5話 pierce-15
「確かにすかっとしたよ、ははっ」
「イェヤー!」
彼の去り際にフィーリクスとフェリシティの、楽しそうに話す声が聞こえた。目を軽く瞑り眉を上げ、小さく微笑んだあと彼、ヒューゴはある部屋へと向かう。ゾーイが主任を務める技術部技術課だ。果たして彼女はまだ部屋にいた。研究に没頭しているようで、パソコンのディスプレイと睨み合っている。接近するヒューゴに気付き、眉間に寄せていたしわを解消すると笑顔を見せる。
「やはりまだ残っていたか」
「やぁヒューゴ。そういうあなたこそ」
「用事を済ませたら、すぐに帰るつもりだ」
副主任以下部下たちはもう帰宅させたようで、彼女一人だけだ。複数あるデスクにはそのどれもが、乱雑に書類や何かしらのパーツなどが積まれている。パソコンのキーボードとマウス、それとそれらを操作する腕を置くスペースのみが辛うじて空けられた状態だ。部屋の至る所にもパーツやコード類がはみ出しているダンボールが積まれていた。全体として雑然とした印象を与えている。ただゾーイに言わせれば、これでも片付いているほうだ、ということらしい。ヒューゴは常々そう聞かされていた。今は天井の照明は落とされ、ゾーイのデスクのライトとパソコンのディスプレイだけが光源となっている。薄暗く、静かな部屋に二人。椅子に座った彼女と、そばに立ったヒューゴが視線を合わせた。
「その用事ってのは?」
「昼間の戦闘で見せた彼のあの動き、解析できたか?」
「まだ」
「あんなことが、可能なのか」
「それも、今は答えられない質問だね。彼の端末のログを解析してみたけど、不具合が起きたわけじゃないみたい。バグで高出力の魔法を使ったわけじゃない。何か別の原因があるはず」
ゾーイのデスクの上に二つあるディスプレイの内一つでは、ウィッチと戦うフィーリクス達が映っていた。アーウィンの攻撃を受けたフェリシティを、高速で動くフィーリクスが助けた場面が、繰り返し何度も再生されている。もう一つの画面には、何かのログが表示されている。ゾーイの言によれば、それはフィーリクスの端末に保存されていた戦闘データのようだった。
「うーん」
難しい顔をして小さくため息をつくゾーイに嘘の色はない。そう見て取ったヒューゴは次の質問に移ることにした。
「前にも一度、こういうことがあった」
「えーと、これだね」
ゾーイがマウスを操作する。どこかの公園で、フィーリクス達が金属ウニのモンスターと戦う場面が映し出された。この時ヒューゴがそばにいたわけではない。この映像も先ほどの映像も、フィーリクスとフェリシティの端末が自動録画し、保存されたデータをゾーイのパソコンに移して参照している。各エージェントに支給されている端末に、そういう機能が備わっているのものだった。そして、それはフィーリクス達には知らされていないことだった。
「この時も、彼女と子供を救う時に高速移動を行っている。この時のログでは出力制限である五十パーセント、だったな?」
「そう。だから、たまたま動けただけだとスルーしてた。実際理屈に合った動きをしてたしね」
「だが今回は違う。明確に異常な速度で回避行動を取っている。これが端末の力によるものでないとするならば」
ヒューゴが、ゾーイに詰め寄る。ディスプレイに照らされた彼の表情を見て、ゾーイが怯えたように僅かに顔と体を強張らせた。それでも、彼の言葉の続きを引き出すために一言、かすれ気味の声で言う。
「ならば?」
ヒューゴは、その先をすぐには答えない。じっとゾーイを見つめていた目線をディスプレイ上のフィーリクスに移し、ややあって再びゾーイに戻す。
「彼は、……ウィッチか?」
ゾーイの息をのむ音が、ヒューゴに聞こえた。今度は彼女が視線を彼から外す番だった。彼女は俯き足元を見つめる。目を伏せがちにし、しばし黙する。今の彼女を、いつも陽気で何事かあってもあっけらかんとしている人物だと見知っている者が見れば、なかなかに珍しい光景だと言うだろう。
「それは……。ごめんなさい、それも答えられない。今はまだ」
「そうか、すまなかった。ありがとう、私はもうこれで帰ることにする」
そう言い背を向けたヒューゴは、部屋を出ようと一歩前に踏み出す。
「用事ってそれだけ? ヒューゴ」
彼は二歩目を踏み出す前に、後ろからゾーイに抱きとめられた。
「冗談はやめろ」
「本当に冗談だと?」
ヒューゴは、その問いに答えなかった。彼を縛める両腕が解かれ、椅子が軋む音が響く。再び席に付いたゾーイは、ヒューゴを見ない。ヒューゴも振り返らない。
「まだ、引きずってるんだね」
「かもしれん」
「でも、あたしは待ってる」
次の言葉はどちらからも聞かれなかった。ヒューゴは改めて歩き出し部屋を出る。止まることなく進み、地下駐車場に置かれた車に乗り込むと、そのまま発進させる。ゆっくりと進む車両はやがて地上へその姿を表し、どこかへと走り去っていく。ハンドルを強く握りしめる彼の顔は、歪められていた。それは彼をよく知る者でさえ、気軽に声をかけようとは思わないだろう苦悩に満ちたものだった。
今回で第五話終了となります。




