7話 rebuild-4
「あたしを舐めたらどうなるか、思い知らせてやる!」
チンピラみたいなセリフで申し訳ないが、自然に出てきた言葉がそれだった。
「あ、おい! 抜け駆けしてんじゃねぇ!」
犬タイプが立ち上がりこちらに駆けてくる。クライヴの声は無視してあたしも猛然と敵に躍りかかる。あたしの後を追ってきているようだが、追いつけまい。作戦も何もなく、なし崩し的に戦闘に突入した形となり、フィーリクスとしては腹立たしいものがあるだろう。後ろを振り返って確認するまでもない。彼の性格ならそういう感想が出るはず。っと、余計な思考はここまで。敵との距離が詰まり、お互いに肉薄するまでは僅かな時間しかかからない。タイミングを合わせ、あたしは右拳を繰り出した。体重の乗った、ベストな一発。そんな予感がする。顎を開き噛みつこうとする敵の側頭部に、吸い込まれるように拳が突き出されていく。
「ぐえっ!!」
クリーンヒット。まるでフィーリクスみたいな声で苦悶の声を上げて敵が吹っ飛ぶ。うん、あれ。フィーリクスみたいじゃなくて、彼そのものだ。
「うう……」
「え、なんで? あたしはモンスターと戦ってて……」
あたしが今殴り飛ばしたのは、フィーリクスだった。床に転がって呻いている。そう床。地面じゃなくて床。辺りを見渡す。場所は、MBIの捜査課の部屋の中だ。複数のエージェント達がこちらを見て何事か囁き合っている。いや、フィーリクスはクライヴやソーヤーと一緒にあたしの後ろにいて、そもそも森の中で、……モンスターはどこに行った。何が起きた。あたしは、バグってるの?
「フィーリクス! 大丈夫!?」
「ありがとう」
あたしではない。ニコが彼に駆け寄って助け起こしていた。殴られた左頬を確認し、肩を貸して彼を立ち上がらせる。この状況、この先の展開は、嫌な予感しかしなかった。
「あれはフィーリクスのやつ何かやらかしたな」
「思いっきり殴るなんて、何かしら強烈なメッセージが込められてる」
「フェリシティの思い切ったパンチ、彼女は相当怒ってると見たほうがいい」
「でも、変なこと言ったよね。何かごまかそうとしてるようにも見えたけど」
「修羅場かしら」
「修羅場だな。その方が面白い」
皆好き勝手言い過ぎでしょ。そう口に出す余裕はなかった。背筋に汗が伝う。体が熱いような冷たいような変な感じがする。極度の緊張によるものだ。状況だけを見れば、あたしがフィーリクスに突然の凶行に及んだ、ということにしかならない。
「フェリシティ、どうして彼を殴ったりしたの!?」
ニコの責めるような口調にたじろぐ。彼女はフィーリクスに寄り添ってるままだ。自分の足で立ってるんだし、もう離れていいんじゃないの。こっちが悪者、みたいな感じで眉間にしわ寄せて見つめてくるし。あたしと彼女との仲は悪くない、と思ってたけど、分からなくなった。今この場にあたしの味方がいない。……ダメだ、パニックを起こす寸前で何を言えばいいのか、下手に口を開けば妙なことを口走りそうで。
「答えて!!」
「どうなってんの!?」
ほら。彼女の詰問に思わず出た言葉がこれ。ニコの表情がより険しいものになった。フィーリクスも、あたしの見たくない顔をしてる。
「こっちが聞きたいよ」
「これには訳があって」
「訳だって? 俺に何か不満があるんなら、口で言ってくれよ」
「違う! そんなんじゃないの。でも訳が分かんなくて、モンスターが」
「モンスターなんていないだろ」
ちゃんと説明したいのに、そんなに目で見ないでよ。分かりやすく伝えられるはずなのに、うまく話をまとめられない。フィーリクスは怒りもあったけど、それよりも残念そうにあたしを見つめるのが嫌だった。
「ああもう! どうして分かんないのよ! あたしがこんな目に遭ってるのに!」
苛立ち紛れについ叫んでしまう。悪手だと分かっているのに止められなかった。
「君が、じゃなくて俺が、だと思うんだけど」
「う、それはそうだけど、その……」
「君はどうにも変だよ。落ち着いて、フェリシティ。話はそれからでいいだろ?」
フィーリクスは冷静に、淡々とあたしを追い詰めていく。彼にそのつもりはないんだろうけど、そうとしか思えなかった。これは、怒鳴られるよりきつい。あたしはとうとう言葉に詰まってしまった。
「あ、あたしは変じゃない……」
「悪いけど、俺はもう行くから」
「あ……」
