飛空挺と魔笛
「伊蔵よ、退屈だと思わないか」
寅次郎は学習机に足を投げ出して言った。
「今のままが続けば」
伊蔵は紺茶という珍しいお茶を淹れていた。
「しかし、なにごとも相転移することがあります」
伊蔵はやかんの火を止めて言った。
「伊蔵よ、おれが知らぬ言葉は使うなと言っただろ」
「かたじけのうございます。
しかし、寅次郎様はお父上様の会社を継ぐお方、
勉学の方も疎かにしてはなりません」
「伊蔵よ、おれは親父とは違う道を行くと言ったはずだ」
伊蔵は紺茶を学習机の上に置いていった。
「お父上様は九つの大陸を飛び回っておりますよ。
このお茶は南方のスンダランドでしか採れない、
めずらしいお茶ですよ。
寅次郎様も勉学をなさって九つとは言わずまでも、
少なくとも四つくらいの言葉は話せるように
なっていただかなければ」
「こんなお茶いらんと言ったろ」
そういうと寅次郎は湯呑みを床に叩き落とした。
「寅次郎様、この湯飲みは籌國の
隰王朝の時代に作られた貴重なものですよ。
お父様が見つけたらなんとおっしゃるか」
そこへ父、風太郎が入ってくる。
「よう、伊蔵。寅の勉強は進んどるか?」
「それが…」
伊蔵は床に散乱した湯呑みの破片を見る。
「おい!これは誰がやった!?」
風太郎は真っ青になって叫んだ。
「伊蔵が落としたんだ」
「まさか、わたしはただここにいただけ」
「そうか、また伊蔵か。
バラバラになったものをなんとか直せ。
できなきゃクビだ」
風太郎はズカズカと不機嫌そうに退出した。
「直したいのは山々ですが、
あまりにバラバラ。
なにか継ぐものが必要でございます」
伊蔵は床に這いつくばって言った。
寅次郎はいたずらっぽい笑い顔で、
伊蔵に言った。
「伊蔵よ、この世はつまらない。
つまらないものは壊す時しかおもしろくない。
壊されたくなければおもしろいものを作れ」
「お言葉ですが、寅次郎様。
寅次郎様こそが、
この世界に価値をもたらすお方でございます。
そのためにはこのようなお戯ればかりせず、
ぜひとも勉学に励んでくださいませ」
「価値とは飛空挺のようなものか?」
寅次郎は屋敷の窓から、
森の彼方に見える完成間近の飛空挺を
望みながら言った。
「まことに。
風太郎様は洋行して、当代最高の
魔法工学を修めてまいりました。
飛空挺が完成しましたら、
魔物の蠢く一年中暗闇の世界、
暗黒大陸を飛び越えて、
最高の資源『燕石』が、
山ほど埋蔵されているファーランドへ、
世界で初めて到達できるのです。
こんなに立派な事業はございません。
そして、そのお世継ぎは
寅次郎様、あなたしかおらんのですよ」
「あの飛空挺がどうやって飛ぶか知ってるのか?」
寅次郎は飛空挺の方を見たまま言った。
「なんでも火の国から焔族を
さらって来て、焔族の使う『聖なる火』を
原動力にして飛ぶんだそうだ。
これを野蛮と言わずしてなんという?」
✳︎
風太郎はいら立っていた。
風太郎は不合理なことが大嫌いだった。
特に女が泣くのを見るのが嫌いだった。
そして目の前には泣いている女がいた。
「焔姫とやら。いったいどうしたら、
協力する気になってくれるのだろう。
こうやって九つの大陸から、
一番おいしいお菓子も持ってきた。
火の国の写真もたくさんある。
お金が足りないのだろうか?
