幼馴染みの専属マッサージ師に任命された件
「ひぅ……」
「すごいな。なんでこんなカッチカチになるまで放っておいたんだ?」
指圧で軽めの力を入れると、少女のふくらはぎがビクンと脈を打った。
俺のベッドの上で仰向けになって寝転がる幼馴染み――東城美月は、恥ずかしそうに口を尖らせる。
「今日は、久しぶりにはやく帰れるからって、いつも以上に頑張ったんだけど……」
「頑張ったんだけど?」
「思いのほか、階段が、急で……ひゃうっ……途中であ、これ無理だなって……」
場所はまたもや俺の家。
ダンスレッスンとやらで精根尽き果てたらしい美月をベッドに放り投げた俺は、ほかほかに蒸したタオル1枚を美月の目に、もう1枚をふくらはぎに当てながらマッサージを行っていた。
別にこれといってマッサージに造詣が深いわけではないが、日常的にやってる筋トレ後のケアとほぼ同じ要領だ。少しは痛みも和らぐだろう。
むしろそのケアをやらずに帰って来た美月の方に驚きだ。
曰く、いつもはちゃんとダンスレッスン後のケアもやっていたそうなのだが。
「早くおうちに帰れる! おうちに帰って自分でマッサージしよう!」と思っていたところ、ここのアパートの階段のあまりの急勾配さに筋肉痛の方が勝ってしまったのだという。
最後の詰めが微妙に甘いのは、昔から変わっていないようで少しほっとしている自分もいた。
「ほら、もう少し膝立てて。身体の力抜くんだぞ」
「うぅ……はいぃ……はぅうう……」
もはや美月、為すがままだ。
恥ずかしそうにしてはいるものの言うことはきちんと聞いてくれる。
どちらかというと幼児退行のようにも思えなくないが。
細い美月の足を勝手にいじくり回すというのも考えようによってはまずいはずなのだが、どちらかというと「心配」の方が圧倒的に勝っているのが現状だ。
毎日のように忙しく動き回って、やっと安心できる(?)家に帰ろうとした矢先のこれだ。
幼馴染みとして、何か少しでも力になれることがあるなら本望だ。
あたたかいタオルをふくらはぎに押し当てて五指を浸かって上部から中部へ、中部から下部へ。
血行に逆らわないように、かつ筋肉の緊張を解してあげるように。
十指全部を使ったマッサージはある意味ピアノにも似通う部分がある。
指圧にも少し慣れてきたようで、美月は顔を覆っていたタオルからひょっこり顔を出した。
「和くん、マッサージ上手だねぇ」
あまりにのんびりした声音に、思わず笑いが漏れた。
「そりゃ良かった」
「前もこうして一回だけマッサージしてくれたもんねぇ。あの時も気持ち良かったよ~」
「そんなことあったか?」
「中学1年生の頃の、運動会のリレーで転んで捻挫しちゃったときだよ。気持ち良かったから、もっとやってほしかったのに和くん、ずっとやってくれなかったんだからね?」
――あぁ、なんとなく思い出してきたぞ。
あの時もこうして捻挫で痛がる美月のために、同じように太ももかふくらはぎかのマッサージをしていた。
しかし一度マッサージしただけで弾けるような笑顔をする美月に、思春期真っ只中の俺は恥ずかしさが絶えきれなかった。
結果、たった一回だけで俺の方からギブアップしたのを覚えている。
あの後何度かせがまれたけど、なんだかんだ理由をつけて断ってたんだっけ。
「今さら恥ずかしがる理由もないしな。美月が万全の状態で仕事に向かえるくらいなら、いくらでもやるぞ。まぁ、また家の目の前で蹲るなんてことされたら厳しいけ――」
「え、本当!?」
と、ちょっとだけ冗談めかして言うと美月は食い気味に言葉を被せた。
顔に当てていたタオルを外したその瞳は、爛々と輝いていた。
「お、おぉ。俺がいればいつでも来れば良いよ」
あまりの可愛さに当時の恥ずかしさがフラッシュバックした。
だがそこは10年の歳月の成果か。自分の心の奥底にしまいこんで、努めて平常を装う。たかだか一大学生がトップアイドルと釣り合うわけもない。
あくまでこれは幼馴染み。幼馴染みとしての手助けだ。
「やったぁ! これからずっと和くんにマッサージしてもらえるなら、頑張り甲斐が広がるよぉ。東城美月専属マッサージ師の誕生! おめでとう~!」
なんともゆるふわな名称だ。
だが美月が喜んでくれるのは悪い気はしない。
「そんじゃ、ありがたく拝命させていただくよ。トップアイドルのサポートも悪くない。っていうか美月的には大丈夫なのか? その、スキャンダルとか色々大変だろうしさ。勘違いされるのもなんだろう?」
ふっと美月は頬を膨らませて、「別にそれでもいいんだけど……」と何やら小声で呟いた後に、我に返るように元の笑顔に戻る。
「アパート周辺にマネージャーさんが数部屋取って、メディア関係者が立ち入れないように防衛してくれてるから平気なんだよ~」
さらっととんでもないこと言い始めたぞこの幼馴染み!?
「社長さんも、わたしの住んでるところをトップシークレットにしてくれてるし、今やここのアパートは周辺地域からして超絶無敵のセキュリティアパートになってるんだって」
こんなボロアパートにそんな新機能が追加されていたとは……!?
「それくらいなら、いっそさくっとエレベーターをつけてもらったりもっとアパートを改修したりしてくれたりしてもいいもんだけど……まぁ、そりゃ他力本願ってことだよな」
美月のふくらはぎもずいぶん解れてきたはずだ。
後は追加でほかほかのタオルで温めておけば、明日にはずいぶん良くなっているはずだ。
俺のため息に、美月は「そこなんだけどねぇ」とちょっと困ったような顔をした。
「ここのアパートももう、住む前に買い取っちゃえ!って思ってたんだけどね。ちょうど一ヵ月前に別の人が買い取っちゃったみたいなんだ」
「買い取った? そんな通知全く来てないはずなんだが――」
とても規模の違いすぎるカミングアウトに頭の中の情報がごちゃごちゃになりそうになる。
これがトップアイドルの経済力……!と、半ば諦め気味に聞くようになってきた俺。
ふくらはぎをさらに揉み揉みしていると、だらしない笑顔を浮かべながら美月は言う。
「えっとね、その会社さんの名前、どこかで聞いたことあるなぁって思ってたんだけど――」
指で空に英単語を書き始めながら、美月は「そうだ!」と手をポンと叩いた。
「KAGARI楽器製作所っていう楽器作りの大きな会社さんだ! 和くんの後輩さんと同じ名前だねぇ」
ふと、美月へマッサージする手が止まった。
「……香雅里、星菜?」
脳裏には、いつも俺の後ろをついてくる小動物のような後輩の姿が浮かんでいた。




