7話 rebuild-1
今回の話はヒロインの一人称で進めていきます。
何かの振動で目が覚めた。重たいまぶたをこすり、大きくあくびする。体が揺られる感覚が、車に乗っているのだということを教えてくれた。……いや車って、昨夜はちゃんと自室のベッドで寝たはず。つまり、これは夢の中。多分そう。こういうの何て言うんだっけ。そう確か、明晰夢だ。
あたしは助手席に座っていた。あたしの隣、運転席には仕事上の相棒であるフィーリクスがいる。わざわざ『仕事上の』だなんて付け足したのは、彼があたしが今勤めているMBIの同僚だから、という単純な理由。それともう一つ。今彼とは、個人的に微妙な関係にあるためだ。
車内を見回す。内装や作りを見るに、あたし達二人が乗っているのはMBIの車両のようだ。窓の外に見えるのはどこかの町並み。道路の左右とも赤レンガ造りの戸建ての家が並んでいる。ぼうっと眺めていると、風景は次第に緑の比率が多くなっていった。木立に囲まれた場所を更に進んでいく。
「ここどこ?」
少し前まではフィーリクスと二人でよく遊んでいた。ゲームセンターでスコアを競ったり、映画を見たり。アイスを食べたり。同年代の人達がよくやるようなことは大体。彼と出会って以来、仲良くつるんでいた。でもその少し前の、ある出来事があってから、彼はあたしの誘いを避けるようになった。また彼から誘うことも少なくなっていた。
「目が覚めた? おはよう、フェリシティ」
優しい響きが聞こえる。フィーリクスの声だ。あたしが信頼するパートナー。とはいっても、それは一方通行な感想でしかない。あたしは彼の職務遂行能力や性格をよく知っている。彼もあたしに対して同じぐらいの理解度はあるはずだ。ただ、当然の話ではあるのだけど、だからといってお互いの評価が一致するわけではないということを、この間嫌な形で知ることになった。
「どうしたんだよ、フェリシティ。まだ寝ぼけてるの?」
さっきからネガティブなことばかり考えている気がする。彼の顔を見る。起きてるときと変わらない、いつも通りの彼がそこにいる。本当に個人的なことなのだ。自分のせいなのかもしれない。
……彼は、あたしに対して裏切りに近い隠し事をしているかもしれない。
本当のことを知りたいのかそうでないのか、今はまだ分からない。でも。この夢の中の彼は、聞けば何を答えてくれるのだろう。
「さあ仕事だ。君には、今からある場所に行ってもらう」
「これって夢でしょ? 夢の中まで仕事なの?」
あたしって思ったよりもワーカーホリックなところがあるのかな。確かにMBIでの仕事も、前職であるバスターズでのそれも好きだ。モンスターと戦い街を守ること。それがあたしの仕事。相棒のフィーリクスとは、MBIに所属してから三ヶ月以上一緒に戦ってきた。背中を預けられる大切な戦友。線が細くてちょっと頼りなさげだけど、やるときはやる人物。その彼と一緒だからやってこれたと思ってる。それなのに、ね。
「そう、これは夢だよ。でも、まあそう言わずに。お願いだ。ちょっとばかり恐ろしいことが起きるかもしれないけど、俺を信じてくれ。必ず何とかする」
「あんたのことは信じてるけど、あんたはどうなのよ。あたしのことをどう思ってるの?」
フィーリクスが何か訳の分からないことを言っているが、まあよくあることだ。座席に預けていた体が僅かに前方に振れ、またもたれる。振動が止んだ。車が目的地に到着したのだ。フィーリクスがこちらを見つめている。あたしも彼を見る。
「着いたよ。さあ降りて」
「降りてって、あんたはどこへ行くのよ」
「別にすることがあるんだ。だからこの仕事は君にやってもらうしかなくてね」
「……そう」
誰かがいなくなる夢。それは自身が無意識のうちにそれを怖れているから見るのだ。そんなようなことを何かで見たか聞いたかした気がする。
だったら、どうだっていうのよ。
「じゃあね。あたし一人で充分、とっととどこかへ行きなよ」
「……何かすごく寂しい感じがする言い方だな。そうだ、ちょっと待って。一つお願いがあるんだった」
フィーリクスが困ったように小さく笑う。これは夢。所詮相手は自分が作り上げた人物像なのだ。さっきの質問に答えないということは、あたしがそれを望んでいないということなのだろう。フィーリクスの頼みごととやらを聞いてから、だだっ広い駐車場に止められた車を降りる。後ろは振り向かない。音で判断する。車がそろそろと発進し、やがてスピードを上げて走り去っていく。遠くへ行って小さくなったところでようやくその姿を視界に入れた。
