7話 rebuild-7
「その台詞は、本人に直接言わなくちゃ意味がないぞ」
「ひっ! 何!? あ、ヴィンセント……」
何で急にヴィンセントがって思ったけど、ここは捜査課の部屋だ。いつの時間かといえば、彼のセリフと周りの雰囲気から察するに、あたしがフィーリクスを殴って、フィーリクスとニコが去った直後だろう。HUDに時計を表示して確認すれば、確かに今は朝だ。一体これで何回目の時間跳躍なんだろ。
「そう俺だ。気が付かなかったのか?」
あたしの謝罪の呟きは、ここに帰ってきてからのものだったみたいね。近づいてきてたヴィンセントに聞かれたようだ。あたしが思い悩んでるって、そう解釈したんだろう。確かに事実ではある。
「ちょっと考え込んじゃってて」
「話をするんなら今の内なんじゃないか? まだ追いかければ間に合う」
「……うん、行ってくる」
そうだ。フィーリクスに話をしなくては。
「終わったら戻ってきてくれ。伝えたいことがある」
「分かった」
ヴィンセントが伝えたいことって何だろう。まあ後の話だ。小走りに部屋を出て、フィーリクスの後を追う。いた、丁度曲がり角を曲がってる途中だ。
「待って!」
ぴたりと、二人が足を止めて振り返る。二人からの視線は、想像してたよりはきついものじゃなかった。これは少しは期待していいよね。
「フェリシティ」
「フィーリクス! ……その、まずは、とにかくごめん! 殴っちゃったことを謝るよ」
どうかな。フィーリクスは話を聞いてくれるだろうか。ドキドキしながら彼の返答を待つ。果たしてその反応は、彼は小さくため息を付いて首を横に振る。ダメか……。そっか、そりゃ嫌だよね。理由もなく殴られたわけだし。あたしだって同じ立場になったら怒鳴りつけるくらいはしてただろうし。それに何か用事があるようで、ニコとどこかへ行こうとしてる途中だし。お昼には会話できるようにはなってたけど。今はまあ無理だよ、ね。
「ねぇお二人さん。もしかして、あたしちょっと外した方がいいんじゃないかしら?」
「ニコ、そんなあたしは別に……」
「フィーリクス、あたしは先に行ってるから。ゆっくりでいいよ」
援護射撃は、意外なところからだった。ニコはあたしに微笑むと、颯爽と歩を進めて行ってしまった。はて、これは好意的なものからくるものと、そう解釈してもいいんだろうか。どうにも判断を付けかねた。あるいは勝者の余裕というやつだったりして。……いやいや、ここはニコを信じよう。とか考えてる内にフィーリクスが先に話しかけてきた。
「ニコもああ言ってくれたことだし、少し話をしようか。ああっと、まずはどこか移動する?」
「そ、そうね。そうしましょ」
かくしてあたしとフィーリクスの二人は給湯室に場所を移すことになった。丁度誰もおらず、話をするにはうってつけの状況だ。カウンター状の席、回転椅子に横並びに座った。
「本当にごめんなさい。怒るのは当然よ。でも、聞いてほしい。あれにはちゃんと訳があってのことなの」
あたしは座るなり二度目の謝罪をする。話を聞いてもらうためにはまず下に出ないとね。あまり打算的なことは苦手だけど、それくらいは分かる。もちろん心からのものだ。上辺だけの言葉じゃ決してない。
「怒るっていうよりは驚いた、が正解かな。君は、だいぶ落ち着いたみたいだ。大丈夫、聞くよ」
「本当!? よかった!」
あたしは思わず彼に向かって両手を広げる。包み込むように閉じかけて、そこで固まった。手をゆっくりと下げるとまた前を向く。もう少しで彼に抱きつくところだった。まだ話し合い自体始まってないのにそれはダメ。横目に見れば、フィーリクスだって引きつった表情を浮かべて、……あれ、浮かべてない。どっちかっていうと、ちょっと意外そうな顔。
「じゃあ、話すね。あたしの時の流れが、今日一日に起こる出来事の順番が、それはもう滅茶苦茶なの。まずは……」
お昼に二回説明したときよりは、かなり詳細に、上手に、あたしの半日の出来事を解説できたと思う。会議室での言い合いは端折っちゃったけどね。言えば、悲しくなる。フィーリクスは真剣な表情で全部聞いてくれた。
「そうか、今の君は既に今日の半分を経験してるってわけか。しかも結構ハードな」
