第28話 恩人の息子
踵を返し近づいてくる柊夏帆先輩は、少し緊張してるようにも見える。
「白石君てさ」
あっ、今度は俺か。
「間違ってたらごめんなさい。伊薙駅の事故で亡くなった白石影人さんと縁のある人?」
少し声のトーンを落として聞いてきた。
その時俺の脳に電気が流れるような痺れを感じた。
それが何を意味するかも分かった。
ああ、さっきの会話はやっぱり夢なんかじゃなく…。
柊先輩の顔が、そのダークブラウンの瞳が、怖い。
これは先輩が緊張してなのか、それとも、俺が今、聞かれたくない事故の話をしなければいけないためか。
だが、もしかしたら、この場で柊先輩が事故現場にいたことを打ち明けてくれるかもしれない。
そんな祈りにも似たことを期待して、俺は口を開いた。
「あっ、ご存じなんですか。」
少しとぼけてみる。
いきなり答えたら不自然のような気がした。
「うん。先生たちには連絡してあって、岡崎先生はご存じだと思うんだけど。私の従弟の男の子、浅見蓮というのだけど、あの事故の時、白石影人さんに身を挺して助けてもらった子なの。ただ、白石という姓が同じだからって、違うかもしれないから、聞くのを躊躇って」
期待した言葉は帰ってこなかった。
その子のことなら覚えている。
両親だという夫婦がうちにやってきたのだから。
だが、何故柊先輩はあの場所にいたことを隠そうとするのだろうか。
「ああ、あの子の親戚なんですね。浅見蓮君、その後、大丈夫ですか?僕も無事としか聞いてなくて。」
でも、僕の答えにホッとするどころか、柊先輩はさらに体に力が入った気がした。
もしかしたら、この会話は腹の探り合いなのか。
こんなきれいな先輩女子と会話ができるなんて、普通の男子生徒なら天にも上る気持ちなのだろうに…。
俺の心は凄く冷めていく感じだ。
「ええ、あの子は今すっかり元気になって。事故の時は、けがは大したことなかったんだけど、やっぱりショックが大きかったみたい。蓮の両親、浅見の叔父と叔母はそのあと事故関連や仕事で一緒に居られなかったの。心配で学校には1週間くらい休みの連絡入れて、私が一緒にいたんだけど。昨日から小学校は1学期が始まって、元気に登校したって聞いてるわ。」
しかしながら、そんな柊先輩に対する不審な気持ちとは別に、その話は俺たちを少し安心させた。
そう、俺たちを…。
「ありがとうございます、柊先輩。その話を聞いて、少し安心しました。本当に良かった。」
柊先輩は、本当のことを今のところ言う気はないんだな。
自分の中にいる、その人のため息が聞こえたような気がした。
「はい、白石影人は私の父です。」
胸を張ってその言葉を紡いだ。
「父が命懸けで助けた蓮君が、元気で学校に通ってるという話は、父にとって一番の供養になると思います。」
岡崎先生は当然知っていることだろう。
こちらを向いて、俺の様子に少し微笑んだ気がした。
だが、その場にいる二人の少女は、驚いた表情をしていた。
片方は初めて聞く話に、もう一人は、やはりという思いと、人違いという願いが否定されたことに。
後者の美少女の表情は、どう表現すればいいのだろう、苦しんでいるようでもあり、でも安心したようでもある複雑な驚きだった。
「白石君のお父さん、亡くなったの?」
俺にとっては、天の女神様から自分を心配してくれるような、そんな響きを持つ声であった。
「白石君のお父さんが、やっぱり蓮の命の恩人だったのね」
少し遅れて聞こえた声は、岡崎先生曰く、この高校で一番の美女からの温かい声ではあったが、俺達には欺瞞に満ちた声に聞こえた。
「言葉では言い表せないほどだけど、それでも、本当にありがとうございます。」
美しい少女は俺に深々と頭を下げた。
その思いは真実だろう。
でも、何故…。
「今度、元気になった蓮を連れて、必ず、白石君のお父様に挨拶に行きます、必ず。」
柊先輩はその言葉を告げると、一度俺の顔をしっかりと見つめ、踵を返して、今度こそ、校舎の奥に向かって歩いて行った。
「白石、柊の態度は少し礼を失していたかもしれんが、許してやってくれ。彼女も従弟の看病で体を壊しかけたらしい。満足に寝てなっかたともご両親からも伺っている。そんな顔をしてくれるな。」
そんな顔…。
その時はじめて自分の顔にこわばりを感じた。
柊先輩にかなり力の入った顔をしていたらしい。
見方によっては、自分の父親を奪った原因の話ではあるのだから、俺自身の心の整理がつかず、ひどい顔で柊先輩に対応したと思われてもしょうがないか。
それも廊下で立ち話の時に言うことではないのではないか、と先生も思っているのだろう。
かなり神経に触る話題ではある。
「白石くん、お父さんの事故って」
宍倉さんが心配そうに、俺の顔を覗き込んでくる。
自分を思って心配してくれる宍倉さんの顔を見て、無理やり笑顔を作ってみた。
「大丈夫だよ、そんな心配しなくても」
それでも宍倉さんは事情を聴きたそうな雰囲気だった。
その時宍倉さんの方から軽快な電子音が鳴った。
この感じだとスマホに何か着信した感じ。
慌てて、宍倉さんが自分の鞄からスマホを取り出し、確認する。
「友達の鈴木伊乃莉から、LINEです。」
律儀に先生と俺に向かい相手を告げた。
「宍倉の同じ中学の子か」先生が尋ねた。
「はい、まだ待ってくれたみたいで、校門のところにいるって。」
岡崎先生の顔が、少し晴れやかになった。
ああ、そうか。さっき先生、宍倉さんを独りで帰すわけにはいかないって言ってたっけ。
その子がいれば大丈夫だと思ってるな。
でもなんで、独りで帰せないんだ。
確か、お母さんはさっさと帰ったと聞いているんだけど。
「じゃ、宍倉はその鈴木って子と帰ればいいんだな。白石、さっきも言ったけど、学校の車で送るから行こうか」
その言葉に宍倉さんは慌てたような顔をした。
「待ってください、先生。私も白石君を送るのに付き合います。」
「えっ、宍倉何言ってんの」
先生が驚いて口ばしった。




