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逆転劇を目指して


 珍事から一夜明け、ヒロコはオタク、ギャルと共に食卓を囲んでいた。ギャルとオタクは二人並んで座ってヒロコに相対し、自分たちの置かれた状況を詳らかに話してヒロコに聞かせた。ヒロコは二人の話を、保険の営業を聞くような心持ちで聞いた。


「ふーん、なるほどねぇ……二人は同じクラスなんだねぇ。元の世界ではあまり話さなかったけど、一緒に逃げている内に仲良くなった、と。要するにそういうことね?」


「全然違います。どこを要約してるんですか?」


 つまりあまり聞いていなかった。


 しかしそれも仕方のないことかもしれない。


 おとぎの国ワンダーランドを求めてインターネットの海をどこまでも泳ぐ放浪者ワンダラーであったヒロコも、需要を遥かに超えて増大し続けるコンテンツの供給に、三十歳にはその歩みを止めていた。


 幾度となく訪れたフォレ○トページの細枝ワンドを手折るための僅かな労力をもいとうほどに心は老いさらばえ、かつてまだ見ぬ獲物を求めて大海原を目指した漁人は、次々に与えられる情報と娯楽を取捨選択するだけの回転寿司の客へと変貌した。もっぱら利用するサイトは、百四十字を越える投稿が不可能な大手SNSへと移り、それに伴い識字能力は著しく低下し、末期にはソーシャル・ゲームのお知らせですら三行以上は読めないほどであった。


「あたしたちのことはどーでも良くて! 大事なのはヒロコが狙われるかもってこと!」


「え……なんで? 誰に?」


「やっぱり全然聞いてないじゃないですか」


「き、聞いてたって……だから、あれでしょ? クラス全員が召喚されて……二人が、ええと、愛の逃避行を」


「もういいです」


 丸眼鏡の向こうの大きな目を細められ、失望の眼差しがヒロコに向けられた。


 生活力のないお姉さんに呆れる年下ショタという観点から言えば理想的とも言えるオタクの素振りに、しかしヒロコの反応は芳しくない。ヒロコは小学生ショタに軽蔑されることと中学生ショタに侮られることに対しては興奮を覚えたが、高校生ショタに失望されることに対してだけは、僅かながらのプライドを傷つけられる思いがした。


 ましてオタクとギャルはヒロコのことを同年代だと思っている。ショタが自分のことをお姉さんだと認識していなければ、おねショタは成立しない。ヒロコはサバを読んだことを後悔していた。


「いいですか? さわりだけもう一度説明しますよ?」


 オタクは再度、彼らの置かれた状況をヒロコに説明した。


 召喚されたクラス全員が一つずつスキルを持っていたこと。


 そのうち有用なスキルを持つ者が軟禁され、そうでない者は奴隷として市場に流されたこと。


 軟禁された者の一人、〈異能喰らいスキルイーター〉という二つ名を持つ深見ふかみ託也たくやという生徒が、他のクラスメートのスキルを奪った上で逃亡し、消息が掴めなくなったということ。


 ヒロコはオタクの語りを黙って聞いた。ヒロコもまたオタクであったため、関心のない分野の同族の語りというのは聞くに堪えなかったが、これ以上軽蔑されることは勘弁ならなかったので観念して傾聴した。