「よくあたしの話を信じてくれる気になったね。あたしだったら、信じられるかどうか分からない」
「誰の話でも信じるってわけじゃない。フェリシティ。君だから信じてるんだよ。こういうときに、俺に嘘を言わないのが君だ」
「ああぁ、フィーリクス!」
今度こそ、彼に思いっきりハグをした。ついでに彼の首と肩のあたりに顔を押し付けて匂いを嗅ぐ。よく分からないけど、落ち着くというか、安らぐというか。……変態じゃないからね。
うん、彼に甘えるのはここまでにしておこう。ちなみに、彼に依存してるのかどうかっていったら、そうかもしれない。彼の存在が、あたしにとって大きな心の支えになっていることを、否定できない。するつもりもない。仕事上のパートナーってだけじゃないことを、あたしはここ数日で自覚するに至っていた。
「と、ところで……」
フィーリクスはあたしから解放されると息を整える。ちょっと窒息してたみたい。そういえば背中をタップされたような気もする。ハグする強さをなかなか調整できないのは、あたしの魅力の一つってことで。
「俺のやるべきことはもう既に決まってるみたいだね」
「ええ、緑地公園で戦った後、あんたはあたしをユネックスフィールドって場所へ送り届けるの。あたしと奴の一対一での決闘よ。恐らくそこが敵にとっての最終地点。……終わりなのは、あたしのほうかも分かんないけどね、へへ」
自嘲気味に笑う。我ながら情けない態度でいいように敵にやられたのだ。時間があの瞬間で飛ばなければ、なす術なく殺されていたかもしれない。とか考えてたらいきなり両肩を掴まれた。挙句彼のほうへ引き寄せられる。その動作の想像以上の力の強さに驚いた。顔がすぐ目の前にある。彼はいつになく真剣な表情であたしを見つめている。いや、こんな近距離で。流石に、あたしも照れるじゃない。
「フェリシティ。俺の前でそんなこと、冗談でも言わないでくれ」
あたしのことをじっと見てそんなことを言う。言葉に力がこもっていて、彼の本気度が窺えた。……顔が熱い。多分あたし今凄い赤面してる。これ、バレてるよね。
「う……あ……」
心臓が早鐘を打ってる。フィーリクスの勢いにまともに言葉を返せない。でも目を離すこともできない。
「君にもしものことがあったら、俺は……」
「あ、あんたは?」
「俺は、その……」
うおおい。フィーリクスったら、肝心なところで顔を横に逸らして黙り込んじゃったよ。こっちは次の言葉を待ってるのに。……ん、ちょっと待って落ち着いて。彼は過去の経験から、誰かが傷つくのを恐れてる。前にそんな話をしてくれた。彼の言う「もしも」ってのはあたしだけじゃなくてあくまで、誰かが、なのよね。一瞬調子に乗っちゃったじゃない。そうだ、こうなったらいい機会だ。今のうちに決着をつけてしまおう。
「ね、ねぇフィーリクス」
フィーリクスの両頬を手で包み込む。勢い余って彼の顔をちょっと潰してるけど、そんなことには構ってられない。
「ふぇいふぃふぃ?」
「あんたは、あたしのこと、どう思ってるの? いや、やっぱり言わなくていい。あたしは、あたしはね。フィーリクスとのコンビは今回の事件で終わりになるんだろうなって、そう考えてるの」
やってしまった。とうとう言ってしまった。これまで避けていたことだ。でももう耐えられなかった。あたしの心に重くのしかかっていたものに、潰されそうになっていたから。
「ふぇ……!?」
手により強く力を込めてフィーリクスに喋らせない。彼の顔がまた一段と変形した。
「あたし達、コンビ解消よ」
フィーリクスは眉を跳ね上げて目を見開き、あたしの戒めから抜け出す。
「……ぷはっ! 何だって!?」
「さっきもそうだけど、あんたが最近ニコとよく一緒にいること、あたしが知らないとでも思ってたの?」
「そ、それは……」
「いいのよ、隠さなくても。もう覚悟は決まってる」
彼にくるりと背を向ける。俯くと、髪が前に幾筋か垂れた。上を向けない。フィーリクスの方に振り向けない。
「あたしなんかよりも、ニコと組んだ方がいいもんね」
「いや、ちょっと待ってフェリシティ。勝手に話を進めないで……」
