物語02 トイック・ラパンからの来訪者
ここは不思議な魔女の家。見る者によって違う顔を見せる家です。
ひっそりと佇む家屋はこじんまりとした風格を醸し出しています。三角屋根が特徴的な彼の家には広いお庭が御座いました。
薔薇の庭園や垣根の迷路、噴水、畑、果樹園に裏庭まであります。畑のある辺りには井戸があって、果樹園には小さいながらも休憩できる円卓と椅子が置かれていました。
薔薇の庭園の中には品のいい東屋もあるのです。これが魔女の住む家だというのですから、訪れる者はさぞ驚くことでしょう。
天気のいい本日も、この家には不思議な出会いがありました。
ほら、行っている間にお客さんが来たようですよ。庭の噴水が優しく光を放っています。
「ぬぬっ! ここは魔郷か、それともあの世か。だが、それにしては……」
(王国は、レヴァニス王子はどうなったのだ。私はっ)
「キュイーンッ」
「どうどう、落ち着けクロウ」
水のカーテンを潜り、変わった鳴き声の鴉に乗った青年が現れました。鴉に乗っている時点でおわかりでしょうが、青年は小人ほどの大きさしかない男性です。年のころは二〇代前後でしょうか。
青年は上空から庭の様子を見て回り首を傾げます。彼にとって見たことのない風景でした。
「そこのお兄さん!」
「ん? なんだ」
下から声が飛んできます。自分に向かってでしょうか。
少しだけ身を乗り出して下に目をやりました。東屋の中に誰かが立って手を振っています。恰好からして少女でしょう。
自分よりも大分幼い少女の声に導かれて、青年は鴉を駆り東屋へと飛んで行きました。机の上に危なげなく着地して少女に向かいます。呼んでいた相手は、思っていた通り幼い少女でした。
彼女は机の上に建つ屋敷の外でティータイムをしている所だったのです。椅子から立ち上がり、スカートのすそを上げて会釈します。彼も彼女にならって会釈を返しました。
「うふふ。カッコイイお兄さん、一緒にお茶はいかが?」
「いいえ。お嬢さん、どうやら私は道に迷ってしまったようです。ここが何処だかご存じありませんか」
「ここ? ここは魔女のお家よ」
「魔女? 魔女とは何でしょう」
青年の言葉に少女は驚きを見せます。彼女にとってはさも当然の存在でしたが、どうやら彼には常識にないもののようでした。
少女は思います。彼はこの近くに住んでいる人ではないのだろう、と。
その通りでした。ごく自然な流れで自己紹介をします。
「初めまして。私はアレス、こっちは相棒のクロウ」
「キュイインッ」
「これはご丁寧にありがとう。わたしはリズリィよ」
「ではレディ・リズリィ、お会いでして光栄です」
まるで騎士の如く礼節を示すアレスにリズリィは微笑みました。
「面白い人ね。ところでお友達は……見た所カラス、かしら?」
少し自分の知っている鴉と雰囲気が違うので、彼女は思わず尋ねてしまいます。対する彼は耳慣れない言葉に眉根を寄せました。
「カラスというのは存じ上げませんが、こいつはネルヴァスという鳥ですよ」
「ネルヴァス?」
彼女はオウム返しに言い返し、アレスは自信を持って頷き返します。
ネルヴァスとは異世界の鴉のことでした。とても知能の高い生物です。
「アレスさんはどちらからいらしたの?」
「私はトイック・ラパンのラスティ―ユ王国から来ました」
「ふーん。聞いたことのない国ね」
次にリズリィが興味を示したのは彼の首に下がっている笛でした。笛は特徴的な形をしていて、透き通るような素材でできており綺麗です。それに不思議な力も感じました。
「これは私のトイックの結晶です」
「トイックとはなんでしょう」
「失礼しました。……そうですね、魔法という感じですがわかりますか?」
「ええ。魔法ならよく知ってますわ」
「それはよかった。どうやら私は本当に遠くへ来たようだ」
アレスは話が通じることに心底安堵したものです。彼女の言葉から、ここが故郷から遠く離れた地だと想像できました。ほんの僅かな時間でしたが間違いないでしょう。
胸を撫でおろしている彼に、幼い少女は瞳を輝かせてお願いします。興味津々といった体でした。
「あの、よろしければ貴方の魔法を見せて下さい」
「魔法に興味がおありですか」
「ええ、とっても」
少し考え込むような所作で周囲を見回します。彼のトイックには条件がありました。何、難しいことではありません。ただ必要なモノがあるか、確信が持ちたかっただけです。
広大で豊かな庭を眺めて確信を得ますと、おもむろに笛へ手をやりました。そっと口へ運び息を吹き込みます。透き通った音色が庭いっぱいに響き渡りました。
すると、どこからか猫がやってきます。そう時間をかけずに、犬や蝶、鳥など次々と寄ってきました。それを見た少女は驚きを隠せません。
しかも皆暴れれるどころか、大人しくアレスの傍につき従っているではありませんか。魔法を知っている彼女でも心が揺さぶられる光景でした。
さらに言えば、離れた所に他の猫もいます。しかし、そちらは近寄ってくる気配がありません。
「わぁ、凄い凄い!」
「喜んで頂けましたか。よかったです」
「とっても楽しませて貰いました。ですが、向こうの子は関心がないようですわね」
「ああ、それは仕方ないことなのです。私の力では心を通わせられる相手しか寄ってきません」
あちらの猫さんとは相性が悪いのでしょう、と彼は言います。
どうやら彼らのトイックとやらも万能ではないようでした。リズリィの知る魔女にもできないことがあると知っていたので、これに関しては特に気になりません。素直に受け入れます。
