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そしてメスガキはママとなる


「そういうわけで、この街を出ようと思うの」


「どういうわけですか?」


 街の銭湯を出禁になった翌日、ヒロコはまたしても奴隷商の下を訪れていた。


「だからー、銭湯は出入禁止になっちゃったし、このお店にはもうショタはいないって言うし、もうこの街にいる意味無いでしょ? 他の街に行こうと思って」


「ははあ。それでわざわざ挨拶に来てくださったんですか?」


「ちがうちがう。いいお店あったら、教えてもらえないかなーって思って。そもそもお店の探し方も知らないんだよね。ここを見つけたのも偶然だし」


「そりゃあ無理な話です。店舗型なんてきょうび珍しいんですよ。大体は移動販売ですから、教えろと言われても……」


「ふーん? じゃあ貴方はどこから奴隷を仕入れてるわけ?」


「それは……お答えできませんよ」


 目聡くもヒロコが指摘すると、店主は痛いところを突かれたのか言葉を詰まらせた。


「基本的に、奴隷商は金持ちをターゲットにして商売します。冒険者なんてのは金も無い上に潔癖なやつが多い。むしろなるべく接点を持ちたくないぐらいですよ」


「ならどうやってお客を呼ぶの?」


「移動販売型なら、どこかで検問に引っかかります。そこで衛兵に金を握らせるはずですから、そこから金持ちのコミュニティ内で情報が共有されるわけです」


「じゃあ衛兵さんに聞けばいいんだ」


 店主は面白くない冗談でも聞いたように肩をすくめた。


 店主の言葉通りであるならば、移動販売では贈賄が広告を兼ねる。店舗を構えなければ摘発のリスクも限りなく少ない。この手の店が摘発される原因の大半は見せしめか、街の浄化に伴うものだからだ。奴隷の売買が多くの国や地域で禁じられている以上、移動型が主流になるのは自明と言えた。


「……じゃあ旅の用心棒として雇ってもらうとか」


「それこそ奴隷を使えば済む話ですよ」


 ヒロコはウンウンと唸り頭を悩ませた。反芻されたのは先ほどの店主の言葉。「接点を持ちたくない」、「金持ちのコミュニティ内で情報が共有される」、「奴隷を使えば済む」。それは奴隷交易というシステムが富裕層の間で完結していることを意味する。冒険者という立場では、彼らのステークホルダーとなることはできないのだ。


 であれば、ヒロコに取れる選択肢は一つしか無い。


「……わたし自身が奴隷になればいい」


「悪くない考えですね」


 店主は表情一つ変えなかった。ヒロコがその結論に至るのを知っていたかのように。




 ***




 出立を決めた後、ヒロコはメスガキの働く食事処を訪れた。


「いらっしゃいませ~……あ」


「あ、えっと……こんにちは」


 メスガキはくるぶし丈のワンピースのような給仕服を着て、小さな手で抱えるようにお盆を持っていた。髪は三角巾の中にしまわれて、丸見えのおでこにはじんわりと汗が滲んでるようにも見える。女給さんというよりは給食当番のような様相だ。


「こんにちはおねーさんっ! いらっしゃいませ~」


「あ……どうも……ふへへ……」


 ヒロコはコミュニケーション能力の低さをありありと露呈しながら、下手くそな笑みを浮かべた。度を越した口下手は、時として自分より一回りも幼い子どもに対してさえ敬語を使わせた。うへ、えへへ、と意味のない笑い声で沈黙を遠ざけ、ヒロコは懸命に二の句を告げようとした。


「さなちゃん? お友だち?」


 二人に割り込んできたのはこの店の看板娘だった。娘は意外そうに二人の顔を見比べたかと思うと、ヒロコを見て怪訝そうに顔をしかめた。


「うーんと……知り合い? の人です」


「えっ」


 ヒロコは驚いてひっくり返りそうになった。「知り合い」という言葉が、「職場の人」よりも浅い関係性を示すものに思えたのだ。自分はメスガキを一括払いで購入した所有者であり、いわばご主人様であるという自負がヒロコにはあった。ぜひともご主人様と呼んでほしかった。


