8話 overwhelm-8
領域は広場と建物群がまるまる収まり、更に広場の周りを取り囲む雑木林も入る広さを持っている。内部は、外のひどく吹雪いた冬の嵐のような状態と打って変わって、とても静かだった。雪は降っていない。既に降られて積もったものがあるだけだ。風もほとんどなく、三人の息遣い以外に音を立てるものは何一つない。
「ゾーイ、押さなくても自分で入るよ!」
「それに、よく調べもせずにいきなりだなんて。何かあったら、……どうしよう」
どうにもダメだった。フィーリクスは、吹き出る不安を払えない。ここにくる前の、フェリシティの家から黒雲が見えたときから抱えていた漠然としたそれが、重くのし掛かる。それを見たゾーイが馬鹿にするように片手を腰に当て反り返った。
「何弱気になってんの。何かあったら、こんな薄っぺらい膜で囲まれた領域なんて、すぐに出れば……、出れば、あら?」
「ちょっとゾーイ、冗談はやめて」
「いや、マジで出れなくなってる」
ゾーイは、境界面を手で押している。パントマイムだとすればかなり上手な部類に入るだろう。ところが彼女は冗談を言ってる様子はない。が、それでも信じられないといったフェリシティが膜部分に近づき、手で触れてみる。しっかりとした感触があるようで、向こう側には突き抜けない。入ってきたときは何もないかのように通れたのに、だ。
「へ? 嘘でしょ!? ……ちょっと、マジじゃない!」
「確かに出られない。それに、すごく硬い」
フィーリクスがノックをしてみると、非常に硬い感触が返ってくる。フェリシティなどは足蹴りをかまして、通れないか確かめている。
「ちょっと! この! 出しなさいよ!」
「こりゃ、モンスターを倒さなければ出られないのかも」
「そうなら、早くやっちゃいましょ」
「そう簡単にいくかは、……ところで、なんか寒くない?」
不安のせいだけではなく、実際に冷えている。フィーリクス以外もそれぞれ自分の腕を抱えて身震いしている。HUDの気温の表示を見ると、零下四十度越えだ。外よりも十度以上低い。
「そういえば冷えるね。レティの出力を上げなきゃ」
「この中は特に温度が低いんだ」
「二人とも。まずい事態になったみたいだよ」
ゾーイは、今度は焦った顔をしている。神経の太い彼女がそういう態度だと、真剣によろしくないのだろう。恐る恐る聞いてみる。
「どうしたの?」
「HUDの表示を見て。バッテリー残量のところ」
HUDの表示の右上に、通称でバッテリー残量と呼ばれている魔力の残存量を表示するアイコンがある。
「減ってる!? どうして!?」
「この膜のせい、だと思う」
パーセンテージにして僅かだが少なくなっている。本来ならば減るようなことはないものだ。MBIの魔法管理センターから、空間を超越し供給され続ける魔力は枯渇することがない。そのはずだったのだが。
「つまり、どういうことなの?」
「この膜は空間をも断ち切る次元境界面なんだ。この中はいわば異次元、異世界みたいなもんじゃないかな」
思いついた持論をぶちあげる。あながち間違ったものではないと思えたから発した内容だ。魔力供給の途絶に加え、通信圏外にもなっている。これではこちらからHQに助けを呼ぶことはできない。入るのは自由だが、出るには何か条件があるはずだ。そこまで考えて、この領域の目的に思い当たる。
「ちょっとちょっとフィーリクス、あんたもなかなか適当なことを言う奴だね。いや待てよ、ひょっとしてそれが正解なのかも。でも……」
案の定ゾーイが食いついてきたが、そのまま自分の世界に入り込んでしまった。何やらぶつぶつと呟き俯いている。と思いきや急に顔を上げる。
「こんなことしてる場合じゃなかった。あたし達がこうってことは、先にここへきた人達も……」
「同じように……」
「「皆が危ない!」」
時間がないはずなのに、どこかに余裕があると思っていた。だがそんなものはどこにもなかった。この場所は、ウィッチの罠の可能性が高い。この極冷空間で端末の魔力が尽きればどうなるか。想像だにしたくないことだ。
「こんなうだうだして、俺はバカだ。一秒でも早くモンスターを撃破しなきゃ!」
「あたしも一緒。同じくバカよ」
「あたしは違うけど」
「「ゾーイ!」」
またもやハモる。
「だから冗談、あんた達息ぴったりだね。……うん、あたしもバカだったよ。あんた達と一緒。これでいい?」
「オーケー」
