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8話 overwhelm-2

 ある日の朝方、フィーリクスはフェリシティの家を訪ねていた。Tシャツにジーンズといった軽装だ。仕事は二人とも休みで、一緒に遊ぶ予定を立てていたものである。「いらっしゃい」呼び鈴を鳴らせばフェリシティの母親らしき人物が出迎える。彼がこの家に足を踏み入れるのは、今回が初めてのことだ。玄関から廊下を進んですぐ左手がリビングルーム。廊下右手側には階段があり二階へ続いている。廊下は奥へ続いており、更に部屋があるようだった。フィーリクスは、恐らくダイニングルームなどがあるのだろうと推測する。


「おはよう。初めましてね、フィーリクス」

「初めまして」


 MBIから北西方向へしばらく進んだ場所、ある河川の近くにフェリシティの家はある。坂のある住宅街のその中腹あたり、二階建ての一戸建て住宅で、茶色い屋根に白壁の建物だ。フィーリクスの家からは、車で十数分ほどの距離になる。


 河川は街の真ん中をうねりながら南北に貫く大きなものだ。北から順に、川の東側にフェリシティの家、MBI、西側にフィーリクスの家が、それぞれ存在している。


「娘の同僚で、コンビを組んでるとか。いつも聞いてるわよ」

「ええ、フェリシティは優秀で、頼もしい相棒ってところかな」


 フィーリクスの返事はややはにかみながらのものだ。フェリシティが普段家族にどのような話をしているのか、彼はもちろん知らない。だが笑顔で話す母親の、彼に抱く印象はいいもののように彼には思えた。どうやらフェリシティは悪い風には言わないでいてくれているようだと、安堵すると共に恥ずかしさもあった。


「でしょ? 優秀で素直でいい子だから。……なんて、いいのよ本当のことを言っても。確かにあの子は、仕事は順調だっていつも言ってるし、そこは信じてる。けど、彼女には手を焼いてる部分もあるのよ。ちょっと、素直過ぎるところとか」

「ははは」


 母親はフェリシティと同じかやや高いくらいの身長だろう。髪はショートのボブで、室内だからか柔らかめの生地のロングパンツにロングTシャツとラフな格好をしている。彼女は一見物静かそうだが、実際には話好きのようだ。加えて芯のある人だとフィーリクスは察する。そしてフェリシティのことをよく見ている、いい親御さんだと思われた。


「あの子が突然バスターズを辞めて、MBIのような堅い職に就くだなんて思ってもみなかった。前はバスターズが天職だって主張してたのにね。まあでも、安心ではあるけれど」

「そ、そうだよね」

「仕事やあなたのことを話すとき、娘はいつも楽しそうにしてる。いい体験ができてるようで何よりだけど、あなたはどうかしら。娘が妙なことをしてない?」


 フィーリクスは今までの出来事を色々と思い返す。妙なことは多少あったような気がしないでもない。とはいえフィーリクスの前に立つ人物は、彼やフェリシティがMBIで何をしているのかを知らないはずだった。表向きは事務方の仕事、ということになっているが実際にはそうではない。しかしながら、規定でそれを言えば記憶を消されるだか、いじられるだかして大変なことになる、と思い出す。下手なことは言えなかった。


「そんなことはないよ。本当に彼女には救われてるんだ」

「救われてる? 大袈裟な表現ね」

「え、ああいや、俺が仕事でミスをしそうになったとき、助けてくれたりとか。その逆も、はは」

「そう、そういうことね。お互い助け合ってる」

「ええ、そんな感じでやってるんだ」


 まさかモンスターとの戦闘で魔法をバンバン使い、市民の生活や命の危機を救ってます、などとは口が裂けても言ってはいけないことである。その過程でお互いの命を救うこともある、信頼し合う仲です、とも言えない。それがいくら真実であっても、だ。


「あなたとはうまくいってるって本人から聞いてるんだけど、直接会って話してみたかったの。結果はよかったわ。あなたは信用できる人物みたいね。……後で飲み物持っていくけど、何かリクエストある?」

「ありがとう。えーと、そうだな……」


 試されていた。フィーリクスはそう気が付く。加えて彼女に、何かしら言外に釘を刺されたような気がした。信頼するに足る人物であれ、と。会ったばかりの人間に対しては大層な物言いになるだろう。だが家の外で、自分の娘の一番近くにいるのがフィーリクスである。何かが起きてからでは遅いとの彼女の判断なのかもしれない、とフィーリクスは結論付けた。


