第2話 親父の事故
その場所を渡るとき、いつも私は少しばかり危険を感じていた。
「赤信号は止まれ!青信号は進んでもよい(実際は進め!後ろが閊える)」
当然だと誰しも思う。だがこの場所は必ずしもその規則が通じない気がする。
場所は伊薙駅高架下の横断歩道。
この横断歩道は頭上を通る高架線路の幅そのまま。
つまり複々線と2つのプラットホーム分ある。
かなり幅が広いということだ。
これは高架下を通過する車両から見れば、かなりの距離だ。
そして横断歩行者用信号が当然ある。
この歩行者用信号に連動した自動車用の信号機があるわけだ。
自動車を運転するものからすれば、この信号機が厄介になる。
自動車教習所の教則本に倣えば、黄色信号になれば、注意してわたるとなるわけだが、この横断報道の距離を考えれば、優等生運転手ともなれば黄色信号時には停車する必要があろう。
が、現実としては、ほぼ9割程度の運転手は黄色信号でスピードを緩めることなく、もしくはアクセルを踏んで突っ切ろうとする。
中途半端だと横断歩道を通過する前に信号は赤になり、歩行者たちが歩き始める。
結果、横断歩道の真ん中で車は止まり、歩行者の冷たい鋭い槍のような視線を全身で浴びることになる。酷いときには心をえぐるような罵声を浴びせられてしまう。
だがこの程度であれば事故にはならない。
これがさらにマナーの悪いドライバーとなれば、黄色から赤になるギリギリのところでも突っ込んでくる。
歩行者用信号機が青でも車が通過するところを目の当たりにすることができる。
今まで事故を目撃したことはない。
しかし何度かぶつかりそうになった人を私は見たことがある。
そのため私は車両用信号機が赤に変わり、さらに歩行者用信号機が青になったことを確認し(この時点ですでに歩き出している人もいる)、さらに右側を見て車が来ないことを確認してから一歩を踏み出すことを心掛けている。
自分でも少し慎重すぎる気はしているが…。
その日も勤務している調剤薬局鈴蘭堂習橋店から1時間程度電車に揺られての帰り道。
伊薙駅改札から高架下の本屋と文房具屋を抜けてその横断歩道にたどり着いた。
年のせいか、家庭の悩みのせいか、または薬局を訪れる人々に対する疲れのせいか、異常に疲労を感じていた。
長男の光人が無事に高校に受かり、少しは親としての責任が軽くなった気もするが、2つ下の静海は健やかに美しい少女に育っていくにつれ、父親としては違う心配を感じてしまう今日この頃。
2人が家庭を持ち、孫の顔を見るまでは肩の荷は下りないのだろうなあと思わず遠い目をしてしまう。
そんなことを考えていたためだろうか、その二人が目に付いたのは。
高校生くらいのダークブラウンの長い髪の少女と小学生ぐらいの男の子。
姉弟であろうか?
少女が男の子の手を握ろうとするが、男の子は恥ずかしいのか、その手をやや強引に振り払おうとしている。
歩行者用信号機は赤。
ほかにも数人が、横断歩道の前で信号が変わるのを待っている。
車両側が黄色から赤に変わった。
男の子が少女の手をおもいっきり振り払い、横断歩道に一歩足を入れる。
私は条件反射で右側に視線を移した。
大型トラックが突っ込んでくる。
ブレーキ音。
男の子の顔がその音に反応し、右を向く。
動きが止まる。
私の頭が瞬間空白になり、光人の幼い時の笑顔が閃く。
肩から下げていた鞄が体から離れた。左足がアスファルトを蹴った。
男の子を突き飛ばし、トラックの進行直線上から逸らすことに成功したようだ。
私の視界に真っ青になった長い髪の少女の顔が映る。
(綺麗な子だな)
その刹那、体に衝撃が走った。