第16話 柊夏帆 Ⅱ
卒業式が終わり、在校生は終業式を無事に終えた。
春休みに入り、私は生徒会の活動の一つである入学式後の委員会説明の議事進行についての話し合いのため、学校に向かっていた。
私はまだ自分の中の考えがまとまっていなかったが、生徒会の仕事が入学式関連であることに期待していた。新入生の名簿が手に入れば、白石影人さんのお子さんをある程度探すことができるのではないだろうか、と。名簿自体は、クラス分けの発表で3月末くらいには、事務室の前に張り出されるはずだから、入手自体は容易に思えた。
私の母親、柊冬花の義妹にあたる浅見玲子叔母さんから、白石影人には男女一人づつの子供がいることを知らされていた。名前までは聞いていないが、名簿が手に入れば、ある程度推測できると考えている。
事故について考えるとき、私は胸の中の柔らかいところが締め上げられる感覚にみまわれることがある。
だからと言って私がこの事故のことを考えないようにすれば、きっと唐突に心の異常をきたすような気がしている。
自分とこの事故の関係は、絶対に忘れてはいけない、と心の中の弱い自分がそれでも必死に語り掛けるようだ。
春休みのため、いつもの通学路に学生たちの姿は少ない。
春だとは言え、肌寒さが残る季節だ。
着るものも考えてしまう。
今日は制服の中に、軽めの白いカーディガンに袖を通し、黒のストッキングを履いた。
母譲りのダークブラウンの髪を整え、同じ色の特注品であるカラーコンタクトを装着すれば、いつも学校で生活する柊夏帆の出来上がりだ。
コンタクトを外して現れる祖母譲りの碧い瞳ともう一つのことは家族や本当に親しい人しか知らない。
学校側には正当な理由とともに申請は出しているが、理由が理由なだけに公にはされず、ごく一部の教職員しか知らないはずだ。
この秘密は私の弱さの証でもあった。
秋葉は特進クラスへの進級が決まって、重圧から逃れられたこの時期にはゆっくりさせてあげたかった。
まだ幸せな眠りの中にいるはずだ。
入学式まで、自分が心配かけた分も含めて、秋葉にはゆっくりと過ごしてほしいと思った。
高校では運動系の部活が元気よく声を出している。その中には真新しい運動着に体を包んだ生徒たちが散見された。たぶん、スポーツ推薦などですでに運動部所属の決まった新入生が部に慣れるため、一緒に練習しているのだろう。内部進学で中学と同じ部活に入る子も参加しているのかもしれない。その初々しさに少し顔がほころんだ。
「柊さん、おはよう!今日も生徒会?」
テニス部に所属する顔見知りの彩田緑里が声を掛けてきた。
今は少し休憩しているようだ。
少し日に焼けているひざ丈のスパッツから続く、その足は引き締まってかっこいい。
ショートヘアーが汗で顔に張り付いている。
大きな瞳と口が満面の笑顔で私に向いている。
そんな彼女の試合で見せる少し高めの身長からサーブを打つ姿は、文句なくかっこいい。
「そう、入学式に向けての準備があるの」
緑里にそう返した。「がんばってね」と言われて、大きく手を振った。
そこかしこの男子生徒から、「生徒会のマドンナだ、朝からいいもん見た」だとか「いつも麗しい」などと好奇の目を向けられる。
ここ最近、周りを気にしていなかったが、あまり人にじろじろ見られるのは気分のいいものではない。
私は、如才なく振舞っているが、異性のこういった不躾な視線にはいつも不快感を覚える。
昔から、その容貌で好奇の視線を常に浴びてきた。
自分が世間一般からすれば整っていることは自覚している。だからと言って、そのためにギラギラした視線にさらされることに慣れるものではなかった。
この私の容貌、この顔や体躯、これは正直を言えば両親からの贈り物だと思ってる。
ことさら誇張しようとも隠そうとするものではない。
私自身自分が綺麗になるのは好きだし、校則の範囲でだが、おしゃれも楽しい。
スタイルの維持のために、週3回くらいは軽くジョギングしたり、家でYouTubeなどの動画を参考にストレッチをしたりもしている。
中学の時はダンス部で楽しく踊っていた。
その時の部活の友達とはそこそこ仲もいい。
ただ、高校に進学して、純粋に踊ることが楽しくなくなってきてしまった。
私の体がより女らしい柔らかみを増していき、あからさまな欲望を載せた視線をぶつけられることに気づき、それも頻繁に向けられている。
ダンスの練習や、公での演技の時だけではない。
通学途中でも、休日の友人とのおしゃべりの時でもその視線は無遠慮に私に向けられる。
その頃からだろうか。「日照千歳のマドンナ」「ニッチ高のグレイス・ケリー」などと囁かれ始めたのは。
グレイス・ケリーって誰?
