7話 rebuild-6
「またか……」
ため息をつく。ここは、小会議室。ランチが残念なことになった場所だが、まだ場が荒れていない。ランチの入った紙袋は手に持ってるし、机も椅子も数列ずつ、あるべき場所にきちんと整列している。
「これからなんだけど、もう起きたこと、なんだよね。もったいないけど」
一番前の適当な椅子に座って机の上にランチを広げる。これが悲惨な末路を迎えるのかと思うと心が痛む。食べ物を粗末にする奴にろくなのはいない、というのがあたしの信条だ。もちろん出された料理を何が何でも食べきれと言うのではない。自分にあった量を食べればいいのだけど。でもママの作ってくれたこのランチは、カロリーも栄養バランスも考えてくれてる、丁度いいものなのだ。
「っ!?」
せめて一口だけでも食べよう。そう思ってサンドイッチに手を伸ばそうとした時。来た。奴だ。後ろにいる。息づかいが聞こえる。一体どうやって。
「この……」
ずっと気になっていたのだ。ここで何があったのか。部屋が荒れていたということは、何かが暴れたということだ。ただ、モンスターの仕業という線は除外していた。なぜならここはMBIの建物の中。魔術的に守られモンスターの侵入を防いでいる、と前にヒューゴから聞いたことがあった。では誰と争ったのか。フィーリクスじゃないのだけは確定してたけど、まさかニコと一悶着あった訳じゃないよね、だなんて心配してた。でも違った。その点においてのみ安心する。
「この……くそ犬!」
思い切って振り返る。会議室の入り口付近にそいつはいた。ドアは閉まっており、そこから入ってきたわけではなさそうだ。どうやったのかは知らないが、今敵が目の前にいるというのはまぎれもない事実。
もう止まってはいるが、胸と足の付け根から出血の痕が見られた。皮膚、毛皮はちゃんとある。敵はさっきの戦闘から時間が連続している。見た目よりダメージは浅い。間合いをはかるその足取りはしっかりしたものだ。床に接するたびに後ろ足の蹄がカツカツと音を立てる。犬の見た目に反するそれが、違和感をあたしに与えている。一つ目には、感情らしきものが読み取れた。それは、怒りや憎しみ。そこに暗い愉悦が同居している。奴はあたしの喉を食い破ろうと狙ってる。その期待からだろう。見る者を不愉快にさせる陰湿さが感じ取れた。
「ランチを台無しにしてくれたのはあんただったのね。どうやってここまで侵入したのよ!?」
もちろん相手が答えるはずもないのだが、つい問いかけてしまう。怖くないかと言えば、当たり前に怖い。こんな相手に恐怖を感じることなんて、今までなかったのに。やはりメンタル面で安定性が欠けているせいだ。そう自己分析する。でも凌ぐしかない。死にたくなければ。だから怖気づかないように声を張り上げる。
でも。考え方を変えればいいのよね。向こうの方からやってきてくれるとは。探す手間が省けたというもの。
「あんたは絶対ぶっ潰す!」
犬型はよだれを垂らし、今にも襲いかかろうと姿勢を低く保っている。あたしと奴は、机や椅子をいくつか間に挟んで対峙する格好だ。刺激しないようそっと立ち上がる。銃をインベントリから出現させると構えた。それと同時に犬型が一番手前の机に飛び乗る。間髪入れず爪と蹄を机の天板に食い込ませ、次の跳躍を行った。上を取られるのは少々やりづらい。斜め上天井すれすれの位置からから迫り来る相手に、あたしは今し方座っていた椅子を片手で持ち上げ投げつける。
犬型はバランスを崩すことなく、それを踏みつけるような動きで軽々と払い落とした。脚力が尋常じゃなく強い。少しの勢いも殺さずにこちらに迫る。あたしもそのまま大人しくやられる訳はない。片方の手は椅子をぶん投げるのに使ったけど、もう片方の手では銃を相手に狙い定めてトリガーを、椅子を投げた後すぐに引いていた。必中の間合いだった。なのに。