「うーん……話はわかったけど、それがわたしのスキルとどう関係があるの?」


「ヒロコさんの『翼が生えるスキル』は、城壁に囲まれた都市を抜け出す手段として有効だからです」


「別に空なんか飛ばなくたって、壁を壊しちゃえばいいじゃん。そういうスキルは無かったの?」


「城壁は二重なんです。壁から壁までの間にもいくつか集落があります。一つ目の壁を破った時点で、内と外の壁の間で捕まると思います」


「それこそスキルでどうとでもならない? 一人でいくつもスキルを持ってるんだったら、兵士が何人来たって返り討ちにできるよね」


「無理ですよ……隷属の呪いがありますから。イ民はみんな、この世界の人間を傷つけることはできません」


 ヒロコは剣道部に受けた数々の暴力行為を思った。SMプレイは例外なのだろうということで納得した。


「そして地下のルートは知ってのとおり、ヒロコさんたちが入国するまで大きな岩で塞がれていました。残るは空だけ――」


 オタクはそこで言葉を切った。視線の先には、もの言いたげな目をオタクに向けるギャルの姿があった。


「……なんですか友延さん」


「…………べっつにぃ~? なんもないけどー?」


 不機嫌そうに唇を尖らせるギャルの言葉を鵜呑うのみにするほど、オタクも鈍感ではない。


「友延さん、約束したじゃないですか。お互い、不満があったらすぐに言うって」


「……べつに、ほんとになんでもないって」


「友延さん」


 オタクは体ごとギャルの方へ向き直って、じっとその目を見つめた。拗ねた顔を浮かべていたギャルは途端にうろたえて目を泳がせた。


 それも無理のない話だ。ギャルというのはその風体から軽薄なチャラを引き寄せやすい。故に、真摯で誠実な感情を向けられることには耐性が無いのだ。


 オタクとギャルは陰と陽、闇と光の相反する存在だ。一般的な属性相性からいって、闇は光に弱い。しかし同時に、光もまた、闇に弱いのだ。ヒロコは頭の中に『オタク→←ギャル』と属性相関図をえがいた。CPカップリング表記のようで癪だったのですぐさま消した。


「べつになんでもないって……ヒロコのことは名前で呼ぶんだなー、って、思っただけ」


 ヒロコは『オタク←←←←←←ギャル』と書き記した。


『スキル《アオハル感知Ⅰ》が《アオハル感知Ⅱ》に変化しました』


『自動発動します――アオハル! アオハル! アオハル! アオハル! アオハル! アオハル!』


「がっ、――ァ」


 不意に現実の音が遠ざかり、幻聴がヒロコの脳内に響き渡る。けたたましいビープ音、野太い男声と甲高い女声の斉唱ユニゾン。狂気めいた喚声は音響性外傷を誘発し、ヒロコは突発性の耳鳴り、めまい、およびふらつき等の症状に見舞われた。


「グギッ、……ふーーっ! ふーーっ!」


 昨夜ギャルとオタクの逢瀬を覗き見た際に覚醒したスキル――《アオハル感知》には二つの厄介な性質があった。


 一つは一定距離内で強力なアオハルを感知すると、ヒロコの意思とは無関係にスキルが発動するということ。


 そしてもう一つは、ヒロコがその目や耳で直接にアオハルを感じた場合でなくとも、彼女自身にさえ認識不可能なフェロモンのようなものを感じ取り、スキルが発動するということだった。ヒロコはそれをLCV(Love(ラブ) Comedy's(コメの) Vibration(波動))と名付けた。


 LCVエル・シー・ヴイに関して、ヒロコは一つの仮説を立てていた。


 これらはある種の解発フェロモンである。青少年のつがいが、交尾を邪魔されないように周囲の他個体への警告として放つ。あるいは、お互いへの性誘引を目的として放っている。いずれにせよスキル《アオハル感知》はこのフェロモンを脅威と判断して警告を放つ。


 灰色の青春時代を送ったヒロコが青少年のアオハルを目撃することによる精神的苦痛は計り知れない。スキル《アオハル感知》は条件付けされた痛みの記憶からヒロコを守るための、言わば()()()()()()()()()であった。


 突然頭を抱えてうめきだしたヒロコに、ギャルは席を立って駆け寄った。


「ヒロコ大丈夫? 頭いたい?」


「……またですか?」


「ちょっとオタク! そんな言い方ないでしょ!」


「っ……すみません。でも、昨日も似たような事になって……結局、一晩明けたらケロッとしてたじゃないですか」


 オタクがどこか呆れたように言ったのでヒロコは苛立った。『人がこんなに苦しんでいるのに、まるで詐病みたいにいいやがって。誰がミュンヒハウゼン症候群やねん』と思った。