フィーリクスがドアのほうへ歩いて行く。その横にニコが一緒に付いていった。二人してどこへ行くのだろうか。随分と仲良さそうにしてる。あたしは無意識に手を伸ばしていたが、足が動かない。声が出ない。取り残されたあたしは周りから好奇の視線を受けて、ただ立っていることしかできなかった。二人が部屋から出てしまい、ドアが閉じられる。それはあたしと彼との繋がりを断つもののように感じられた。冗談じゃない。そう、これで分かった。あたしはまだ、夢の中にいるのだ。これが現実だなんて認めたらあたしは……、フィーリクスは、ニコと……。
伸ばしていた腕をぱたりと下げる。木々に囲まれた風景が広がっている。いつの間にかまた、森の中に戻ってきていた。けど心はもう乱れなかった。何故なら、もはやその分の元気すら、既に失われていたから。
目の前に犬型モンスターの鋭い牙が迫ってくる。さっきの続きだ。あたしの首に食らいつこうしてるのかな。その様子がスローモーションに見える。ゆっくり、とてもゆっくりと死が近づいてくる。でも、これもどうせ夢なんでしょ。いいよ、噛んでも。夢なら痛くないし。いっそひと思いにやっちゃってくれたら、しっかり目が覚めるでしょ。そう思って流れに身を任せる。そして血しぶきが上がった。
「あぐっ!」
「クソッ!」
激しい揺れと、痛みに何がどうなったのか一瞬把握できなかった。でも、痛みがあるってことは夢じゃない。痛みは噛まれたときのものじゃくて、地面に体を打ち付けて生じたもの。飛び散った血の持ち主は、あたしを抱えて一緒に倒れているクライヴだ。彼があたしをかばって代わりに傷を負ったのだ。さっきは一番近くに彼がいた。棒立ちのあたしを見て咄嗟に飛び出したのだろう。
「このぉ!」
あたしは上体を起こすと、まず敵の確認をする。夢じゃなかった以上最優先事項はそれだ。ただ幸いなことに、敵は反撃を恐れてか一度距離を取る選択をしたようだ。低い唸り声をあげ威嚇している。すぐにフィーリクスとソーヤーがあたし達の前に出てくれた。その隙にクライヴの様子を確認する。二の腕からの出血があった。傷の深さは、……肉が抉れている。骨までは達していないことを願う。あたしはブラウスの袖を引きちぎって、手早く彼の止血処理をする。
「いてて、無事みてぇだな」
「おかげさまでね。でもあんたは無事じゃない。どうしてあたしを助けたの?」
「そんなの当たり前だからだろ」
言われてみればそうかも。あたしだって彼がそう状況に置かれていれば、飛び出していただろう。どうにも頭が回っていない。ダメね、とっとと切り替えないと。
「……それに『どうして』って、こっちのセリフだぜ。何でまた敵の目の前で無防備に突っ立ってんだよ」
「それは、話すと長くなる」
説明したところで信じてもらえるかは分からない。ただ、彼と少し話をしてみたくなった。
「じゃあ後で聞かせてくれ」
「分かった。……大丈夫、よね? 死なないよね?」
「死ぬわけねぇだろ、軽傷だ。泣きそうな顔すんなよ。へっ、意外と可愛いとこあるじゃねぇか」
どうやらまだ切り替えが足りなかったみたい。いくら精神的に弱ってるとはいえ、あたしがそんな表情をしていたとは。恥ずかしいところを見られてしまったようだ。
「はぁ? あんた何言ってんのよ?」
「うおぅ、もう元に戻ったな」
「変な奴」
「仲間にはよく言われるぜ」
フィーリクスに先ほど言われたことを思い出す。
「……あたしもそうよ。あんた、話してみれば思ったよりかはましな奴ね」
「俺の魅力を理解できないとか見る目のねぇこった」
彼に小さく微笑んで、フィーリクス達前列に加わる。
「大丈夫?」
「クライヴなら、なんとか軽傷で済んだ。後でお礼をしなくちゃ、ね」
フィーリクスの問いかけに対する言葉は力ないものになる。精神だけの時間跳躍とでも言うべき現象が、あたしの身に起こっているのはもう間違いない。対処法は分からない。でも失敗は失敗。あたしの失態でクライヴが怪我を負ったのだ。胸の内は自責の念でいっぱいだった。元気よく答えられる者がいたら、それはサイコパスだろう。
「よかった。でもそれもあるけど、それだけじゃなくて君が……」
「どうしたの?」
「いや、いい。本当いつもの君らしくないね」
「そうね、訳は後で話す」
「オーケー。まずは、奴にかましてやろう。クライヴの分をきっちりお返ししてやるんだ」
フィーリクスの言葉は責める感じじゃなかった。むしろ気遣いの感じられる話し方だ。それに少し救われた気がしてありがたく思う。さあ、気を引き締めよう。彼の言う通り、モンスターを倒すことに集中しなきゃね。