最初にその名前を聞いたときの素直な感想だった。
親友の大島香音に聞いたときは流石に軽くめまいに襲われた。
どうすればこの私が、モナコ王妃にまでなった大女優に例えられるのか意味不明だった。
中学入学からしているこのダークブラウンのカラコンに感謝した。
もし素の瞳だったら、好奇と畏怖の対象になるだろう。
あの小学校の頃のように…。
その男性からのギラギラした視線とは別に、単純に容姿を称賛されることは嬉しかった。
特に女子生徒たちからは半分嫉妬が混じっているのは明白ではあったが、逆に半分は純粋な憧れを口にしていた。
男性の欲望に満ちた視線や、演技中の下からのカメラに覗かれ撮影されてSNSにさらされることを嫌悪し、高1の夏休み前にはダンス部をやめていた。
空いた時間でダンス部の活動でできなかったことを始めた。
特進クラスにいることは結構時間を勉学にとられる。
それでもダンスの練習をしなくなった時間は大きかった。
勉強は当然していたが、今までやりたくてもできなかったことをいろいろやってみることにした。
その一環として生徒会の手伝いをするようになった。これは同級だった大月理仁に誘われたからでもあるが。
また、友人達と服やコスメを見ながらのウインドウショッピングもするようになった。
頻繁にできるものでもなかったが、友達と時間が合えば、ショッピングモールなどに寄って見た。
自分一人の時は気になる視線も、友達と好きなことをしていると気にならなくなっていた。
そんな時に、高校生よりは少し年齢層高めのファッション誌の名刺を持った人に「読者モデルやってみませんか」と声を掛けられた。
同級生の大島香音や、一つ下で部活を引退した中3の狩野瑠衣も一緒だったが、この子たちもかなり綺麗なため、一緒に声がかかったようだ
「私は、光栄社で発行してる女性誌JAの編集やってる椎名眞樹子、こっちはフリーランスのカメラマン、赤越純也。道行く可愛い女子高生っていう企画で、声かけてるの」
そう言って二人はそれぞれの名刺を私たち3人に渡してきた。
本物のように見えた。
「こんなの一度やってみたかったあ」
と、はしゃぎながら瑠衣が言うので、3人でという条件でOKすることにした。
声を掛けてきたスーツ姿のお姉さん、椎名眞樹子さん(できる女っぽい)だったことも安心したからだった。
香音が代表して椎名さんに口を開いた。
「3人一緒ということでしたら、いいですよ。私がかのん、この背の高い子がるい、そしてかほです。よろしくお願いします。」
「了解してくれてうれしいわ。OK、3人一緒ね。ささやかだけど謝礼も出させてもらうからね。」
瑠衣はバスケをやっていて、私たち二人より頭一つ背が高い。
幼い顔立ちではあるが、私たちより年下には見えない。
クレープ屋さんで買ったクレープを3人が仲良さそうに食べる、という構図で写真が撮られた。
瑠衣は、私たちに視線を合わせるため中腰で食べるという変な恰好をやらされていた。
スーツのお姉さん、椎名眞樹子さんは「あとの編集で綺麗になるから」と不満顔の瑠衣を諭していた。
一緒にいてカメラを取っていた赤越純也さんは軽く笑いながら、私たちに「かわいい」とか「最高」とか「笑顔いいよ」とか、誉め言葉を雨あられのようにぶつけてきて、なんだか本当に自分たちが最高の女の子たちになったんじゃないかと錯覚してしまった。
私たちの撮影は結構目立ったみたいで、知らないうちに人だかりができていた。
「えっ、だれ!有名人?」「すっごい、かわいい」「モデルさん?」
聞こえてくる声は、私たちを称賛するようなものばかりだった。