「女の子には色々あんの! あんた、ほんっとデリカシーない!」


 と、ギャルがオタクを非難した。ヒロコは『誰が更年期やねん』と思った。


「いや、そういうのじゃなくて……わたしのスキルは体に負担をかけるから。時々、こういう事があるの……心配しないで」


「あっ、そうなの……? ごめん、あたし、早とちりだったかも」


「話を戻すけど……ええと、どこまで話したんだっけ?」


「地下道が塞がれている以上、彼の逃走ルートは空しかない、というところまでです」


「そうそれ! その発想がまず短絡的だと思うな。あの岩を置いたのがあなたたちの追手である可能性は低いよ」


「……どういうことですか?」


 オタクが身構える。どうやらこの手の洞察力では自らに一日の長があると見て、ヒロコはすっかり調子を取り戻して得意げになった。


「簡単な話だよ。()()()()()()()()()()()()()()()()。強力なスキルを持っているイ民に対しては無力なものだってこと」


「……なるほど」


 どこか焦燥感を感じさせる表情でオタクが肯う。オタクというものは論破されることを極端に恐れるものなので、これといってヒロコには奇妙にも思えなかった。


「つまり〈異能喰らいスキルイーター〉はすでに国外に逃亡を果たしている。よってわたしが働く必要はない」


 完璧な論理だと、ヒロコは胸を張った。


 しかしオタクは口元に手を当てて黙り込んだ。思い悩むというよりは、深い思索に陥り、高次機能のすべてのリソースを膨大な計算に費やしているように見えた。こうした態度は今度こそヒロコにも奇妙に映った。まるで推しの死ネタに思いを馳せているかのようだった。


「……いえ。やはり彼は国内にいます」


 オタクが顔を上げた。


「おかげでようやくわかりました。違和感の正体はそれだ……」


「なになに? どゆこと? 一人で納得してないで教えてよー」


 再び長考に戻ろうとするオタクの肩をギャルが揺らす。ヒロコはひやりとして、スキル《アオハル感知》がオフになっていることを再度確かめた。


「友延さんに話を聞いたときから、何かが引っかかってたんです。今ヒロコさんが言ったとおり――岩が道を塞ぐためのものなら、ヒロコさんがけられる時点で破綻しています。壁としての役割を果たせていない」


「……だから、教国側が置いたものじゃない、ってことでしょ? だとしたらあいつが置いた以外に考えられないじゃん」


「そう、彼が置いたんです。壁ではなく()()として」


 その一言でギャルは得心が行ったようだった。ヒロコには何が何やらちんぷんかんぷんだったが、とりあえず「なるほど」と相槌を打った。


「そっか……でもあの岩はヒロコがどかしちゃったから」


「教国側が岩のことを知らなければ、彼の目論見通りにはいかないでしょう。捜索の手が王国まで伸びることはありません。国内の追手が減ることも」


「運び屋のおじさんは岩のこと知らなかったみたいだし、教国側が知ってたらあたしたちの輸送に地下道は使わなかったはずだよね」


「やはり僕たちのほうが先に見つけてしまったんでしょうか……だとすれば、彼はもう一度地下道を訪れるでしょうか?」


「なんのためにぃ? 逃げる気なら最初から逃げてるでしょ。まさか、岩を置き直しに行くほどのんきじゃないだろうし」


「そうですね……彼からしたら、教国側が見つけるまでに岩が動かされることはありえない。つまり見つけた上で放置されている……()()()()()()()()()()()()と考える」


「あ、あのさ!」


 白熱する二人の議論にヒロコが横槍を入れる。ヒロコには話の内容はまるで理解できなかったが、何か彼らにとって重要な議論であるらしいことは感じ取れた。どう考えても部外者の前でする話ではない。つまり二人はヒロコを当事者だと考えているということだ。


 これはヒロコにとって非常に都合が悪かった。ヒロコはあくまでも奴隷を買いに来たのであって、彼らの抱えている事情に深く立ち入る気は毛頭なかった。


「大事なのは、わたしが働く必要が無いってことでしょ? 〈異能喰らいスキルイーター〉はこの国を出る気がないんだから! わたしのスキルはいらないよね!」


「いえ、結局は同じ結論に帰ってくるんです。彼は地下のルートを使えない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からです」


「あたしたちは使えるけどね。……にしてもなんで国内に残ったんだろ」


「それはわかりませんが……彼の目的が何であれ、この国に留まり続けるつもりはないでしょう。いつかは脱国だっこくルートが必要になります」


 ヒロコはどうにかこの状況を脱する口実が無いかと思案した。


 ヒロコはオタクたちと違い奴隷ではない。つまりその気になれば、いつでも王国に帰ることができる。


 しかし奴隷として地下道から密入国するという手段は、何度も使えるものではない。王国側で買い手のつかない奴隷が教国に返されるというシステム上、同じ奴隷が何度も王国から戻ってくることはありえないからだ。手ぶらで帰るわけにはいかなかった。