「躱したっ!?」
まるでこちらの攻撃意志を読んでいたかのように。魔法弾が銃から放たれる前に、首を傾げる動作だけで避けた。魔法弾は天井の照明の一つに当たるとそれを破壊し、破片がまき散らされる。破片が他の照明に照らされ、煌めきながら地面に降り注いでいく中、敵があたしの間合いに飛び込んできた。
「いっ!」
これにはたまらず退避を決め込む。無理な迎撃は命取りだ。瞬時の判断で咄嗟にしゃがみ机の下に潜り込む。直後にすぐ上、机に奴が着地したようだ。敵の蹄が机の天板を突き破って現れるが、それは空気を踏みつけるに終わった。嫌な予感がしたあたしは、すぐに床を転がって別の机の下に潜り込んでいる。あたしのランチは今ので終わったけど。って考えてる場合じゃない。敵はすぐに今いる机の上に飛び乗るとそれも破壊して、あたしは次の机の下へと移る。何度か繰り返すと無事な机の方が少なくなってしまった。
仕方なく逃げるのはやめにして立ち上がる。犬型は攻撃を避けられた腹いせか、真っ二つに割った机だったものの一つを後ろ足で蹴り飛ばし、壁に激突させる。再び唸り声をあげた。そこそこご立腹のようだ。そしてそれは、あたしも同じなんだよねぇ。
狭い室内、双方間合いに入っているままだ。先に動いたのは、またしても犬型。今度は低い姿勢から地面を這うように、伸び上がるように、あたしの首元へ鋭い牙を届けに来る。対するあたしは、その場で跳ねた。
足先に魔力を込める。体を回転させながら跳ね上げた右足が、鞭のようにしなやかに、斜め上より振り下ろされる。相手の首根本に命中させて、そのまま床に叩き付けた。あたしはすぐさま後ろ、壁際まで下がる。ここで終わりじゃない。本領を発揮するのはここからのはず。そう思った時、犬型の体が膨れ上がる。
足に魔法を乗せ、蹴ると同時に魔法を相手の体内に叩き込み炸裂させる。それがあたしが試してみたかったことだった。一応の練習だけはしていたが実践で使うのは初めて。できればフィーリクスとの模擬戦闘訓練で害のない魔法を使って特訓したかったんだけどね。
今使った魔法は衝撃。うまくいけば相手の肉体そのものが衝撃波を発生させ、爆裂するはず。……いや分かってる。そうなったらすんごくグロいだろうなって、分かってるんだけど。余りにも腹が立ってたからつい選んでしまった。でも反省はしても後悔はしない。
「ギャウ?」
犬型はそのまま膨らみ続け、派手な破裂音を響かせて弾け飛んだ。弾け飛んだ破片をあたしが食らった。
「ぅわあぁっ!」
ある程度離れてはいたけど、炸裂した犬型の体液と毛皮が一部降りかかる。衣服や肌に付着して、異臭に吐き気を催し顔を歪ませる。顔にも飛び散って目を塞ぎかけた瞬間、何かが動いた気がした。いやな予感がしてすぐに横に回避行動を取る。それが命拾いする結果となった。壁が砕かれ、破片が散る。それを成したのは犬型。あたしの視界が塞がれかけた隙を逃さず、生きていた奴が馬よろしく強烈なバックキックをお見舞いしてきたのだ。
「うわぁ」
ただし、無事で済んだわけではなかった。全身の皮膚を失っていた。どうやら魔法が炸裂する直前に、体表に散らして肉体そのものの破壊を免れたらしい。魔法を相手の体内に叩き込んだ後、即発動してはあたし自身もその余波を食らう。そのためタイムラグが発生するように調整をしていた。のだが、それが相手が対処する猶予を与える原因にもなっていた。まだ研究する余地が多いみたい。
「うわあぁ……、おえぇ……」
犬型に一部残っていた毛皮がずれ、体液と共にべちゃりと音を立てて床に落ちた。粘液にまみれ、全身筋組織剥き出しの状態。それは最初に奴を見た時と同じ姿。つまり、非常にキモい。
「それでこうなったのね……」
