8話 overwhelm-4
「大事件とくれば」
「あたし達の出番ね!」
相手が目の前にいるでもなく、ベッドの上で決めポーズを取る。二人ともだ。
「で、どんな事件? 早く活躍させてよ、ヒューゴ。ちゃちゃっと片付けるからさ」
「説明はなるべく簡単にお願い。休日の呼び出しでやる気はともかく、手柄は立てる気満々よ」
自信に満ちあふれた二人の態度を受けて、ヒューゴが言葉を失ったのが端末越しにフィーリクスに伝わった。なぜ彼が沈黙したのか彼には察しが付いたが、原因となったと思われたフェリシティにはぴんとこないようだ。
「どうしたんだろヒューゴ。急に黙っちゃった」
「それは君が……」
彼女がフィーリクスに視線を投げかけてくる。それに応えようとしたとき、再びヒューゴの声が彼のセリフを遮るように聞こえてきた。
「二人ともだフィーリクス。君らはふざけてるのか。変なものでも食べたか。それともどこかで頭を強く打ったか。もう少し任務に対する姿勢というものを考えろ。いいか、そもそもだ。君らはどうもすぐに調子に乗るところがある。まずはそこから改めてもらわなければならん。それにだ……」
不機嫌そうな声のヒューゴの辛辣にも聞こえる説教が始まったが、これはいつものことだ。二人は今までの彼とのつきあいで既にそれに慣れている。表向き厳しい言葉を投げかけていても、実際の胸の内には多少なりとも違うものを抱いているはずだと、二人は何かの折りに話をしたことがある。
「とんでもない、大真面目よ」
「と、とにかく早く経緯を教えて」
「私の話を遮るとは貴様ら、余程首を切られたいらしいな。いつでも記憶消去の準備はできてるんだぞ」
その意見は間違いだったと思い知らされた瞬間である。「うっ」「いいっ」など、言葉に詰まったフィーリクス達にヒューゴは話を続ける。
「つべこべ言わずに取り敢えず出発しろ。時間がない、ことは急を要する。何が起きたかは君らが車に乗ってから説明する。一旦通話を切るから、かけ直せ」
「そっちから長話を始めたんじゃん」
「何か言ったか?」
「だからぁ、もがっ」
フェリシティの口を塞ぐ。こういうとき余計な言葉を続けようとするのは彼女の悪い癖だと、フィーリクスは彼女への評価の一つとして並べている。
「了解! 了解って言ったんだよヒューゴ。また後で」
「ぷはっ、何すんのよ」
通信を切る。フェリシティは不満そうにフィーリクスをちらとだけ見る。がそれだけだ。二人とも心得たもので、立ち上がり部屋から出ようとする。ドアノブに手をかけたフェリシティが正にドアを開けようとしたとき、フィーリクスが待ったをかけた。
「フェリ、まさかその格好で行くんじゃないよね?」
「急いでるんだから当たり前じゃない」
彼女は短パンにタンクトップのままである。それは、フィーリクスには見逃せる事柄ではなかった。
「頼むから着替えてほしい」
「何で?」
なぜなのか、その理由は自分でもすぐには分からなかった。時間がないのにどういう了見で彼女に注文を付けたのか。少し考え込んで、ある直感がひらめく。これはあれだろうか、つまりは、彼女の今の格好を他人に見られたくない、という完全な自己都合によるものだろうか。更にその理由とまでなると分からないが、だとすれば彼女のことを慮ってのことではないわけで、無理強いできるものではない。だがしかし。
「そんなに黙りこくって見つめないでよ。……分かった、着替えるって。他の人に配慮しろってことでしょ? 仕事は仕事だし、服装も少しは弁えないとね」
フィーリクスの沈黙を違う意味で捉えたらしい。彼女はドアノブから手を放し、洋服ダンスに寄ると中からTシャツとジーンズを取り出す。フィーリクスと同じ格好なら文句はなかろう、ということだろう。着替えようとタンクトップの裾部分に、交差しながら手をかける。まくりあげようとしたところで、依然見つめ続ける彼の視線を察して振り向いた。
「早く出て行って!」
「ごめん!」
二発目の平手打ちを食う前に部屋から退散する。待つというほどの時間もかからずフェリシティも廊下に出てきた。中を覗けば、ベッドの上に先程まで着ていた服が脱ぎ散らかされている。
「なんか問題ある?」
「何もないよ、大丈夫」
