7話 rebuild-2
「ってな夢を見たのよね」
ここはあたしの勤めるMBIの捜査課の部屋。あたしのデスク。隣に座ってるのはもちろん相棒のフィーリクス。悪い目覚めの後、シャワーで汗を流してすっきりと気持ちを切り替えた。それから出勤して、悪夢の話を彼にしてみたのだが。
「仕事熱心というか何というか」
「別に見たくて見た訳じゃないっての」
「まあでも、何とも薄気味悪い夢だね」
夢の中での出来事について大体話したが、あたしが何を考えて何を感じたかまでは言ってない。そこは伏せたままで、犬もどきの気持ち悪さを強調して話をした。何せ実際きもかったし。あれは無理。直視してたらゲロ吐いちゃうよ。
「次夢に出てきたら、いや出てきてほしくないけど、もし出たら。火炎魔法で消毒してやるわ!」
「それは消毒とは言わないんじゃ」
「あたしがそう言うんだから言うの!」
「はいはい」
ああ、それと、フィーリクスに夢の中でされたお願い、折り畳まれた紙切れを手渡した。
「それで、これが俺が君にしたっていうお願いだって?」
紙切れを受け取って、胸ポケットにしまい込みながら彼が言う。そう、夢の中で彼が彼自身に宛てたメッセージを紙に書いて伝えること。それがお願いの内容だった。短い内容だったし、特に意味のある言葉じゃなく思えた。何となくやってみただけのことだ。
「ちょっとおもしろそうでしょ? ちゃんとメッセージを見るのは言われたタイミングでね」
「分かってるって。意味があるようには思えないけど。それより、よくそんなことまで事細かに覚えてるね。普通夢のことなんて朧気にしか覚えてないよ。ほとんど忘れちゃう」
確かに、妙にはっきりくっきりと覚えてる。でもそれは。立ち上がって右手をたおやかに斜め上に、左手は胸に添えて。
「あたしがそれだけ特別なの。……ちょっと、『何言ってるんだ』とか何か突っ込んでよ! 無言は止めて。その顔は何!? ……いい? さっきも言ったように明晰夢ってやつよ。だからよく覚えてる。あんたもあるでしょ?」
この男、時にあたしのテンポに付いてこないことがある。もっとしっかりしてほしいものだ。一人芝居をしてるんじゃないんだから。彼は変なものでも見るような目つきをしているが、どういう了見なのだ。
「夢の中でこれは夢だって気が付くやつだろ? あんまりそういうの経験がないな」
「ふうん、人それぞれね。まああたしも初めて見たんだけどね」
「ほら。……さて俺はそろそろ」
目をつむって考える。これでいて彼には仕事上でよく助けられている。プライベートでの付き合いが減っているのは確か。それでも任務を果たす上で支障が出るようなことはないし、今もこうして普通に喋ってる。特に問題があるわけではないのよね。
「さあそろそろ仕事に取りかかりましょ。めんどくさい書類仕事はぱぱっとやっちゃって。早く戦闘訓練がしたいな。試したい技があるんだよね。もしかしたら少し痛いかも知んないけどフィーリクスなら、……ってちょっと、聞いてるの!? さっきから一人で喋ってるんだけど、相槌ぐらいくれてもいい、……でしょ?」
気付けば、あたしは誰もいない部屋に立っていた。自分の言葉通り、本当に一人で喋っていたようだ。捜査課じゃない。ここは、知ってる。MBIの中にある会議室のうちの一つだ。いやいや、そういうことじゃない。ここがどこかってこと自体は論点じゃない。今し方まで捜査課にいたはずなのに、一瞬で違う場所に移動したこと。それとこの部屋の状態の二点。これが問題大ありだった。
「はぁあああああ!? どうなってんのこれ!! 夢!? あたし夢でも見てんの!?」
部屋を見回して混乱の度合いはますます深まっていく。椅子や机が破壊され、ひっくり返っている。天井の照明も一つ、壊れて消えていた。加えて家から持ってきていたランチ、サンドイッチとフルーツが床に散乱している。朝にママが用意してくれたものだ。変わり果てた無惨な姿に肩を落とす。
「あたしのランチ……」
何が起きたのか分からない。フィーリクスとの雑談の後、無意識にランチを持ってここまで来たのか。あたしってそんなにお腹空いてたっけ。それにしても何でこんなに部屋が荒れてるのよ。ランチも、食べるならともかく床に散らかすって。
