第19話 柊夏帆 Ⅴ
椎名眞樹子さんとの約束の場所は光栄社近くの雰囲気のある喫茶店だった。
私たち3人は何度も住所をアプリで確認して、恐る恐る扉を開き、中に足を踏み入れた。
10月の日曜日、良く晴れた午後2時。指定された時間の指定された場所。
もし椎名さんがいなかった場合、ここでいいか確信が持てない私たちはどうすればいいんだろう。
椎名眞樹子さんは入り口近くのテーブル席で、私たちに軽く手を振っていた。
ほっとして、妙に入っていた力が抜けていく。
4人掛けのテーブルのため、香音と瑠衣が椎名さんの体面に、私は椎名さんの横に座る形になった。
椎名さんはすでに注文したようで、メニューを私たちに開いて見せた。
「好きなもの頼んで、支払いは私に任せて」
椎名さんが優雅にほほ笑んだ。大人の女って感じ。
今日の椎名さんは茶系のラフな感じのジャケットに白いパンツ姿。
ジャケット下のパステルグリーンのブラウスの首元に細いチェーンネックレスに、たぶんルビーと思われる赤い石がぶら下がってる。
私たちが少しかしこまっていると、さらにメニューを勧めてくる。
「ここのケーキは紅茶のシフォンケーキがおすすめ。セットでダージリンなんかいいよ」
ちょっと緊張している私たちに、グイグイくる。
「じゃあ、そのセットを3つ、でいいよね」
答えた香音が私と、瑠衣に同意を求めてきた。
私たちは何度も首を縦に振った。
椎名さんが落ち着いた感じの制服に身を包んだ清潔感あふれる男性の店員を呼んで、注文を伝えた。
「今の背の高い店員、よくない?背丈あってあの雰囲気、モデルやったら映えると思うんだよね」
注文を取って言った男性に対しての話題を振られた。
確かに背が高く、姿勢が綺麗なので、目が行くのはわかる。
だが、今日会っているのはカッコイイ男性店員を見に来たわけではない。
私の微妙な表情の変化に椎名さんは気付いたようだ。
私たち3人の視界に入るように座り方を変え、いきなり頭を下げた。
「ごめんなさい。まずは謝らせて」
そう言って、さらに頭を下げる。
私たちは突然の椎名さんの行動に目を丸くした。
思わず、なじりそうになる私を制して香音が口を開いた。
「誤れば許されると思うことに少しむかつきますけど。まずこうなった経緯を説明していただけますか。」
香音も私も高校1年のはずだ。
香音は何でこんな大人なんだろう。
こんな理路整然と理由を聞けるなんて。
「そう、そのためにここに来てもらったんだよね。かほちゃんには電話で話したんだけど、「道行く可愛い女の子」が集まらなかったの。」
えっ、と香音と瑠衣が私を見た。
そういえばそのことを二人に言ってなかったっけ。
こうやって説明するっていうから、伝えるのを忘れてた。
「責任の一端は私たちが作る雑誌やSNSにもあるけど。ああいうところを歩いてる10代くらいの娘って、いわゆる流行に敏感なタイプが多いの。逆に言えば雑誌なんかに乗っているスタイルを真似てる娘が多いってこと、わかる?」
「ええ、なんとなく」私が肯定した。
「でね、まあ、ほかの企画だったり、街角インタビューだったりした場合は、そういう娘の方がいいことが多いんだけど。何を気にしてますか、コスメはなに使ってますか、どんな雑誌など読んで参考にしてますかってね。」
「市場動向調査も兼ねてるってことですか。」
妙に専門用語使うな、中学生。
「そんなとこ。でもね、わざわざ可愛い子って企画だと逆にそれがあだになっちゃってね。みんな流行を追いかけてるから、似たようなタイプばかりで、可愛いって企画として打ち出すには弱くなっちゃったのよ。」
「それで企画は没になったってことですね。まあ、それはしょうがないと思いますけど、だからと言って「恋愛事情」なんてタイトルで、言ってもいないこと書かれたらたまったもんじゃないですよ」
「どういうところが困るの」
瑠衣の批判に、質問で返してきた。完全な開き直りだ!
