5話 pierce-14
「ここは……?」
フィーリクスが目を開く。見えたのは白い天井で、感じたのは自分が横になっていることと、胸のあたりに重みを感じたこと。それともう一つ、何かその辺りの一部が冷たいということだ。目をやると、果たしてフェリシティが突っ伏しているのが見えた。彼女は眠っているようだ。横を見ると窓から覗ける外の様子は既に暗く、今が夜中であることが分かった。戦いの後、MBIの救護室に運び込まれたのだろう。以前にも来たことがあり、部屋の様子からここがそうだと気が付いた。
「俺は、あれから……」
意識を失ってからどれくらい時間が経ったのか。フェリシティは、その間ずっとフィーリクスを看ていてくれたのだと思い当たる。男の子の憧れるシーンのうちの一つだ、などと考える。眉じりを下げ、微笑みながら彼女の頭に手をあてがい優しく撫でる。
「ううん」
フェリシティが身じろぎをし、むくりと頭を持ち上げた。ぼーっとした表情で口には涎が糸を引いており、シーツとその下のフィーリクスの服までを汚している。冷たい感触の正体はこれか、と内心苦笑する。口元を服の袖で拭う彼女を見ていると目が合った。彼女は瞬きを何度かしたあと、目を見開く。驚きと喜びに満ちた、飛び切りの笑顔を彼女が見せた。
「フィーリクス! 目が覚めた!」
フェリシティが抱き付いてくる。全体重をかけフィーリクスに乗っかっているような状態だ。窒息しそうになったが今はそれが嬉しかった。生きている何よりの証拠だ。彼女の背に腕を回し入れそっと抱き留める。
「ありがとう、今までずっと看てくれてたんだね」
「途中で、いえ、結構早い段階で寝ちゃったけどね」
「ははは」
彼女らしい、と思いながらもやり取りを楽しんだ。そして、まず思い出したことに言及する。
「ごめん。当分の間は、あまり戦力になれない。君と仕事ができないかもしれない」
「どうして?」
頭を上げ不思議そうに聞く彼女にも分かっているはずだったが、何故聞くのだろうか。そう疑問に思ったフィーリクスは、まだ彼女が動転しているのかもしれないと推測した。
「だって、腕が折れて……」
「あたしの背中にあるその手は何よ?」
「何を言って……。あれ? ……腕が、治ってる!?」
フィーリクスがハグをやめ、フェリシティが起き上がる。彼は自分の腕を確認した。少なくとも二か所以上の完全骨折や筋組織及び腱の断裂、それに激しい内出血があったはずだった。右手を動かし、どこにも痛みや異常がないことを発見する。フェリシティはその彼をニヤニヤとしながら見つめていた。
「やっと気付いたの?」
「どうして……」
「あたしも初めて知ったよ。治療用のジェムがあったなんて」
「治療用?」
「そう。重傷者に限って使うって、フィーリクスを治療してくれた人が言ってた」
フェリシティが肩をすくめる。
「そんなものがあったなんて、どうしてみんな今まで黙ってたんだ?」
「それはね……」
「それは私から話そう」
「ヒューゴ!」
ヒューゴが部屋の入り口に腕をかけて立っていた。フィーリクスは彼を見て、怒りの感情が沸いたの自覚する。今回の事件でフィーリクスの負ったケガのある意味元凶とも言える人物だと、彼は考えていた。彼とフェリシティとディリオンの、三人の命を脅かしたのだ。
「説明次第では、あなたを許さない」
「あ、あのねフィーリクス、ヒューゴは……」
「君は黙っててくれ」
何か言いかけたフェリシティを押しとどめ、上体を起こしてヒューゴに相対する。
「すまなかった。……最初から罠である可能性は考えていたが、ウィッチが現れる確信はなかった。ただ、いつでも君らをバックアップする用意だけはしていた。それは嘘じゃない。説明しなかったのは万一奴らが来た時、君らがボロを出す恐れがあったからだ」
素直に謝罪するヒューゴの顔は真剣そのものだ。真摯に対応する彼を見て、怒りが徐々にではあるが薄れていく。確かに、ここぞというところで出てきたのはそのためだったのだろう。それに、セリフの最後の部分が特に刺さった。フィーリクスはポーカーフェイスが苦手だ。
「あたしも散々怒ったんだよ」
「確かに中々の剣幕だった」