アレスのトイック=魔法は、笛の音が届く範囲で動物と心を通わせるチカラ。彼だけが使える、ただ一つの魔法です。
トイック・ラパンでは、一人に一つだけの魔法=トイックが生まれながらに授けられるのが普通でした。アレクのトイックは「友の音」と呼ばれるものなのです。
自分だけの魔法なんて素敵ですね。
それはさておき、集められた動物達はじっと指示を待っています。
アレクはリズリィに「何かお願いしたいことはありますか」と問いかけました。彼女は考えます。魔法を使わせた以上、何か意味を与えなくてはならないでしょう。
これはお願いした自分が考えるべきことです。だからといって軽々しい内容はいけないでしょう。慎重に、慎重に願いを選ばなければなりません。
幼い少女は丁寧に考えを巡らせ続けました。
その間、青年は呼び寄せた動物達の相手をしています。
「決めたわ。これから一緒にパーティをしましょう」
「それでよろしいのですか?」
「もちろん。お願いできるかしら」
「はい。皆にお願いしてみましょう」
「お願いします」
リズリィは淑やかにおじぎをしました。彼女の言葉に応え、アレクが笛を吹きます。心からの思いを込めて。
動物達は素直に歓声を上げました。どうやら聞き入れてくれるようです。
返答を聞いて安心した少女がさっそく準備を始めました。
動物ごとに料理を作り、会場をセッティングして、かっちりとした物は負担になるので簡単な衣装を用意します。リボンや帽子・ショールなどです。
東屋の周囲はそれなりに広々としているので、パーティをするには十分でしょう。皆も手伝ってくれて意外と早く準備が終わりました。いよいよパーティが始まります。
「ピピチュ、ピチュ……」
「ニャ~」
「ウォン、ウォンッ」
皆さん、思い思いの行動をしているようですね。食事をしたり、歌を歌ったり、ダンスを踊ったりしています。種族が違う者同士なのに皆仲良しでした。これもトイックの力でしょうか。
アレクは丁重にリズリィをダンスへ誘います。彼女もそれに応え、流れる音楽に合わせて踊り始めました。二人も楽しそうです。
楽しいパーティの時間はあっという間に過ぎていきました。
「ん~、楽しかったわ」
「こちらこそ、久しぶりの休養になって楽しかったです」
「そうなの? それはよかったね」
「はい」
小さなレディには笑顔を向けましたが、アレクの心中は晴れません。彼の心の中は故郷のことが渦巻いています。残してきた人々、大変な時にこちらへ来てしまったこと。
なによりもレヴァニス王子のことが気になって仕方ありません。あの人はアレクにとって特別な存在だったのです。
青年はどうにかして帰れないかと模索することにしました。少女と別れ、鴉を駆り探索しています。
「わたしも手伝います」
彼女が日傘を持って叫んでいました。
傘をパラシュートの如く使って机の上を下りて地上に立ちます。青年以上に小さな身体は飛べる訳でもなく、探しものをするには大変そうです。
「無理をしないで下さい」
「いいえ。わたしが手伝いたいのです」
「しかしっ」
「お願い。危ないことはしないから……」
彼女は引き下がる気がないようでした。仕方なく了承することにします。
二人で上と下からそれぞれ探しました。きっとどこかに帰る方法がある筈なのです。互いに情報交換をしながら探し続けました。
やがて、二人はあることに気づきます。
「そういえば、アレクさんはどうやってこちらに来たの?」
「それは……霧の中を飛んでいて、気がついたらこちらに」
「最初にいた場所は?」
「水の音がしました。不思議と濡れませんでしたが、確かに聞こえた」
「家の中には入ったのかしら」
「いいえ。私はずっと外にいたと思います」
だったら、と彼女はアレクを導いていきました。
リズリィに連れられて行った先には噴水があります。そう、彼が現れた噴水でした。よく見れば淡い光がまだ残っているではありませんか。
滝の如く流れる水にうっすらと別の風景が映し出されています。少し上へ視線をやれば、水飛沫と日光で小さな虹ができていました。
彼女は言います。この噴水は虹ができると不思議な事が起こるのだと。
さすが魔女の家。庭を飾る噴水すらも普通ではありませんでした。虹が消える前にアレクを促します。空に浮かぶ太陽は大分西に傾きつつありました。ゆっくりはしていられません。
「レディ・リズリィ、いろいろとありがとうございました。送り届けられないのをお許しください」
「いいの。さぁ、虹が消えてしまうわ」
早く早くと急かされます。
アレクは少女の手を取り、指先にそっとキスを落として鴉に跨りました。手綱を握って飛翔し、手を振る少女に見送られながら水の先へと去って行きます。
夕日に照らされる庭。噴水の傍まで歩み寄る人影がひとつあります。
ワンピースを纏った少女は噴水に目をやり声を漏らしました。淵に小さな人形が佇んでいます。
「今日は随分お転婆ね」
「…………」
人形は動きもしなければ、しゃべりもしません。ただ立っているだけです。人形の視線は流れ落ちる水を見つめるばかりでした。
この子はよく移動しているのよね、と少女は特に気にした素振りを見せません。
「ご主人から聞いた通りだわ。ちゃんと戻しておかないと」
そっと驚かさないように歩み寄り、優しく人形抱っこします。丁寧に丁寧に運んで東屋のドールハウスへと戻すのでした。
ここは魔女の家。ドールハウスも人形も普通ではありません。