに視線を移す。
「うん、大丈夫」と言って、俺を操る親父の言葉を待っている。
俺も、親父の語る事故の話を待った。
「父はその日、多分いつも通りの時間に伊薙駅に帰ってきたんだと思う。」
親父が事故について、話し始めた。