それだって、決して少ない額ではないはずだ。
たしかに、無理矢理連れてきたのは良くなかった。
しかし、協力してくれれば、
そなたにも大きなメリットがある話だ。
そう泣いてばかりいては、
お互い埒があかぬだろう」
焔姫と呼ばれる女は少し泣くのをやめて言った。
「火の国へ帰らせてください。
いずれにしろこんな気分では、
『聖なる火』は出せません。
飛空挺は飛ばせません」
そういうとまた泣き始めた。
それを風太郎の隣で見ていた白博士は言った。
「どうやら彼を呼ぶしかないんじゃないでしょうか。
評判は悪いが、実力はあると聞きます。
いかがでしょう。
獅子丸のやつを使ってみては?」
「わが社は厳格な会計でやってるんだ。
あんなやつのふっかける報酬に付き合っておれん」
「ではこのまま全てが無駄になるのでいいのですか?」
「……」
風太郎は考え込んだ。
✳︎
獅子丸は傲慢な道化師で有名だった。
極彩色の道化服に身を包み、
頭に不死鳥の羽をさしてやってきた。
歳のわりには白毛だらけで、
まるで老人のような顔をしていることで有名だった。
彼は心の問題の専門家だった。
「魔笛」と呼ばれる不思議な笛をあやつり、
どんなひとの心も健やかにしてしまう。
ただし、その対価は法外だった。
ある国の王女の気ふさぎを治すのに、
国を丸ごと召し上げたことすらある。
それでも彼が世界中の大会社や宮廷から
呼ばれるのは、彼には不滅の実績があるからだった。
「お呼びいただきまして光栄です。風太郎様。
獅子丸にできることはなんでございましょう?」
獅子丸は恭しく礼をして言った。
「とにかく、できるだけ早く、
ある女の気持ちを晴らしてほしいのだ。
涙はまるで永遠に降り続ける雨、
止むまでは誰もなにもできぬ」
「止まない雨はございません。
時が実るのを待つまで」
「これ以上待つのはごめんだ」
「して、その女はどこに?」
獅子丸は大仰に左右を見渡した。
「飛空挺の中だ。
今も多くのものが泣き止ませようと
あの手この手を講じているが
一向埒があかんのだ」
「ところで、獅子丸は長旅で疲れました。
今夜のところは休ませていただけまいか」
「よかろう。委細は明日の朝に」
✳︎
朝になり風太郎の客室に獅子丸がやってきた。
「風太郎様、それでは契約に入りましょう。
風太郎様は、飛空挺が動いた暁には、
暗黒大陸を飛び越えて、ファーランドへ向かう。
彼の地では『燕石』の大規模な採取を行い、
ここ大日本帝国へ逆輸入する。
その際の貿易利益の3分の1で手を打ちましょう」
「ふっかけるやつだとは聞いていたが、
予想の三倍位上だ。
しかし、3分の1ならまだ利益は出る。
出して出せない出費ではない。
全てが無に帰するよりは遥かによい。
その額で手を打とう」
「確かに承りました。
では、成功した暁には3分の1をいただきます。
ところで、わたしの『魔笛』は知りませんか?
今朝わたしの寝床の脇を見たら、
確かにそこへ置いたはずの『魔笛』が消えておりました。
あれはわたしの一番大切な商売道具、
あれがなければ仕事ができません」
そこへ寅次郎と伊蔵がやってきた。
手には銀色に光る笛を持っている。
「おい、寅次郎!それは獅子丸さんの大事な商売道具だ。
勝手に持ち出してはいけないじゃないか!
早く返しなさい!」
風太郎が立ち上がって言った。
「この笛が『魔笛』?
