7話 rebuild-9
「よかった」
「何が?」
車の中で、助手席に座るあたしが呟く。運転席に座るフィーリクスが反応する。
「飛んだ先がここだったってこと」
外からの日の射す方向を考えると、さっきのタイミングから繋がっている。公園でモンスターを見失って、クライヴたちと別れた後。……ここへ戻ってきたか。どういう順序なのかは分からない。規則性はない。モンスターの気分次第なのかもしれない。
「お帰り。といっても、君がどの時間から帰還したのかは、俺には分からないけどね」
「帰ってきたのはランチが台無しになるちょっと前から。そう、演技は止めたのね」
またすぐに別の方向に視線を向ける。窓の外、空に雲が広がりつつある。んーちょっと待って。最初にプソグラフに遭遇する前、確か曇り空なのを確認した気がする。実際もう少しすれば空を覆い尽くしそうな感じ。
「もう意味はないからね。後でもう一度演技する必要があるけど」
そう、確かにフィーリクスの言うとおりだ。この車の中で後一度だけあたしの時間が飛ぶ。その時フィーリクスの横に座っているのは、今日朝一番のあたし。
「そうね、あんたはもうすぐ違う時間の『あたし』を相手することになる。その『あたし』は今日一日が始まったばかりのまだ何も知らない、目覚めたばかりのあたし。できれば、優しくしてあげて」
あたしの相棒がフィーリクスで本当によかった。頭の回転はあたしより早い。飲み込みもよく、急変する事態にもそこそこ対応できる。
「今は優しくないって?」
「そういうんじゃ……、そうね。お昼に言い合いしたときは優しくなかったけど?」
「だってそれは君がネタばらしをしちゃうから、……分かった、謝るよ。ごめん。でも、あの時は俺も心苦しかったんだからね」
「分かってるって」
こちらを向くフィーリクスのおでこに、人差し指を押し付ける。
「あんたのその顔を見れれば十分」
ぐりぐりと指をひねってやれば、困ったように笑う顔。多分あたしも同じ顔。
「じゃあ、行こうか」
「ええ」
フィーリクスが車を発進させる。目的地はユネックスフィールド。緩やかに走る車は公園を抜け、住宅街へと入っていく。左右にぽつりぽつりと赤レンガの家が建っている、この道は……。
「フェリシティ、震えてる。怖いの?」
言われて気が付く。確かに体や腕が震えていた。
「怖いかどうかって? あたしだって、怖いに決まってるじゃない。でもこの震えは戦いへの興奮から起きるものよ」
気合いは十分。恐怖もあるけど、それより怒りのほうが勝ってる。よくもこのあたしをこんな目に遭わせてくれたわね、ってね。
「フィーリクス、無事あいつを倒してみせる。きっちり仕返ししてやるんだから。だから、安心して待ってて」
できるだけ力強く答えたつもりだけど、ほんの少し声に震えが出たかもしれない。
「はは、君らしいや。その分なら大丈夫そうだ。でも、無理はしちゃダメだ」
「分かった」
これは感付かれてるな。決めたつもりが、恥ずかしいじゃない。まあ相手がフィーリクスならいいけどね。でも、十分彼に勇気をもらった。このままいける。
「じゃあまた後でね」
「ああ。後で」
これが最後の時間跳躍だといいけど。そう願いながらあたしは目をつむり、次に開いたときには、地面に寝転がっていた。
目の前には四度目の邂逅となる、一つ目の犬のモンスター『プソグラフ』がいる。
「うげっ!」
腹と胸を前足で踏まれ、押さえつけられて息苦しい。そう、この状態で時間が飛んでたんだっけ。やつは口を開け、牙を剥いてまさにあたしの首元に噛みつかんとしている。分かってはいたけど、やっぱりインパクトは絶大だ。相手の姿が、キモすぎる。
「そう……、は、させるかっ!!」
自由だった足を素早く折り曲げ体に引き寄せると、全力で敵の腹部を蹴っ飛ばした。斜め上空に吹っ飛んだ『プソグラフ』は空中で方向転換すると綺麗に着地する。そのままじっとはせずに、下がってあたしとの距離を置き低く唸って警戒している。その動きには皮膚を剥がれ、筋組織を空気に晒している割には弱体化したような様子はほとんどない。
「来なさいよ、出来損ないの犬っころ」
あたしももちろん地面に寝っ転がったままでいるわけはない。敵を蹴飛ばした直後に跳ね起きて、戦闘態勢を整えている。ブレードを体に引きつけ縦に構え、いつでも斬りかかれるよう相手を見据えている。『プソグラフ』が警戒しているのは、あたしのこの切り替えの良さに対してだろう。何度も時間を飛ばされ、先程までは怯え、ろくな動きができてなかった。それなのに、急に対応し始めたのだ。そりゃ距離を取って様子を見ようとするよね。あたしでもそうする。
「ほら、どうしたのよ。来ないならこっちから行ってやる!」
でも、あたしはあんまり悠長な性格はしてない。敵が戸惑ってるこの機を逃す手はない。
軌道を読ませないよう真っ直ぐには突っ込まない。加速魔法でスピードを上げ、斜め方向から相手に迫る。数瞬で距離が詰まり、あたしの間合いに入る。同時に、一声放ちながらブレードを奴の一つ目めがけて振り下ろした。
「ィイイヤァ!」
あたしは見た。『プソグラフ』がブレードの切っ先を目で追っているのを。僅かな動きでエネルギーの刃を避けるのを。直後、切り返して跳ね上げられたブレードによる二撃目を、後ろ足の蹄で蹴りつけ軌道を逸らした。蹴った勢いを利用した『プソグラフ』は空中に飛び上がり、再び距離を取る。それはあたしの間合いのぎりぎり外側。今の一瞬のやりとりで見極めたっていうわけ!?