「じゃあ、コーヒーをお願い」


 フェリシティではなく、彼女が出迎えたのはそれらが目的だったのだろう。強かな人だと、フィーリクスは内心に焦りを感じたが、何とか表に出さずに飲み込む。


「オーケー。ゆっくりしていってね」

「ありがとう」


 階段を途中折り返しながら上り、二階に到着して正面がフェリシティの部屋だという母親の案内に従いドアをノックする。


「入ってもいい?」

「いいよ、今開ける。おはよう」

「おはよう」


 ドアが開かれ、フェリシティが姿を現す。上は黒のタンクトップで、下は丈が短くサイドスリットの入ったサテン生地の黄色い短パンをはいている。彼女はフィーリクスに中に入るよう促し、振り返って後ろ姿を見せる。短パンは尻全体を生地が隠し切れておらず、尻の下側が少しはみ出している。にも関わらず下着が見えないということは、少なくともフルバックではないものを身につけている、ということだ。


「どうしたの?」


 フェリシティはフィーリクスが黙っていることを訝しく思ったようだ。振り返った彼女が彼に声をかける。フィーリクスの前で堂々としているところを見ると、これは普段から部屋着としているものらしい。


「どうもしないよ?」

「早く入りなよ」

「ああ、うん」


 部屋の中に入り周りを見渡す。壁紙は淡目のパステルブルー。フローリングの床には濃い目のブルーの丸いカーペットが敷かれている。調度品などは、椅子に机、パソコン、テレビにベッドに洋服ダンスとクローゼット。全体としてみれば落ち着いた雰囲気の部屋と言える。ただし、机の上は物で埋め尽くされるほどではないが、何やら雑然と散らかった様子から、普段あまり使われていないであろうことが読み取れた。


 ベッドの上も衣類がいくつか散乱していたが、フィーリクスが危惧していた下着類は流石に片付けたようで見当たらず、気まずい思いはせずに済んだようだ。


 女の子の部屋がどういうものかはよく分からなかったが、フェリシティらしいとフィーリクスには思えた。何より、何かいい匂いがした。


「で、どうする? 何か映画でも見るか、ゲームでもするか」


 衣類を脇にどけ、ベッドに俯せに転がり携帯のチェックをしながらフェリシティが言う。二人は細かく予定を立てていない。昼までフェリシティの家で過ごし、昼食はどこかに食べにいく、くらいしか決めていない。その後は流れで行き先を決めよう、となっていた。


「俺としては、このままゴロゴロするのも悪くないかなって考えてる」

「隣」


 ベッドをポンポンと叩くフェリシティに誘われ、フィーリクスもベッドに腰掛ける。寝転ぶフェリシティをじっと見つめた。彼女は相変わらず素晴らしい下半身をしている。見事なボリュームを誇る双丘が、サテン地の下からこれでもかと主張している。そこから続く太く力強い二本の肉の柱、太ももが描くラインは、美の極みだとフィーリクスは勝手に思いこんでいる。


「また匂い嗅ごうとしてるでしょ?」


 振り返らず言う彼女の言にはたと気が付いた。知らぬ間に彼女の尻に近付いていたようだ。手も伸ばしかけていたが、それはまだ彼女に悟られていないと見るや慌てて引っ込める。ところで、フィーリクスにとって彼女の言葉は看過できないものだった。


「また? またってなんだよ。そんなこと、俺はしないよ」


 フィーリクスは知っている。フェリシティが首筋や胸、頭のあたりなど、よく彼の匂いを嗅いでいることを。大っぴらにやるときもあれば、こっそりとやることもある。こっそりの時は執拗に、深く嗅がれているような気がしていた。対してフィーリクスは、そのようなことを彼女に行ったことはないと断言できる。彼女の尻の匂いを嗅ごうとしたことなど、想像したことはあるが実行に移したことはない。あくまで想像だけだ。チャンスならあった。あの時に嗅いでおけばよかったのだろうか、いや、今のこの流れではしなくて正解だったか。


「その言葉信じていいの?」


 彼女の指摘に妄想の海から現実へと引き戻される。フィーリクスの額に汗が伝った。


「あ、当たり前だよ。自分がするからって、俺もそうだと思わないでほし……」

「なに!?」


 いきなり起き上がったフェリシティに詰め寄られ、フィーリクスは思わずたじろぐ。彼女の片眉がぴくりと跳ね上げられ、瞳が揺らいでいる。


「うっ、いや、その」

「気づかれてないと思ってたのに……。いつから知ってたの?」

「え?」


 彼女は動揺しているらしい。あぐらをかいて座った彼女が小さめの声量で話す。


「あたしがたまにあんたの匂いを嗅いでること、いつ気付いたのよ?」


 フィーリクスを見つめるフェリシティは、頬を赤く染めている。加えて威嚇するように歯を剥き口の端を横に引き絞っている。やや血走った目で、フィーリクスの表情や態度から心情の機微をつぶさに捉え見逃すまいとでもいうように、瞳孔を細かく揺らめくように動かしていた。何か対応を間違えれば、命を刈り取られる。そんな気がして少々恐怖を感じたが、ぐっと腹に力を入れて気を取り直す。


「落ち着いてフェリ。そうだね、最初にMBIでシャワーを借りたときのことを覚えてる?」


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