そこからは動きが変わった。警戒はこれまで以上に行い、なるべく迅速に索敵と捜索をこなしていく。建物の陰に何かいないか。またその内部に仲間が隠れていないか。端のほうから順にいくつかの建物を調べていく。
「こっちはいない。フィーリクス、そっちは!?」
「いないよ、ゾーイはどう?」
「見る限りでは何にも。あ、待って。今なんか動いた気がする」
「モンスターか!?」
三人に緊張が走る。フィーリクスはゾーイの示す先、建物の角に銃を構えて張り付く。二人に後ろに続くよう合図を送り素早く角を曲がると、誰もいない。
「ゾーイの気のせいうがっ!!」
フィーリクスは頭上から降ってきた何かに押しつぶされ地面に這いつくばる。その何かにのしかかられ、後頭部に何か硬いものを突きつけられた。
「動くな。動くと撃つ。お前には黙秘権がある。お前の供述は法廷で……、フィーリクスか?」
「そ、その声は、ヴィンセント?」
「すまん、お前さんだったか」
ヴィンセントは素早く退くとフィーリクスを助け起こす。先行していたチームの内の一人が彼だった。
「ラジーブは? 彼も無事なの?」
「フェリシティ。それと、ゾーイ!?」
フィーリクスを追ってきた二人がヴィンセントの登場に驚いているようだ。だが、それより驚いているように見えたのがヴィンセント当人だ。
「何か文句ある?」
「い、いや、ない。ラ、ラジーブならすぐ近くの建物で、他のメンバーとともに待機している」
ゾーイ相手だと、普段冷静沈着なヴィンセントでも焦りを見せる。彼の新しい一面を見たフィーリクスだが、それどころじゃないと首を振った。
「無事でよかった。どういう状況なの? モンスターは?」
「まずはみんなと合流しよう。案内する、こっちだ」
一行は建物の一つ、その入り口に警戒を怠らぬまま近づき中へと入った。明かりが点けられていないため薄暗い。設置されている暖炉には火が灯されている。部屋の中の空気は十分に暖められていた。表示でそれを確認した三人は、魔力節約のためレティに回していたパワーを切る。するとふわりとした暖気が頬をなでた。改めて見れば、部屋には複数の人物がいるようだった。暖炉の傍の床や椅子に座り込み、暖を取っている。
「皆、援軍を連れてきたぞ」
「ヴィンス、増援だって? ってフィーリクス達じゃないか。……ゾーイまでいるのか!? 何で!?」
「だから、文句ある!?」
「い、いや別に、ないよゾーイ。はは、は、は……」
一人はヴィンセントの相棒のラジーブ。彼ら二人はMBIの捜査課において最もキャリアの長いエージェントだ。ヴィンセント同様ラジーブも、ゾーイは苦手のように見えた。というのも、捜査課のほぼ全員が、何かしら彼女にトラウマを植え付けられているためだ。無理もないと言えた。
「この前は助けられたね」
「何となく、あなた達がくるんじゃないかって思ってたわ」
二人はスペンサーとグレースのコンビ。暖炉に椅子を近づけ隣り合うように二人して座っている。スペンサーの言う助けられた、とは以前出現した人や物をクリスタルに変えてしまうモンスターに関する事だ。二人がクリスタルの像と化し、フィーリクス達がモンスターを倒したおかげで元に戻れたのだが、それに何かしら感じ入るところがあるようだった。二人からは親睦目的の食事に誘われているが、今のところまだその機会には恵まれていない。
「新人か」
「役に立つといいけどね」
セオとダレンという、フィーリクス達とはあまり面識のないメンバーもいる。残る二人がそうだ。暖炉そばの床にじかに座り込んでいる。フィーリクスは、二人とも背格好は同じくらいで、確か、平均的な身長だったと思い出す。セオは金髪を横に長し整髪料で固めている。ダレンは茶髪で、サイドを短く刈り上げ、少し長めのトップを立たせた髪型をしている。ヴィンセント達四人とは違い、フィーリクスとフェリシティに対しての評価はあまり高いものではないようだ。二人を見るセオ達の目つきに、信用の色はない。
「結構やる方だと思うぜ」
ラジーブがそう言うも、セオもダレンも懐疑的な態度を変えない。
「ラジーブやヴィンセントが言うんなら、そうかもしれないけど……」
「あんた達は、あたしとフィーリクスの活躍を知らないようね!」
セオが何かしら続ける前に、フェリシティがかぶせる様にして彼の発言を止めた。彼女は腰に手を当て胸を張る。指を彼とダレンに交互に突き付ける。彼女は、多少の怒りとにじみ出る自尊心と、部屋の温さによる上気した顔により、興奮気味になっていることが窺えた。
「あんた達が何て言おうと、ヒューゴがあたし達をここへ寄越したんだからね!」