吹いても変な音しか鳴らなかったよ。
伊蔵が『魔笛』を使えばぼくらでも
簡単に焔姫を泣き止ませられるんじゃないか
って言ったから、
焔姫の前で吹いてみたんだ。
でも、全然意味ないね。
おじさんが獅子丸さん?これ、返すよ」
「寅次郎さん、あなた今、『魔笛』を吹いた、
とおっしゃいましたか?」
「うん、伊蔵がね。ダメだった?」
「あなたは大変なことをしました。
『魔笛』は吹くのに大変な技術を必要とするものです。
『魔笛』を上手に吹けば、とても綺麗な音色がして
ひとの心が休まり、気分が高まりますが、
素人が吹けば『死の音色』というものが出ます」
「なんだい、それ?」
「その名の通り、聴くと死んでしまうのです。
三日以内に、体が急速に老化して」
「……」
「『魔笛』を吹いたとき、そこには誰が居ましたか?」
「……ぼくと、伊蔵と、焔姫」
風太郎が興奮して言った。
「獅子丸さん。あなた、なんとかできないのかね?
そして伊蔵、おまえは一体どれだけ
ひとを不幸にすれば気が済むんだ!
すぐにでもクビにしたいが、
その前に死んでしまうな。
おまえはとっととくたばるがいい」
「ひとり助けるなら報酬は以前と同じ3分の1、
もうひとり助けるなら3分の2、
さんにんとも助けるのだとしたら全額頂きましょう」
「馬鹿げた話を!
3分の2も払ったら利益ゼロだ。
そんな額払えるか!」
「子供とはいえ、わたしの『魔笛』を盗み出し、
自分たちで危険な行為をしたのです。
その命が助かるなら安いものでしょう」
そのとき、寅次郎が堪えきれなくなり言った。
「ごめんなさい!こんなことになるなんて思っていなくて、
本当は『魔笛』を盗もうと言ったのも、
『魔笛』を吹いたのもぼくなんです。
責任はぼくにあるんです。
だから、お父さん、伊蔵も助けて!
こんなにやさしい伊蔵が死んじゃったら、
生き残ってもしょうがない」
「寅次郎様……寅次郎様は未来あるお方です。
伊蔵はつまらぬものしか作れぬ、つまらぬ人間なのです。
せめて死んでお役に立ちます」
「ダメだ!これは命令だ!そんなことを言うな!
お父さん!なんとかならないの!?」
風太郎は言った。
「伊蔵よ、なんということだ。
これほどわがままな息子を庇って死をも厭わないとは。
なんというやさしき心、大きな心の持ち主だ。
しかし、わたしは会社の社長、国ぐるみのプロジェクトを
背負っている身でもある。
貿易利益の全額を渡してしまったら、
我が社は潰れ、我が家は路頭に迷い、
一生かかっても返せない借金を背負うだろう。
それでもいいと言うのなら、わたしはおまえと一緒に伊蔵も助ける」
「いいよ!お父さん!ぼくは伊蔵と一緒ならなんだっていい!」
一部始終を聞いていた獅子丸は言った。
「わかりました。わたしは報酬は必ずいただきますが、
いつまでとはまだ申しておりませんでした。
寅次郎殿は前途多難なドラ息子で信用能力がなさそうでしたが、
今の寅次郎殿であれば、立派な事業家になれるのではないでしょうか。
寅次郎殿が立派に風太郎殿の事業を継いで、利益を出すようになったら、
そこから約束の額をいただきます。それでよろしいですか?」
「ありがとう、獅子丸さん。この恩は忘れんよ」
✳︎
それから程なくして寅次郎と風太郎は仲直りした。
寅次郎は風太郎が飛空挺狂いを控える約束をし、
また内心は寅次郎のことをとても気にかけていたことを、
一晩じっくり話し合って知りもした。
焔姫は獅子丸の『魔笛』の音色を聴くと、
途端に泣き止んで、「聖なる火」をガンガン燃やした。
その代わり、獅子丸ほどではないが、すごい給料を要求した。
風太郎は伊蔵を寅次郎の良きパートナーとして、
寅次郎と共に、魔法工学の留学をさせることに決めた。
伊蔵と寅次郎は共に役員として、会社を支えていくことになるだろう。
紺茶を入れていた茶碗は、
見つからなかった欠片が見つかり、
無事金継ぎをして元通りになった。
伊蔵が風太郎にそれを渡すと、
風太郎は恥ずかしそうにそれを受け取った。