とにかく端末を取り出し時間を確認する。今は、お昼時。いやいやいや。さっきまで朝だったでしょ。仕事が始まったばかりだったじゃない。いくらなんでもこれはない。数時間分の記憶が飛んでるとかあり得ない。でももしかして、そういうことなのだろうか。あたしは、何か病気を抱えているのかもしれない。今すぐにでもカウンセリングか脳の検査を受けるべきだろうか。
「誰かと喋ってた? ん、何で部屋がこんな……。君の、……ランチも? 何やってたのさ」
「フィーリクス! いつの間に!?」
「ノックはしたよ」
考え事の最中に急に声をかけられ、飛び上がりそうになった。フィーリクスが、会議室の入り口にいた。腕を組んでドア枠にもたれかかり、こちらを横目に見つめている。否、見つめているというよりは、何か観察しているように見えた。さっきまでのいつもの親しげな様子はない。何だかどこか彼の存在が遠くに感じられる。
「ね、ねぇ。あんたよくあたしがここにいるって分かったよね。あたしは何で自分がここにいるのか分からないんだけど」
「それは、……俺のデスクにメモを残してただろ?」
メモなんか書いたっけ。まるで覚えがない。そもそもこんなところにランチを食べに来るつもりなんてなかった。いつもはフィーリクスと一緒に食べるし、一人で食べるときは給湯室や屋上でってのが多いパターンだ。
「あたし、その、ちょっと、……ってその顔、どうしたの?」
「はぁ? 覚えてないの? 自分で殴っておいて?」
フィーリクスがもたれる姿勢を止めてこちらに向き直る。先ほどまで見えなかった彼の左頬には、殴られたような痕があった。けっこう強めに打たれた感じで痛そうだ。で、彼はそれをあたしがやったって言う。うん。
「あはは、あたしがぁ? そんなことするわけないじゃない」
「それ本気で言ってる?」
大げさな身振り手振りでフィーリクスに否定の意思を伝えてみる。彼にふざけた様子はない。何か機嫌よくなさそうに見える。あたしが雰囲気を明るくしようとしてるのに、彼はお構いなしだ。こちらを見る目つきは軽い睨みに近い。
「何でそんな顔であたしを見るの? あたしは何もしてない。殴ってないし、ランチもぶちまけたりしない。それに……」
「フェリシティ」
彼のあたしの名前を呼ぶ声に、びくりと小さく震えた。怒りの感情がこもっている。
「君はさっき自分が変だって言ったよね。確かに変だよ。朝からずっとそうだった」
「そうなの?」
あたし自身にはまるきり記憶がないのだ。そんなこと言われても知らないものは知らない。結構な剣幕の彼にどう答えたものか。
「そうなのって、……何があったのかは知らない。でも理由もなくいきなり殴ったり、ものに当たったりするだなんて。変な話もするし。君がそんな奴だなんて知らなかったよ。がっかりだ」
「……そ、そんな一方的に、そんな言い方はないでしょ!」
フィーリクスは何をこんなに怒っているのか。彼の口から「がっかり」という言葉が飛び出して、あたしは少なからずショックを受けていた。彼の顔を真っすぐに見ているつもりが、視線が揺らいでしまう。彼の顔のあざやこの部屋の状態はひどいものだけど、あたしがやったわけじゃない。それなのにこんな評価を受ければ、いくらあたしでもちょっとは落ち込むっての。
「いいや、言い足りないくらいだよ。君は大いに反省すべきだ」
「反省!? やってもいないことをどうやって!?」
「そうするつもりはないってことか」
「ないわよ! 変なこと言わないで!」
「変なのは君だよ!」
「あんたよ! あたしよりちょっと賢いからって、何でも分かったような顔して! あたしがどれだけ悩んでるのか知りもしないで!」
ムキになって、彼と間近で睨み合う。先に退いたのはフィーリクスだ。あたしの言葉に何か思うところがあったのか、少し怯んだように見えた。
「……今は言い争ってる場合じゃない。モンスターが出たって報告があった。そのために君を探してたんだ。今動けるのは俺達だけみたいなんだ。行くよ」
「ちょっと! ……ああもう」
もっとちゃんと話をしたかったけど、打ち切られてしまった。まあこのまま続けても喧嘩が続くだけだったかもしれないけど。熱くなり過ぎたよね。フィーリクスは背を向けると部屋を出ていく。モンスターの出現イコールあたし達MBIの出番だ。彼の言う通り出かけなければならない。話の続きは、モンスターを倒した後でいくらでもできるのだ。部屋の片付けも、後回し。誰かに見つかったら怒られるだろうけどね。
「分かった。やってやりましょ」
あたしは頷くと彼の後に続いて部屋を出た。