「最後まで言わせて。あたしはあんたと組んでたこの何か月か、とっても楽しかった。モンスターと戦ってる時も、訓練中も、遊んでる時も。満ち足りた気持ちでいられたの。あんたと一緒にいる時は、足りないパズルの一ピースを埋めるような、そんな感じがしてた。あたしとあんたは、二人で一つだって……」
ただしそれは、あたしの独りよがりな思い込みでしかなかった。ここのところのニコと行動していた彼を見れば分かる。仕事を終えて、ご飯でも一緒にって思って誘おうとしたらいつの間にか姿が消えてたり。パトロールの回数を減らしてニコと何やら相談してたり。食事や遊びの誘いは、自然と減っていった。そんなことがしばらく続いて、フィーリクスと一緒にいる時間が最低限のものだけになってたんだよね。
「そう思ってたんだけど、あんたは……」
それらの理由は簡単。あたしに嫌気がさした。これに尽きるだろう。思いつきで勝手な行動をすることもあったし、そのせいでちょくちょく彼を危ない目に遭わせたかもしれない。要は、あたしの面倒を見切れなくなったのだ。
「フェリシティ、君は……」
この前、相手をクリスタル化させるっていうモンスターが出た時。あの時彼がその考えを決定的なものに変える出来事があったんだと、あたしは思ってる。あの時からなのだ、フィーリクスとニコが急接近したのは。あの日の帰り際、あたしは二人が会話しているのを偶然聞いてしまった。ニコは確かにこう言ってた。「わたしが、あなたの背中を守る」ってね。フィーリクスの背中。そこはあたしのポジションのはず。でも、フィーリクスはその言葉を聞いても否定しなかった。つまりそういうことなんだ、ってあたしは判断した。
ああ、もう。あたしがこんなにグチグチ悩む人間だったなんて、思ってもみなかった。こんな未練がましく思い悩んだりするなんてね。もうこれで終わらせるけど。
「そんな風に思っててくれたんだね。それって、俺と同じだ」
……ん? あれ? 思ってたのと違う答え。それと彼に、後ろから抱きしめられた。あったかくて、優しいハグ。はね退けようなんて気は起きなかった。んー、これはまた彼に甘えてるなぁ。次に彼の口から出る言葉に、期待しちゃってる。首元に回された彼の両腕に、そっと自分の右手を重ねる。もたれるように、少し体重を彼に預けた。
「同じ? 何言ってんのよ、だって……」
「だから、ことを急ぎ過ぎだって。俺は、全然君とのコンビを解消したいだなんて思ってないよ。君は、最高の友達で、最高のパートナーだ」
あたしの欲しかった言葉が得られた。それを聞いて、ここのところずっと胸の底のほうに溜まっていたずっしりと重い何かが、急速に消え去っていくのを感じた。晴れやかなさっぱりした状態、いつものあたしに戻れそうな感じ。でも、まだ解決していない事柄がある。
フィーリクスは、どうも、さっきからあたしの髪の匂い嗅いでる。絶対嗅いでる。これは変態的行為だと断じよう。隙あらばあたしの匂いを嗅ごうとしてくるのを、あたしが気付いてないとでも思ってるんだろうか。しばらく前にはお尻の辺りを嗅いできたこともあったし。絶対に変態よね。……まあそれは取り敢えず置いておくとして、もう一つ。
「じゃ、じゃあニコとのことは?」
聞きたいことはこれだった。あたしが思ってたようなことじゃなかったけど、ならば二人は一体何をしていたのか。
「あれは、……その、誤解を招いてごめん。ちょっと複雑な事情があって」
「話してみなさいよ、今まであたしに隠してたその事情ってのを。あたし聞いたんだよ? あんたの背中を守るのは、あたしじゃなくてニコなんでしょ?」
ちょっと意地悪な言い方になっちゃってるかな、と思ってたら。急に回転させられ、また詰め寄られた。うん、だから顔が近いって。普段は顔と顔をくっつけたりしてても何とも思わないのに、今になって急に恥ずかしく感じるのは何でだろ。
「あの時俺とニコの会話を聞いてたのか!? ……あの場に、君がいたんだ」
「ぬ、盗み聞きするつもりじゃなかったのよ。その、ちょっと忘れ物しちゃって、探してるときに通りかかって、偶然声が聞こえてきて……」
「何を聞いた」
「へ?」