「ふうん。じゃ、行きましょ」
デニムを履いた尻もいいものだと、彼女の後に続くフィーリクスは階段を降りる。リビングルームにいたフェリシティの母親に簡単な挨拶と外出を告げる。彼女には予定より早めに出るとだけ伝えた。余計なことは言わない方が嘘が少なくて済むからだ。玄関のドアを開け、外に出る。そこで辺りの様子が通常ではないことが分かった。
「肌寒いね」
フェリシティの言うように気温が低かった。ひやりとした風が頬を撫でる。フィーリクスがここに来たときは暖かかった。季節通り、例年通りの気温だったはずだ。それがどういうわけか妙に冷え込んできているのだ。昼前の住宅街であり通行人は少ないが、例外なく何かおかしい、という風な顔つきで足早に歩き去っていく。
「雪でも降るんだったりして。そんなわけないか」
朝出かける前に見た天気予報は晴れだった。雲はない。そう思って空を見上げる。やはり快晴だ、と首を下げようとしたとき、視界の端に何かが映る。黒雲だ。それは南の空に広がりつつあった。小さなものだが何か、非常に濃く見えた。そして、冷たい風はその方角から吹いてきているようだ。何かが起きている。それは確信だった。ヒューゴの言った大事件とは、あの空が関係しているのだ。フィーリクスは僅かに不安を覚えた。
「何だろ、あの変な雲」
かすれ気味に呟く。心の内が声に現れてしまったようだ。その彼の背中を叩き、フェリシティが背後から語りかける。
「確かに変。正体は分かんないけど、でもまずはMBIに向かわなきゃでしょ? あたしがヒューゴに連絡するから、運転はよろしく。ほら、早く車に乗った」
「わ、分かったよ」
フェリシティはフィーリクスの感情の機微を鋭く見抜いたのかもしれない。背中を押され、道路脇に止めていた車の運転席に押し込まれる。エンジンを始動させていると、助手席側の彼女が早速端末を操作して通話を始めた。
「ハァイ、ヒューゴ。車に乗ったよ。今フィーリクスが発進させるところ」
「そうか、なるべく早くこちらに来てくれ。君らが頼りだ」
フェリシティの家から出発し、車をMBIのある南東へと走らせる。ヒューゴの言葉を聞いてフィーリクスは彼女と顔を見合わせた。
「普段のあたし達に対する扱いを思えば、考えられない言い方ね」
「ああ、余程のことが起きたに違いないよ」
小声で囁き合う。二人はMBIにおいて最も若い新入りであり、下っ端である。雑用でこき使われたり、時には囮にされたこともあった。それを『頼り』とは、随分自分達の株も上がったものだとフィーリクスは素直に感心する。
「どうした?」
「いや、何でも」
「そうか。では説明を始める。今日の朝、事件は起きた」
技術部のゾーイが開発し、しばらく前から運用されているモジュールの一つ、モンスター探知機であるMDDに不可思議な反応が認められた。早速現場にチームを送り込んだが、様子がおかしい。規模は小さいがそこには冷凍世界が広がっており、そのままでは近づくことすら困難だった。警察の対モンスターチーム、スワットも同様に駆けつけていたが、対処のしようがないとしてMBIに状況を委ね退却する。MBIチームも一度引き返し、これもまたゾーイと、モンスター研究者のディーナが共同開発した、ある装備で改めて現場へ向かった。そこで一同は徐々に範囲を拡大する極寒の領域を目の当たりにする。それでもなおモンスターに戦いを挑むためにその領域に進入。しかし理由は不明だが通信が途絶え、消息が分からなくなったということだった。
「それって、けっこうまずい事態なんじゃない?」
フェリシティが言う。言葉とは裏腹に、それほど深刻そうではない。むしろその逆だ。つまり、いつもの不敵な笑顔の彼女がそこにいた。フィーリクスも、つい釣られるようにニヤリと笑って彼女に応える。
「そういう風に聞こえたね。そこで俺達の出番が来たっていうことは」
「本当にヒューゴ頼りにされてる、ってことでいいよね!」
「え? ああ、うん、そうだな」
ヒューゴの返事は一瞬間があったようだが、何かに気を取られていたに違いない。そう解釈したフィーリクスは先程感じていた不安もどこかへ消え去り、意気込み充分にアクセルをより強く踏み込んだ。




