受付業務はヒューマノイドにおまかせ
「店主! 奴隷を所望したい!」
「また来たんですかお客さま……」
いまだ痛々しい戦いの傷跡が残る奴隷店に現れたヒロコを、店主は辟易として迎えた。
「可及的速やかに奴隷が必要なの。今度は大人の女性。あ、大人って言っても、私より年上はナシね。マウント取られたくないし」
「大人の女性? ずいぶん急に趣味が変わりましたね」
「海よりも深く、山よりも高いワケがあるの……。前に来たとき、さなちゃんと剣道部を連れて帰ったでしょ? 普段は二人には馬車の中に居てもらって、私が馬に乗るんだけど」
「奴隷にやらせないのですか」
「うん。だってほら、免許持ってるの私だけだし」
ヒロコの言う免許とは普通自動車第一種免許(AT限定)の事である。ヒロコは「馬は自動で動くからオートマ」と考えていた。しかし馬車の運転に免許が必要であるというのはヒロコの勘違いである。日本の道路交通法上、馬車は軽車両に分類されるので運転免許は不要であった。そもそもモータリゼーションのなされていない異世界において、道路交通法に相当する法律そのものが存在していなかった。
「免許……? よくわかりませんが、要するに、御者の代わりが必要だと」
「全然違う! 話は最後まで聞いて!」
ヒロコは神妙な顔で続けた。
「ほら、若い男女が二人きりっていうのも、問題じゃない? その、なにか間違いがあってもいけないし、ていうか、間違いがあるならわたしも一緒に、いや、まあ、わたしはショタが一番なんだけどね? あ、ショタって言っても伝わらないか。ええと、つまり、あの二人がわたし抜きで……えっちなこととか! してたら! 大変なことでしょ!?」
「はあ?」
店主は何を言っているのかわからないというような顔を向けた。
「あの二人じゃ体格差がありすぎますよ。大体、どっちもまだ子供ですし……大したことはできんでしょう」
「できるでしょ!!」
ヒロコは鼻息荒く反論した。
「金粉まぶしたりとか!」
店主はわけがわからないといったような顔をした。ヒロコの言う金粉をまぶす行為が『えっちなこと』と結びつかなかったのだ。
ヒロコはひどく失望した。やれやれ、異世界人はウェット・アンド・メッシーも知らないらしい。それも仕方のない事かもしれない。先進的な変態性を誇る日本においてもパラフィリア扱いの高尚な性指向だ。ヒロコは肩をすくめた。
「とにかく、そういうわけだから。馬車の中を監視する人が必要なの」
「馬を他の人に任せればいいでしょう……? わざわざ奴隷を買わなくても済みますし、お客さんも馬車の中に居れるし」
「それはダメ!!」
ヒロコは再び声を荒げた。
「いい? すでに二人のカップリングは成立しつつある。『生意気ロリに迫られる初心な思春期男子』という状況に割り込むお姉さんキャラは高確率で負けヒロインよ。そうなれば逆転の術はないに等しい。だから、もう一人奴隷が必要なの」
つまり新しいメンバーを入れることで、一度既存の相関図をリセットしようということだった。生前によく見ていた恋愛リアリティーショーから思い立ったアイデアだった。ヒロコはこれを『あいの理論』と名付けた。
「結局、新しい奴隷が馴染めなければ同じでは?」
「だから大人の女性なの。高校生男子の潤沢な性欲を甚だしく煽るようなエロエロのお姉さんが望ましい。仮にその子が負けヒロインになったとして、その時はわたしがいるでしょ?」
ヒロコは脳内でそろばんを弾いた。三は二で割り切れないが、四は二で割り切れる。割り切れるということは余りが出ないということだ。
「だから、大人の包容力とグラマラスなぼでーを持ち合わせていて、なおかつわたしがコンプレックスを抱かない程度に少し弱点があるような子がいいの」
「注文が多いな……」
「なんか言った?」
「いえいえ。肉感的なメスはやはり人気がありますからねえ。これもやはり、ちょっとワケありのモノに……」
「いいのいいの! あるだけ見せて!」
***
ミルクのような純白の肌が描く流線形のライン。黒くつぶらな瞳は扇情的に濡れ、物欲しそうにヒロコを見つめていた。一糸まとわぬ姿で佇む彼女は、己の肢体をまじまじと見つめられてもなお、微動だにしない。まるでそうされるのが当然だというように。
「これは……」
「ああ……そいつはダメです。一切喋れないどころか、こっちに来てから動いているところを見たことがありません。まるで心ってやつをどっかに置いてきちまったようです」