 しかしそれも仕方のない事かもしれない、とヒロコは考え直した。得てしてサービスというものは、買い切り型よりもサブスクリプションや従量課金の方が手厚いサポートを受けやすい。定期的に給金を与えてくれる雇用主と、会話もままならないプー子である主人なら、前者を優先するのは当然のことだ。


「そ、そう。さなちゃん休憩まだだったよね? ちょうどいいから行ってきたら?」


「は~い! ……休憩はいりま~す!!」


 メスガキは元気よく声を上げて店の奥に引っ込んでいった。その僅かな間にも店の客や従業員に声をかけられ、愛想よく返答していた。ヒロコは胸が締め付けられるような思いがした。メスガキが遠い存在に感じられた。


「おねーさーん? 何してるの? こっち、こっち」


 メスガキは店の奥から顔を覗かせ、放心状態のヒロコに声をかけた。メスガキは初めから休憩時間をヒロコと過ごすつもりだったし、先ほどの看板娘が休憩を勧めたのもそのための心遣いだったが、鈍感なヒロコはメスガキに声をかけられるまで――声をかけられても尚、二人の心情を推し量ることができなかった。ただメスガキに知り合いと評された事実、そしてメスガキが、何やら自分よりも人間らしい生活を送っているのではないかという懸念だけが脳内を巡っていた。




 ***




 休憩室の中には一人の男が立っていた。さっぱりとした短髪頭の好青年だ。年の頃はヒロコの肉体年齢と同じくらい――二十代程度に見える。今さっきまでまかないを食べていたのだろう、机の上には使い終わった食器が置かれ、鏡の前で身だしなみを整えている。


 はっきりした理由があるわけではないが、飲食店で働いている若い男性というのは、ヒロコが苦手とするタイプだった。天敵に睨まれたようにヒロコの足はガクガクと震えだした。


「あれ、さなちゃん。これから休憩?」


「はい! ショーンさんは……」


「ボクはちょうど食べ終わったところ。……もうちょっとゆっくり食べれば良かったかな?」


 青年は感じよくメスガキに微笑んだ。そのやり取りだけでもう、ヒロコは頭の中をグチャグチャに掻き回されたような気がした。


(え? ……え? 名前で呼び合ってるの? わたしのことはずっと「おねーさん」なのに?)


「あははっ、ショーンさん、さなと一緒に食べたかったのー?」


「もちろんだよ。綺麗な女の子と食卓を共にする、これ以上の隠し味はないからね」


 ――あんなことはわたしには言えない。スキル《メスガキ耐性(中)》がある以上、メスガキに屈することはできないのだ。スキルさえ無かったら、わたしだって甘い言葉の一つや二つ言えるのに。ちくしょう、ちくしょう――ヒロコは悔しくて悔しくてたまらなかった。鼻の奥がツンとしたが、涙は出なかった。スキル《脳破壊耐性(小)》のせいだ。


「えっと……さなちゃんのお姉さんですか? 妹さん、よく働いてくれて助かってますよ」


 青年は右手を差し伸べて握手を求めてきた。ヒロコは左手の甲でそれを打ち払った。


「……すぞ」


「え?」


「あ、あー! ショーンさん! お店混んできてるから、早く行かないと大変かも!」


「そう? じゃあもう行こうかな。もっとお話していたかったけど」


 言うと、青年はメスガキの頭に軽く触れた。ヒロコは「触るな、わたしのだぞ!」と叫びたかったが、絶望のあまり声が出なかった。メスガキはヒロコのようにその手を払うでもなく、ただ照れくさそうに――そしてどこか嬉しそうに、はにかんでいたのだ。


『《脳破壊耐性(小)》が《脳破壊耐性(中)》に変化しました』


 ヒラヒラと手を振って部屋を出ていく青年を見送ると、メスガキは長椅子に腰掛け、手招きしてヒロコをその左隣に座らせた。ヒロコは黙ったままだ。怨嗟と憎悪がギリギリと口内で擦れる音を、メスガキに聞かれないよう必死だった。


