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ツンデレは血管迷走神経反射性失神の誘因となる


「やあやあ店主! 繁盛してるかね!」


「……何しに来たんですか」


 薄暗い店内に能天気な声がこだました。声の主はもちろんこの女、我らがヒロコ・クズハラである。


「何しに来たって、そんなの、奴隷を買いに来たに決まってるでしょ?」


「あのねぇお客さん。昨日そのガラクタを持ち帰ったばかりでしょう。奴隷ってのは普通、そんな毎日買うようなモンじゃないんですよ」


「いいから聞いて! 大変なことに気づいたの!」


 ヒロコは隣のヒューマノイドを指し示して言った。


「この子、機械だから、えっちできない!」


 店主は心底鬱陶しそうな顔をした。


「……できるでしょう。金粉まぶしたりとか」


「何言ってんの?」


「お客さんが言ったんでしょう! つい昨日!」


「プラスチックに金粉まぶしたら、ただのメッキ加工じゃない」


 やれやれ、やはり異世界人にウェット・アンド・メッシーの概念は少々難解だったようだ。ヒューマノイドに金粉をまぶすというのは、人間にファンデーションや()()()()を塗るのと変わらない。それではただのお化粧だ。


「いや、わたしはね、彼女は凄く魅力的だと思うの。ほら、色白だし、くびれとかも凄いし。ちょっと筋肉質……ていうか、金属質? な部分はあるけど。でもそれ以上に重大な問題があってね」


 ヒロコはヒューマノイドの脚部後方の充電フラップを開き、指差した。


「ねえ、高校生の……男の人の、その、()()って、ココに収まるかな?」


「収まりません」


 店主は即答した。


「そっか……そうだよね」


 ヒロコはそっと充電フラップを閉じた。


「二十センチもあるんだもんね」


 そんなには無い。店主はそう言いたかったが見栄を張った。


「そうですね。年齢と同じくらいかと」


「え」


 ヒロコは息を呑んだ。


「じゃあ、三十歳なら、三十センチってこと?」


「そうなりますね」


 そうはならない。店主は引っ込みがつかなくなっていた。


「この世界ではそうなのか……いや、もしかして元の世界でも……?」


「要するに、昨日言ってたような、大人の女性が必要なのでしょう。すぐにご案内できますよ。前にも言った通り、ワケありですがね」


「話が早くて助かる! あ、今日はこの子も一緒だから。ねっ! ペ……ジュリエット!」


 ジュリエットと呼ばれたヒューマノイドは、目元のLEDランプをピンク色に光らせながら頷いた。人前で充電フラップを開閉されたことに羞恥を感じていたのだった。




 ***




「うそ……嘘だよ、こんなの……」


 二度と聞けるはずのない声。大好きな人の声。何度、その声に名前を呼ばれることを空想しただろう。


「なに、あんた。私になんか用?」


 その声が今、ヒロコに向けられていた。だと言うのに、ヒロコを襲ったのは底の知れない絶望であった。


「ねえ……ちょっと、すごい汗だけど。大丈夫?」


「ああ……うん……大丈夫。ありがとう」


 フラついて覚束なくなる足を、ヒロコは懸命に抑えつけた。まだだ。まだわからない。きっと、他人の空似だろう。


「別に……礼を言われるようなことしてないわよ。私の目の前で倒れられたりしたら迷惑なだけ」


 つり上がった猫目の女性が言葉を紡ぐ。そっけない態度とは裏腹に、どこか甘い響きを纏った声音で。


「……勘違いしないでよね」


 つんっ、と。


 そっぽを向きながら言った。


「うわあああああああああああああああああああ!!」


 ヒロコは膝から崩れ落ちた。紛うことなきツンデレ、CV:釘○理恵であった。


「ああああああああああ! うあああああああああ!!」


「ちょっとお客さん! どうしてんですか突然!」


 CV:釘宮○恵のツンデレがいるということは、CV:○宮理恵のショタは、この世界にいないということだ。ヒロコは血管迷走神経反射性失神によって意識を失った。


 朦朧とする意識の中、ヒロコの脳内を走馬灯が駆けめぐる。CV:釘宮理○のツンデレボイス、CV:釘○○恵のクーデレボイス、CV:釘○○○のロリボイスにショタボイス、それからCV:○宮○○の小悪魔ボイスにゲロ甘脳トロボイスに戦闘時やられボイスであった。


「くぎゅう……くぎゅううぅ……」


 うなされるような声に、応えるものはいなかった。




 ***




「落ち着きましたか、お客さん」


 空き牢の寝台の上でヒロコは目を覚ました。


「うん……もう大丈夫」


「それで……あの子は」


「買わない」


「そうですか……」


「うん。買わない」


 ヒロコの意思は固い。そもそもヒロコのいる世界でツンデレキャラが一世を風靡したのは四半世紀も前のことだ。手垢に塗れたありきたりのキャラクター性に、今さら心奪われようはずもない。年季が違うのだ、年季が。ヒロコは硬派を気取った。