「グルォオゥウ!」
吠える『プソグラフ』が反撃に転じた。思った以上の俊敏さを見せ、まるで仕返しといわんばかりに速攻を仕掛ける。四肢の筋肉が隆起を見せ、弾丸が放たれたかのような初速でこちらに突っ込んで……!
「ぐぅっ……!」
辛うじて対応できた。腹部への体当たりを、あたしは咄嗟に両腕をクロスしてガードする。後方へ数メートル以上地を滑り、何とか勢いを殺した。突進は失敗に終わり、でもあたしが反撃を入れようとするよりも、敵の離脱のほうが早い。地面に着地する前、まだ滞空している時にあたしの太ももを蹴りつけ、跳ぶ。あたしの振ったブレードは掠めもしなかった。
「痛ったああ」
太ももをさすりながら相手の動きを見る。『プソグラフ』の蹴りの威力は強烈だ。奴が着地した先は、やはり間合いの外側。今一つ動きが鈍いかもって侮っていたけど、とんでもない。今までは、恐らくこちらの油断を誘うための演技だったのだろう。今見せている動きこそがやつの実力。一対一なら、余裕を持ってあたしをなぶり殺せると思っているに違いない。認識を改め戦略を組み立て直さなきゃ、あっという間にやられてもおかしくない敵だ。
「止まってちゃ、やられちゃうよね」
攻めなくては。
防戦に徹しても突破口は開けない。だから、前に出る。あたしはいつもこうしてきた。それで何とかしてきた。今回だって、勝ってやる。そしてこの異常事態を終わらせて、また日常に戻るんだ。
ニヤニヤと、人を苛立たせる笑みを浮かべる『プソグラフ』に再び挑むため、あたしは地面を蹴る。間合いを詰め、いや、相手との距離は縮まらない。こちらが動く分に合わせ、後ろや横へ移動しあたしを近づかせない。
「自分がお利口なわんちゃんだと思ってるなら、訂正させてやる」
先の動きを読まれないよう緩急を付け、再びブレードを構え銃も取り出し撃ちながら走る。やはりというか、当たりはしないが牽制ぐらいにはなっているはず。事実、僅かだけど敵の足取りに乱れが生じた。その隙を逃さず一気に肉薄する。
間合いに入るや否やブレードを振る。振り抜く。届いたはずの斬撃は空を切るが想定内。回り込んだ敵が左斜め後ろから迫る気配、これも想定内。振り向く余裕はないが必要もない。そちらに銃口を向け一発撃ち込み、あたしは右側に飛ぶ。直後、今し方まであたしがいた場所に『プソグラフ』が飛び込んできて、へたり込んだ。
敵は低い唸り声をあげながら、恨めしげに、じっとあたしを上目遣いに睨み付ける。奴の前足から新たな出血が確認できた。命中した魔法弾によるものだ。種類は高速弾で、飛びかかってくる最中なのもあり、そうそう避けられるものではない。
「あたしに舐めたことをするからそうなった」
少し余裕ができた、かな。そうちらりと考えるが油断はしない。相手の次の出方を窺う。忌々しげに口を歪める『プソグラフ』はなお立ち上がり、こちらを攻めることを諦めた様子はない。が、すぐには来ない。こちらの言うことを理解しているのかどうか分からないが、警戒心を強めたようだ。あたしとしても舐めプは許せないから、それでいい。そう思ったその矢先。
「へっ!?」
何故か真横にいる『プソグラフ』に手元を蹴られた。弾かれた銃とブレードの両方が地面に転がると、インベントリに自動収納される仕様のために虚空に掻き消える。一瞬そちらに目を取られ、それがよろしくなかった。
「うがっ!」
背中を蹴りつけられ地面にまともにずっこける。顔面を強打して悶絶しそうになるがぐっとこらえ、そうしたところで今度は背中を踏みつけられて身動きが取れなくなった。
「あ、終わった……」