「え~。キスがどうとか、経験がどうとか。それに対して私たちの答えが「想像にお任せします」じゃ、変なこと想像されるにきまってるじゃないですか」
瑠衣が顔を赤らめて抗議する。
「ホント、ごめんなさい。その件は全くこちらの注意ミス。この程度なら許されるかなーって思っちゃって」
「わかってますか、椎名さん。雑誌が送られてくるのパパの事務所なんですよ。ママが見るならまだしも、パパが一番最初に見っちゃって。誤解を解くのに2時間もかかったんですからね。この2時間分、前の謝礼くらいじゃ割が合わないですよ」
「あの記事、わざとやってますよね」
私は我慢できなくて、つい口に出した。
「どうしてそう思うの?」
興味津々で聞いてくる。こんなところが故意にやったに違いないと思う理由である。
「椎名さんは、たぶん優秀な編集員だと思うからです」
「あら、ありがとう。そう思ってくれるの、本心から嬉しいわ」
わざわざ本心なんてつけるくらいだから、きっと謝罪は表面的なもの。
「優秀な編集の方が、大きな特ダネでもないのに捏造記事を入れるとは考えにくい。表現もギリギリのところで書いているそうですね。瑠衣のお父さんが訴訟を起こすって言った時に、結局断念せざるを得ないって言ってるくらいですから。」
「あっ、そういえば瑠衣ちゃんのお父さん、弁護士さんだったものね」
解ってるくせに、何をいまさら。
「そうね、こんなに優秀優秀って褒められたら、しっかりと説明しないとね、優秀な編集者としては」
本当は最初からすべて話す気だったろうに、わざと私を持ち上げるような雰囲気を作ってる。
女子高生に言い負かされたような感じにしながら、完全に主導権は椎名さんの手にある。
そして、なぜそんな持って回ったことをするかと言えば、たぶん駆け引き。
最終的な交渉のための布石。
「道行く可愛い女の子は、さっきも言ったようにステレオタイプの女の子しか取材できないことに赤越が気付いたのね。あっ、赤越はあの時のカメラマン。彼フリーだけどいい眼をしているの。彼の専門は女性を撮ること。フリーランスだから、頼まれれば風景や建築物も普通に撮れるけど、彼の才能を発揮できるのは女性を撮るとき。特に婦人科と揶揄される女性の裸体を取るのがすごいうまいの。お嬢さん方にはちょっと想像つかないと思うけど、女性の裸体って言ってもエロい物から芸術性が高いものまで結構幅広いのね。赤越は全般できるけどね。
実はあなたたちに声を掛けるまでに、赤越は3回、あなたたちをファインダーに収めているのよ。」
「えっ、盗撮されてたんですか」
3人を代表するように香音が私たちの気持ちを代弁した。
「ううん、シャッターは切ってないわ。彼が言うにはね、実際に目にするのと、ファインダー越しとではその女性の魅力が変わるそうよ。カメラ映えともいえるけど、写真にとられることでより輝きを放つ女性がいるって」
会話のタイミングを待っていたのだろう、先ほどの長身の店員が、注文の品物を持ってきた。
私たちはケーキセットだったが、椎名さんはコーヒーのみの注文だったようだ。
「ごゆっくり、どうぞ」
少し低めの声で店員さんはそう言うと静かに厨房の方に向かった。
椎名さんは、コーヒーの香りを少し楽しんでから、カップに口を付けた。
どうやらブラックで飲むらしい。
私には想像できない飲み方だった。
「あなたたちも適当に食べてね。本当にここのケーキおいしいから。ちょっと話は長くなりそうだから、待ってると紅茶、冷めちゃうしね」
そうだ、まだ説明は私達に気づいたとこまでしか来てない。
「ステレオタイプの女性ばかり撮ってて、赤越が飽きてきたのもあるんだろうけど、その中であなたたちの輝きは、お世辞ではなく、凄まじかったということよ。すごく興奮して、私に声を掛けるように急かしてたから。」