「大体ね、わたし、ツンデレって昔から好きじゃないの。ああいう子って、横暴で、自分勝手で、面倒くさいのが多いから」


「それお客さんじゃないですか」


「え?」


「え?」


「エ?」


「うわあ! いつから居たの!?」


 防具を着用した剣道部はいつの間にやらヒロコたちの会話に聞き耳を立てていた。


「エメン、エメメメ、エメメンメメ!」


「え? 悲鳴が聞こえたから心配して見に来てくれたの?」


「エエ!」


「それはありがたいけど……さなちゃんを一人にしちゃダメだよ」


「メッ?」


「めっ」


「メェ……」


 剣道部は肩を落としてしょんぼりとしてしまった。一方ヒロコは「今のやり取りはなかなかにおねショタっぽいぞ」とご満悦であった。


「お姉さんは大丈夫だから、さなちゃんのそばにいてあげて」


 ショタ道のその一、『ショタはショタのみにてショタたるにあらず』。すぐれたショタを望むのならば、己もまたすぐれたお姉さんでなければならない。ヒロコは脳内でごった返すあられもない妄想を抑えつけ、涙ぐましくもお姉さんぶって、剣道部の頭を撫でようとした。剣道部は一本取られることを危惧して後ろ足を抜き、コンマ数秒の間に右手に持った竹刀を正眼に構え差し出された右手を打った。瞬息の小手である。


「――ッ、メエエエェェェェェンッ!!」


 小手である。


 ヒロコは悶絶し再び地に伏した。しかしその顔には幾許も悲壮感はない。元・奴隷のショタに差し伸べた手をすげなく振り払われるというのは、ヒロコにとっては辿るべき道筋の一つに思われた。


 これでいい。()()があるからいいのだ。幾度となく拒絶されるからこそ、受け入れられたときの()()が増すのだ。人はそれをエモと呼ぶ。いずれ、彼の方からこの手に頭をこすりつける日が訪れる。ヒロコはその時を思い、再び沈みゆく意識の底、その暗闇の中で舌なめずりをした。




 ***




 ヒロコたちがツンデレの牢の前に戻ると、そこではヒューマノイドがツンデレに迫り壁ドンをしていた。


「おっと?? これは?」


 ヒロコが言うと、二人はさっと離れてお互いに明後日の方を向いた。なぜか二人とも襟元を正している。ツンデレはともかく、ヒューマノイドに襟はない。プラスチック製の表情に変化はないが、明らかに動揺している。


「え? なにこの空気。なんかしてたよね? ねえ今なんかいやらしい雰囲気だったよね?」


「な、私は別に! ジュリエットの方から……」


 ツンデレは顔を赤くして言った。


(完全にメスの声になってる……)


『スキル《脳破壊耐性(小)》を獲得しました』


 再び失神しそうになるのを舌を噛んで堪え、ヒロコはヒューマノイドに詰め寄った。


「おかしいじゃん。さっきまでは完全に、私にデレる流れだったじゃん。私が落ちて『あー、ツンデレも悪くないなー! やっぱり声優さんってスゴイや!』って言って結局買っちゃうやつじゃん。それをなんで……ねえ、あなた私の奴隷でしょ? なんでそういうことするの?」


 ヒューマノイドはスキル《発券》を発動した。虚空から一枚の番号札が現れた。『797』とあった。


 ヒロコはヒューマノイドを殴打した。ピポッ☆ という間抜けな効果音が鳴った。


「おちょくってるな? おちょくってるだろ。もういい! この子は絶対に買わないから!」


 ヒロコはヒューマノイドの腕を取り、牢の外へと連れ出そうとした。


「行っちゃうんだ」


 二人の足を止めたのはツンデレの声だった。


「その人を選ぶんだ。私じゃなくて。……あんなことしておいて」


 ツンデレは紅潮した顔を伏せて言った。ヒューマノイドは考え込むように目の端のLEDランプが緑色に点灯させ、ヒロコの顔面は蒼白となった。光の三原色である。


「別に、どうでもいいけど。今日会ったばっかりだし。行くならもう、ぜったい、振り向かないで」


 ツンデレは気丈な素振りを見せ、ツンっとそっぽを向いた。その唇がわずかに震えていることをヒロコは見逃さなかった。


 ヒューマノイドには、ツンデレの表情が見えていないはずだった。彼女の顔認証機能は頭部前側のカメラに依存しているのだ。しかし彼女はやがて目元のLEDランプの点灯を止めたかと思うと、そのまま振り向くことなく、今度は両肩のLEDランプを五回点滅させた。ア・イ・シ・テ・ルのサインである。


 その意味にツンデレが気づくことは無いだろう。そしてそれを、ヒューマノイド自身も承知していたはずだ。それでもきっと――伝わらないとわかっていてもなお、そうせずにはいられなかったのだ。


 眠りこけていた間に二人にあった出来事を、ヒロコは知らない。しかし二人が共に過ごしたほんの僅かな蜜月が、お互いを特別な存在にしたことは疑いようがなかった。


 ヒューマノイドと人間。それも一方は異世界人で、一方はこの世界の原住民。二人の道が重なることはきっとない。


 結ばれることのない二人が刹那に描いた甘い空想。二人が共有したまばゆい幻のような未来予想図を思い、ヒロコは無性に虚しくなった。

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