私たちの堅かった笑顔が、自然な笑みに変わっていく。
顔の筋肉に入っていた変な力が緩んでいくのがわかる。
「それ、カラコンだよね。それ外した顔も可愛いんじゃないかな。よかったら、とってみない」
私の笑顔が固まった。
自分の胸に巣くっていた小さな黒いものが徐々に大きくなるような嫌な感情。
私の変化を敏感に察したカメラマンの赤越さんは、慌てて先の発言を取り消した。
「あ、大丈夫、大丈夫。かほちゃんの可愛さは世界一」
また、誉め言葉が飛んできたが、もう私の笑顔に、自然さはなくなっていた。
自分でどうにか戻そうとしたが、ひきつった笑いが限界だった。
「どうもありがとうね、君たち。いい写真が撮れたわ。」
椎名眞樹子さんが、場の雰囲気を察して、撮影を打ち切ってきた。
にこやかに笑いながら、カメラマンの赤越さんの脇を握りこぶしで小突くのが見えた。
このカラコンがバレた?
私はカラコンを取る取らないということだけで硬直したわけではなかった。
もっとも、本当に外して人前に出る勇気などないのだが。
この特注のカラコンでもバレたことにショックを受けていたのだ。
ひとしきり赤堀さんの脇を小突くと、手持ちのカバンからスマホを取り出した。
「よかったら、連絡先を教えてくれないかしら?」
差し出されたスマホを見ながら、少し考えた。
「できれば、また撮影するときにお願いしたいの。この仕事に興味があれば、そちらから連絡してもらってもいいしね。」
迷っている私たちに椎名さんは追い打ちをかけてきた。
あまりこちらに考えさせないように、勢いでごり押しする方法はスカウト時の常套手段だと聞いたことがある。
モデルの興味よりも違う件で、迷っていた。
「やっぱり、こちらの連絡先を教えるのは怖いですね。お姉さんを信じないという訳ではないんですけど。」
瑠衣が黙ってる私たち二人をしり目にしゃべりだした。
「今回の写真のデーターや、載った本を送りたいんだけどな。」
「では、うちの父の名刺を渡しますんで、そこに送ってください。雑誌が届いたら後は個別に連絡するってことで。」
瑠衣はいつも持ち歩いてる自分の父親、狩野柊吾の名刺には弁護士の肩書が記されている。
この名刺はかなり強力なアイテムだ。何か変なことを考えている輩はこの名刺で大抵しり込みする。
「るいちゃんのお父さんは狩野柊吾さんていうんだ。ってことは、狩野るいさんだね。」
弁護士の肩書より、瑠衣の本名がわかったことの方が椎名さん的には情報の価値が高かったらしい。
「了解。お父さんの狩野法律事務所あてにできた雑誌送るね。写真データーはこのメールアドレスでよい?」
「はい、お願いします。」
瑠衣が快活に返事をした。
瑠衣が積極的なのは少し意外だった。
てっきりバスケを生きがいとして、芸能関係には興味がないと思っていた。
だが背が高く、バスケで鍛えてはいるが、手足が長く、引き締まったその体は、モデル向きだろう。
部活をしているから髪は短くしている。
それを差し引いても、二重の切れ長の目と、小ぶりな唇、小さくすじの通った鼻、細い顎の顔はよりシャープに見える。
十分に美しい少女として周りからは認知されている。
椎名さんは鞄から封筒を取り出し、私たちに手渡した。
「今日はどうもありがとうね。これ少ないけど謝礼。それじゃ、雑誌楽しみにしていてね。」
そのまま椎名さんは軽く手を振り、その場から立ち去った。
「3人ともありがとう。あと、かほちゃん、ごめんね。機会があったら、また」
赤越さんがそんなチャラいことを言って、手を振っている椎名さんを追いかけていった。
そんな二人を見つめながら、ただ、ただ、呆然としていた。