撮影中の赤越さんを思い出す。
やたら誉め言葉を雨あられのようにぶつけていたっけ。
あれは本心だったとでも言いたいのだろうか。
「実際に声を掛けて撮り始めてから、やっと私も気が付いたの。可愛いというのもそうなんだけど、光る原石のような熱量を肌で感じて、鳥肌が立ってきたほどだもん。」
その時を思い出したかのように、両手で腕をさすっている。
「赤越の目は確かよ。あなたたちは光輝けるの」
「その言葉は単純にうれしいんですけど、それがどうすれば捏造記事につながるんですか」
香音の言うことはもっともだ。
逆に私たちを恋愛大好き尻軽女にされてしまっている。
恋愛には大いに興味がある。
でも異性の欲望にたぎった視線にはいまだ恐怖を感じていた。
私に限らず、ほかの二人も自惚れではなく事実としてモテる、美しく、可愛い女子だ。
だが、皆ほとんど恋愛経験はない。
瑠衣はバスケに忙しい。
香音は中学時代に間接直接を問わず、告白された回数は私が知る限り2桁に達する。
私も、運動部のエースと言われる男子を含め、そういうことはよくあった。
そういう雰囲気にならないように、極力気を使っているつもりだったのだが。
「道行く可愛い女の子という企画はあなたたちが輝きすぎるので、ほかが見劣りしちゃってね。ある意味ではあなたたちのおかげでぽしゃっちゃった。」
「私たちの所為だと?」
私は椎名さんをにらみながら言った。
「ごめんなさい、そういう意味ではないの。あなたたちのおかげで、と言ったはずよ。あの中にあなたたちを同列で入れてしまうには、あまりにも惜しかった。本当であれば4ページくらいであなたたちだけで特集を組みたいくらいに、ね。送った写真見てもらえば、うちの雑誌に載ったものよりいい表情のものがあったと思うでしょう?」
それは感じていた。
香音も「この写真いいよね」と言っていた3人の笑顔の写真は使われていなかった。
「でもさすがにクレープを食べている写真だけでは、そんなことを編集長がOK出すわけなくてね。まず、あなたたちの存在を示すのに、とりあえず私の権限であの恋愛事情って企画にぶち込んでみたんだけど。適当なコメントを載せたことは思慮が足りなかったわ。それはもう一度謝らせて。ごめんなさい」
嘘のコメントは悪いと思っているが、約束した企画以外に写真を使ったことは謝るつもりはないということね。
「それだったらこの恋愛事情でなくても、例えば、憧れのJAモデルってページ。あれで読者モデルの誰が好きみたいな記事があったと思いますけど」
二人の先輩の棘のある言葉に恐縮しながら、瑠衣がおどおどと発言した。
「それは二つの理由からできなかったし、したくなかったの。一つはその企画に私が口をはさむ力がなかった。違う先輩編集者の企画で、ちょっと人気コーナーなの。見てくれたら解ってもらえると思うけど、あの企画はその次の「憧れJAモデルの結婚」につながってるから、ね」
「もう一つの理由は。」
香音が椎名さんを射抜くような瞳で見ている。
漆黒のような輝きを放つ香音の瞳は、私の憧れである。
全体的に小さめの顔のパーツだが、瞳は大きく、少女漫画のヒロイン並みに星が輝くようにきれいな瞳だ。
彼女と相対した人は彼女の瞳に吸い込まれそうになる。
それが恐怖か至高の幸福かは香音に対するその人の心情によるだろう。
さて、椎名さんはどちらだろう。
「そう、もう一つの理由ね。」
もったいぶった言い方で、視線を香音から私に向けてきた。
その視線はまるで私に挑むような凄味のある眼力だった。
椎名さんのその挑むような視線は私にその「理由」を言わせたいという思惑だろう。
そう、確かに私はその「理由」を、把握していた。
「もう一つの理由…。私たちから連絡させるため、ですか」
椎名さんは非常に趣味の悪い(としか言いようのない)笑みを浮かべていた。