フィーリクスはその様を想像し、小さく噴き出す。フェリシティなら齧りついてでもヒューゴから謝罪を引き出しただろう。
「俺達を行かせた理由は?」
「人選の理由は、君ら二人が新人であること。ウィッチが出てくるならば、冤罪を晴らすためのいい機会だったこと。それとディリオンがああ見えて意外と面倒見がいいことだ。腕も確かだしな」
一つ目の理由は囮としては最適、ということだろう。相手に経験が少なく御しやすい、と思わせおびき出すにはうってつけだった。二つ目の理由は、フィーリクスも願っていたことだ。実際、ヒューゴの命令はなくとも今回の任務に自ら志願していただろうと、今になって思い返す。最後に、ディリオンの戦闘の腕が確かなものだと知っている。彼の性格も。
「なるようにしてなった、ってことだよね」
ヒューゴへの不信感をしっかりとは拭えなかったが、もう怒りはすっかり消え去っていた。フィーリクスは彼がどうして部屋にタイミングよく入ってきたのかを理解していた。今まで、フィーリクスが目覚めるまで、入り口脇でずっと待っていたのだろう。
「ウィッチのリーダー、ロッドとは、確かに旧知の仲だ。何があったのかは、おいおい話していこうと思う」
「分かった」
今は、それでいい。フィーリクスはヒューゴの言葉に納得していた。本来ならばもっと追及すべき案件だった。だが、そこまでの気力も体力も尽きていた。代わりに、気になる他のポイントに関して疑問を解消すべきだと考える。
「それで、治療のジェムを重傷者にしか使わない理由は? それと、ディリオンはどうしたの?」
「一つ目。理由は簡単だ。使えば使うほど寿命が縮まる」
「え……?」
「回復促進の効果があるが、それは前借してるに過ぎない。怪我が治る分だけの寿命を先に使っている、というわけだ。だからあまり使わせたくなかったんだ」
それを聞いたフィーリクスは青くなった。傷が治っている代わりに随分と消耗している理由はこれだったのだろう。今回体のどこかに穴を開けでもしたら、場所によっては治りこそすれ、それで寿命を使い切っていたかもしれない。
「それでこんなに疲れてるのか」
「疲れてる? そんなはずはないがまあいい、二つ目の回答だ。ディリオンなら、適切な治療を受けた後で帰宅した。……そうそう、お前のことを心配するようなことを言ってたぞ。『低レベル職員どもには明日からもきっちり働いてもらう』とか、な」
「はは、らしいや」
壊れた右腕が治ることは知っていたのだろう。ただ、今回の件でフィーリクス達が精神的に消耗し、動けなくなることを危惧していたのかもしれない。そう推測し、途中でフィーリクスはあることに気付いて笑いを止めた。
「あれちょっと待って、ってことは俺達って」
「そうよフィーリクス! あたし達、MBIのレベル1エージェントとして正式に登録されたの!」
フェリシティがまた満面の笑みで抱き付いてフィーリクスを窒息させた。彼女の加減を知らないパワフルなハグで、彼の顔色がみるみる悪くなっていく。
「彼が死ぬ前に止めてやったらどうだ」
ヒューゴの冷静な指摘でフェリシティが我に返り、フィーリクスを解放する。
「とうとうなれたんだ」
二人は仮免許状態から抜け出し、正式なエージェントになった。フィーリクスはその喜びを噛み締めフェリシティと見つめ合う。
「さて、私はもう帰る。もう遅いからな、君らももう帰った方がいい」
「「また明日!」」
ヒューゴを見送り、フィーリクスは気持ちを切り替える。立ち上がり、フェリシティに向き直った。表情を引き締め決意を新たにする。
「今回のことで、ウィッチの危険性が改めて分かったよ。あんな奴らを世にのさばらせちゃいけない」
「ええ、その通りよ」
フェリシティと頷き合う。二人で腕を振り上げる。
「目にもの見せてやる!」
「クソ野郎を捕まえろ!」
フィーリクスと、フェリシティがそれぞれ叫んだ。
「でもあの跳び蹴りは危険すぎたよ」
「決まったんだからいいじゃない」
「確かにすかっとしたよ、ははっ」
「イェヤー!」
それから二人は結局その場で小一時間ほど話し込んだ。その結果フィーリクスもフェリシティも、翌朝遅刻しそうになったのはまた別の話だ。