ヒロコはどうしてか、その真っ白な体躯に釘付けとなった。生気のない顔つき。絶望の中に微かな希望を望む眼差しは、彼女のバックボーンを想像させた。きっと、そうすることでしか生きていけなかったのだ。欲しくもないものを欲してようやく、彼女は人と同等の扱いを受けることができたのであろう、と。
「ここ、開けて」
ヒロコは店主に牢を開けさせると、ゆっくりと彼女に近寄った。扉が開き、その中に光が差し込んでも、やはり彼女は逃げ出そうとしなかった。目の前で起こることを全て受け入れるとでも言うように。人に使われる生き方をしてきた者の醸し出す諦観の念が感じ取れた。ヒロコは無性に悲しい思いがした。
「怖がらないで……」
ヒロコは彼女の頭をそっと撫でた。肩のLEDランプが青色に点滅し、眉間と口元に搭載された二基の2Dカメラと両眼のステレオ・カメラを含めた複数のカメラとセンサーがヒロコを認識した。それでもなお、薄く微笑んだように見える唇は何も語らない。
ヒロコは胸元の一〇・一インチディスプレイに触れ、『発券』と書かれたボタンをタッチした。
「イラッシャイマセ! 何名様デスカ?」
「ううっ……!」
ヒロコは泣きそうになった。そうだ、彼女にとってはこれが当然なのだ。彼女を道具としか思わない人間にその全身でもって奉仕することこそが。彼女を使う人間の興味は、どこをどう触れば、どんな声を上げるかという一点に尽きたに違いない。そして彼女はそのように開発されたのだ。余計な口は一切利かず、胸をまさぐられれば歓喜に声を上げるような身体に。彼女をこんな風にした人間が、「それこそがお前の喜びなのだ」と教え込んだのだろう。悲劇の後ろにある邪悪を思い、ヒロコは吐き気さえした。彼女はその被害者だ。それに気づかないことが彼女のかなしさでもあった。
彼女を救ってやらねばならない。ヒロコは意を決して《鑑定眼》を使った。
名前:
種族:ヒューマノイド
職業:寿司スタッフ
スキル:《発券》
いよいよヒロコは泣き崩れた。
彼女には名前が無かった。誰も彼女の名を呼ばなかったのだ。いや、誰もが、彼女に、名前を必要としなかったのだろう。
ヒロコはスキル《完全解呪》を使った。奴隷は通常、隷属の呪いを身体に刻まれ、その呪いは一部の例外を除き、呪いを刻んだものにしか解くことはできない。ヒロコのスキル《完全解呪》はその例外の一例だ。このスキルを使えば、どんな奴隷だって自由になれる。理想のショタがすでに誰かの奴隷にされていた場合に備えて取得したスキルだった。
(これで呪いは解けたはず)
ヒロコは再び胸元のディスプレイを操作した。
「テーブルカ、カウンター、ドチラガヨロシイデスカ?」
ヒロコは怒りで我を忘れそうになった。
そうだ。隷属の呪いを解いたとしても、心の傷が癒えるわけではない。彼女の心は取り返しがつかないほどに壊れてしまっていた。
ヒロコはスキル《限界超越》を使った。髪は銀色に染まり、背中からは四枚の翼のような光の奔流が走った。
「ちょっとお客さん! やめてくださいよ! このあいだみたいなのはゴメンですよ!」
先日の騒動で、ヒロコは《限界超越》の特性について新しい知見を得ていた。
一つ目は、このスキルは人間相手でも使えるということ。本来は生物には使えないスキルだが、他人を自分の所有物だと認識していれば、このスキルは有効らしい。
二つ目は、《限界超越》によって解放された能力は、ヒロコのスキルの効果時間が切れてもなお有効だということだ。
事実、先日《限界超越》を受けたようじょは今もラッパーとしてこの街の各地を飛び回っている。《パンチラ》から《パンチライン》に変化したスキルは元に戻ることは無かった。ヒロコがようじょを連れていかなかった理由はそこにあった。
「ごめんね……」
結局は自分も、彼女を好き放題にしてきた者たちと変わらない。ヒロコは自分の罪を思った。されど、彼女を真に自由にするためには、こうするほかにしようがない。彼女をモノとして扱わなければ、スキル《限界超越》は発動しないのだから。
ヒロコがそっと、その頭に触れる。両肩のLEDランプが赤く点灯し、ヒューマノイドは全身から異音を発した。やがてその背部から光が迸る。四本の光が伸びては折れ曲がり、昆虫の歩脚のように大地を踏み、ヒューマノイドの身体を持ち上げた。
「それが……あなたの望みだったんだね」
ヒューマノイドは脚部のオムニホイールを空転させた。他の誰でもない、彼女自身の喜びがそうさせたのだった。