「何よ、本当に行っちゃったじゃない」
曇天の空の下、小さく呟いて歩き出す。見覚えのない場所。ここはどこかのスポーツスタジアム、らしい。指定された場所はフィールドのど真ん中。
ここではないが、同じような場所に小さい時に家族に連れられて来たことがあるのを思い出す。パパの好きなフットボールのチームの試合を見に行ったんだけど、あたしは全く興味がなくって。買ってもらったお菓子に夢中になってたっけ。って、夢の中で思い出を振り返るのってどうなの。
入り口のガラス戸を押す。カギはかかっておらず、扉が開いた。中には誰もいない。薄暗い通路を一人歩く。反響する足音に、自分のものなのに何故か不安を覚えた。案内表示に従いやがて通路を抜け、やはり誰もいないフィールドへ出る。
「で、ここで何が起きるっての?」
全面に敷かれた芝生の地面。白線で長方形に縁取られたフィールドの丁度真ん中あたりに差し掛かったときだった。何かが聞こえた。
「遠吠え?」
どこから聞こえてくるのか分からなかった。すぐ近くからな気もするし、遠い場所からな気もする。それは犬の遠吠えのように思えたのだが、人はおろか何かしらの動物もここにはいなかった、はずだった。
「っ!?」
ふと、気配を感じ取る。怖気が背中を走る。後ろに、何かがいる。絶対にいる。生き物の息づかいが急に聞こえだした。あたしに気付かせないでここまで接近してくるなんて、一体何がいるってのよ。そう思いながら意を決して振り返る。……うげぇっ、見なきゃよかった。
「何なのよこれ」
犬、だと思う。ちょっと普通じゃない気がする。大型犬の体長のその体には、皮膚がない。全身剥き出しの筋組織が、妙な光沢を放つ粘液に覆われている。
「あたしこんなの頼んでないんだけど……」
次に、目が一つしかない。二つある内の一つがないのではない。眉間の真ん中に一つだけ、大きめの眼球が備わっておりギョロリと辺りを見回している。
「蹄?」
三つ目の特徴は足だ。後ろ足だけが馬の蹄のような形をしている。そして極めつけはその表情だ。顔を歪めて、ニタニタ笑っている。何かすごく嫌な感じがする。
訂正しよう。ちょっとどころじゃない。絶対変だし気持ち悪すぎる。いくら夢でも、あたしの心のどこにあんな要素があるっていうのか、誰か説明して欲しい。とか考えてるうちに。犬、もどきがにじり寄ってくる。薄気味悪い笑いを浮かべ、牙をむきながら距離を詰める様は、どう見てもフレンドリーには見えない。
「やる気!? かかってきなさ……やっぱこないで!」
粘ついた唾液が地面に滴り落ちる。犬もどきは低いうなり声を上げたかと思うと飛びかかってきた。唾液や粘液を飛び散らせながら、あたしをあっという間に組み伏せる。鋭い牙の生え揃った口を大きく開ける。涎や粘液があたしの着ているブラウスを汚していった。生臭く、何かが痛んだような臭いがした。相手は、勝ち誇ったように前足で腹部と胸部を押さえつけてくる。
「や、やめて……」
体に力が入らない。あたしは、恐慌状態に陥っていた。思考がまとまらない。どうすればいいのか分からない。助かるために何をすればいいのか思い付かなかった。犬もどきの開けた口があたしの首に迫る。なま暖かい息が首筋をなでる。
「ひっ! これが夢ならもう覚めていいよ! 早くしないとまずいって!」
果たしてこれは本当に夢なのか。分からなくなってきた。犬もどきはすぐに噛みつかない。相手を怖がらせようと、いたぶろうとしているように思えた。悪意の塊がそこにいた。
「う、……ぅ」
思わず目をつむり、死を覚悟する。もうどうしようもなかった。何で油断したのか。何で体が動かないのか。何で誰も助けにこないのか。何でフィーリクスがここにいないのか。
「たす、……助けて!」
閉じた瞼に更に力が込められる。ぎゅっと体が縮こまる。でも、いくら待ってもその瞬間は訪れなかった。
目を開ける。見慣れた天井が視界に入ってきた。自分の家、自分の部屋。ベッドの上にあたしは寝そべっていた。今、あたしは随分と間抜けな顔をしているに違いない。汗をびっしょりとかいていて、パジャマを濡らしている。生地が肌に張り付いて気持ちが悪い。緊張で体が強ばっていた。ぎこちなく首だけを動かし部屋の中を確認する。あの気味の悪い犬もどきはいない。当たり前だよね、夢だったんだから。