 ヒロコの哲学では、二十代はショタだ。しかしどうしてもヒロコは、先ほどの青年をショタと見なすことができなかった。女性を子供扱いするなんてショタのすることではない。たとえ相手が本当に子供だったとしてもだ。あれではまるで女たらしではないか! ヒロコの足は、今度は苛立ちで震えそうだった。


 ショタ道のその二、「遍くにショタ宿るなり」。少年性は全ての人間に宿るものであるから、年齢というのは些細な問題である。しかし今のヒロコには、そんな教えは妄言に感じられた。


 メスガキも何も言わなかった。足をぶらぶらとさせながら、ぼうっと何もないところを見ている。


(ひょっとしたら、ひょっとするんじゃない? 乙女の顔なんじゃない!?)


 ヒロコの脳内で、売れない一発屋芸人のリズムネタのような文言がぐるぐると巡った。


 沈黙が室内に満ちた。先ほどまであんなにも恐れていた息苦しい停滞が、今ではヒロコにとって失い難いものとなっていた。次にメスガキが口を開くとき、耐性スキルなんてものは役に立たないぐらい、自分の脳が粉々に破壊されるだろうという予感があった。


「あ、あの人さ! よく話すの?」


 沈黙を破ったのはヒロコの方だ。


「んー? ……ふつー?」


「そ、そっか。……なんかあの人ちょっと軽そうだよね! 変なことされてない!? お姉さん心配だなー!」


「……さな、陰口きら~いっ」


「ち、違うよ!? 陰口とかじゃなくて、ほら……さなちゃんにはまだ、そういうの早いんじゃないカナ!? さなちゃんに悪いムシさんがついちゃったらと思うと夜も眠れないカモ!」


 ヒロコとて、陰口なんてものは一切好まない。他人の悪口で盛り上がるような人種は軽蔑の対象だったし、そんなもので会話を繋ぐくらいなら、陰気な輩だと思われようが黙っていた方がマシだと考えていた。しかし事ここに至っては、自分が軽蔑していた連中と同じような醜さを表していることに気付かぬほどにいっぱいいっぱいだった。少しでも気を抜けば、多種多様の機種依存文字が濁流のように溢れそうだった。


「……あー♡ わかったぁー♡」


 メスガキはヒロコの膝に手をついて身を乗り出し、上目遣いに顔を覗き込んで言った。


「おねーさん、しっとしてるんだ♡ さながショーンさんに取られちゃうかもーって♡」


「は? してないが?」


「さっきもぉー、すっごい怖い顔してたもんね♡ さなビックリしちゃったぁ♡ そんなにさなのこと独り占めしたかったの? さな女の子だよ? おねーさんの彼氏さんにはなれないよー♡」


「してないが? 彼氏くらいいるが?」


『《メスガキ耐性(中)》が《メスガキ耐性(大)》に変化しました』


 メスガキはやれやれといった素振りをした。ヒロコの言動が本心で無いことを見抜いているようだった。


「おねーさん、さなにお話があったんでしょ?」


「話なんて無いが? たまたま通りがかっただけだが?」


「……もー!」


 頑なな態度を崩さないヒロコの左腕を取り、メスガキは力いっぱいに引っ張って、その頭を自らの膝の上に招いた。横向きに倒され、ヒロコの視界は九十度回転した。


 ヒロコはしばらく状況が飲み込めないでいた。膝枕という言葉はついぞ浮かばなかった。それほどまでに縁遠い言葉だったのだ。


「……おねーさんが、さなを買った日にね。奴隷商さんに言われたの。きっとおねーさんは、いつか街を出ていくって」


 ヒロコにとって耳を疑うような話だった。あの店の店主はこうなることを――ヒロコが新たな奴隷を求め、街を離れることを予見していたのだ。それも、ヒロコが街の銭湯を出禁になる前から。