何か妙な迫力をまとうフィーリクスに、あたしはつい間抜けな声を漏らしてしまった。彼はさっきもそうだったけど、いつもの様子と違う。さっきは心配するような感じだった。今はそれ以上の、何か重大な危惧するべきことがあるかのような、ただならぬ雰囲気だ。
「何を聞いたんだ。全部知っててとぼけてるの?」
「い、いえ違う。秘密がどうのこうの、ってところからしか聞いてない。……そう!! 秘密ってなんなのよ!?」
「聞いてなかったんだね、よかった」
こっ、こいつ、人の話を聞いてないな。何だか尋問でも受けてるような落ち着かない気分。彼はひとまず納得したか、ようやく姿勢を戻す。
「よくない! そもそも、それがあたしが悩む原因になったんだから。ずーっと気になってた。ニコと何かがあって、コンビを組むことにしたんじゃないかって」
今度はあたしが距離を詰める番だ。嘘を言わないか、彼の目をじっと観察する。
「それはさっきも言ったとおり、何もないよ、安心して」
ジロジロと無遠慮によく見たけど、疑わしい感じはなかった。フィーリクスは嘘をつくのがあたしと同じくらい下手だ。だから、本当かどうかはすぐに分かる。つまり、さっきニコがあたしとフィーリクスが話をする時間を設けてくれたのは、純然たる善意からのものだったのだ。一瞬でも彼女のことを変に疑ったことが恥ずかしい。後でちゃんとお礼を言わなきゃ。
「分かった。で秘密ってのは?」
「聞けば後悔することになる。それに、まだ確定したことじゃないんだ。だから、ニコと二人でずっと真実を調査してた」
随分ともったいぶるじゃない。とっとと話せばいいのに、って思ってるのが顔に出てたか、あたしを見るフィーリクスの額に、汗が浮かぶのを見逃さなかった。焦ってるってことは、後ろめたさはちゃんとあるってことよね。それがおかしくもあり、嬉しくもあった。何故って、何とも思ってなかったら、そんなことはないわけだから。でも、隠し続ける意味って何?
「その調査ってのは?」
「だから、まだ言えないんだ。君に、ショックを与えたくない」
「もう、何よそれ? 結局あたしを信用してないんじゃない!」
歯を剥いて威嚇する。フィーリクスの焦りがより大きなものとなってく。
「そんなことはない! 君を誰よりも信頼してる」
「だったら、ちゃんと話をして。あたしは大丈夫だから」
「でも」
「でもはなし。今言ったあたしの言葉を信用しなさい。ずっと秘密にされるほうがしんどいっての」
そう、本当にしんどかったんだから。後はじっと彼の目を見つめて、答えを待った。これでダメならもう知らない。
「フェリシティ……。オーケー、話すよ。今回の件が片付いたら必ず」
交渉の結果は、あたしの勝ち。
「それでよし」
拳を小さく突き出す。フィーリクスもそれに応えて、自分の拳をあたしのに軽くぶつけた。フィーリクスがちょっと悪そうな顔で笑みを形作る。多分、あたしも似たような表情をしてる。これでようやく、いつもの通りに戻った。……ちょっと待って。じゃあお昼にフィーリクスの機嫌が悪かったのは何で?
「それにしても全く、お昼時にあたしを迎えに来たときは口喧嘩することになるのに。すっかり和んじゃったね」
「待ってフェリシティ。その話は聞いてなかったんだけど」
「言えば嫌な気持ちになるから、さっきは言わなかった」
「そういうの、あまり言わないほうがいいと思うよ」
確かにそうかもしれないけどフィーリクスったら変なことを言う。どうして必死に止めるのか。
「だって、本当のことなんだよ? それに……」
「だから、本当のことだからダメなんだってば! 知れば知るほど動けなくなる。君の言葉に縛られる。聞いたとおりにしなくちゃ、未来が変わる可能性だってあるんだ」
「えっ、そうなの?」
汗が、頬を一筋伝う。そう言えば、SFとかでよくある設定の一つに、タイムパラドクスってのがあるよね。タイムマシンとかが出てくる作品にそういうのが出てきた。時空がねじれておかしくなる、とかはまずないだろうけど。
「そう。絶対じゃないかもだけど。でも、聞いちゃった以上、俺は君と口喧嘩をしなくちゃいけなくなった」
ああ、これは……。
「あたし、やらかした?」
「やらかしてる」
「今のは忘れてもらっても……?」
「無理」
自分の両頬を押し潰す。
「ショック……」