あまり知りたくもない情報だったけど、これである程度繋がった。やはりこれは一連した出来事なのだ。犬型の時系列があたしの精神的時系列とずれている理由がまだ不明だけど、あたしが色々やらかす原因となったのはやはり奴だった。
「ひゃっ!」
驚いて変な声出ちゃった。着信だ。HUDに表示された名前はラジーブ。端末の着信音が鳴り続ける中、攻撃を外した犬型は追撃してこなかった。口惜しそうに顔を歪め、目を細める。体を震わせると組織液が辺りに飛び散った。それはすぐに蒸発し煙となって消えていく。あたしの服や顔、それからそこら中に付着していた体液や毛皮の破片も同じように消滅した。
「何? こないの?」
身構え様子を見るが、やはり襲ってこない。それどころか後ずさると座り込んで、空気に溶け込むようにその姿を消した。
「逃げた?」
何コールもなった後だが、ようやく着信に応答する。
「はい、フェリシティ」
「随分と出るのが遅かったな」
「ごめんね、ちょっと立て込んでたの」
人差し指で頬をかいて、雑な言い訳を試みる。ちょっとばかりみっともない戦いをしてました、とはあまり人に語りたくない。
「何してたんだ? まあいい。フェリシティ、頼まれてたのはオーケーだぞ」
ラジーブは結構大雑把な性格してる。なので、こういうところ突っ込んでこないから助かるのよね。で、彼は一体何の話をしてるんだろ。
「そう、ありがとう。ところで、あたしはラジーブに何を頼んでたんだっけ?」
「それ冗談のつもりか? フェリシティにしては面白くないぞ」
「あたしは超マジよ」
「そ、そうか、分かった。……いいか、フェリシティ。お前さんが依頼したんだ。唐突に、ユネックスフィールドにモンスターが出現するから、昼過ぎから無人状態にしてくれってな。ヒューゴに掛け合うのも大変だったんだぞ? 俺だから何とか彼を説得できたんだ。全く、フェリシティの頼みじゃなかったら聞かなかったよ」
「ふーん、あたしがそんなことをね。……は!? もう一回言って! それ本当なの!?」
今、ラジーブが重大なことを言ったような気がする。
「え? い、いや、今のは忘れてくれ。別にフェリシティだからって訳じゃ……」
「そこじゃないでしょ!」
「え、ああ。だから、フェリシティがスタジアムにモンスターが出るって、予言じみたことを言ったんだ」
何てこと、あたしだった。あのスタジアム、ラジーブの言うユネックスフィールド。モンスターに襲われたあの場所。そこに定めたのは他ならぬあたし自身だったのだ。
「そんなことって……」
「おいおい、勘弁してくれよ? こっちはモンスターが出現するって自信満々に言い張ったお前さんに賭けてるんだ」
「はぁ? 何? 勝手に人を賭けの対象にしてるの!?」
「あっ、まずい。今のも忘れてくれ」
「ちょっと! ……切られた」
ラジーブったら、いや、他にも何人かいるに違いない。あたしで賭けだなんて、後でロイヤリティ請求してやる。別に特に何も登録してないけど。ってそれは置いといて、あたしがやるべきことがはっきりした。まだ経験、消化してない時間は午前の時間。その間にラジーブにさっきの会話の内容のことを依頼しなくちゃいけない。それと、もう一つ。
「フェリシティ、入るよ」
部屋の外から声が聞こえた。フィーリクスの声。ノックする音もある。なるほど、そういうことだったか。犬型が消えたのは、ラジーブからの着信があったからじゃない。この部屋に接近するフィーリクスに感づいたからだった。まあそれはいいんだけど。思い出したんだよね。この後彼と口喧嘩をする予定になってる。うーん、どうにも気が重くなる。次いつの時間に飛ばされるか分からないが、彼と顔を合わせるのが段々辛くなってきている。よろしくない兆候だ。でもやらなくちゃ。
「ごめんね、フィーリクス」
そっと呟いた言葉には、我ながら覇気が全く感じられなかった。