「だから、会いに来てくれたんでしょ? ……さなは平気だよ。寂しくないよ。おにーさんもいるし」


「……そっか……それなら安心だね」


「そんなこと言って、おねーさんのほうが寂しかったりして」


「そ、そんなこと――」


 首から上だけを捻って、ヒロコはメスガキの顔を見た。その表情に、からかいの色は露ほども認められなかった。慈愛に満ちた眼差しだけがあった。


「寂しい?」


「――――あ、」


 スキル《メスガキ耐性(中)》は発動しなかった。メスガキはメスガキではなくなっていた。メスガキはママだった。今やメスガキはヒロコの方だった。ヒロコはその柔らかい眼に貫かれ、ただ一言、「寂しい」と呟いて、再び首を捻って空を見つめた。


 ヒロコはまたしばらくの間、口を開かなかった。メスガキも、ただ黙って待っていた。そこで初めてヒロコは、今までもメスガキがそうしてくれていたことに気づいた。


 ヒロコは突如として立ち上がり、壁の方に目を向けたまま、宣誓するかのように高らかに心中を吐露した。


「ほ、ほんとは――さなちゃんが他の人と話してるのとか、すっごくやだ! なんか、わたしとより仲良さそうだし、一生懸命働いてるし、わたしがいなくても平気って言うし! そういうのやだ! わたしがいないとダメって言ってほしい! 自立しないでほしい! わたしに養われてほしい!」


「おねーさん無職じゃん」


「働くのはもっとやだ!!」


 ヒロコは勢いよくメスガキの方を向くと、膝立ちになって、座ったままのメスガキに抱きついた。「やだ、やだぁ……」と駄々っ子のように涙するヒロコの頭を抱え、時に撫でた。


「大人にならないで……置いていかないでよぅ……」


「さなのこと、置いていくのはおねーさんのほうでしょ? 変なの」


 こんなはずでは無かった。ヒロコの認識では、奴隷というのはとにかく主人に依存して、その恩義に報いるために深い忠義を示し、無条件に愛情を注いでくれる存在であるはずだった。それが現実はどうだろう。ヒューマノイドは他に女を作り、剣道部には暴力を受け、メスガキの交友関係は今やヒロコよりも広かった。ヒロコは急激に自信を喪失していた。


「――大丈夫だよ」


 メスガキが語りかける。ヒロコとは対照的な、ゆっくりとした口調で。


「おねーさんは、ざこで、なきむしで、しゃかいふてきごーしゃだけど――」


 罵倒の中に許しを込めて。


「――弱虫じゃないもん。だから大丈夫だよ」


 古く――メスガキには、三つの層があると言い伝えられている。第一にメスの層、第二にガキの層、そしてもっとも深い位置にあるのが第三の、聖母の層である。メスガキはこの三つの層でもって挑発を行い、感情の発露を促すという。すなわちメスの層では性的欲求を、ガキの層では自尊心を発露させることを目的とした挑発行動を行う。


 ――「しかし、汝、真なる愛を欲す者、この煽動に屈するなかれ。すなわち敗北となる。またその衝動に甘んずるなかれ、すなわちわからせとなるだろう」(『メスガ記』二十四章五節)――


 ヒロコは、奇しくもスキル《メスガキ耐性(中)》によって二つの層を乗り越え、メスガキの剥き出しの愛情表現を与えられたのだった。


 「遍くにショタ宿るなり」――その言葉が、ほんの少しだけ理解できた気がした。メスガキはメスガキでありママでもあった。そしてヒロコもまた、ショタコンでありケモナーであり、マザコンでもあったのだ。それらは相反する性質ではなかった。そこにはただ深い愛だけがあった。全てが許されているような全能感の中、ヒロコはバブみを感じて存分にオギャった。


「ママ……ママ……」


 ヒロコはメスガキの――さなの腹に、そっと頬ずりした。


 「還りたい」――ヒロコは処女懐胎を思った。願わくばもう一度、この心優しい、純粋な娘のお腹の中からやり直したいと、心から祈った。そうすれば、自分の原罪が全て洗い流されるような気すらした。


 旅立ちの時は否応なく、刻一刻と迫っていた。この世界に来て二十余年。出立の日を間もなくして、ヒロコは帰るべき場所を見つけたのだった。

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