 そしてオタクたちに、「危険ならば王国に帰る」と嘘をつくわけにもいかない。ヒロコの境遇を知らないオタクたちからすれば、『王国で暮らすことができるのなら、なぜわざわざ教国に来たのか』という疑問が当然に浮かんで来る。まさか『実はわたしはショタコンで年齢一桁のケモミミショタ奴隷を買いに来ました』とバカ正直に話すわけにはいかなかった。現代日本において――厳密には、ヒロコからすれば未来の日本だが――ショタコンがどんな目で見られるかは、誰よりもヒロコが知っていた。ヒロコはあくまでも、彼らと同じ奴隷の身分を装わねばならなかった。


「……うん。やっぱり、放っておけないよ。ヒロコが狙われるかもしれないのは変わらないし」


 切実に放っておいてほしい。喉元まで出かかった言葉を、ヒロコはどうにか飲み込んだ。


(そもそもわたしのスキルなら大抵の人には負けないし……別に、来たばっかの男子高校生に狙われても――)


 男子高校生(ショタ)に狙われる。


 その一文が稲妻のようにヒロコの全身を駆け巡り――閃光が、新しい道を照らした。


 再び起こる価値観の逆転(パラダイム・シフト)


「ヒロコさん、考え直しては貰えませんか。やはり僕たちにはヒロコさんの協力が――」


()()()()()ってことね?」


 ヒロコの発言に、オタクは胸を射抜かれたかのように驚いた表情を見せた。


()()()()()()()()()()()()()()――そういうことね?」


 逆転(リバ)の発想。


 つまりおねショタではなくショタおねということだ。


 オタクたちの話から推測される〈異能喰らいスキルイーター〉の人物像キャラクターはイジメっ子系ドS生意気マセガキショタだ。そしてオタクは、見たところそれほど性に明るくはない気弱きよわショタ。つまりヒロコは『気弱ショタと懇意にしているがゆえにイジメっ子ショタに目をつけられる内弁慶おねえさん」という立ち位置になる。


「ヒロコさん、その作戦には問題があって――」


「みなまで言わないで。〈異能喰らいスキルイーター〉には仲間がいる。釣れるのが本人とは限らない。そんなところでしょ?」


「え? なんでわかるの?」


「まあ、一言で言えば経験論かな」


 イ民は教国の人間に危害を加えられない。つまり〈異能喰らいスキルイーター〉は同じイ民からしかスキルを奪えない。だというのに、地下道を塞ぐ大岩を生み出したスキルに、オタクとギャルは心当たりがないようだった。つまり、くだんのスキルは彼らの同級生のものではない。別の誰かから奪ったものか、協力者のものだ。


 そして何より――イジメっ子ショタは普通、仲間意識が強い。この手のショタが()()()()を連れて襲ってくることは疑いようのない事実だ。


 捕まれば間違いなくシェアハピされる。ヒロコはにわかに興奮を覚えた。


(つまりわたし総受け――悪くない)


「まったく問題はないよ。スキルを奪うには何か条件があるはずでしょ? 例えば身体に触れうふふ、触れるとか」


「……おそらく。他の生徒の話を聞く限りでは、てのひらで触れるのが発動条件です」


てのひらかぁ……思ったよりもゆるい条件だな……でも、スキルを奪う際には、必ず〈異能喰らいスキルイーター〉本人がいなきゃいけないってことだよね。なら囮作戦は有効だね」


「ヒロコ、本当にいいの? すごく危ない役だと思うけど」


「深見くんはヒロコさんがイ民だと知りません。闇討ちのような真似はできません。まずは交渉に来るはず……それほど危険はないと思いますよ」


「……そういう問題じゃないじゃん。本当にスキルを奪われちゃったら――」


「いいの、ユカリちゃん」


 ヒロコは穏やかに微笑んだ。


「スキルなんか惜しくないよ。わたしには、もっと大事なものがあるから」


 ヒロコにとっての譲れないものビット・イン・ザ・ボックス――それはショタと結婚することに他ならない。その相手は相手は絶対に無垢ショタでなければならないというこだわりはあったが、腰を落ち着ける前にハメを外すのもやぶさかではなかった。


「協力する。〈異能喰らいスキルイーター〉はわたしに任せて」


「……願ってもない話です。よろしくお願いします」


 いまだ釈然としない表情のオタクが、ヒロコに手のひらを差し向けた。ヒロコは応じ、その手を強く握り返した。


 〈異能喰らいスキルイーター〉を喰らうために。


 真の〈童貞殺しチェリーキリング〉となるために。

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